68 ミストレーの街にて 01 街に出て
(しばらく前の出来事。ある壊滅した街での、数十人の人間たちを匿っていた魔族たちと人間たちの会話)
薄暗い広い空間。ここはなにかの倉庫なのだろう。壁際に荷物が積み上げられているそこには、数十人の人間たちが肩を寄せ合っている。その人間たちには大人もいれば幼児もおり、赤子を抱いている女性もいる。
そこに人影が入って来た。だがその姿は人間のものではない。それを出迎えた少女も頭に角があり背中にはコウモリのような翼があると、明らかに人間ではない。
「ルイーザ。見回りをしてきたけど、今のところここは安全そうだ」
「ありがと。あなたたち。こんな所に閉じ込められているのは辛いでしょうけど、ここから出ちゃ駄目よ。妖魔共にも私たち以外の魔族にも見つかったら、あなたたちの命はないわ」
「は、はい」
この数人の魔族は人間たちを匿っているのだ。彼女らは戦いを挑んで来る人間を殺すことにためらいはないが、戦う力を持たない人間を殺すのは嫌だった。ことに赤子や幼児まで殺すのは。
「妖魔共が相手なら俺たちで殺せばいいんだけど、同胞相手じゃ俺たちもアードリアン将軍の命令に逆らうわけにはいかない。将軍があんたたちを殺せと命令したら、俺たちもその邪魔をすることはできないんだ」
「アードリアンおじ様は人間たちは滅ぼす必要があると考えているから……」
「はい……」
アードリアンとは、彼女らを率いてこの地まで来た飛天族の将の名前だ。彼は人間たちを世界にとっての害悪と考え、滅ぼす必要があると考えていた。なお魔族側の飛天族は人類側からは悪魔族と呼ばれる。
ルイーザも悪魔族だ。だがこの人間たちはルイーザたちを信じている。信じるしか、この人間たちには生き延びる術はないということもあるが。
「食料や水や服には不足はない? 足りなければ持って来るわよ」
「は、はい。赤ちゃんのおしめが……」
「わかったわ。おしめね? 他に必要なものはない?」
「はい。他は特に」
彼女らは匿っている人間たちができるだけ不便のないように気を配っていた。水や食料、服や寝具を持って来てやったりと。彼女は赤子が泣いてその泣き声が他の魔族たちや妖魔共に聞きつけられないように、音遮断の精霊魔法も使ってやっていた。
「ありがとうございます、ルイーザさん。皆さん」
「ありがとうございます」
「お礼を言う必要なんかないわ。あなたたちを苦難に遭わせたのは私たちなんだから……」
「そうなんだよなぁ……」
「……」
彼女たちはこの人間たちから感謝されるのが心苦しかった。彼女らはこの人間たちを苦難に遭わせた軍の一員なのだから。
だがこの人間たちの感謝の気持ちも本物だった。ルイーザたちに匿われなかったらこの人間たちの命はなかっただろう。この人間たちも最初はルイーザたちにも怯えていたが、今ではこの数人の魔族はいい人たちなのだと、信じていい人たちなのだと思っている。
だがいつまでもこの人間たちの存在を隠しておくことはできなかった。他の魔族に見つかってしまったのだ。ルイーザたちは必死にこの人間たちの助命を願い出た。将のアードリアンはそれを聞き入れて、この人間たちを逃がしてやった。アードリアンはルイーザたちにも困ったものだと思っていたが。彼の目的は人間種族の殲滅であって、たかが数十人の人間を殺すことにこだわるつもりはなかった。
ミストレー。それは旧チェスター王国領北西部における中心的な街の一つだ。明るい金色の髪と美しい青い瞳が印象的な少女ホリーは、仲間たちと共にこのミストレーに滞在している。彼女らはほんの数日前に軍勢の一員として妖魔の大軍勢との戦いを制し、包囲から解放されたこの街に二日前に入城した。
討ち取った膨大な数の妖魔共の死体は、軍勢の半分近くが残って焼却している。味方の騎士や兵たちと魔族たちの死体は、ホリーが浄化の炎という死体を焼き尽くし魂も清める神聖魔法で弔った。さすがの彼女も三万を超える妖魔たちの死体までは浄化の炎で弔える自信はなかった。
そしてこの日の彼女らの予定は、ホリーがシャルリーヌに対して相談したことで決まった。シャルリーヌは智現魔法という魔法分野に長けた、長い金髪を持つエルフの美しい少女だ。
「あの……相談したいんですけど……」
「どうかしたかしら?」
「鎧と鎧下の服がちょっときつくなってきているようで……特に胸とおしりが……身長もちょっと伸びたみたいですし……」
