120 皇子と皇女 04 第一皇女との会話
皇女セルマからバートに言うことはまだある。
「それからアルバート様」
「なんでしょう?」
「アミーリアもあなたに嫁ぎたいと言っていまして……」
「……」
アミーリアとはセルマと母親を異にする妹で第二皇女だ。フィリップと母親を同じくする妹でもある。
バートは面食らう。王族が複数の配偶者を持つことは例がある。だが皇帝家の皇女二人が一人の男に嫁ぐことなど例がないのではないか。そもそもアミーリアはまだホリーと同じくらいの年のはずだ。第二皇女は自分になついていたが、自分のことなど忘れていると思っていた。自分のような男に子供がなついたのも理解できなかったのだが。
セルマはこのことでアミーリアと喧嘩したのだが、ホリーとシャルリーヌがアルバート王子の側室になるならば、あの子も諦めそうにないと思った。
「アミーリアの思いも理解はできるのです。皇女である私たちに近づいてくる殿方は、誰も彼もその表情の裏には欲望を隠しているのですから。それであの子はあなたを理想化してしまったのかもしれません」
そのセルマの言葉に、ホリーとシャルリーヌもアミーリアという皇女に同情心を覚える。
バートからすれば、その理想化された自分に対し、現実の自分を見てアミーリアは幻滅するのではないかと思ったが。彼はなぜセルマたちが自分に好意を示すのか理解できないのだ。
「父上も、お転婆なアミーリアをどこかに嫁がせても問題を起こしそうですから、あなたに嫁がせて手元に置く方がいいかもしれないとおっしゃっていまして……」
「あー……俺も大概皇子らしくはないが、アミーリアも皇女らしくなくてなぁ……」
アミーリアは快活で皇女らしくない性格なのだ。皇帝はその第二皇女もいずれ落ち着くと期待していたのだが、フィリップという前例もあるし、期待薄かもしれないと思い始めている。その彼女をどこかの貴族や他国の王室に嫁がせても、彼女は耐えられないかもしれない。それで何か問題を起こせば帝国にとっても不都合だ。ならばいっそ手元に置いておく方が彼女のためかもしれないと。
「父上には政治的な思惑もあるでしょう。それは私も推測はしていますが、まだ聞いてはいません」
皇帝はセルマを後継者としていずれ女帝につけることも考えている。アルバートをそのセルマとの名目上の共同統治者にしようとも。
セルマが女帝になれば、当然後継者を作る義務がある。だがセルマには今も皇帝の補佐と宮廷魔術師団の長としての職務があり、女帝になればなおさら多忙になるだろう。その彼女がそう何人も子供を産む余裕があるとは思えない。子を産んでも、その子がいずれ皇帝位を継ぐにふさわしい人物に育つかもわからない。
セルマが後継者に恵まれなかった場合、皇帝はアミーリアとアルバートの子を皇帝候補にすることも考えているのだ。それは帝国内に不和を招きかねないことだと皇帝も理解しているが、それを押さえ込む器量がセルマたちにはあると信じている。無能な者が皇帝位に就いても大丈夫だと思えるほど、帝国は安泰ではないのだ。
それにチェスター王家の高貴な血を皇帝家に取り込むことができるのは政治的にも大きい。皇帝は高貴な血筋というものを尊ぶつもりはないが、それを尊ぶ人々は多く、統治に利用できることは知っている。その高貴な血筋というものが、人を驕慢に陥らせる毒になりかねないことも皇帝もセルマたちも理解している。血筋を誇るだけで能力もないのに地位を得て、傲慢に振る舞う人間はいくらでもいる。血筋に恥じない立派な者であろうとする高潔な者たちもいるが。
「そういうわけでして、アルバート様も考えておいていただけると……」
「……」
バートからすれば、どう言えばいいのかわからない。この男には珍しく、彼は混乱していた。皇帝の思惑を察そうにも、冒険者として活動していて皇帝家とは関わっていなかった彼が持っている情報は少ない。
そのバートをそっとしておいて、セルマはヘクターを見る。ヘクターは自分に話が回ってくるとは思っていなかったから驚く。
「ヘンリー」
「はい」
「あなたも帝都に来たら、お母上たちに顔を見せに行きなさい。ルパートとローラもあなたたちを心配して、自分たちも冒険者になってあなたたちと行動を共にすると言い出していたのです。アミーリアも一緒に」
「あー……すいません。母上たちにも顔を見せに行きます」
ヘクターからすればばつが悪いとしか言いようがない。彼の母親と弟と妹は、帝国の重臣クィン侯爵の世話になっているのだ。ルパートとローラは双子の兄妹で、クィン侯爵の養子になっているのだが。
ヘクターは成年して帝都を出発してから、家族に手紙すら書いていなかった。自分は死んだものと思ってくれと言い残して、アルバート王子に命を捧げる覚悟でいたのだ。
バートとしてもばつが悪い。彼はいつもの無表情がほんの少し崩れて表情に出ている。彼もヘクターの家族とは親密に付き合っていたのだ。自分たちが帝都を出立した頃はまだ幼かったルパートとローラが、自分たちを追うと言い出すとは予想もしていなかった。ましてやさらに幼かったアミーリアまで。
ばつが悪そうな二人からセルマはホリーに視線を移す。
「次の話に入りましょう。ホリー・クリスタルさん。あなたは聖女であるそうですね?」
「は、はい」
セルマの毅然とした態度にホリーは緊張する。
そこにフィリップが口を出す。
