121 皇子と皇女 05 神話の真実
ホリーの心に響く声があった。善神ソル・ゼルムの声だ。
『ホリー。この子たちに真実を話して皇帝に伝えてもらいなさい。この子たちは信じても大丈夫だよ』
(はい……)
ホリーは迷っていた。善神から頼まれたことを今セルマとフィリップに伝えるか、それとも予定どおり皇帝に会った時に伝えるか。ここで伝えてもいいように思ってはいたけれど、善神から頼まれたのは皇帝に伝えることなのだから、直接伝えるべきかと。彼女の迷いが善神に届き、善神も気にかけて声をかけてくれたのだろう。善神からこの人たちに伝えなさいと言われたのだから、もう迷う必要はない。
「フィリップ殿下。セルマ殿下。私は善神ソル・ゼルム様から皇帝陛下に伝えてほしいという言葉を預かっています。それを皇帝陛下にお伝えいただけないでしょうか?」
「わかった。セルマから父上に伝えてもらうことになるが」
「承知しました」
フィリップとセルマは感心したようにホリーを見る。先程までのこの少女は緊張する様子を見せていた。だが今のこの少女は彼らに対して礼は失せず、それでいて怯まず毅然と言っている。
目下の者からこのような態度をとられることに怒りを覚える権力者はいる。だが彼らはそのような卑小な者ではない。この少女は聖女なのだから、ある意味では自分たちより上位の存在ではあるのだとも彼らは思っているが。
権力を持つ人間には、自分を絶対的な存在だと思い込み、目下の者には何をしてもいいと傲慢に振る舞う愚劣な者もいるものだ。だがフィリップたちは自分が人より上位の存在だとは思っていない。それもまた皇帝の教えでもある。己を絶対視するなと。
だからこそ善神と悪神も皇帝とその家族を見込んでいいと思っている。傲慢で欲深い人間は魔族たちにとっては憎悪の対象であり、神々にとっても好ましい存在ではない。傲慢さと欲深さはある意味では人間らしい一面だ。だがそれが過去に何度も世界を危機に追いやったのだ。
「ソル・ゼルム様が語ったのは、神話の真実です。それは人類社会で語られている、私も信じていたものとは大きく違います」
セルマとフィリップは改めて気を引き締める。ホリーが以前語った悪神アルスナムの真実からすると、その内容には察しをつけたが、真実は自分たちの予想以上なのかもしれないとも。
ホリーとシャルリーヌはこのことは既に仲間たちには相談している。バートはそれを言えばホリーが人間たちから敵視されることになりかねないと難色を示したが、皇帝に話すことには同意した。皇帝は信頼に値する方だと。
「神々の時代、人間を含む多様な種族は神々の庇護の下に繁栄していました。ですがそのバランスを崩すほどに繁栄しすぎた種族がありました。それが人間です」
「……」
「人間は種族として欲深い人が多いこと、そして人間には悪心に飲まれてしまう人も大勢いることは、ソル・ゼルム様すら否定していません」
セルマたちもその言葉を否定はできない。それは統治者としての彼女たちが思い知っていることなのだから。
人間には欲深い者はいくらでもいる。欲深い者はさらに多くを求め、悪心に飲まれて悪行を働いたり、他者を虐げたりする者もいる。欲深いからこそ富や権力を得ることも多々ある。欲深い者も下劣な者ばかりではないが。
それを制御するためのものが法だ。全ての者が秩序的に善性をもって行動するならば、法など最小限でいいし、必要すらないかもしれない。権力者が己の欲望に都合のいいように法を利用することも多々あるが。
「人間たちは数を増やし、その数を増やした人間たちはさらに豊かな暮らしを求めました。それは膨大な物資や資源を必要とし、他の種族や全ての生命を圧迫するようになっていきました。人間が原因で滅んだ種族や生命もいたそうです」
セルマとフィリップは寒気を覚える。彼女たちは各地の産物を把握し、街道を整備し、治安を維持し、税を取るといった人々の活動を統括する立場でもある。その彼女たちは知っている。豊かな人間は多くの『もの』を消費するものだと。
現在でもそういった膨大な『もの』を用意するために、物資の輸送などは一筋縄とはいかない都市は帝都をはじめとしていくつもある。そういった都市には人々が周囲から集まり、さらに多くの物資を必要とする。街の住人はよりうまい食事、よりうまい酒、よりきらびやかなもの、より贅沢なものを、より多くと、欲望を増大させていく傾向もあることも彼女らは知っている。
神々の時代は全ての人間が一定以上は豊かだったのだろう。ならばその人間たち全てがもっとほしいと欲望を増大させていったのなら、ろくでもないことになったのは彼女たちも想像できてしまう。
「ソル・ゼルム様の友、アルスナム様を始め、それに危機感を覚える神々もいました。人間たちの欲望はいずれ人間たちを含むこの世界を滅ぼすかもしれないと」
「……」
「ソル・ゼルム様も神々も人間たちに諭しました。調和をもって生きよと。欲望を抑えよと。その言葉を聞いて調和をもって生きようとした人間も大勢いたそうです。ですが多くの人間はその言葉を聞かずに、全体としての人間種族は欲望を増大させ続けたそうです」
セルマとフィリップからすれば、聞き心地は良くないが目を逸らしてはならない真実だ。光に満ちた神々の時代を危機にさらしたのは自分たちと同じ人間だったのだと。そしてそれはこの先自分たちや子孫たちが直面する事態なのかもしれないのだ。
