86 アンデッドの群れ 06 墓地の手前で
ミストレーの街中央区にあるソル・ゼルム神殿の墓地。バートたちは騎士団の援護を受け、ここに来た。いかにバートたちが強くとも、彼らだけでこれほどの数のアンデッドを排除して迅速にここまで来るのは無理がある。そして騎士団にとっても街の住民を守りアンデッドを退治するのは彼らの義務なのだ。元々この街に所属していた騎士団には民を守るという意識が希薄な者たちもいるのだが。
ここに来るまでに多数のアンデッドが討伐されたが、アンデッドの数ほどには犠牲者は出なかった。それでもかなりの数の民が犠牲になった。攻撃されたアンデッドは反撃するため、味方の兵にも命を落としてアンデッドになる者たちもいた。ついさっきまで味方だった者が、あるいは友人がアンデッドになってしまい、そのアンデッドに剣を向けることに葛藤を抱えるという悲劇的なこともいくつも発生している。
そして騎士団が攻撃態勢を整えるまでの間、バートたちはいつでも突入できるように待っている。
「やはり、あのアンデッドが言っていたように、このアンデッドたちは避難民たちを裏切り者と思っている者だけを襲おうとしているのだろう」
「そうですね……そんなことを思う人たちがいるのは悲しいですけど……」
「お嬢さんの美しい心は尊いと思うが、人間などこんなものだ。避難民たちが裏切り者ではなかったことを理解した者たちも、上がそう言うからそうなのだろうと、自分で考えもせずに信じているだけの者が多いだろう。その者たちは如何様にも考えを動かされるのだろう」
「……」
「バート。いくらなんでもあなたは人間に絶望しすぎよ。わかってくれる人も大勢いるんだから」
「おう。シャルリーヌも言ってやってくれよ」
「悪いが、私は大多数の人間を信じる気にはなれない。ほとんどの人間は善を装う表情の裏には醜悪な心を隠している」
そして確定したことがある。この災厄はこの街の人々が自ら招いたものであると。もちろん殺された避難民たちが直接の原因であるという事実は動かない。だが殺された彼らが心から弔われていたら、彼らもアンデッドに成り果てることはなかったかもしれない。そもそも彼らが理不尽に虐殺されなければ、こんな事態にはならなかった。この事態は避けられた悲劇なのだ。
「多くの人間は醜い感情も持っていることは私も否定はしないわ。でもその上で多くの人はその醜い感情に飲まれないようにしているわ。それを否定してはいけないと思うのよ」
「まあ、あたしにだって人には知られたくない感情もあるよ? でもほとんどの人間はそんな感情で深刻な問題を起こしはしないと思うよ。悪い心に飲まれる奴もいるけどさ」
「君たちの言葉にも一理あるとは認めよう。だがやはり私は大半の人間の本性は悪だと考える。ほとんどの人間は強きにへつらい弱きを虐げる。己の身勝手な欲望よりも他者の幸福を優先できる人間はほんの一部だ」
「はぁ……あんたも頑固だねぇ……」
「俺もバートには何度も言ってんだけどなぁ……」
「僕はどちらかと言えばバートの側かな。人間には欲望が善の心の制御を受け付けなくなる人も珍しくないよ」
「バート殿もベネディクトも、お主らがそう思うのも無理からぬこととは思うが、人間たちも決して捨てたものではないぞ」
ベネディクトもどちらかといえばバートの側の考えのようだ。盗賊である彼も、しかもこの国ではかつて奴隷であった証、色黒の肌の彼は人間の闇を見て来たのだろう。そのベネディクトもホリーと仲間たちのことは思いやっているのであるが。
ホリーも両者の言い分は理解できるのだ。その上で彼女は人の本性は人間も含めて善だと信じている。それでも多くの人間には醜い感情もあることは認めないといけない。だけどそれを表に出さないようにしている人は大勢いるのだろう。それが一生続くならば、その人は善なる人、少なくとも悪なる人ではないと言ってもいいのかもしれない。
「静かなる聖者は極端な人間嫌いとは聞いてたがなぁ……」
「噂は本当のようだな」
「でも、いい人ではあるんだと思います。バートさんは善人というわけではなくて、公正な人なんだと思います」