「セルマ。お嬢さんは善神から直接聖女だと言われたそうだ。善神は本当は聖女を選びたくはないそうだが……」
「……善神が聖女を選びたくないとは、どういうことですか?」
セルマがホリーを見たから、ホリーが答える。
「ソル・ゼルム様は、ほとんどの聖女が不幸な最期を遂げることを悲しんでいらっしゃるんです……」
「なるほど。それは理解できます。『真面目』な人には、それは無責任だと怒りを抱く者もいるかもしれませんが」
「大勢の命が助かるならば、たった一人が犠牲になるのは当然のことだと言う奴はいるだろうな」
「そのような輩は、自分が犠牲になることなど考えもせず、他人を生け贄として差し出すのでしょう」
「だな」
「ですが、私たちも己の命を確保して聖女を犠牲にする確率が高い選択をしなければならない卑怯者だということでは、大差はありません……」
「だな……」
フィリップたちには、民のために己の命を賭ける覚悟がある。そしてバートの言葉にも同意する。彼らには他人を犠牲にしておいて空々しい涙を流してみせる者共に心当たりがある。己を犠牲にする覚悟があっても、それに値する人間などそうそういないが、その事実をもって他人を犠牲にすることを正当化する、己が卑怯者だということに気づいていない輩もいる。
「ですが私は疑問に思っていることがあります。あなたが以前フィリップ兄上に話した言葉は私も報告を受けました。悪神アルスナムも魔族も必ずしも悪なる存在ではないと。悪神の目的は人間種族の数が増えすぎないようにすることであって、人類を滅ぼすことではないと」
「はい」
「ではなぜ善神ソル・ゼルムは聖女という存在を選ぶのでしょうか? いえ、そもそも聖女は戦いのための存在なのでしょうか?」
そのセルマの言葉に、フィリップは思いも寄らなかったという顔をする。確かに悪神と魔族が悪というわけではないなら、なぜ善神は聖女を選ぶのか。そしてフィリップも魔族は必ずしも人間種族を滅ぼそうとする者ばかりではないことを知っている。人間種族を滅ぼそうとする魔族も大勢いるから、それでかとも思うのだが。
そしてそのことはホリーも善神から聞いていた。
「聖女は本来は戦いのための存在ではなかったそうです。神々の時代、今は魔族と呼ばれている人々も含めて、みんなで協力して大きな物事を実行するのを後押しするための存在だったそうです。ソル・ゼルム様にとっては、今も人間もエルフもドワーフも魔族も全て『人』だそうです」
セルマもフィリップも納得する。心清き存在である聖女が戦場に出ることは不自然なのだから、ホリーの言葉は正しいと思えた。少なくとも矛盾は見出せなかった。ただそのための力が戦うことと相性が良かったのであろう。
「では、聖女の出現は魔王軍との大決戦が近い証だという伝承は事実ではないと?」
「はい。ソル・ゼルム様がおっしゃるには、魔王軍との大決戦の時に活躍した聖女の伝説が有名だから、そのように思われるようになったのではないかと。そのような時期以外にも聖女はいたそうです。その聖女たちもほとんどの人が不幸な最期を遂げてしまったそうですが……」
このことも矛盾点は見出せなかった。気になることはあるが。
「それ以外の時期の聖女も不幸な最期を遂げたとは? 魔族との小規模な戦いで亡くなったのですか?」
「人間の国が魔族の領域に侵攻したり、人間同士の戦いや陰謀に巻き込まれたりしたそうです。そして人間たちの欲望が原因で犠牲になった聖女も少なくないと……」
その言葉も正しいと思えた。セルマもフィリップも愚かな人間はいくらでもいることを知っている。決してそのようなことを肯定したくはないが。
ヴィクトリアス帝国の皇帝家に伝えられている話もある。百五十年前の大戦において、政争に巻き込まれた聖女がある国の王によって処刑されたようだと。王は魔族の侵攻に国を追われ亡命したが、そのことが発覚して密かに粛正されたと。
そして彼女らは思う。この少女に不幸な最期を遂げさせてはならないと。
「幸せに一生を終えた聖女もいるのですか?」
「少数ですがいたそうです。ですが、人類社会に残って幸せに一生を終えた聖女はほとんどいないそうです……例がないわけではないそうですが……」
「魔族に捕まって行方不明になった聖女の伝説もあります。そして『鮮血の魔将』アードリアンはあなたを保護すると言っていたと聞いています。もしや……」
「はい。魔族の捕虜になってそのまま保護された聖女や、人間に絶望して魔族に保護を求めた聖女もいたそうです。そしてソル・ゼルム様は、私も魔族たちに保護を求める道もあるとおっしゃっていました……」
「なるほど……」
セルマもフィリップも人間として恥じるしかないという思いだ。聖女にとって人間よりも魔族の方が信頼できるなどと。そして善神も必ずしも人間を信じてはいないことも知り、悔しいと思うと同時に無理もないとも思う。彼女らも下劣な人間はいくらでもいることも知っているのだ。そして時として下劣で欲深い人間が権力を得てしまうことも。もちろんそんな人間ばかりではないが。
ホリーがここまでのことを言ったのは、下手な者相手では危険だっただろう。だが彼女とシャルリーヌは善神から皇帝家の者たちは信じていいと聞いていた。バートとヘクターはセルマとフィリップは信じられると考えていたし、リンジーたちもそれを聞いていた。