「あら。成長おめでとう。バートたちにも言って、鎧の調整に行きましょうか」
「は、はい」
ホリーは大人とされる十五歳にもまだ達しておらず、体も成長している最中だ。鎧と鎧下の服も少し余裕があるように調整してあったのだが、その範囲を越えつつあるのだろう。ホリーは恥ずかしそうにしているけれど、恥ずかしがる必要などなく、むしろ喜ぶべきだ。ホリーとしては男性のバートたちにこんなことを言い出すのは恥ずかしいから、女性のシャルリーヌとリンジーが同行していることは彼女にとって幸いであった。
そして彼女らは仲間たちと共にお祭り騒ぎになっている街を歩いている。ホリーとシャルリーヌに同行しているのは魔法剣士のバート、戦士のヘクター、女戦士のリンジー、神官戦士のニクラス、盗賊兼軽戦士のベネディクトだ。
「おい。あれって静かなる聖者とその仲間たちじゃないか?」
「さすがよね……私たちのようなそこらの冒険者とは風格が違うわ……」
このミストレーはつい先日まで妖魔の大軍に包囲され、人々は皆殺しにされる恐怖に怯えていた。だがもう怯える必要はない。妖魔共とそれを率いていた魔族たちは、ヴィクトリアス帝国第二皇子フィリップが派遣した軍勢によって討伐されたのだから。そしてその最大の功労者が、静かなる聖者の異名を持つ魔法剣士バートであるとされている。
であるからバートたちが街に出歩くと当然のごとく注目の的になる。黒髪に暗いものを感じさせる灰色の瞳を持つ男バートは、それに対し表情も変えず反応もせずに無視しているのであるが。彼は極度の人間不信なのだ。
ホリーはそれが悲しい。この人には歓呼をもって迎えている人々も、その性根は妖魔同然の悪なる存在に見えているのだと理解しているから。
通りの見回りをしていた五人の騎士たちが、歩いているホリーたちを見て緊張した様子を見せる。この騎士たちはホリーたちが同行していた騎兵隊に所属する者たちだ。
「こ、これはホリー様! バート殿も!」
「すまないが、お嬢さんを様付けで呼ぶのはやめてくれないだろうか」
「し、失礼。ホリー嬢。バート殿」
彼らの指揮官である騎士隊長エルマーの指示で、ホリーが聖女の可能性が高いことは厳重な箝口令が敷かれた。ホリーのことはまだ一般に知られてはならないと。騎士たちは聖女と共に戦ったことに誇りを抱いている。ホリーがいたからこそあの戦いで自分たちは実力以上の力を発揮でき、そして敵戦力の割には味方の損害は少なかったのであろうとも。ホリーは聖女として敬意を払われることに戸惑いを感じているのだけれど。
しかしバートに淡々と窘められて騎士も自分の失敗に気づいた。帝国直属の騎士が大人にもなっていない少女に様付けすれば、それを聞いた者はなぜそんなことを言うのかと疑問に思うであろう。それが巡り巡って、ホリーが聖女であることが広まってしまうかもしれない。
「あなたたちは祭りの見物ですか?」
「ああ。他にも用件はあるが」
「はっ。ごゆっくりお楽しみください」
「あ、ありがとうございます」
エルマーが率いて来た軍勢は全員が街に入って駐留するのは無理なため、多くは街の外に臨時陣地を構築してそこに駐留している。彼らも非番の時は街に羽を伸ばしに来るだろう。彼らは長期間ここに駐留する予定はなく、周辺の妖魔討伐と安全の確認に従事した後は順次エルムステルに戻る予定だ。だがこの地方の治安維持にはもっと人員が必要であり、いずれ正式にその任を受けた兵たちが来るだろう。
歩き去ろうとしたバートたちを女性騎士が呼び止める。
「バート殿。少しよろしいでしょうか?」
「なんだろうか?」
「ホリー嬢を本当に戦場に出して良いのでしょうか……?」
「それはここで答えられることではない」
「はっ……申し訳ございません」
騎士たちの心には棘が刺さっている。彼らが戦った魔族たちは聖女を保護すると言っていた。聖女を戦いに駆り出す人間たちは下劣な存在だとも。そして敵将の、人間たちこそが間接的、直接的に聖女の脅威になるであろうという言葉。彼らはそれを妄言と切り捨てられるほど無知ではない。彼らにも聖女の伝説は悲劇で終わることを知っている者はおり、人間にも下劣な者はいくらでもいるのだ。
