89 帝都にて 02 アルバート王子
セルマは先程からリーアムがなにかを言いたそうにそわそわしている様子なのに気づいていた。アミーリアもその祖父の様子が気になっていたのだが。
「ところで御爺様。なにかおっしゃりたいことがあるのでしょうか?」
「うむ。アイザックから聞いたぞ。チェスター王国のアルバート王子を呼び戻して、そなたと婚姻させようと考えておるそうではないか」
セルマは意表を突かれた。まさか皇帝がそのことを先帝に話しているとは思わなかった。それはまだ皇帝とセルマが内々に考えているだけのことなのだから。このことを家族相手とはいえ教えるのはもうしばらく先だと思っていたのだ。さすがに皇帝も将来的にセルマとアルバート王子に帝国を共同統治させることも考えていることはまだ話していないとは思うが。
だが先帝の言葉に大きく反応する者がいた。
「ええ!? アルバート兄様が帰っていらっしゃるのですか!?」
「うむ。これでアミーリアも冒険者になると言い出す必要もなくなったということじゃな」
アミーリアだ。彼女はアルバート王子を兄と慕っていた。アルバート王子が冒険者として帝都から旅立ったのは、彼女がまだ幼い子供の頃だった。王子たちが旅立つ時、アミーリアは行かないでと泣いてわめいて、セルマはその妹をなだめるのに苦労したものだ。
ふとセルマは思い出した。アルバート王子がまだ幼かったアミーリアになつかれて、なぜ自分のような人間に子供がなつくのかと本気で不思議がって、戸惑っていたことを。王子は自分のような性格の悪い人間に近づくべきではないとアミーリアに懇々と諭して、泣かれて諦めたという一幕もあった。なお王子の従者のヘンリーも、彼自身の弟と妹と一緒に幼かったアミーリアの遊び相手もしてやっていて、アミーリアはそんなヘンリーにもなついていた。
だがセルマには聞き逃せないことがあった。
「……アミーリア」
「は、はい!?」
セルマのきつい視線に、アミーリアは悪いことをしていたところを見つかったような様子で縮こまる。
「あなたはヴィクトリアス帝国の皇女です。そのあなたが軽率なことを申すなど、許されません」
「……」
アミーリアは納得する様子を見せず、反論したそうにしている。そこにリーアムが仲裁の言葉をかける。
「セルマよ。そうアミーリアを責めてやるな。もうその必要はなくなったのじゃしな」
「……はい。それでアミーリア。冒険者になりたいとは?」
「アルバート兄様を追いたかったのです。ルパートとローラと一緒に」
「……」
「兄様は、私が追いかけなければ戻って来てくださらないと思ったのです」
「……」
セルマはそのアミーリアを叱りつけることができなかった。それは彼女自身も薄々思っていたことなのだから。彼女自身、皇女としての立場を投げ捨てて王子の元に駆けつけたいと思ったことも何度もあるのだから。それでもここが皇宮であったならば叱りつけたであろうが。
なおルパートとローラとは、ヘンリーの弟と妹で二人は双子の兄妹だ。二人は帝国の重臣クィン侯爵の養子になっているのだが、この兄妹はアルバート王子の臣下だという意識が強く、兄のヘンリーと共に王子に仕えたいと言っていたのだ。クィン侯爵は、中途半端な実力では王子たちの足手まといになると諭して、実の子同然に愛する二人を思いとどまらせていたのだが。
一方ヘンリーとルパートとローラの実母のアラーナはクィン侯爵に身柄を預けられているのだが、彼女は二人が心配だという思いと、二人がアルバート王子とヘンリーの力になってくれるのではないかという思いの板挟みになっている。
アミーリアはルパートとローラを含む友人たちをこの離宮に伴って来ることもあり、先帝夫妻も彼らを孫のようにかわいがっている。アミーリアにとって二人は親身に面倒を見てくれる兄と姉のような存在で、セルマも彼らをなにかと気にかけているのだ。
「姉上からお聞きする兄様たちの冒険譚は心躍ります。ですが、それは兄様たちがそれほどの危険を冒しているということでもあるのでしょう」
「……」
セルマはアミーリアたちにせがまれて、アルバート王子を監視させている密偵から報告された王子たちの冒険譚を話していた。その密偵は王子たちについての情報を集めていることを不審に思われないように、吟遊詩人としての技能を持つ者をその任に当てている。その密偵自身もただ監視するのではなく、王子たちの英雄譚を作る意欲に駆られているようで、彼らをモチーフに作った物語も報告されている。その物語もアミーリアたちに披露しているのだ。そのおかげでアミーリアは王子たちのことを忘れずに、後を追いかけようとまで思うようになったという面もあるのだろうが。
