39 戦後処理 02 少女は進むべき道を知る
バートが執務をしていると、急に執務室の扉が開き、先程とは違う役人が入って来た。ノックもせずに入って来るなど非礼もいいところなのだが、役人は血相を変えてバートに詰め寄る。
「バート様! 領主様の館を襲撃した者共を不問にするとはどういうことですか!?」
「全ての者を不問にするとは言っていない。人を傷つけた者は法規に基づいて処罰しろ。財貨を奪った者はそれを申し出て返却するならば不問にしろ。そして自ら申し出ず財貨も返却しない者は法規に基づいて処罰しろ。書類にも書いてあるはずだ」
「左様でございましたか……申し訳ございません。一文だけを見ておりました」
バートの冷静な言葉に、役人も落ち着きを見せる。役人たちはバートの呼び名に様を付けているが、最初の頃はそこに揶揄する響きがあった。だが今では尊敬の念が籠もる者が多くなっている。
「しかし、いくら奪ったものを返却しても罪人を処罰しないのはいかがかと……」
「極限の恐怖にさらされた人間は、時として普段では考えられない愚かなことをする。領主自身が民を守らずに逃亡したのだ。民がそれに怒りを覚えるのは当然だろう。君にも自分たちを見捨てた領主を許しがたいという感情はあるだろう?」
「……承知しました。ご温情、感服しました」
「話はこれだけなら仕事に戻れ。そして他の役人たちと騎士団、兵にもこれを周知しろ。領主の館略奪を重点的に捜査する負荷をかけられるほど、今のエルムステルに余裕はない。まずは麻痺した統治機構を回復しなければならない」
「はい。かしこまりました」
役人は納得して下がる。バートは自分の指示に疑問を持つ者にも頭ごなしに命令するのではなく、説明して納得させていた。納得させずに不満を抱かせたままにすれば、いつかそれが噴出することを彼は知っている。無論彼の言葉に納得する者ばかりではないことも彼はわかっているが。
魔族たちによる攻撃の恐怖にさらされた街の住人たちは、必ずしも模範的な行動をする者ばかりではなかった。もちろん善なる神々の信徒としての道徳心を発揮し、助け合いの精神で行動した者も多かった。だがこの状況に己の欲望と衝動を解放する者たちもいた。
その一例が、主が逃亡した領主の館を略奪した者共もいたことだ。館には領主が持ち出せなかった財宝も大量に残されていた。わかりやすい財宝の多くは施錠された宝物庫に保管されて略奪を免れたが、普通の部屋に置いてあって略奪されたものも大量にあった。見捨てられた使用人たちに暴力を働いた者共もいた。領主に無理矢理愛人にされて領主が逃げる際に置いて行かれた少女たちに乱暴を働いた者もいた。
「こんな時にも悪いことをする人たちはいるんですね……」
「人間などこんなものだ」
「……」
ホリーはこんな事態の最中に悪事を働いた者共がいたことにショックを受けている。これが人間の醜さであり現実であると彼女に教える効果はあったとバートは考えているが。バートからすれば、加害者たちのみならず被害者たちも本性は妖魔共と大差ないと見えているのだ。
バートは物質的な被害を出しただけの者は、名乗り出て略奪品も返却する者は不問にするように指示を出した。人を傷つけた者や放火までした者、罪を名乗り出ない者は処罰するようにとも指示したが。
これはバートにとっては慈悲によるものではなく、治安を円滑に回復するための方策でしかない。治安が回復すればそれは民のためにもなるのだが、それも彼にとっては義務感によるものでしかない。
処罰することにこだわれば、街の住民は犯罪者たちに同情心を抱き、バートと帝国に反感を持つ恐れがある。死んだ領主が上に立つ者として民を守る責任を果たさずに逃げたのは事実であり、それに民が怒りを覚えるのは当然だ。だが名乗り出る者は許すならば、民は名乗り出ない者に同情することはないだろう。人を傷つけた者や少女たちに乱暴した者については許す理由はなく、法規に基づいて処罰しても同情する者などいまい。
それに自ら名乗り出る者を許し、その者共が自発的に名乗り出て来るならば、罪人を捜査する手間は軽減される。今のエルムステルの統治機構は崩壊寸前なのだから、そんな無駄な負荷をかけている場合ではない。
「でも、書類もすごい量ですね」
「それだけ死んだ領主が政務を疎かにしていたのだろう」
ここまで説明しなくても役人は納得し、バートを人格的に優れた人物と思ったようだが、納得していなければバートはここまで説明しただろう。だがバートが押しつけられた仕事は大量にある。役人は既に納得したのに、ここまで説明している暇があるなら大量の書類を処理していかなければならない。書類に目を通して是非を判断して、署名するか差し戻すかの判断をするだけでも彼には相当な負荷がかかっている。バートを所詮冒険者と見くびって、内容もろくに読まずに署名するだろうとろくでもない案を上げてくる者共もいるのである。
「お嬢さん。こちらの書類はそちらに置いて、そちらの書類をこちらに寄越してほしい」
「はい」
「記入漏れがないかだけはチェックしてほしい」
「はい」
ホリーはバートの側に控えて彼の手伝いをしている。手伝いといっても彼女は政治のことも政務のこともわからないから、するのは雑用だけだ。彼女もそれなりに余裕のある農民の出で、読み書きはできるけれど、文書に書いてある内容はあまり理解できない。彼女はなぜバートがこれほどに手際よく政務を処理できるのかわからなかった。