「それに対し、他の種族は不満と怒りを募らせました。それでもエルフやドワーフのように人間種族を擁護する種族もいたそうですが、人間たちはそのエルフやドワーフも圧迫していたそうです」
人類社会に伝わる神話では、人間種族は神々の時代からエルフやドワーフといった種族とは友好関係を築いていたとされる。だが真実は、人間たちはエルフやドワーフすら圧迫していたのだ。
そして現代においても、里から出てきたばかりなどで世間知らずなエルフやドワーフを食い物にする下劣な人間はいる。奴隷同然に扱い、その命すら軽んじる者もいる。帝国ではそのようなことは人間相手でもエルフやドワーフたち相手でも犯罪とされており、発覚すれば重く処罰される。だが法の網をくぐり抜けてやりたい放題をしている輩もいるのが現実だ。
「アルスナム様たち人類側から悪なる神と呼ばれる神々は、数限りなく諭しても改められない人間たちに見切りをつけました」
「……」
「それでもアルスナム様たちも人間種族を滅ぼそうとまではしませんでした。アルスナム様たちが選んだのは、人間種族の多くを殺す間引きをすることでした」
セルマとフィリップは思う。それも無理はないと。人間種族を完全に滅ぼそうとしなかっただけでも、慈悲深いとすら言えるのではないかと。肯定はできないが。
そして後ろめたさに似た感情も覚える。悪なる神々とは絶対的な悪ではなく、人間たちにとって都合が悪かったから悪と呼ばれているのだと理解して。無数の人間を虐殺した神が悪なる神と呼ばれることも無理はないのであるが。
そして彼女らの使命、民を守ることが容易ならざることだとも改めて理解する。魔族たちにとって人間たちこそが世界を滅ぼす害悪なのだ。その人間たちを守る彼女らも、魔族たちからすれば悪なのだろうと。その上で彼女らは民を守らなければならない。
「ソル・ゼルム様はそれに反対しました。人間たちもいずれ神々の言葉に耳を傾けて、調和をもって生きることができるようになるだろうと。ソル・ゼルム様とアルスナム様は何度も話し合いをしたけれど折り合えなかったそうです。そうして神々の時代は終わることになりました」
「……」
「ソル・ゼルム様の側とアルスナム様の側に分かれて神々は争いました。ですがその争いは神々が守りたかった『人』、人類と魔族にも膨大な犠牲を出してしまいました」
セルマとフィリップは思案する。途方もない真実だ。だがこのことを人に知られるのは危険すぎる。人間たちはこの真実を受け入れられないだろう。善と思っていた自分たち人間種族が、客観的に見たら悪と言っても過言ではないなどと。
セルマたちからすれば悪神の論理も理解できる。善なる人間と言ってよい者は大勢いる。だが悪なる人間と言うべき者も大勢いる。そして欲望に突き動かされる人間は数多いことも。悪神を肯定まではできないが。
「全ての神々は眠りにつくか滅んだかしたと言われています。ですがそうではないそうです」
「……今も神々は健在だと?」
「はい。滅んでしまったり眠りについたりした神もいるそうですが、隠れているだけの神や、神としての力を使わずに活動している神も多いそうです。自分たちが力を振るえば、相手の側の神々も動いて、『人』を滅ぼしてしまうかもしれないと危惧して、力を振るわないようにしているそうです」
神々は今も健在。それも途方もない真実だ。世界には神を降臨させようと動く人間たちもいる。だがそれは見当違いということのようだ。神々は『人』を滅ぼしてしまわないように自ら姿を隠しているだけというのだから。
そして危機感を覚える。もし神が力を振るったらどうなるか。それこそ神々の戦いの再来になってしまうかもしれない。聞く限り、神々も完全に理性的な存在ではなく、感情を持つ存在に思える。神が人間たちの祈りに応えてしまって、結果的に世界の破滅を引き起こす恐れもあると考えるべきかもしれない。
「善なる神から悪なる神に堕ちた神の伝説もあります。ですがそれは最初はソル・ゼルム様の側についたけれど、いつまでたっても変わらない人間たちに絶望して、ソル・ゼルム様から離れたということのようです……」
セルマたちは危機感を覚える。神々すら見捨てる人間種族とはなんなのか。善神ソル・ゼルムすら人間種族を見捨てることすらありうるのではないか。そうなれば人間種族は終わりだ。
「このことも話さないといけません。魔族には神々の時代には人間だった種族もいるそうです」
「……」
「そして妖魔たちも神々の時代は人間だったそうです。人間が神々の戦いを原因として変質してしまった存在だと……」
「……!」
それはセルマとしてもフィリップとしても認めたくはない真実だ。下劣な妖魔共が元は人間だったとは。だが認めたくないからといって認めないわけにはいかない。
「アルバートが人間の大半は妖魔共と大差ないと言うのは、ある意味では正しかったということか……」
「はい。ですが妖魔共は排除するべき敵ということに変わりはありません」
「……そうだな」
「私はそう割り切りたくはないですけど、妖魔たちが人間に戻ることはないだろうとソル・ゼルム様はおっしゃっていました……」
バートはその真実を聞いた時も全く揺るがなかった。彼は大半の人間は妖魔共と大差ないと公言してきたのだから。
セルマとフィリップは思う。妖魔とは残虐で粗暴、欲深く下劣な存在だ。だが人間にもそのような者は大勢いる。そんな人間たちが妖魔になってしまったのではないかと、理解はできてしまうのだ。理解したくはないのだが。