99 弔いの儀式
ミストレーの街最大のソル・ゼルム神殿の共同墓地。そこに簡易的な祭壇が作られ、ホリーが祈りを捧げている。アンデッドの大発生で墓地のいたるところが地中から掘り起こされていたのだが、その穴も埋め戻されている。その場にはホリーと仲間たちを含め百人ほどの者たち。領主代理クラレンスと騎士隊長エルマー、防具屋のダグマーとその娘、武器屋のフレッド、冒険者のブライアンとハンナたちも参列している。
本格的な弔いの儀式を街の神官たちに執り行わせる前に、小規模な儀式を行っているのだ。正式な儀式にもホリーたちも参列するが、そちらは彼女たちは参列者側になる。ホリーがこの儀式を執り行うことは、この少女がアンデッドたちの首魁を浄化したことは秘密にされていないため、異論は出ていない。
「偉大なるソル・ゼルムよ。このたびの妖魔の大侵攻、そしてアンデッドの大発生により、大勢の方が亡くなりました。その中には罪を犯してしまった者たちもいるのでしょう。ですがどうかその御慈悲をもって皆の魂を安息にお導きください」
このホリーの言葉は、拡声のマジックアイテムでこの場にいる全ての者に聞こえている。儀式などではよくこのアイテムが使われる。
ホリーは全ての死者の魂の安息を望んでいる。人類側の者たちだけではなく、魔族たちや妖魔たちも含めて。それに気づいているのは彼女の仲間たちと、彼女が聖女であると理解しているエルマーたちだけであろう。そして祈りを捧げられている善神ソル・ゼルムと、バートの目を通してこの光景を見ている悪神アルスナムと。
それには気づいていなくても、アンデッドになってしまった避難民たちのことも含めて彼女が悼んでいるのは、この場にいる全ての者たちがわかっている。そのことに対する内心の反応は人それぞれだ。ブライアンたちのように避難民たちを悼んでいる者もいれば、あれほどの事態を引き起こした避難民たちを内心憎んでいる者たちもいる。友人や仲間がアンデッドにされてしまった者もおり、街の住人には家族をアンデッドされてしまった者も大勢いるのだから、憎む者がいるのも当然だ。
「生き残った人たちには、街を恐怖に陥れて大勢の人たちを殺した者たちを憎む者もいるでしょう。彼らが憎まれるに値することをしたのは否定できません。ですが死した者たちが再びこの世界に生まれ変わった時、善なる者として生きるようお導きください」
ホリーも大勢の人々を殺し恐怖に陥れた魔族たちと妖魔たち、アンデッドと化した避難民たちが罪を犯したことは否定しない。彼らが為したのは悪としか言えないことだった。だが死んだ後まで憎みたくはなかった。彼らが再びこの世界に生まれ変わった時、互いに殺し合うことのない世界になっていてほしかった。
そのホリーの言葉を真摯に受け止めている者もいれば、なにをきれい事を言っているのかと思っている者もいる。
「善神ソル・ゼルムよ。死した者たちの魂に安息を」
「死した者たちの魂に安息を」
ホリーの締めの言葉に、バートたちもこの場にいる者たちも全ての者が唱和する。
加害者側の者たちも含めて弔うことに納得できている者ばかりではない。だが納得できていない者たちも、避難民たちも被害者であったことは理解せざるをえなかった。それでも避難民たちを許せないと思ってしまう者もいることは、それが人間という生き物だ。
祈りを終えたホリーはバートたちの所に下がる。そして領主代理が前に出る。領主代理の名はクラレンス・ウィルクスという。彼は帝国第二皇子フィリップの配下であるが、領地を没収された前領主に代わってこの街を統治している。
「皆さん。この街も多事多難でしたが、なんとか切り抜けられました。もちろん今後も多くの困難があることでしょう。ですが今は我々は生き残ったことを喜び、そして死者を悼みましょう」
領主代理は優秀ではあるが凡庸の域からはみ出るほどではない。だがフィリップ第二皇子に対する忠誠心は篤く、懸命にその職責をはたそうとしている。
領主代理にはこの大きな街の統治を委任されたことに喜びもあった。うまく統治できれば、自分がこの街の正式な領主に任命されるかもしれないという野心もあった。だが着任からそれほどたたない時期に街が包囲され、またアンデッドの大発生という事態に見舞われてしまった。それでもこの街の秩序を崩壊させなかったのは、帝国直属騎士団が治安維持をしていたこともあるとはいえ、十分に彼の功績と言ってよいのだろう。
