03 新米聖女の力の片鱗 01 聖女
ホリーたちはまだ森の中にいる。ホリーは早くここから立ち去りたかった。凶悪な野盗とはいえ、九人もの人間が無残に殺されたこの場所から。だけどその前にしなければならないことがある。
「あの……この人たちを弔ってあげたいです……」
ホリーは優しすぎる少女だ。自分に危害を加えようとした相手であっても、野盗たちに憐れみを感じていた。
「わかっている。こいつらの死体がアンデッドになっても厄介だ」
「ああ。こんな街道に近い場所でアンデッドが発生したら、無駄に被害が出ちまうかもしれない」
バートとヘクターもそれを否定しない。人や魔族の死体は弔うか焼却するのがこの世界の常識だ。
アンデッド。不死者とも呼ばれるそれは、この世界の生物全てにとっての敵だ。人類のみならず、魔族や幻獣、動物にいたるまで全ての生物にとって。アンデッドは生きているもの全てを見境無く襲うのだから。
人や魔族の死体が放置されると、時としてそれに不浄の魔力が宿ってアンデッドとなることがあるのだ。ごく希に幻獣や動物の死骸からアンデッドが発生することもあるが、アンデッドの元となるのは人や魔族の死体が多い。特に恨みや憎しみを抱いて死んだ、無念を残した者の死体がアンデッドになる確率が高いとされている。
「だがその前にこいつらに殺された犠牲者たちの弔いをしよう。この近くに埋められているようだ」
「悪人より前に、犠牲になった人たちを弔うべきだからな。お嬢さんも来てくれないかい? 死者も神官からの祈りの言葉をかけられる方を望むだろうからさ」
「はい。是非」
バートとヘクターの提案には、ホリーも異論は無い。ホリーは野盗たちにも憐れみを感じているけれど、その野盗たちに殺された人たちより優先するほどではない。善神の啓示を受けた者として、死者が安らかに眠れるように祈りを捧げることにも異論は無い。野盗たちの死体が転がっているこの場所に、一人で残りたくないという思いもあることは否定はできないけれど。
アンデッドが発生するのは、死後数日はたってからのことが多い。その意味でも、犠牲者たちを優先するべきという意味もある。
そうしてホリーはバートとヘクターに先導されてその場所に来た。若いながらも歴戦の冒険者である二人にとっては、野盗たちが何度も木々の間を移動していた痕跡をたどるのは簡単なことだ。
「お嬢さん。止まれ」
突如バートが指示をする。ホリーは戸惑いつつも歩みを止める。バートとヘクターはお互いに邪魔にならない位置に移動し、武器を構えて戦闘態勢に入る。
その理由はホリーにもすぐにわかった。木々の先にある塚の地面が少しずつ盛り上がっていくのが見えたのだから。
その盛り上がりは見えるだけでも五つはある。一応野盗たちも塚を作って死体は地中に埋めていたが、加害者たちによる心のこもらない弔いでは犠牲者たちの恨みは晴れなかったのだろう。戦闘態勢で待つバートとヘクターの先で、それらは地面から這い出して来た。
それらは最も有名でありふれたアンデッド、ゾンビだ。一口にゾンビと言っても、その強さは個体ごとに様々だ。一般民衆や弱い妖魔の死体から強力なアンデッドが生まれることはまず無い。しかし戦士や魔法使い、強力な魔族の死体からは強力なアンデッドが生まれることもある。そしてゾンビのうち三体は鎧を着ている。武器は野盗たちに取り上げられたらしく、持っていない。
その戦士たちは、バートたちに荷物の奪還を依頼した商人が荷馬車に同行させていた護衛だった。彼らもそれなりの腕前だったのだが、このあたりに危険はないはずと油断していたところを、木々の間に潜んだ野盗たちに弓で狙われ、数の差もあって次々に飛来する矢の前に一方的に殺されてしまった。
戦士たちのゾンビが途切れ途切れに耳障りな声で言葉を発する。
「なんで……俺が……死んだ……」
「寒い……苦しい……」
「憎い……憎い……」
ゾンビもものによっては生前の意識がかすかに残っていて、生前の技能を使って生物を襲うものもいる。
ヘクターが嘆息する。
「はぁ……こいつらがあと一日早くアンデッドになってたら、直接恨みを晴らせたかもしれないのになぁ」
「野盗共は逃げてこいつらが徘徊するだけになっただけの確率が高いだろう」
「あんたは冷静だねぇ」
