125 宴
カムデンにある宮殿の中、広いホール。この街は軍事都市であるが、第二皇子フィリップが本拠地を置く以上は宮殿もある。旧王都フルムにあるチェスター王国の宮殿に比べれば明らかにこぢんまりとしているが、フィリップはこれでも豪華すぎると思っていた。彼は旧王国領全域の統治を任せられているのだから、威信を示すためにもこのような宮殿も必要なことは理解しているが。この宮殿も厳重な警備がされている。
宴には将軍たちや騎士たちも招かれ、フィリップの妃ロザリンドを含む令嬢たちも華を添えている。文官たちは正装だ。当然バートたちも騎士たちも武器は預けている。
「はっはっは! バート、飲め飲め! お前とヘクターとも一緒に酒を飲みたかったんだ!」
「殿下のお言葉ならば飲まないわけにもいきませんが、私は基本的には酒は飲みませんので、あまり量を飲むのは無理です」
「その分は俺が飲みますよ!」
フィリップはそのたくましい肉体にふさわしく、よく飲んでよく食べている。ヘクターもお相伴にあずかっている。だがホリーたちにとって意外なのは、普段酒を全く飲まないバートも、何杯か酒を飲んでも顔色を変えもしていないことだ。彼は酒は思考と動きを鈍らせると言って飲まないのだが。なおこの宴の場にいる者でバートの正体を知っているのはごく一部だが、バートとヘクターがフィリップの弟弟子であることはフィリップ自身が告げた。
「ふふふ。ごめんなさいね? 殿下がはしゃいでしまって」
「いえ。バートさんたちも楽しそうですから」
「ええ。バートは普段はお酒は飲まないので、てっきりお酒に弱いのかと思っていたのですが」
ホリーとシャルリーヌとリンジーは、フィリップの妃ロザリンドと令嬢たちと話をしている。この宴の場においても騎士たちは鎧姿のままで、華やかな衣服を纏う令嬢たちとはアンバランスではある。しかしそれは最前線に近いこのカムデンでは仕方ないことでもあった。
ホリーたちはロザリンドたちにせがまれて冒険の話をしている。令嬢たちにとって戦場に赴く者たちの話は身近なものだが、冒険者の話は新鮮なのだ。なおホリーたちも鎧姿のままだが、その姿も凜々しいと令嬢たちには好評だ。ここには鎧姿の女性騎士たちもおり、彼女たちの姿も浮いてはいない。
「でもヘクターもフィリップ殿下もまるで兄弟のようだねぇ。いえ、ですね」
「ふふ。あなたたちは冒険者です。無理に丁寧な言い方をしなくても構いませんよ?」
「すいません」
「ですが本当に殿下もヘクターさんも兄弟のようです」
リンジーは言葉遣いに苦労している。彼女も礼儀作法の勉強もしているのだが、どうにも性に合わないのだ。ロザリンドたちは気にしていないが。
フィリップとロザリンドは政略結婚したのだが、フィリップは愛妻家としても有名だ。夫婦仲は良好で、第一子が生まれるのも遠くはないだろうと噂されている。
フィリップは祖父である先帝リーアムの影響か、気分転換に花や植物の手入れをしていると心が安らぐという面もある。美しい花々が咲くと、それを花束にしてロザリンドにプレゼントし、喜ぶ顔を見るのを楽しみにしているという微笑ましいエピソードも配下たちには知られている。
そのエピソードは事実ではある。だがフィリップにはそれを自分自身のイメージを良くするために利用する強かさもあった。ただ厳格なだけの統治者には、人は本当の意味では信服しないものだと彼は考えている。広大な旧チェスター王国領全域を統治するのは、ただのお人好しにもただ厳しいだけの者にも荷が重く、政治的な資質がない者には務まらないのだ。フィリップは政治は苦手であるのだが、十分に水準以上の統治者ではあるのだ。
「さすが第二皇子殿下の宴! 酒がうまいわい!」
「誰かニクラス殿に飲み比べで勝てる者はいないか!?」
「む、無理です!」
