116 要害都市カムデン 04 騎士サイラス
バイロン・セバーグ将軍はひざまずいたままバートに頭を下げる。そして言う。その言葉は先程の感動の余韻か、わずかに震えている。
「アルバート殿下。こちらは私の長男、サイラスにございます」
「サイラス・セバーグにございます」
「そうか」
セバーグ将軍とサイラスの言葉にも、バートの様子は相変わらず無感動だ。
「蒼竜マアムーンを駆る役目は、サイラスに受け継がせました」
「まだまだ未熟者ではございますが」
「そうか」
マアムーンとは、セバーグ家が代々受け継いでいる青いうろこの強大なドラゴンだ。蒼翼騎士団の名の由来でもある。セバーグ家の先祖が盟約を結び、高い知性を持つマアムーンは代々のセバーグ家当主の相談役をしてきたことでも知られている。
マアムーンは自分が認めない者はたとえ当主でもその背には乗せない。マアムーンを己の所有物と勘違いした傲慢な当主を、ブレスで焼き殺すなり叩き潰すなりしたことも何度もあると伝えられている。だからこそセバーグ家は一時的に腐敗しても己を律する当主が現れ、理想を思い出すことができていたのだ。サイラスはそのマアムーンに認められ、蒼翼騎士団の指揮を任されている。バートは無感動だが。
「アルバート殿下。どうかこのサイラスを騎士としてお認めいただきたいのです」
「この者はすでにフィリップ殿下に騎士として認められているのだろう?」
「はっ。いかにもそのとおりにございます」
「既にチェスター王国は滅んだ。私がそんなことをすれば、お前たちが不穏分子として警戒される恐れがある。フィリップ殿下は高潔な方だが、その配下たち全てがそうではないだろう」
セバーグ将軍は気づいた。そのバートの素っ気ない理性的な言葉の裏に、彼らを心配する感情も含まれていることに。将軍が覚えている王子は、彼にはそんな感情をかすかにでも見せることはなかった。
バートとしてもセバーグ将軍のことは認めている。将軍たちは民を守ろうとしている。その彼らを自分の軽率な行動によって窮地に追い込むことは避けたかった。彼が慕っていたエイデン将軍の死の一因がセバーグ将軍にあったことに、思うことは全くないとはいかない。だがセバーグ将軍たちは正しい行動をしたのだとは認めているのだ。エイデン将軍も帝国に降伏していれば今でも民を守ってくれていたであろうし、そうする方が正しかったのであろうとも。
「フィリップ殿下には、私たちには二心などないことを申し上げます。どうか、お願い申し上げます!」
父のその言葉に、サイラスがひざまずいたまま顔を上げた。
「殿下! 私からもどうかお願い申し上げます!」
「今の私はただの冒険者だ。かつての私の地位になど意味はない。私を殿下と呼ぶことも不要だ」
バートは素っ気なく応じる。彼は王家の血筋というものに意味があるとは思っていない。だがそれをありがたがる人々がいることは理解している。だからこそ彼は自分が『アルバート王子』であることを隠してきた。自分が火種になりうることを理解しているのだから。
サイラスは続ける。
「我ら蒼翼騎士団は裏切り者呼ばわりされてきました。それでも私の上の世代は父上が殿下からいただいた手紙のお言葉を伝えることによって、励まされてきました。父上たちの行動は間違いではなかったと」
「……」
「ですが私たちの世代には実感がわかないのです。私たちも励みとなるお言葉をいただきたいのです! 私が殿下に騎士としてお認めいただけるならば、それを皆に伝えることもできます!」
それもサイラスの心の底からの言葉であった。
蒼翼騎士団は一目置かれ敬意を向けられてはいるが、裏切り者とも思われている。旧王国領の民だけではなく、フィリップ第二皇子の配下にもそのように思い警戒している者たちもいる。王国を裏切ったのだから、帝国を裏切ることもあるだろうと。
その言葉にバートは無言のままだ。だが横で聞いているホリーはその思いを否定してほしくなかった。
「バートさん。この方を騎士として認めてあげてもらえませんか……?」
「……わかった」
ホリーが頼まなかったら、おそらくバートは断っただろう。少なくともフィリップの許可を得てからにするようにと言ったであろう。だがホリーの頼みを聞き入れた。そして彼はサイラスもセバーグ将軍もそれを心から望んでいることは理解していた。
サイラスの表情に希望を見出したような色が浮かぶ。
「騎士サイラス・セバーグ」
「はっ!」
「もはやチェスター王国はない。だが英雄王ローレンス・チェスターの理想はお前たちの心にはまだ生きているのだろう」
「はっ!」
サイラスは喜色をその表情に浮かべる。裏切り者呼ばわりされて来たことは、彼も人である以上は思うことはある。だがそれが報われる時が来たと思った。
「民を守れ」
「はっ! 可能な限り生き延びて、民を守り続けることを誓います!」
サイラスもセバーグ将軍も感動のあまり涙を流す。アルバート王子から自分たちは英雄王の理想を実行する者として認められるなど、身に余る栄誉だ。チェスター王国初代国王ローレンス・チェスターは、民を守るために国を興した。王子は自分たちをその理想を受け継ぐ者と認めてくれたのだ。
鬱屈した思いも抱えている蒼翼騎士団と将軍配下の者たちにも、王子の言葉を伝えなければならない。自分たちは正しいことをしているのだと。自分たちはただ民を守ればいいのだと。それは今の主であるフィリップ第二皇子の許可を得た後でなければならないだろうが。
彼らも理解している。アルバート王子はチェスター王国と王子に忠誠を尽くせとは言わなかった。民を守れとしか言わなかった。だが思った。自分たちの本当の忠誠の対象はこの王子なのだと。王子が命令するならば、自分たちは帝国傘下としてでも民を守らねばならないのだと。
そしてアルバート王子自身も自分たちとは違う形で民を守っているのだ。冒険者という社会的地位が高いとは言えない身分に身をやつして。そしてその上で名声を得るほどに活躍をしているのだ。
それだけではない。王子は王国が滅んだ時も、己の命を投げ出して民を守ろうとした。自分たちもその王子に恥じない行いをしなければならない。民を守らなければならない。
「セバーグ将軍。サイラス。立て。私はもはや王子ではない。ただの冒険者だ」
「はっ」
二人はバートに促されて立つ。彼らも理性ではわかっているのだ。自分たちの今の主はフィリップ第二皇子なのだ。その自分たちがアルバート王子に忠誠心を抱くのは間違いなのだ。だが人の心までは制限をできないものだ。
バートは仲間たちの方を振り返る。
「お嬢さん。シャルリーヌ。リンジー。ニクラス。ベネディクト。隠し事をしていたのはすまなかった」
「い、いえ」
「だが私の過去の地位になど意味はない。今の私はただの冒険者のバートだ」
「俺も冒険者のヘクターだ」
「はい!」
バートはいつものように無表情でその言葉は淡々としている。ホリーたちはうれしかった。バートとヘクターが遠い人のように思えてしまったのだけれど、二人は全く変わっていない。自分たちを仲間だと思ってくれている。それがうれしかった。