あるいは彼ら以上にそれを疑問に思っているかもしれないのはバートその人であると、ホリーとシャルリーヌにはわかっている。彼女らはこの人を一人にはさせないと決意している。自分たちは常にこの人と共にあろうと。それはこの人が『アルスナムの聖者』になってしまう恐れがあるからではない。彼女らがこの人と共にいたいからだ。
思い悩む様子を見せる騎士たちに、金髪の偉丈夫のヘクターと栗色の髪を持つリンジーが声をかける。
「まあでも俺たちもあんたたちも生き残った。今はそれを喜べばいいと思うぜ」
「そうだね。未来のことを考えるのは後からでいいさ」
「はっ!」
彼らも今は勝利を、自分たちが生き残ったことを喜べばいいのだろう。街では恐怖から解放された人々が祝賀の祭りを連日繰り広げている。お祭り騒ぎで大量の食糧や酒が必要になり、包囲下で物資が心許なくなり始めたところに、さらに旺盛な需要が加わってしまったのだが。
そのため街の領主代理や商人たちなど、物資を取り扱う者たちは頭を悩ませている。街の外から物資を購入するにも、周囲の村々は壊滅しているから遠方から購入しなければならない。村々からこの街に逃げ込んできた人々もいるが、彼らを村に帰すにもまずは村が安全か確認し、物資が足りないなら用意して農業や牧畜を再開できるようにする必要がある。当面の物資はフィリップ第二皇子が手配してくれるが、将来的には自分たちで手配しなければならない。
だが今は喜んでいいのだろう。それが一段落したら犠牲になった者たちの死を悼み、そして自分たちが未来に向かって生きるために前に進まなければならない。
そこに黒髪で色黒の青年ベネディクトと豊かな髭を蓄えたドワーフのニクラスが声をかける。
「ところで、僕たちはホリーの鎧を調整しに防具屋に行こうと思ってるんだけど、いい防具屋に心当たりがあれば教えてくれないかい? あなたたちはここの人じゃないけど、騎士団から聞いてることとかあったら」
「わしらも館の者からこの通りの先のダグマーというドワーフが営んでおる防具屋が腕がいいとは聞いたのじゃが」
彼らは騎士たちが思い悩んでいることに気づき、あえて別の話題を振ったのだろう。ベネディクトは優秀な盗賊であり、人の心の動きに鋭い。ニクラスも神官として人の相談に乗ったりすることもある。その彼らをしてもバートの無表情の奥底にある感情を見抜くのは容易ではないのだが。
彼らは元領主の館に賓客扱いで滞在している。敵将を討ち取ったバートとその一行に礼を尽くさないとならないというのが表向きの理由だが、本当の理由はエルマーがホリーをそこらの宿に泊まらせることに抵抗を覚えたからだ。ホリーやリンジーたちからすれば、うっかり傷つけたりしないかと心配になる豪華な調度品に溢れている館より、冒険者の店の方が気楽なのだけれど。館の者たちは彼らが外出するならば馬車を出すと申し出たのだが、それは彼らは断った。
この街には現在領主はいない。数ヶ月前不正と怠慢を咎められた領主が領地を没収され、現在は領主代理が統治しているからだ。正式な領主が任命されるまではこの街はフィリップ第二皇子の統治下という扱いであるため、フィリップが派遣した軍勢はこの街を拠点にするために向かっていたという面もある。
「はっ。私たちも緊急に鎧の修復が必要なら街の防具屋に依頼せよと言われていますが、ダグマー氏の防具屋に依頼するのは上級騎士のみにせよと言われています。その店には腕のいいドワーフの職人が何人もいるとか。急ぎでなければこの街の騎士団に所属する職人に任せるようにとも言われていますが」
「騎士団の方でもそう言われているなら、そこの職人の腕は本当にいいのじゃろうな」
「そうだね。教えてくれてありがとう」
「いえ。ホリー嬢のためですし、あなたたちには最大限の協力をしなければなりません」
ドワーフという種族には手先が器用な者が多く、職人として優れていることはよく知られている。ホリーの鎧の調整を騎士団所属の職人たちに任せることは諦めた。彼らは先日の戦いで損傷した騎士や兵たちの鎧の修繕で大忙しなのだから。それに彼らはホリーが使っているような小柄な女性向けの皮鎧の取り扱いには慣れていないだろう。そういった作業は冒険者たちも利用する街の防具屋に任せる方がいい。
そしてこのミストレーの街は旧チェスター王国領でも良質な武器や防具を生産する街の一つとして知られていた。この機会に店の商品も見ておこうとしているのだ。場合によっては自分たちの装備を買い換えることも考えようと。




