00-3 プロローグ 03 王たちは悔いる
アルバート王子が退室し、廷臣たちも出陣準備のために退室した謁見の間には、王と三人の王子が残っている。
王の独り言のような言葉が響く。
「アルバートは何度も余に諫言した。あやつは正しかった。余にはそれを受け入れる度量がなかった……」
「父上。我らは死してチェスター王家の誇りを守り、アルバートは生きて王国の民を守る。それで良いではありませんか」
「いつか冥界で再会する時、アルバートはまた私たちを叱るのでしょうけどね」
「ええ。私たちは手の施しようのない愚か者だと」
王も上の王子たちも知性が低劣なわけではない。彼らも理解していた。自分たちは間違っているのだと。だが彼らには自分たちの過ちを認めて行動を改める勇気がなかった。アルバートが正しく、自分たちが間違っていると理解してしまったからこそ、彼らは感情的に反発した。彼らは過ちを理解しても改められない自分たちこそが愚か者であることがわかっていた。
だがアルバートの諫言が受け入れられなかったのは、アルバート自身にも原因があるのだろう。人間は正面から否定されると反発心を持つものだ。彼の生硬で容赦ない態度が、反発心をさらに増幅した。まだ大人にもなっていないアルバートにそこまで求めるのは酷ではあるが。
「皇帝もアルバートまでは殺さないでしょう。アルバートならば、帝国傘下としてであってもチェスター王国を再興できるかもしれません」
一番上の王子、王太子エリオットは、王の宣言にアルバートが反対した時に内心ではほっとしていた。これならばチェスター王家の血筋を残すことができると。彼はそろそろ王太子妃を迎えようと考えていた頃で、妃も子もいない。彼は、そしてアルバートを除く弟たちも、亡国の王子として生きることにも帝国傘下として王国を残すことにも耐えられそうにない。だが王家の一員であることに義務感はあっても誇りなど抱いていないアルバートならば耐えられるであろう。だから彼はあの場からアルバートを追い出しにかかった。王が無理にアルバートにも出陣を命じてしまわないように。彼は王のことを必ずしも信じてはいなかった。
「アルバートの言うように、余は暗君なのであろう。余がエイデン将軍たちを道連れにしようとしていることも、愚行なのであろう。だが、余はこれ以外の道を選べぬ……」
「できるだけ多く、腐敗した者共も道連れにして行きましょう。せめてアルバートが今後やりにくくならないように」
「ええ。それがアルバートを邪険に扱ってきた愚かな私たちにできる唯一の償いでしょう」
彼らも心のどこかでアルバートのことを認めてはいた。彼ら自身は、悪逆だったと言うほどではない。だが彼らは貴族たちの不正と非道を知りながら見逃していた。それをどうにかしようとすれば、貴族たちは連合して王家に歯向かうであろうことが怖かった。そして彼ら自身、取り巻きに囲まれて己の権威を確認できていたことに喜びを感じていたことも否定はできない。貴族たちも自分たちに絶対の忠誠心を持っていたわけではないことには気づいていたのだが。
「王国の民はアルバートに任せるとしよう。愚かな王である余は退場しなければならぬ」
「私も父上にお供します」
「正直に言うと、死ぬのは怖いですけどね」
「あっはっは! 高慢で嫌みたらしい兄上も死は怖いですか! 私も死ぬのは怖いです!」
「はっはっはっは! 然り」
「ははは! 死ぬのが怖いのは私だけではないと知って、安心しました」
彼ら四人は一斉に朗らかに笑う。彼らも王族である以前に人間なのだから、死ぬのは怖い。それが本音だ。
ここに来て彼らは、アルバートも含めて自分たちは王家の一員である前に一つの家族であるという連帯意識を感じていた。それは初めてかもしれない感情だった。
ひとしきり笑い合って、王がこぼす。
「余はもっと早くそなたらともアルバートとも向き合わなければならなかった……手遅れになってから気づくとは、余もつくづく愚かよな……」
「それは我らもです。唯一、我らに対する情を失ってしまったアルバートのみが、諫言という形であっても我らと向き合っていたのは皮肉なものです。そしてアルバートに我らに対する情を失わせたのは我ら自身でした……」
