95 魔王マインラート 03 魔王の意思
魔王は軍師に諭す。
「人間たちを増やしすぎてはならぬ。絶やしてもならぬ。それが偉大なるアルスナムの意思だ。卿もわかっていようが、心せよ」
「承知しております」
魔王マインラートも軍師ギュンターも偉大なるアルスナムの神意の忠実な実行者であろうとしている。彼らは人間たちを適切に間引きし、繁栄させすぎないようにしている。人間たちが繁栄しすぎれば、その欲望は全てを飲み込み絶やすであろう。それを阻止しなければならない。
だが彼らは人間たちを滅ぼす気もない。人間にも見込みのある者がいることは彼らも認めている。全ての人間が悪心に飲まれるのならば、偉大なるアルスナムは人間たちに完全に見切りをつけていたであろうし、魔王たちもとっくに人間種族を滅ぼしていただろう。
各地の魔王には、いつまでも良い方に変われない人間たちに嫌気が差して、人間種族を滅ぼしたいと思っている者たちもいるのであるが。その魔王たちもまだそこまでは思っていない魔王たちの説得により思いとどまっているのだが、マインラートはその我慢の限界に至る日はそこまで遠くはないであろうと考えている。彼らの思いもわかるのだ。マインラートも人間たちには数限りなく期待を裏切られてきたのだから。
そして神々の時代から生きているマインラートは知っている。即物的な欲望の権化のような存在である妖魔共も、元は人間であったことを。妖魔共は魔王領でも頻繁に問題を起こすし、その存在を嫌っている魔族は多い。だからといって妖魔共を滅ぼすのは、魔王にとってそれは人間たちを滅ぼすのと同じなのだ。魔王も遙か昔からずっと頭を悩ませているのであるが。だが下劣な妖魔共は人間たちの数を減らすのには丁度良かったのも事実である。
「魔王領での魔族たちの人間たちに対する態度に関する割合はどうか?」
「おおよそ半々であると考えます」
「ならば良い。今後もこの割合を維持せよ」
「はっ」
その割合は魔王とその側近たちの苦心の末の結果であった。人間種族を滅ぼすべきと考える魔族が大勢を占めるならば、本当に人間たちは滅んでしまう。かといって人間たちも生かしていいと考える者ばかりだと、人間たちを間引きするのに問題が生じる。偉大なるアルスナムの神意を魔族全体に説明しようにも、魔族たちにもそれぞれの感情と思いはあり、納得する者ばかりではあるまい。実際、人間種族を完全に滅ぼしてしまう方が簡単で手っ取り早いのだ。
「卿はヴィクトリアス帝国に対し全面攻勢に出る必要はあると思うか?」
「少なくとも皇帝アイザック・ヴィクトリアスが帝位にあるうちは、その必要はないと存じます。彼は人間の統治者としては珍しい欲の少ない賢明な者であるという印象を受けます。良き統治者であろうという意思を欲と言うならば、この上なく欲深い皇帝なのかもしれませぬが」
魔王と軍師は皇帝アイザック・ヴィクトリアスを見込みのある人間だと評価している。そして旧チェスター王国領の統治を任されている第二皇子フィリップも、敵ではあるものの高潔な将なのであろうと評価しており、皇帝はその子息たちにも良い教育をしているのであろうと判断していた。
当人は高潔で有能であっても、後継者の教育には失敗する人間はいくらでも例がある。名君の後を継いだ者が暗君、暴君であった例は人間たちの歴史上枚挙にいとまはない。逆に名君の後を継いだ人間も名君であった例は多くはない。大抵は暗君、暴君と言うほどでもない凡君であるのだが、名君の後を継いだ暗君、暴君が国を滅びに導いた例も数多くある。
「続けよ」
