117 皇子と皇女 01 第二皇子フィリップ・ヴィクトリアス
数日後。バートたちは騎士団本部の、先日通された応接室がある建物よりも奥まった場所にある建物の部屋に通されていた。部屋の装飾や格式から、フィリップ第二皇子が対面するための部屋だと容易に想像できる。第二皇子は政庁で政務を執ることもあるが、騎士団本部から指示することの方が多い。それは彼が統治者としてよりも将としての役割を重視していることを意味する。彼が軍事は得意で政治は苦手ということもあるが。なお当然と言うべきか、バートたちの武器と異界収納のマジックアイテムは騎士団本部の門で預けている。
「お嬢さん。フィリップ殿下は気さくな方だ。そうも緊張しなくていい」
「ああ。フィリップ殿下はいい人だしな」
「それはわかっているんですけど、緊張します……」
立って待っているホリーは緊張している。バートも王子様だったのだけれど、この人はこれまでも共に行動していた。そして自分たちを仲間と認めてくれている。その彼女らに関係の変化はない。ホリーには、自分たちの関係が変わってしまうかもしれないという不安がほんの少しあったことは、否定はできないけれど。
あの日は宿に戻った後、ホリーとシャルリーヌはバートと添い寝した。この人が元王子様ということは、彼女たちにとって大きな意味はない。彼女たちはバートという一人の人と一緒に幸せになりたいのだ。そしてバートのホリーたちへの態度も変わらなかった。好意を寄せられることに戸惑いつつも、彼女らのことを守ると言った。それがホリーたちはうれしかった。ヘクターたちからすれば、その彼女らの様子も微笑ましいのだが。バートとヘクターは自分たちの正体を秘密にしていたことを改めて謝ったが、仲間たちは快く許した。
しばし待って、部屋の扉が開く。そして部屋に入って来たのは、銀髪にたくましい肉体を持つ二十代後半くらいの堂々たる偉丈夫だった。続いてセバーグ将軍ともう一人将軍らしき男性が入って来る。
偉丈夫がバートの前に立ち、バートの肩を力強く叩いた。
「アルバート! 久しぶりだな!」
「フィリップ殿下もお元気そうでなによりです」
「おう。俺は元気も元気だ。お前たちも時々は俺の所に顔を出せばいいものを」
「申し訳ございません。ご温情を示してくださることに感謝します」
「お前もそうも固い言い方をせんでいいというのに」
「そういうわけにもございません」
「まったく。お前は頑固だな」
この気安い様子の偉丈夫がフィリップ第二皇子だ。ホリーたちはフィリップの顔は知らなかったけれど、その頼もしそうな声は通話マジックアイテム越しに覚えがある。重厚な鎧を纏い常在戦場という様子はいかにも武人らしい。なおフィリップたちの鎧にも普段から纏っていても快適に過ごせる魔法が付与されている。第二皇子すら常に鎧を纏って戦う準備をする姿勢を示さねばならないほど、このカムデンは最前線から近いのだ。
そしてフィリップは次にヘクターの肩を力強く叩く。
「ヘンリー! お前もでかくなったな!」
「はい。殿下と同じくらいでかくなりました」
「結構結構! お前とも後で手合わせするのが楽しみだ!」
「はい。殿下に手合わせしていただくのも久しぶりですね」
「あの頃はお前もここまででかくはなかったからなぁ」
「はい」
フィリップはヘクターにも気安く接する。ホリーたちもその様子から、この人は相手によって態度を変えるのではなく、誰に対しても気安く接する人なのではないかと思った。その二人の偉丈夫の様子は、体格も似ていることもあって、まるで兄弟のようだ。
「だがアルバート。お前は自分たちのことをお嬢さんたちにも秘密にしておったそうではないか。仲間に秘密にするなど良くないぞ?」
「反論のしようもございません。幸いお嬢さんたちは許してくれましたが」
「うむ。まああのお前が仲間を持つようになっただけでも大きな進歩だがな」
フィリップも知っている。バートはほとんどの人間を妖魔同然の醜悪な存在だと思っていることを。だが今のこの男は、エルフのシャルリーヌとドワーフのニクラスだけではなく、人間であるホリーとリンジーとベネディクトとも仲間として共に行動している。この男はヘクター以外の者とは仲間として行動を共にすることはなかったのに。
ホリーとシャルリーヌからすれば耳が痛い言葉ではある。彼女たちはバートがアルスナムの聖者になりうること、そして自分たちが善神ソル・ゼルムだけではなく悪神アルスナムとも対話していることを、仲間たちにも秘密にしているのだから。だけどそれはバートがアルスナムの聖者になっても大丈夫と確信できるまでは、話してはいけないと二人で話し合っていた。
そしてこの会話は、数日前の応接室でのバートとセバーグ将軍たちの会話を、フィリップが把握していることも意味するとバートは気づいている。
フィリップがホリーたちの方を見る。
「さて。後回しにしてすまなかったな。俺が帝国第二皇子フィリップ・ヴィクトリアスだ。俺も久しぶりにアルバートとヘンリーに会ったということで許してくれ」
「はい。私はホリー・クリスタルと申します。殿下にあられましてはご機嫌麗しゅうございます」
「はっはっは! 通話越しにも言った覚えがあるが、俺に対してはそうもかしこまる必要はない。父上に対してはそれなりに礼節を守ってもらわんといかんがな」