「どうすれば、大勢の人たちに善なる行動をさせることができるのでしょうか……」
「普段からの善なる教えで、醜い本性と欲望を覆い隠す殻を厚くし、表出させることを防止できるのかもしれない。だが危機にこそ醜い本性を露わにする者たちもいる」
彼女からすれば、この戦後処理において人間の善なる面と悪なる面の両方を見せつけられた気分だ。彼女は人の本性は善だと信じている。だけど悪心に飲まれ悪なる行動を取ってしまう者も数多くいることは、彼女も理解せざるをえなかった。その上で自分は善神ソル・ゼルムの信徒として、人々を善なる方向に導く手助けをしなければならないと決意していた。具体的にどうすればいいのかはまだ彼女にはわからないけれど。だけどバートの姿を見て、その答えがここにあるような気がしている。
「私は、バートさんのような人がいい政治をすれば、人々もいい行いをするのかなとも思うんですけど……」
「暮らしに不満がなければ、罪を犯す者は出にくいという面はあるのかもしれない。だが人間の欲望は果てがない。何をしようとも悪なる本性をさらけ出す者たちはいるだろう」
「……」
ホリーもヘクターがバートは人間不信も度が過ぎると嘆息する理由が理解できたように思う。だけどこの人はそれほどに人間に絶望しているのだろう。その絶望を溶かしてあげたいと思った。
なおヘクターはこの場にはいない。バートは彼に生き残った騎士団の再編と管理、そして冒険者たちの指揮を任せた。冒険者たちにも騎士団が壊滅したこの状況においては街の治安維持など色々としてもらいたいことがある。当然冒険者たちにも働きに応じた報酬が支払われる。
執務室の扉がノックされる。ホリーが返事をして扉を開けると、さっきとはまた別の役人が入って来た。書類を手にした役人は机を前にしているバートの対面に立つ。
「バート様。ご指示にありますこちらの書類についてですが、騎士団の遺族たちの技能習得支援と働き口の斡旋をせよとは、どういうことでございましょう?」
「先の戦いにおいて、大勢の騎士や兵たちが死んだ。彼らの遺族も大勢いるだろうが、収入を失い困窮する者もいるだろう。そのような者たちが生活できるように支援が必要と考える。商人のマルコム氏たちの協力も仰げ。マルコム氏に対する私からの書簡も書類と一緒にあるはずだ」
「は、はい。ですがご指示どおり、一時金を支給する準備は始めておりますが」
「一時的なものだけでは遠からず困窮することになる。かといって恒久的に支援できるわけでもないだろう。ならば遺族たちが自分で生活できるように支援するべきだろう。孤児や老いて働けなくなった者に対する支援は別に必要だろうが」
「なるほど……」
役人は納得する様子を見せる。だが彼には別の疑問もある。
「では、併記されております孤児院の増設と役割拡張とは? 子供を一時的に預かるようにせよとのことですが」
「孤児もいるだろうから、その者たちは孤児院に入れろ。そして幼い子供を持つ未亡人もいるだろう。その者たちが働くとしても子供連れとはいかぬ場合もあるだろうし、預け先がない者もいるだろう。そのような者の子供たちを一時的に預かる場が必要と考える」
「なるほど。ではそのように手配をします。なるほど……」
役人は感心する様子を隠そうともせず、納得しているようだ。
「旧王国領東方地域のフィリップ第二皇子殿下の統治が行き届いている地域では、このような施策が為されている。これは帝国ではかねてから行われていた施策のようだ。どのように実行するべきかわからないならば、東方地域に人を派遣し学ばせろ。だがその前にもわからないなりに方策を考えて実行しろ」
「そんな施策があったのですか……承知しました。取り計らいます」
前例があると、役人たちも受け入れようという気になりやすい。全く新しいことをしようとすると、反発する者も出てくるものだ。
バートが指示した施策は必ずしも独創的なものばかりではない。この施策も前例があるものだ。ヴィクトリアス帝国でも行われているし、もっと言えば旧チェスター王国でも遙か以前には行われていた。魔王軍との大規模な戦いがなくなると、旧王国では次第にそのような施策は行われなくなっていったのであるが。
「順調に進めば、騎士団の遺族たちのみならず、働き手を失った家庭に対して同様な施策を提供しろ。富める者は富める者なりの罪を犯すことがある。貧しい者は貧しい者なりの罪を犯すことがある。だが貧しい者を放置すれば、犯罪に手を染め治安を悪化させる恐れがある」
「なるほど……深い思慮に敬服します」
「用件はそれだけなら仕事に戻れ」
「はい」
バートは冒険者として活動するうちに多くのことを見聞きして来た。働き手を失った遺族が困窮したあげく犯罪に手を出した例も。
バートにとってはこの施策も慈悲によるものではない。あくまで義務感から合理的な考えに基づく『良い政治』を実現するためのものでしかないのだ。
そのバートの姿を見ているホリーは感嘆すると同時に悲しかった。バートは人間の本性を悪と思っていて、ほとんどの人間が妖魔同然の醜悪な存在に見えている。彼女はバートの凍てついた心を救いたいと思っているけれど、どうすればいいのかわからない。
彼女にできるのはバートを一人にさせないことだけだ。バートは彼女のような善なる心を持つ人間は自分にとっての救いだと言っていた。ならば自分はバートから離れてはいけない。自分はこの人と一緒にいようと思った。