「はっ。彼の統治下で帝国はチェスター王国を含む人間の国複数に侵攻しましたが、その名目として腐敗した統治者を排除し、その民と領土を魔王軍から守ることを掲げております。それはただの名目ではなく、真実を言っていると考えられます。現に彼は実質的に支配下に置いたサイアーズ王国を、腐敗した統治機構を改革させた上で自立させるよう準備しているとの情報も入っております。少なくとも彼には帝国を拡大したいという欲望は薄いのではないかと考えます」
「彼の後継者も賢明な者であるならば、しばらくは本格的に侵攻はしなくてもよさそうか。彼が統治者であるうちはヴィクトリアス帝国は無秩序で爆発的な発展には至らずに、調和をもって存在できるかもしれぬ」
「はっ。ヴィクトリアス帝国に対しては当面は適度に争い、人的資源に負荷をかける程度でよろしいかと存じます」
「よかろう」
欲深い者共がのさばる国は、魔王にとって優先的な攻撃目標になる。人間たちの欲望は爆発的な発展の原動力となりうるのだから。国の上層部から下層の者たちまで欲望にまみれ無秩序な繁栄を望むようになれば、その欲望は全てを飲み込み絶やすことになりかねない。神々の時代における人間たちのように。度が過ぎるようであれば、魔族による文明崩壊級の徹底的な攻撃が加えられることもある。
「このままであれば、しばらくは様子を見ることになるのかもしれぬな」
「はっ」
歴史としては、人間たちの文明が神々の時代にも届こうというほどに高度に発展して、それを魔族が徹底的に破壊したことは何度もある。それは高度文明初期の人間の国々の統治者たちが賢明で、魔族もしばらく様子を見ても良いかと考えて見守ったことから始まるのが常であった。だが人間たちは魔族の期待に背いて代を重ねるごとに欲望を増大させ、全てを飲み込み滅ぼす危機を招きそうになった故に、魔族が人間の文明を滅ぼしたということが何度も繰り返されているのである。
人間たちの文明が高度に発展し、直接攻撃すると魔族側の被害が大きくなりすぎると予想される時は、神々の時代から連綿と残され現在に至るまで研究開発が続けられている殲滅級の魔法兵器の数々が使われる。それらはよほどの時しか魔王も使うことを許可しない。
そのことについては人間種族を滅ぼすべき害悪と考える魔族たちも納得している。自分たちの命を危険にさらすこともなく他の種族を滅ぼすのは、自分たちを人間たちと同列の存在に貶める醜悪な所業だと。逆に人間たちがそのような殲滅級の手段を手に入れれば、躊躇することなく魔族、そして同胞たる人類相手でも使うであろうと警戒もしている。
その気になれば魔族はいつでも人間種族を滅ぼせるのだ。各地の魔王たちが偉大なるアルスナムの神意に従いそれをしていないだけで。だが人間たちの文明があまりにも高度になってしまえば、殲滅級の魔法兵器を使ってさえ止めることができなくなる恐れがある。人間たちが調和をもって他者と共存できる種族に進歩していればそれでも良いのだが、少なくともこれまでの人間たちは種族としてそのような精神的な進歩をすることはできなかった。人間とは全てを奪い食い尽くす強欲で有害な種族でしかないとは、人間たちを滅ぼすべきと考えている魔族たちの考えである。
「卿は世界の現状をどう考える?」
「世界各地の人間共を我ら魔族の領域で分断し、その文明レベルの発展も抑えられております。人間共の文明に発展の兆しがあれば、各地の魔王軍が攻撃をかけて発展を抑制、退化させております。現状はアルスナム様の神意にかなう状態が維持できているものと考えます」
「よかろう。だが慢心はするな。思いも寄らぬことはいくらでも起こるものだ」
「はっ」
何度も同じ失敗をするわけにもいかない。現在の世界の状況は魔王たちにとってはなかなかうまくいっていると自負していた。百五十年ほど前、全世界的な魔族と人類の全面衝突が起きた。その大戦において魔族たちもそれなりの損害を受けた。そしてそれ以後魔族と人類の破局的な戦いは起きず、世界的に小競り合いが頻発するという程度に抑えられている。こと人間たちについては、魔族との戦いよりも人間の国同士の争いの方が犠牲が大きいのが現実だ。
