2ー7
結論としてなぜか私はルチアと舞台に上がることになった。できることがあるならやると宣った結果まさかこんなことになろうとは……。曲は既に浮島のものを選出済みで、キョウヤは楽団に楽譜も提供済みらしい。浮島の歌の楽譜をどうやって……自ら書き起こし? とか、もうあまり深く突っ込まないことにした。
交流行事は当日までに申請があれば、舞台上の人数が変わっても問題ないとのことだった。二週間はピアノであれば大丈夫だったが、歌と踊りを完璧に覚えるにはとても短い。覚えたうえでさらに磨きをかけなければいけないのに、追加で私の衣装も作らなければならないのだ。しかし私に服なんて作れないので衣装作りに関してはルチア任せ、私は必死に覚えて形になるように努めることにした。
「はいこれ」
翌日の昼営業終了後、部屋にルチアが訪れてきた。
「……? あれ、これって……」
「この間話した、あたしがここに来たときにキョウヤが渡してくれた『タブレット』」
「タブレット?」
「ってキョウヤは言ってた。アリスが話してたやつもたぶんこれのことなんじゃない?」
長方形のつるつるした面の板。私が拾った物のはもっと小さかったが確かに同じような物なのかもと思う。
「使い方を教えるからそれで歌と踊りを覚えておいて。経験があるなら二週間あれば覚えられると思うけれど、最後の数日は合わせとか調整とかしたいから早めに覚えてくれると助かるわ」
それまでホールの手伝いは昼だけでいいからと手渡され、少し申し訳なく思いながらも受け取る。ルチアはこれまで通り仕事をしながら衣装も作らなければいけないというのに。とにかく私はできるだけ早く覚えなければと改めて意気込んだ。
使い方は簡単だった。上部にある小さな突起ーー電源を押し込むと暗かった面ーー画面が明るくなる。左上に表示されている四角い模様に指で触れると画面が切り替わり、人や舞台が止まったままの絵? がずらずらと縦にいっぱい並んだ。そしてそのうちの一つを指で触ると再び画面が変わり、突然音楽が流れたかと思うと止まっていた人が歌い踊り出したので目を開いた。
「これ! 私が昔拾ったのもこんな感じだった!」
小さい頃はべたべたと画面を触っていると歌がまた最初からになり、終わるとまた触ってみるということをしていたが、ルチアから止め方や戻り方を教えてもらうとなんとなく仕組みが分かった気がした。
「えっ、これ、もしかしてここに並んでるのって全部浮島の歌と踊り? え、これ全部観てみていいの? 全部これ聴いてみていいの!?」
「いいけれど……あたし達が披露するのはこのアイドルの曲だから、」
「え〜〜〜! ありがとうっ! アイドル? この人達はアイドルって言うの?」
「そうみたいよ。あっ、でもアイドルっていうのはこんな風に歌って踊る人達のことを指す全体的な名称みたいなもので、」
「そうなんだ……けどすごいねこれ!? 浮島のアイドル? の歌がこんなにいっぱい……へぇ〜〜〜へぇ〜! すごい、知らないものだらけ! でも楽器とかは同じものもあるんだね、これはバイオリン? チェロ? でも肩から下げて弾いてるし何なんだろ、」
「ちょっ……アリス! 初めて観て興奮する気持ちは分かるけれど! 覚えるのはこれだからねっ!」
いろいろ触っていると横から操作されて最初の歌に戻される。その曲も当然私は全然知らなくて、かわいらしくもかっこよさのある衣装を着ている二人組は、私にとっては物語のお姫様のように眩しく見えた。
けれど、これを私とルチアの二人でやるのだ。この国で。まだ伝統を重んじたようなゆったりと荘厳な曲が一般的であるこの国で。
「分かった。私、これを完璧に覚えてみせるから!」
力強く宣言して頷く。その勢いにか目を瞬くルチアを見て、私の方もこんなに心から頑張ろうと思えることは久しぶりだなと思った。
それから毎日はあっという間だった。
練習はキョウヤに連れていってもらった小さな湖畔で行った。町からそれなりに離れていて声出しと体を動かすのには最適だったのだ。ルチアのタブレットを持ち出すことに最初は大丈夫だろうかと物凄く悩んだものの誰かが来ることはなく、いまの季節は風も爽やかでとても過ごしやすかった。やはり好きなことや興味のあることに集中力は発揮されるもので、数日もしたら歌も踊りもある程度は覚えられた。
完全に任せきりになったルチアの衣装作りも問題がなくなると、振り付けの合わせと調整の時間に入った。歌はともかく誰かと踊ることなんて初めてで最初は悪戦苦闘したが、やっぱりこれも好きなことをしているので苦しくはなかった。ルチアの方が踊りに関しては上だったが、私も一応あの家で歌踊講師に学んでいた身だ。伸びやかに聴こえる喉を使った発声方法や、美しく見える姿勢、指先の所作など、細かい部分には口を出して少しは力になれたような気はする。
『二人ともー差し入れ持ってきたよー。休憩しない?』
私の部屋で話し合っているときはたびたびキョウヤがお菓子を持ってきてくれた。三階は女子専用だとルチアは始め渋っていたが、私は何も気にしないので私の部屋限定で持ってきてもらうことにした。
『今日は俺が作ってみたよ。まずかったら申し訳ない』
スコーンとクッキーが乗せられた大皿を机に置くキョウヤにルチアがの方が驚いた。
『キョウヤが? 今までまったく料理なんてしなかったのに』
『まぁ、俺も何かできないかと思ってたら店長に言われてね』
言いながらキョウヤはクッキーを手に取る。
『食べてくれる人がいるならたまにはしてもいいかなと』
ふーん? と気のない返事をするルチアが同じように一枚手に取り口に運んだ。
『味が薄い』
『だよね、砂糖足りなかったか』
そう言って笑いクッキーをかじるキョウヤの言葉が少しだけ引っかかったことを覚えている。
それは食べてくれる人がいなかったということなのだろうか。ルチアも店長も料理が上手なので確かに自分で作ろうと思えないのは分かるけれど、食べてくれる人がいないと作らない気持ちも私には分かった。もし一人で生活していたら自分のためだけにわざわざ手の込んだものを作ったりはしない、まぁそこまでの技術もないのだが。
不用意に踏み込む話でもないので私も一枚もらって食べてみる。確かに味は薄かった。
けれど甘すぎるよりはこれくらいが個人的にはちょうどいい。伝えると、なぜかほっと安心したような笑みを浮かべたことが印象的で焼きついている。
その後も衣装を着てみては修正したり、一度リンドバーグに足を運び、会場となる大講堂で演奏を引き受けてくれた楽団の人達と顔合わせもした。楽団と聞いておののいたが、見ると確かに小さなオーケストラなどはできそうな楽器の揃いようであった。意外にもルチアは腰が引けて言葉がたどたどしくなっていたので私が会話を引き受けたが、このような楽団を借り受けるなんてキョウヤはメレン公爵家の誰と何を話してきたのだろう。一層疑問に思ったが、その場での本物の伴奏に感激を通り越し衝撃を受けてそんなこと頭から吹っ飛んだ。
そうして一瞬にして前日となり、明日は日の出前にみんなで出発するとのことで、ハミルトンの昼営業終了後、早めにお風呂に入っておこうと一階の脱衣所に行くとルチアと遭遇したのだった。