ヘクターもバートも油断なくゾンビたちを警戒している。戦士たちのゾンビが生前の技量を使うとして、たとえ武器を持っていたとしても、この程度のアンデッドは彼らにとって敵ではないが、彼らは油断はしない。彼らはこのゾンビたちを土に帰してやるつもりなのだ。依頼されているわけでもないアンデッドを退治しても報酬などないことは承知で。人のいいヘクターはともかくとして、極度の人間不信というバートが、わざわざそんなことをするのもおかしな話ではあるが。
「……」
ホリーは悲しかった。
もちろんアンデッドが恐ろしいという感情はある。無残に殺された死体から目を逸らしたいという感情もある。
だがそれ以上に、悲しかった。殺された者たちにもしたいことがあっただろう。大切な人もいたかもしれない。それが奪われて、しかもアンデッドに成り果ててしまった姿を見るのが悲しかった。
彼女の口が自然に祈りの言葉を紡ぐ。
「善神ソル・ゼルムよ。死せる者共にどうか安らぎを。その炎をもちて清めたまえ」
神聖魔法に決まった文言はない。ホリーはほんの十日ほど前までは神聖魔法など使えなかった。それでも今の自分なら犠牲者たちを眠りにつかせられるという奇妙な確信があった。
戦闘態勢に入っていたバートとヘクターの前で炎がゾンビたちから吹き上がり、ゾンビたちは動きを止める。それのみならず、ゾンビたちが出てきた穴以外の、何かを埋めた跡がある地面からも炎が吹き上がる。奇妙な炎だ。それはゾンビたちの体を急速に焼いているのに、周囲の木々や草、枯れ葉には燃え移らず、悪臭も発生しない。
「浄化の炎……」
ヘクターが呆気にとられたような声を出す。
それは浄化の炎と呼ばれる神聖魔法だ。死者を弔い、その肉体と魂を炎をもって清め焼き尽くす魔法だ。この魔法はアンデッドにも効果があることは彼らも知っている。
「ありが……とう……」
焼かれながら、戦士のゾンビがそう言ってホリーに頭を下げた。ホリーは悲しかった。彼らも死にたくなどなかっただろうにと。
バートが祈りの言葉を捧げる。
「死せる者たちよ。その魂に安息を」
ヘクターとホリーも続いて祈りの言葉を捧げる。それは魔法ではなく、ありふれた祈りの言葉だ。それには弔いの思いが込められていた。
そしてゾンビたちは短時間で焼き尽くされる。普通に火葬すればこの程度の時間で焼き尽くせるはずがないが、浄化の炎は短時間で火葬ができる上に死者の魂も清められると、特に神殿に多くの寄進ができる裕福な者たちにとっては人気のある弔いの方法だ。浄化の炎の行使には結構な魔力が必要なため、この神聖魔法を使える神官も一日に何度も行使できるわけではなく、特別な者に対してのみ行使されるのが普通だ。
バートとヘクターがホリーを見る。バートの表情は相変わらずの無表情だが、ヘクターの表情は不思議そうだ。
「お嬢さん。君は神聖魔法を使えるようになったばかりだと言っていたはずだが」
浄化の炎は一人前の神官なら使えるとはいえ、神聖魔法を使えるようになったばかりの神官が使えるような魔法ではない。しかもこの少女は複数のゾンビと死体に対して浄化の炎を行使するほどの魔力を持っている。だけどホリーはなぜそんなことを言われたのかわからなかった。
「あの……私は十日ほど前に善神ソル・ゼルム様の啓示を受けたばかりで……さっきの炎も、なにかできるような気がしたんです」
それはバートたちからすれば信じがたい話だ。普通に考えればそれはありえない。
だがバートには思い当たることがあった。
「お嬢さん。君は聖女かもしれない」
「……?」
「は? バート、何を言っているんだ?」
聖女。それは魔王軍との決戦が近づいた時に人類側に現れ魔族たちを退けるという、伝説の存在だ。聖女のいる軍勢は熱狂的な士気の高さを見せ、圧倒的な力を見せるとされている。
その突拍子もない言葉に、ホリーもヘクターもバートが何を言っているのかわからないという反応を示す。それが常識的な反応だ。
ホリーも聖女の伝説は母から何度も聞かされている。母はその母、つまりホリーの祖母から聞かされたそうだ。自分が聖女かもしれないと言われても、そんなこと信じられるはずがなかった。
「先程私が魔法を使った時、気のせいではないレベルで魔力の消耗が少なく、威力も上がっていた。剣を振るった時も、いつもより鋭く振るえた。聖女がいる軍勢は実力以上の力を発揮すると聞く」
「ふーむ……あんたがそう言うなら、そうなのかもしれないなぁ」
「……」
バートの言葉に、ヘクターも信じる様子を見せる。ホリーはわけがわからず混乱している。バートが野盗を殺した時、彼女は何もしていなかった。ただ善神ソル・ゼルムに青年の無事を祈っていただけだ。彼がなぜそんなことを言うのか、理解できなかった。