06 エルムステルの街への道中 02 少女の癒やしの力
次の村。道中は特に何もなく、平和なものだった。荷馬車はバートが御者をし、ヘクターは歩いて護衛をして、ホリーはバートの横に座らせてもらっていた。
昼頃に荷馬車の安全が確保できる少し上等な宿を取って、ホリーたちは宿の酒場でくつろいでいる。無理をすればこの日のうちに次の村まで行けるだろうけれど、到着するのは夜も更けてからになるだろうし、そこまで無理する必要は無い。
「あの……バートさんもヘクターさんも、鎧は脱がないんですか?」
それは昨日から彼女が気になっていたことだ。バートもヘクターも夜ベッドに入る時以外は鎧を着たままだった。ベッドに入る前には鎧を脱いで、丁寧に手入れをしていたけれど。
「いざという時にも対処できるように、できるだけ鎧は着たままにしている」
「それにこの鎧には長時間着てても疲れないようにする魔法が付与してあって、こう見えても結構快適なんだ。下手な服よりも快適なくらいでさ」
「は、はい。でも重くないですか? 特にヘクターさんの鎧は」
「この程度、なんともないさ」
「私の鎧もヘクターの鎧も、軽量化の魔法も付与されていて見た目ほどは重くない。さすがにヘクターの鎧は相応の重さはあるが」
全ての冒険者が宿でまで鎧を着ているわけではないが、宿でも油断しないのがバートとヘクターの主義だ。さすがに宿で戦いになることはそうそうあるものではないが、それでも彼らは油断しない。
そこに一人の村人が酒場に駆け込んで来た。
「エルムステルの街まで行く人はいねえか!? 神官様に急いで来てほしいって伝えてほしいんだ!」
バートたちや他の客が返事をする前に、酒場の親父がその村人に声をかける。
「どうした? そこの冒険者たちやあっちの商人が街に向かうようだが」
「うちのガキが木から落ちて、骨が折れちまったみたいなんだ! 痛え痛えって泣いてよぉ。冒険者さんたち、神官様に急いで来てくれるように伝えてくれねえか!?」
小さな怪我ならわざわざ神官を呼ばないのだが、大きな怪我をすれば神官を呼ぶこともある。だが大抵の村には治癒魔法を使える神官はいない。神殿があるとしても小規模なのが一般的で、管理する神官も神聖魔法を使えないことも多く、小さな集落なら祠を信徒の代表が神官代理として管理している程度の所も珍しくはない。
「待て待て。神官様を呼ぶにも、寄進する金はあるか?」
「ああ! 寄り合いの金を持って来てもらうように頼んである!」
「なら大丈夫だな」
神官に魔法を使ってもらうためには、寄進をするのが一般的だ。金を取るのも、神聖魔法を使うにも魔力が必要でいくらでも使えるわけではなく、神殿に神の奇跡を求めに来る人々に歯止めをかけるためにも仕方が無いことではあった。それに神に仕える神官たちも、生きるためにも神殿を運営するためにも金が必要なのである。
そして村々には、非常時にまとまった金が必要になった時、それを工面する助け合いの仕組みがある場所も多い。十軒程度でグループを作り、少額ずつ金を出し合って保管し、金が必要になった者にそれを与えるという仕組みだ。金を預かった者が一部を着服するという事例は時々発生するが、そういった者には大抵は懲罰が加えられる。
ホリーが申し出る。
「あの……私がその子を治しましょうか?」
「へ……? 嬢ちゃん、あんた神官様には見えねえけど、神官様なのかい?」
「は、はい」
村人がホリーを神官だと思わなかったのも無理はない。ホリーは村娘そのものの格好なのだから。
ホリーには治癒魔法を使って見返りに金を得ようという下心はない。彼女は純粋な善意で申し出ていた。
「頼んでいいかい!?」
「はい。案内してください」
「私たちもついて行こう」
「そうだな。その子の折れた骨を変な対処してたら、そこに治癒魔法を使ったらおかしなことになるかもしれない」
「お、おう。来てくれ!」
そうしてホリーたちは村の一軒の家に案内される。普通の農家の家だ。部屋に案内されると、一人の男の子が質素なベッドに寝かされて痛みに脂汗を流している。
バートが男の子の腕に巻かれた布をほどき、当て木も取る。
「痛いが、我慢しろ」
「い゛っ!? いだっ!」