「そんな感じね」
「私が思うに、静かなる聖者は統治者に向いているのかもしれない。公正でありながら、無闇に人を信じない。それは名君と呼ばれる人々にしばしば見られる特徴でもある。もちろん彼に統治者としての能力があるかはわからないが」
「そういうもんかね」
ブライアンと彼の仲間たちとハンナは、人間不信丸出しのバートに戸惑っている。この男は彼らが見たこともない性格の男だった。行動は善そのものであるのに、大半の人間を信じる気などないと公言するこの男は矛盾に満ちた男に見えた。
バートは極端すぎると、ヘクターたちも常々思っている。この男にはほとんどの人間は妖魔同然の唾棄すべき存在にしか見えていない。そして見込むに値する人間と出会っても、必ずしも全面的に信じるわけではなく、そういった人間もふとしたことで悪に堕ちることもありうると考えている。彼が全面的に信じている人間種族の者は、ホリーとヘクターを含むごく少数だ。
「話はここまでだ。神殿に避難している者たちは騎士団と神殿の神官戦士に任せればいいとして、騎士団の態勢が整い次第、我々は元凶の討伐に行くとしよう」
「はい」
「ここに来るまでのアンデッドたちの質からすると、この墓地にキャシーという人のアンデッドがいる可能性が高いわね」
「ああ。早いとこ眠りにつかせてやらないとかわいそうだ」
キャシーはこの墓地にまだいるのだろう。墓地の入り口から見ると、奥の方に多数のアンデッドが集まっている。あそこにその女性はいるのであろう。
そしてホリーは思う。神殿で己の罪を悔いていた女性メイジーはアンデッドに成り果てて、浄化するしかなかった。だけどあの女性が抱いていた赤子はまだ無事な可能性がある。赤子は避難民たちが裏切り者だったなどと思うはずがないのだから。せめてあの赤ちゃんは助けてあげたい。
「アンデッドたちを眠りにつかせてやらんとならん。それにこれ以上アンデッドを増やされるわけにもいかん」
「そうだねぇ……たぶん街の人や兵士たちが千人単位でアンデッドになっちまったんだろうしねぇ……」
「アンデッドも相当な数が退治されたとは思うけど、まだ多数残っているだろうしね」
「我々はホリー嬢の護衛を第一に行動します」
「頼む。ハンナ。君もお嬢さんとシャルリーヌの護衛を第一に考えてくれ」
「はい!」
「リンジーたちとブライアンたちは、全方位からの攻撃に警戒しながら私とヘクターのサポートを頼む」
「あいよ」
「おう!」
今回の事件で街の者も大勢犠牲になっている。民衆も騎士や兵たちも。
「殺されちまった奴等はもうどうにもできねえ。ならせめて、これ以上殺される奴が出ないようにしないといけねえ。俺たち自身でどうにかできねえのは情けねえけど、どうか協力してくれ」
「はい!」
「承知した」
「自分たちの力だけでは届かないことに、他人の力を頼るのは恥じゃないぜ?」
「……そうだな。あんたたち、いい人だな」
ブライアンたちは悔いに思っている。彼らにもこの事態を発生させない可能性はあったのだから。だがその可能性は潰えてしまった。ならばせめてそれが街の滅亡という最悪の結果にならないように動かないといけない。たとえ彼ら自身の手でそれを解決することはできなくても。
「お嬢さんやヘクターたちが善人であることは肯定する。私は性格のねじ曲がったろくでなしだが」
「……はっはっはっは! あんた、面白い人だな!」
「バートさんが自分はいい人じゃないと言っても、私はバートさんはいい人だと思うよ」
「そうね。ハンナの言うとおりよ。少なくともあなたは悪人じゃないし、凡百の人でもないわね」
「ええ。バートさんはとてもいい人なんです」
「バートが人間全般を信じていないのは事実なんだけどね」
「……」
バートは戸惑う。彼は人間たちを信じておらず、この者たちもそれを知ったのに、彼をいい人と言うとは。だが不思議とそれは不快ではなかった。ほんの数ヶ月前だったら、ホリーやヘクターのような心の美しい者に言われるならともかく、初対面の人間にそんなことを言われたら、表情には出さなくても内心では不快に思ったかもしれないが。