「は、はい」
フィリップはホリーに向けて話しかけたから、ホリーが返事した。ホリーは緊張しているけれど。フィリップも聖女が大人になるかならないかの少女だとは知っているから、この少女が聖女であろうと判断して話しかけたのだ。
フィリップは豪放磊落な性格だ。多少の非礼など気にもしない。後ろにいる二人の将軍は困ったものだと言いたげに苦笑を浮かべている。だがそんなフィリップだからこそ、騎士や兵たちから敬愛されているのだ。
そんなフィリップを侮る輩もいる。だがフィリップは必要に応じて威儀を正すため、そんな輩は相応の報いを受ける。彼は慕われると同時に畏怖されてもいるのだ。普段から威厳ある態度でいてほしいと思っている者たちもいるのであるが。
そして互いに自己紹介をする。フィリップたちもホリーたちの名は把握しているが、だからといって自己紹介をしないわけにもいかない。なおセバーグ将軍と共にいるのは、バートたちが面会を申し込んだヘルソン将軍だった。ヘルソン将軍もバートがアルバート王子だということをこの場で教えられた。
フィリップがセバーグ将軍を見る。
「さて。本題に入る前にだが、セバーグ将軍」
「はっ!」
そのフィリップの態度は、威厳に満ちたいかにも帝国の第二皇子にふさわしいものだ。
「アルバート王子と貴公らの会話は私も報告を受けた」
「はっ! ですが我らには二心はございません。帝国とフィリップ殿下は旧王国の民を守ってくださっているのですから。我らは民を守ることを誓います」
「うむ」
セバーグ将軍の返事も、自分に後ろ暗いことなどないと堂々としたものだ。将軍もこのことは既に第二皇子に報告していた。第二皇子からの返答はアルバート王子もいるこの場ですると言われていたのだが。
「貴公とその配下たち、そして蒼翼騎士団が、帝国にではなく私にでもなく、アルバート王子に忠誠を捧げようと、それは私は咎める気はない」
「はっ!」
本来ならフィリップはそれを咎めなければならないのだろう。セバーグ将軍はかつてチェスター王国の臣下だったとはいえ、今はフィリップの配下だ。そのセバーグ将軍が既に滅んだ王国の王子に忠誠心を抱いていることには問題がある。それは旧王国領に混乱をもたらしかねないのだから。だがフィリップは咎めなかった。
「だが私から貴公に言っておかなければならぬことがある」
「はっ!」
「民を守れ。アルバート王子が貴公らに命令したようにな」
「はっ! 我らは民を守ることを誓います!」
「うむ。それで良い」
セバーグ将軍は感動する。フィリップ第二皇子も忠誠を捧げるに値する立派な主なのだ。だが第二皇子は将軍がアルバート王子に忠誠心を抱いていることを許してくれた。そして第二皇子も言ってくれた。民を守れと。
将軍は気づいている。第二皇子は自分のためにとも帝国のためにとも言わなかったことを。邪推かもしれないが、それには裏の意味もあるのではないかと思った。帝国が旧王国の民にとっての害になるようならば、民のために動けと言っているのではないかと。
「フィリップ殿下。アルバート殿下とフィリップ殿下のお言葉、民を守れというお言葉を、蒼翼騎士団と私率いる者たちにも伝えることをお許し願います」
そして将軍は許可を求めた。蒼翼騎士団と将軍配下の者たちも裏切り者呼ばわりされて、鬱屈した思いを抱えている。その彼らに二人の言葉を伝えてやりたかった。伝えれば者共の士気も高まり、民を守るという己らの使命を改めて意識するだろう。
「許可する。貴公らは民を守るための大きな力の一つだ。頼りにしている」
「はっ! 光栄です!」
そしてフィリップは許可した。彼は本当にセバーグ将軍たちのことも頼りにしている。だが自分が旧王国の民にとって害になるならば、将軍たちに反旗を翻されても良いとも思っている。
「私は政治には長けてない故に、いろいろと不備もあろう。軍事については自信はあるが、それも完璧とはゆくまい。私に問題があると思えば、貴公らも遠慮なく諫言せよ」
「はっ!」
「そして私に諫言しても効果がないと判断すれば、皇帝陛下に訴えよ」
「はっ!」
もちろん諫言が正しいとは限らない。フィリップが正しく諫言が間違っていることもありうる。それを正しく判断し、配下たちにも納得させるのがフィリップの責務だ。
彼は間違った諫言をした者を咎める気はない。彼も配下も間違いのない存在ではないのだから。己の欲望を満たすために間違った諫言をする者については話は別だが。そして彼はそんな下劣な人間もいることは知っている。
フィリップの配下にも、表向きは高潔だと装ってはいても下劣な内心を隠している者もいる。だが内心に下劣な感情があっても、それを内心にとどめて表に出さないならば、その者は認めていいとフィリップは思っている。そのような者は、下劣な内心をさらけ出しても咎められないと思えば、下劣な本性を現すかもしれないが。人間とはそんなものだともフィリップは理解している。
「皇帝陛下は我ら皇帝家の者に諭している。良き統治者であれと。私がそれにふさわしくないと思えば、遠慮なく諫言せよ。それは私のためでもある」
「はっ!」
フィリップは父の言葉を愚直に守ろうとしている。自分がそれに背いたならば、討たれても構わないとも思っている。そしてそんなことにならないように己を律しているのだ。