それは世界各地の魔王たちの苦心によるものであることも大きい。人間たちを増やしすぎず、発展させすぎず、かといって絶やさず。人間たちは大集団になるほど爆発的に文明を発展させる。ならば魔族の領域で人間たちの領域を分断し、分断された人間たちも適度に数を減らせば人間の文明は停滞すると各地の魔王たちは考え、それを実行しているのだ。それは一種芸術的な手腕であった。だが魔王たちも理解している。この今の世界の状況は幸運によるものも大きいのであろうことを。いつまでも自分たちにとって都合の良い状況が続くとは限らないと。
「我らの存在意義は、アルスナム様のご意思を実行することだ。世界に調和をもたらさねばならぬ。あるいは人間たちもいずれその欲望を抑えることを知り、調和をもって我らと共存できるようになるかもしれぬ」
「……はっ」
「卿は人間たちを信じておらぬのは余もわかっておるがな」
「……申し訳ございません。私は人間共を信じることはできないのです」
「それも仕方あるまい。余も何度も人間たちには期待を裏切られた。だが見捨てるわけにもいかぬ。人間たちもこの星で生きる者たち故に」
「……はっ」
魔王は人間たちに希望も持っている。いつかは人間たちも自分たちと調和をもって共存できるようになるかもしれないと。魔王はソル・ゼルムをはじめとする人間たちの側についた神々の言い分もわかるのだ。だが偉大なるアルスナムの方が正しいと信じている。
少なくとも神々の時代から現在に至るまでの人間種族は、調和をもってこの星に存在する数多の種族、生物と共存できる存在ではなかった。ただ貪欲に全てを収奪する種族でしかなかった。だが中には見込むに値する人間たちもいた。そしていつか人間たちも調和をもって自分たちと共存できる種族に進歩するかもしれないと魔王は期待している。
一方軍師は人間共に絶望している。自分自身がかつて人間であったからこそ、その絶望は深い。軍師は人間共が魔族たちを含むこの星の全てと共存できるようになるとは思っていない。人間にも希に見所のある者が出現することは彼も認めているが、人間全体は信じてはいないのだ。
だが考えの相違はあれど、彼らは偉大なるアルスナムの神意を実行し、世界に調和をもたらそうとする同志だ。
「いつかこの世界に調和がもたらされれば、余も星空に飛び立っても良いのかもしれぬな」
「はっ」
「アルスナム様はおっしゃっていた。この星の者たちがあの方の庇護を必要としなくなれば、あの方はソル・ゼルム様と共に星空に飛び立ち、遙か彼方の星で新たなる世界を作ると。余もそのお手伝いをしたいのだ」
「はっ」
「その時は、この魔王領は卿に任せることになるのかもしれぬな」
「はっ」
魔王はいつか星空に飛び立つことを夢見ている。調和をもって行動できる者が神々の庇護を離れて星空に飛び立とうとする時、彼らは支援している。実際、過去に星空に飛び立った魔族やエルフもいるのだ。失敗に終わって帰って来た者たちもいるし、帰って来なかった者たちも全てが無事だとは思えない。だが飛び立った者たちの子孫が使者を送って来たこともあるのだ。
軍師も本音としては偉大なるアルスナムと愛する家族たちと共に旅立ちたいのだが、魔族たちを放り出すわけにはいかない。魔王はもう十分に魔族たちのために働いたのだから、魔王が旅立つと言うなら快く送り出すつもりであるが。
「ですが、欲望を抑えることができない人間共が星空に飛び立とうとするならば、断固阻止しなければなりません」
「であるな」
今の、そしてこれまでの人間たちには神々の庇護を離れて星空に飛び立つ資格はない。欲望の赴くままに全てを食い尽くす災厄を星空に解き放つわけにはいかない。