素人の応急処置では適切な継ぎ方ができていなかった。ヘクターが男の子の体を押さえ、バートが腕を適切な位置に直して当て木を当て、布をまき直す。バートもこの程度の怪我は癒やせる治癒魔法は使えるが、ホリーが申し出たのだから彼女に任せようとしていた。
「お嬢さん。治癒魔法を。一回では治癒しきれなければ、複数回使えばいい」
「はい。善神ソル・ゼルムよ。この者の傷を癒やしたまえ」
バートに指示され、ホリーが男の子の患部に手を当て治癒魔法を使う。手を当てなくても治癒魔法は効果を発揮するのだけれど、ホリーはまだそのことを理解していなかった。
「……あれ? 痛くなくなった」
「だ、大丈夫なのか?」
「うん! 全然痛くないよ!」
治癒魔法はたちどころに効果を現し、男の子は不思議そうな顔をする。父親が心配そうに尋ねても、大丈夫とばかりに怪我をしていた腕をぶんぶん動かす。たった一回の治癒魔法で、男の子の怪我は完全に治っていた。
バートとヘクターは目配せをする。治癒魔法も他の魔法同様、術者の力量によって効果が左右される。神聖魔法を使えるようになったばかりの神官がこれだけの怪我を完全に癒やすには、複数回行使しなければならないのが当然だ。それなのにホリーはたった一回の治癒魔法で完璧に癒やしてしまった。
だがまだこの少女が聖女であると確定したわけではない。希に神の寵愛を受けたのか若くして強力な神聖魔法を使えるようになる者もいる。
「ありがとう、ありがとう! 嬢ちゃんのおかげでせがれの怪我が治った!」
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「ふふ。どういたしまして」
ホリーは礼を言われるために治癒魔法を使ったわけではないけれど、礼を言われるのはうれしかった。自分が役に立ったと実感できるのだから。
そこに別の村人が銀貨を入れた袋を抱えて駆け込んで来た。
「おーい。寄進するための金を持って来たぞー。あれ? 坊主が怪我したとお前のかみさんから聞いたんだけど」
「あれ? あんた、どうしたんだい? あんなに痛がってたのに」
「ああ。この嬢ちゃんが神官様で、せがれを治してくれたんだ!」
「おお! そりゃ運が良かったじゃねえか!」
「まあまあ。こんな若いのに!」
「本当に運が良かったぜ!」
彼と一緒に来た男の子の母親も元気な様子の男の子に目を丸くしている。
「嬢ちゃん! この金を受け取ってくれ!」
「……え? い、いえ、私はお金をもらうために治癒魔法を使ったんじゃないですし……」
村人から銀貨の入った袋を押しつけられて、ホリーは困惑する。神官に治癒魔法を使ってもらうためには寄進が必要なことは彼女もわかっていたけれど、自分が金を渡される立場になることなど考えたこともなかった。少額ならば彼女も受け取る気になったかもしれないけれど、袋に入っている銀貨は神官の旅費も含めているのであろうから、彼女からしてみれば結構な大金だ。
困っているホリーにバートとヘクターが口を出す。
「お嬢さん。受け取っておくといい。お嬢さんが受け取るのを拒否すれば、村人たちにもどうしてもお嬢さんには無料でしてもらったという意識が出てくる。それを他の神官にも押しつけるようになってしまうかもしれない」
「そうなればこの人たちにとっても良くないからな」
「……はい」
ホリーも渋々納得する。バートたちの言葉は彼女も理解はできた。
「それにこれは俺からの感謝の気持ちだ! 是非受け取ってくれ!」
「そうだよ。お受け取りよ」
「……はい。ですが、半分でいいです。残りでこの子とそのお友達を誘ってあげて、一緒においしいものでも食べてください」
「嬢ちゃん、いい子だな! それじゃあ寄り合いの連中を集めて宴会でもするか! 嬢ちゃんたちも参加してくれるよな!?」
「は、はい。バートさんとヘクターさんも来てもらえますか?」
「同席しよう」
「俺は酒屋で酒でも買ってくるよ。俺のおごりだ」
「お! あんたもいい人だな!」
「じゃああたしは腕を振るうよ!」
これがホリーにできる妥協だ。村人と男の子の感謝の気持ちを受け取らないのも気が引けた。ヘクターはその様子を微笑ましそうに見ている。バートは無表情のままだけれど。