14 妖魔の大群討滅戦 01 招集
旧王国領西部の廃村。生い茂った樹木を切り開いて建てられた、人間用としては作りが大きすぎる簡素な小屋の中に『それ』はいる。
人間より明らかに巨大な体躯。筋骨隆々とした肉体に頭には角がある。無骨だがいかにも強固な鎧を身に纏ったそれは、人類側の種族ではありえない。魔族の一種族、オーガと呼ばれる存在だ。その名はゲオルクという。
小屋の扉が開いてもう一人のオーガが入って来る。
「兄者。妖魔共の配置は大体できたぜ。第一段階の準備は終わりだな」
「ご苦労。くだらぬ任務ではあるが、軍師殿の命令ならば確実に実行しなければならぬ」
「おう。これが一段落したら、俺たちは好きにしていいんだよな?」
「うむ。我らの本懐を遂げる日は近い」
「おう!」
入って来たオーガは、ゲオルクの義兄弟のカールだ。彼らにはもう二人義兄弟がおり、カールには妖魔共の管理、グンターには人間の街に潜ませている密偵たちからの情報の取り扱い、イーヴォにはゲオルクの副将としての役割を与えている。
彼らは魔王に仕える軍師ギュンターの命令でこの地にいる。この廃村に駐留しているのはゲオルクと彼の義兄弟たちだけではなく、彼らが率いる五百あまりの魔族もいる。ゲオルクは万にも及ぶ魔族の軍勢を率いる将なのだが、今回は少数の兵を率いてこの地に侵入したのだ。
彼らがひとかたまりの軍勢として侵入しようとしていたら、国境付近の帝国軍は移動する彼らを見つけて戦闘になっただろう。だが彼らは分散して行動し、森に隠れながらこの地まで侵入して合流することに成功していた。敵地の中、物資の調達にも不安がある状況で軍勢を規律正しく行動させ、人間たちに彼らの存在を気づかせていないのは、ゲオルクの統率力の非凡さを示すものである。
ゲオルクには与えられた任務を忠実に遂行する意思はある。それが彼にとってはつまらないものであっても。だがそれが終わった後は自分たちの好きにするつもりだ。
ホリーの鎧と服の調整が終わるまでの五日間、彼女らはエルムステルの街に滞在していた。
彼女たちも無為に時間を過ごしていたわけではない。ホリーは神聖魔法にどんなものがあるのかをバートとヘクターから彼らの冒険譚と共に聞いていた。ホリーは自分がどんな魔法を使えるのかよくわかっていなかった。
そしてホリーは魔法をいくつか使ってみたけれど、バートたちによると彼女は一人前扱いされる神官と同等程度に神聖魔法を使えるとのことだ。バートとヘクターの二人と肩を並べる冒険者として活動できるほどではないとも。
それにホリーは気落ちしたけれど、ヘクターに全くの素人の彼女が現段階でここまでできることの方が凄いと諭され、この先もっと素晴らしい神官になれる可能性が高いとも励まされ、彼女も希望を持った。
それに彼女も思い直す。自分はほんの少し前までは魔法など使えないただの村娘だったのだ。今後自分もしばらくは冒険者としての活動もすることになるのだけれど、それで困っている人たちの助けになれるかもしれない。そして自分も一人前になれば、バートの心も救えるかもしれない。彼女はいつの間にか思っていた。この人たちと共に旅をするのもいいかもしれないと。
そして調整が終わった鎧と服を受け取って、鎧を纏ってみたけれど、不都合はなさそうだ。纏うのはバートとヘクターに手伝ってもらったけれど、今後は彼女一人で着られるように練習する必要がある。それを着たまま宿に戻った時、バートが口にした。
「お嬢さんに鎧を着た状態で動くことに慣れてもらうためにあと数日この街に滞在するが、その間に剣の練習もしてもらう」
「……え?」
ホリーは何を言われたのかわからなかった。彼女は剣と防具を購入したけれど、それは彼女の生存率を上げるためで、剣は飾りに過ぎなかったはず。
「お嬢さんにも攻撃された際の身のこなしを習得してもらいたい。防具で耐えるだけでは限界がある。剣で受けるにも盾や鎧で効果的に受けるにも、武器がどのように使われるかを知る必要がある。思い通りに体を動かすためにも訓練が必要だ。そのために剣の練習をしてもらう」
「俺とバートでお嬢さんを守るけど、世の中には絶対はないんだ。たとえお嬢さんが攻撃されても、身を守れるようになってほしいんだ。敵が接近する前に神聖魔法で倒せるかもしれないけど、それで常に大丈夫という保証もないしな」
「は、はい」
「お嬢さんが神官戦士として大成する可能性もある。だが今のところは身を守るためだ。お嬢さんをフィリップ殿下に会わせるまでの短い期間では明確な効果は出ないとは思うが、その準備はしておく必要がある。お嬢さんが本当に聖女ならば、最低限自分自身の身を守れる力を身につけてもらわなければ、お嬢さんが戦場で生き残れるか不安がある」
「は、はい」
バートとヘクターに丁寧に説明され、彼女も納得した。剣を習うと言っても、殺すためではなく身を守るためなら彼女も抵抗感はない。バートとヘクターが自分を心配してくれているのもうれしかった。
そしてホリーは知らないが賢者でもあるバートは知っていることがある。聖女の伝説は悲劇で終わる。聖女が戦場で討ち取られずに幸せに一生を終えられた例は、バートも知らないのだ。だから彼はこの少女が生き残れるように身を守る方法を身につけさせようとしている。この少女が聖女であると確信しているわけでもないが。
バートには心の内に迷いもある。心清き存在である聖女を戦場になど出してもいいのかと。たとえこの少女が聖女ではないとしても、この心優しい少女を危険に巻き込んでもよいのだろうかと。表には出していないが。