ニクラスはドワーフの一般例に漏れず大酒飲みだ。強い酒をまるで水のように飲んでいる。騎士たちも果敢に飲み比べを挑んでいるが、彼に勝てる者はいない。令嬢たちは厳つい男共が飲み比べをするのはいつものことと、穏やかに笑ってその光景を見ている。
だが騎士たちも限界はわきまえている。いざという時に戦えないようでは話にならないと、限界になる前に酒を飲むのをやめているのだ。解毒の神聖魔法を使えば泥酔していても素面に戻れるのだが、その分治癒に使える魔力が減ってしまう。
ある程度強い者が体に魔力を行き渡らせれば泥酔することなどなくなるのだが、心地よく酒に酔うこともできなくなるため、あえて酒という一種の毒を受け入れるものだ。魔法使いのみならず、戦士系の者たちも身体能力の向上や防御力や攻撃力を向上させるために魔力は使っている。酔い覚ましをするには解毒の魔法や魔法薬が必要になるのだが。
「へえ。この街には盗賊ギルドじゃなくて密偵詰め所という組織があるのか」
「はい。さすがにこのカムデンでは盗賊たちの活動を許すわけにはいきませんから。ですが盗賊の技量を持つ者は必要ということで、密偵を養成する組織があるのです」
ベネディクトと話しているのは、フィリップ配下の密偵たちを率いる立場の者だ。ベネディクトはその動きから『同業者』と見抜いて話を聞いているのだ。ベネディクトは盗賊と言ってもその活動は冒険者としてのものしかしておらず、盗みはしないのだが。そういう意味では彼は盗賊と言うのはふさわしくないかもしれない。
この街において、密偵も騎士に劣らない地位を持つ。密偵たちは各地の貴族の領地に忍び込んで、統治に問題はないか監視することもその任務の内だ。他の人類側の国に派遣されることもある。
彼らは戦場においても重要な働きをする。彼らは直接戦力としては騎士たちにかなわないが、偵察をしたり冒険者たちと共同してゲリラ戦を仕掛けたりする時に本領を発揮する。その彼らもこのカムデンの街では敬意を集めているのだ。密偵という性格上、顔が知られないように注意深く行動している者が多いが。
そうして宴も賑やかに進み、皆も少しずつ落ち着いていく。もうしばらくしたら解散であろう。
ホリーとシャルリーヌはバートに寄り添っていた。普段酒を飲まないこの人も結構酒を飲まされていたから、彼女たちも心配しているのだ。フィリップとヘクターとニクラスはまだ酒を飲んでいるが、飲み比べというほどの勢いではなく、談笑しながら飲んでいる。なおホリーは年少者ということで酒は勧められなかったが、彼女は酒を飲みたいという欲求はなく、それはありがたかった。
「すまない。お嬢さん。シャルリーヌ。見苦しいところを見せたかもしれない」
「いえ。全然そんなことはないですよ」
「ええ。あなたはお酒に弱いのだと思っていたのだけど、そんなことはないのね」
バートは顔が若干赤くなってはいるようだが、それ以外には特に酔っている様子はない。
「バートさん。宿に戻ったら頭をなでてくれませんか?」
「私もね」
「わかった。そうしよう」
ホリーとシャルリーヌは驚いた。バートは戸惑うだろうと思っていたのに、迷う様子もなく承諾してくれたのだから。この人も酒に酔っているのかもしれない。だけどうれしかった。この人は自分たちを大切に思ってくれているのであろうから。この人も酒に酔って、それが素直に表に出たのだろう。
ただこの人は酒に酔っていることを見苦しいと思っているようだから、今日は添い寝するのはやめておこうか。もし酒の勢いで自分たちに手を出したら、たとえキス程度であっても、真面目なこの人は悔いるであろうし。この人からキスしてくれるなら、自分たちは喜んで受け入れるのだけれど。でも今日のこの人なら、頭をなでてもらう時に抱きしめてくれることくらいは期待してもいいだろうか。
彼女たちはもう少し強く彼に体を押しつけた。この人を決して一人にはさせない。自分たちは永遠に一緒にいるのだ。そして、永遠にこの人と愛し合いたい。