「私たちは怖いのです。兄様とヘンリーが帰って来ずに、私たちの手の届かない所で命を落とすかもしれないと……」
「……」
アミーリアたちの危惧はセルマの危惧でもあった。アルバート王子たちは危険度の高い仕事を率先して受けているようだ。普通の冒険者ならとっくに命を落としているような仕事を、基本的にたった二人で、何度も。それはまるで死に場所を求めているかのように思えた。
セルマも何度王子を呼び戻そうと思ったか、数えることもできない。だが王子との約束でそれはできなかった。それでも我慢しきれずに王子を呼び戻すことを皇帝に提案してしまったのだが。そこに皇帝の口からセルマと王子を婚姻させるという案が出された時は、うれしいと思うと同時に安堵した。これで王子との約束を破らずに王子を極度の危険から遠ざけることができると。それもまた王子と約束していたことだったのだ。
「あなたたちの思いはわかりました。ですが心配は無用です。アルバート王子とヘンリーは帝都に呼び戻します。王子たちは重大な事案を抱え込んでいるようで、しばらく先になるかとは思いますが」
「重大な事案ですか? それは一体?」
「それはまだ話すことはできません。ですが王子たちは必ず帝都に来ます」
「は、はい」
重大な事案。聖女のことは、たとえアミーリアと先帝夫妻相手であってもまだ話すことはできない。アミーリアたちも広めてはならないことは黙っている分別はあるが、もし聖女が出現したことが広まってしまったら、聖女をすぐに帝都に呼び寄せなければならなくなる。だが聖女はまだ未熟な少女だとのことであり、そんな少女を戦場に出せば生き残れるか不安がある。
聖女が戦死すれば、軍も民衆も士気は極度に低下してしまう恐れがある。戦場に出す前に聖女を十分に鍛えようにも、聖女を早く戦場に出すべきだと民衆が不満を持つ恐れがある。
帝国で正式に聖女を保護する前に、帝国の貴族たちなり周辺国なり旧チェスター王国の貴族たちなりに聖女の存在が知られることも危険だ。聖女の存在を知ればいらぬ野望を抱く者も出て来るだろう。
その危険を避けるためには聖女の存在は当面は秘密にしておいて、アルバート王子たちに聖女を鍛えてもらうべきであろう。セルマにも統治者としての責任がある。個人としての聖女に対する善意もある。その双方が、聖女の存在はまだ秘密にしておくべきと判断させるのだ。
フィリップからの報告で、聖女が語ったという善神ソル・ゼルムと悪神アルスナムに関する『真実』も知ってしまい、その情報の取り扱いも十分に考える必要がある。だがそれは帝国としても新たなる政策手段を得られる可能性もあるとセルマと皇帝は判断している。聖女ならば魔王軍と交渉することも可能かもしれないと。そして長期間にわたって魔王軍との全面衝突を回避する可能性を得られるかもしれないと。小規模な衝突くらいはあるだろうが。そもそも魔王軍も妖魔共の存在に手を焼いているとのことであり、妖魔共を間引くためにも衝突はあるだろう。
王子たちは聖女を連れてまずはフィリップを訪れ、その後帝都に来るであろう。それまでは待たなければならない。王子たちがフィリップの元を訪れる時、セルマも会いに行くつもりではあるが。
「いや、アミーリアからアルバート王子を追いかけるために冒険者になりたいから、そなたとアイザックを説得するのを手伝ってほしいと頼まれておったのじゃが、これで一安心じゃ。それはさすがに余もどうしたものかと思っておったからな」
「ええ。アルバート王子も危険なことをしているようですし、アミーリアまでそんな危険な冒険に身を投じることになるかと思うと、心配でなりませんでしたからね。クィン侯爵夫妻からも、ルパートとローラが王子を追いたいと言っても、時間を稼いでほしいと密かに頼まれていたのですよ」
アミーリアもさすがに直接皇帝に申し出ても許可されるはずがないとわかっていて、先帝夫妻に根回しをしていたのだろう。それは政治的な判断としては稚拙なものであるが。たとえ先帝夫妻の口添えがあったとしても、皇帝もセルマもアミーリアが冒険者になって良いと許可するはずもない。先帝夫妻も愛する孫がそんな危険を冒すことには否定的なのであるし。セルマの冷たい視線を向けられたアミーリアは縮こまっているが。