そしてホリーは冒険者の店の訓練場で、練習用の刃を潰した小剣と盾を手にしている。先程彼女の前でバートが剣を振るう見本を見せていた。
「お嬢さん。私がやったように、盾を構えて剣を振るえ」
「は、はい」
ホリーは盾を構えて小剣を振るうけれど、それはいかにも腰が引けている。初心者が剣を振るおうとするならば、そんなものだ。ホリーは農具を振るうことはあったけれど、剣を振るうことなど考えたこともなかった。
「お嬢さん。姿勢が崩れている。このように立て」
「は、はい」
それでもバートも助言はする。最初におかしな癖を付けてしまっては、後で修正するのに苦労することになるのだから。
ホリーは素直に助言を聞いて、バートにも手を添えてもらって姿勢を整える。バートたちからすれば不十分だが、最初からうまくやるのはよほどの素質に恵まれていないと無理だとわかっているから、それ以上の口出しはしない。
「ではそのまま五十回ほど素振りをしろ」
「はい!」
ホリーは盾を構えて小剣を振るう。最初のうちは割合正しい姿勢で振るえていたが、それもだんだん崩れていく。バートたちはもちろんそれはわかっているが、初心者はそんなものだと口出しはしない。
そして五十回振り終わった頃には、ホリーは息を切らしていた。彼女は所詮訓練と手を抜くのではなく、全力で剣を振るっていた。少しでも早く上達しようと。バートたちの期待に応えようと。
「初めてとしてはいい。だがもう少し力を抜く方がいい」
「だけどお嬢さんのその本気で取り組む姿勢はいいと思うぜ」
「は、はい!」
バートもヘクターもそのホリーの姿勢は認める。ホリーもそれはわかったようで、息を切らしながらもうれしそうに返事をする。
努力する者が必ず大成できるわけではない。バートたちもそれはわかっている。その上で彼らはホリーの努力しようという姿勢を認めた。
そこに冒険者の店の主人が訓練場に来た。
「おお、あんたらはここにいたか。領主様の招集だ! 例の妖魔の件だ! うちだけじゃなくて他の店も含めて大勢の冒険者たちに招集がかかっている! 騎士団の練兵場に行ってくれ!」
そう言って主人は店に戻っていく。それは三日ほど前から冒険者たちが噂していた。いくつかの村に妖魔の群れが現れたと。一カ所につき百体以上の妖魔が集結しているようで、その様子を確認した冒険者たちは逃げてこの街に報告に来るしかなかった。その規模では冒険者が個別に対処するのは無理だから、冒険者の店の主人が領主に報告した。村々からも救援を求める者が領主の元に来ているという噂も流れている。
バートはその噂を聞いた時、ホリーに提案した。厄介ごとに巻き込まれる前に、鎧と鎧下の服は諦めて街を後にする手もあると。妖魔の大侵攻という、旧王国領で数年に一度か十数年に一度かに発生していた事態が始まったのかもしれないと。これまでの事例からすると、いくらかの村は壊滅するかもしれないが、地域全体に深刻な被害が出る可能性は高くないとも。
ホリーはバートの提案を受け入れなかった。できればバートとヘクターも妖魔の排除に協力してあげてほしいと頼んだ。それには彼女の村も襲われるかもしれないという危惧もある。彼女が通りがかった街や村々が襲われるかもしれないという危惧もある。だけどそれ以上に人々が不幸になるのが嫌だった。
それを聞いたバートとヘクターは思った。この少女は無辜の人々を軽々とは見捨てない見込みのある少女だと。この少女が本当に聖女かはわからないが、人として好ましい少女だと。大半の人間の本性は悪だと思っているバートも、この少女は善なる心を持つ希有な人間ではないかと思った。
そして彼らはもう一度ホリーを試す。彼女はここで怯むのか、あくまで人々のために行動したいと願うのか。
「お嬢さん。私たちは部外者だ。無理に依頼を受ける必要はない。どうする?」
「言いたくはないけど、お嬢さんが女好きの領主に目を付けられる恐れもあるしなぁ」
「……できれば、妖魔の排除に協力してあげてほしいです。私には村の家族たちが心配だという思いもあります。ですが大勢の人たちにも不幸になってほしくないんです。無理に言うことはできませんけど……私は足手まといになるかもしれませんし……」
ホリーは遠慮がちではあるけれど、バートとヘクターの目を順に見て答えた。
「わかった。妖魔共の排除に協力するとしよう。お嬢さんは私たちで守る」
「大船に乗ったつもりでいてくれていいぜ」
「はい!」
バートたちにとって、ホリーの返答は『合格』だった。ここで彼女が逃げたいと言ったら、それも仕方ないと責めはしなくとも、この少女が聖女である可能性は低いと判断しただろう。
彼らは領主やその配下がホリーに目を付ける確率は低いとも思っている。帝国公認冒険者に保護されている少女を無理矢理召し抱えようとするほど領主は愚かではないだろう。門にいた役人が自分の失態を隠すためにバートたちの存在を上に報告していない可能性もあるが、再度あのようなことがあればまた帝国公認冒険者のエンブレムを見せればそれで済む。
領主たちがそれすらも通用しないほど愚かな可能性も否定できないが、その時は実力をもって切り抜ければいい。彼らにはそれを可能とする力がある。それで彼らが領主によって手配されれば、それこそ彼ら自身が領主が非道を働いた生きた証拠となり、領主はその地位を剥奪されるだけだ。彼らにはホリーを守る自信がある。もちろん彼らも物事に『絶対』はないこともわかっているが。