王家という特殊な家族では、家族の情など顧みられないこともある。だが死を覚悟した彼らは最後になって後悔していた。アルバートがエイデン将軍には情を示したのに、自分たちには一切の情を示さずに冷然と切り捨てたことに、彼らはショックを受けていた。だがアルバートをそうさせたのは、彼ら自身であることを理解していた。
王は玉座に座ったまま腕を掲げる。三人の王子たちはその様子を不思議そうに見ている。
「我、民を守る者なり。我が祖ローレンス・チェスターよ。我にそのお力を貸したまえ」
王が合い言葉を唱え、豪奢な玉座の背から何かが浮かび上がった。王は出現した一振りの剣をその手に取る。柄も鞘も一応の装飾はあるものの、玉座の中に封印されていたにしては地味な剣だ。
「父上。その剣は?」
「英雄王の宝剣だ。これをアルバートに託す」
「それが……アルバートならば、その剣に恥じぬ行いをしてくれるでしょう」
「うむ。アルバートはエイデン将軍を慕っている。将軍から渡させよう。父としてそなたらにもアルバートにも何もしてやれなかったのは、今更ながら悔やまれるな……」
「父上……」
チェスター王家初代ローレンス・チェスターは、王位に就く前は一介の田舎貴族だった。彼が振るっていたその剣も華美ではなく実用性を重視したもので、付与された魔法も特別と言うほどのものではない。
その剣はチェスター王国を守護するものとして玉座に隠され、王のみにその所在と取り出し方が伝えられてきた。遙か昔はその剣も王国の象徴として重要な儀式では取り出されていたのだが、見栄えがしないといつしかそれが人目に触れることはなくなった。
「余は愚劣な王として死ぬ。アルバートがチェスター王国を再興してくれることを期待しよう。愚かな余がこんな重すぎることを期待するのも、間違っているのであろうがな」
「アルバートは賢明です。私たちと違って。アルバートにならば期待してもいいのでしょう」
アルバートならば、帝国の後ろ盾を得てチェスター王国を清新な国として再興してくれるかもしれない。それが王国を滅亡に追いやり、冥界に赴こうとする彼らの希望であった。
「ですがアルバートはチェスター王国を再興させることは民のためにならないと判断するかもしれませんね」
「それならそれで仕方ないであろう。チェスター王国の建国の理念は民を守ることであった。我が王国が民にとって害悪になるのならば、消えなければならないのであろう」
王たちも理解している。自分たちは建国の理念を穢していたのだと。アルバートが王国を再興しようと思わないとしても、王たちは責めるつもりはない。
そして王と三人の王子は祈りを捧げる姿勢を取る。
「善神ソル・ゼルムよ。伏して願います。我が子アルバートに良き未来があらんことを」
「願います。我らの弟、アルバートに良い未来があらんことを」
「願います。私たちがその性格を歪めてしまったのであろうアルバートの心が救われることを」
「願います。アルバートに幸福があらんことを」
そして彼らは善神ソル・ゼルムに願う。アルバートの幸福を、真摯に。自分たちは無責任に死に行く。自分たちはもう許されようとは思わないし、許されないだろう。ならば自分たちは悪として死のう。だがせめてアルバートには幸せになってほしかった。
王と三人の王子は降伏を良しとせず、騎士団と共に大軍に向かって突撃、壮烈な戦死を遂げた。絶望に震える王都の人々を、成人していないという理由で王宮に残された第四王子アルバートが混乱を収め、一歳年下の従者たった一人を連れて包囲軍の本営に赴き、降伏を申し出た。
「私はチェスター王国第四王子アルバート・チェスター! 私の命と引き換えに、チェスター王国の民に非道を働かないことを求める!」
大人にもなっていない王子の堂々とした態度に感服した包囲軍の将軍クィン侯爵は降伏を認め、王都への攻撃をしないこと、そしてチェスター王国の民にも非道な行いをしないことを約束した。
王都は開城したが、絶望した王妃は既に自決しており、唯一残されたアルバート王子は帝都に移送された。
これをもってチェスター王国は滅び、この地はヴィクトリアス帝国の支配下にある。
それから十年ほどがたつ。アルバート王子の現在の所在は不明。帝都の一角に幽閉されているとも言われている。旧チェスター王国領には、王子を救出して王国を再興しようとしている者たちもいるとは民が噂することである。