「そして敵将を討ち取った静かなる聖者バート殿と、アンデッドたちを浄化してくれたホリーお嬢さん、そしてその仲間たちに惜しみない感謝をいたします」
領主代理は純粋に感謝している。これほどの事態は彼の手に余るものだったというのが正直な思いだ。彼自身あまりの事態にパニックになる寸前だった。
領主代理が下がり、バートが前に出る。
「我々が大きな働きをしたことは否定しない。だが我々のみでそれを成しえたかというと、それは否定する。騎士や兵や冒険者たちなど事態の沈静にあたった者たち、そして犠牲になった者たちに対して、適切な報酬と支援が与えられることを望む」
バートは善意や正義感からそう言ったわけではない。ただ事実を言っただけだ。犠牲者の遺族たちの生活を支援するようにと言ったのも、義務感からでしかない。
ホリーたちはそれを理解している。ホリーは感嘆すると同時に悲しい。バートにとってほとんどの人間は妖魔同然の醜悪な存在でしかないのだ。
ヘクターとシャルリーヌからすれば、バートもこういう言葉だけを言って人間不信丸出しの言葉は控えるようにすれば、人間嫌いの気難しい男という評判も広まらず、ただ名声のみが轟くであろうのにと思うのだが。それがバートという男であるとも理解しているが。
一方領主代理たちはバートの言葉に素直に感嘆している。功を自分たちで独占するのではなく、騎士団や冒険者たちの功も認め、そして犠牲になった者たちに対しても配慮していることに。彼らもバートが極度の人間嫌いだという噂は知っている。だが器の大きい男だと感嘆の表情を浮かべている。
「承知しました。騎士団の者たちも冒険者たちも民衆を守るために懸命に働いてくれました。民衆にも家族を失ったり村が妖魔たちに制圧されたりして、生活に困難を抱えることになった者たちもいます。できる限りのことはします」
領主代理としてもそれには異論はない。民を慈しむこと。それがフィリップ第二皇子からこの街の統治を委任された自分の義務だと心得ている。街の住民も騎士団の者も大勢犠牲になり、領地の復興や物資の手配も必要と、そのために必要な資金は膨大なものになる。その資金としては前領主から没収した財産を使うことになるし寄付も募っている。だがそれだけでは不足するなら、フィリップ第二皇子に財政支援を仰がなければならないのは、領主代理からすれば心苦しいことであった。これほどの事態に見舞われてしまったのだから、それも仕方ないことなのであるが。
「そして旧王国領北西地域においては、多数の街や村が妖魔共によって壊滅させられ、広大な範囲が人のいない領域になっていると聞く。フィリップ第二皇子殿下はその地域に残った妖魔共の討伐と、生き残った住民の救済をお命じになると考える。それは旅の冒険者でしかない私たちにはできず、あなたたちに任せるしかない」
これもバートからすればただ義務で言っているだけだ。彼は無数の人間が犠牲になったことに全く心を動かされてはいない。彼にとって犠牲者たちも妖魔共と大差ないとしか思えないのだ。だがホリーやヘクターたちが大勢の犠牲が出たことに心を痛めていることには彼も配慮している。
領主代理からすれば、あまり大きな声で言うことはできないが、無人となった街の探索も財源として考えている。妖魔共に壊滅させられた街には多くの財宝が残されているであろう。魔族たちも妖魔共も財宝には興味を示さずに放置するものだ。墓暴きをするようで気が引けるが、人がいなくなった街に財宝を残しておいても意味はなく、それらを回収して今を生きる者たちのために使うべきだと。
「承知しました。フィリップ殿下は無人地帯となった地域を放置などせず、必ずや残った妖魔共の討伐をお命じになることでしょう。隠れて生き残っている民もいるかもしれませんから、その保護も必要です。それは我ら騎士団の任務です」
「そして各地の復興は私たち文官の役目です。それは私たちにお任せください。冒険者たちにいろいろと依頼を出すこともあるでしょう」
「俺たちも俺たちにできることを精一杯するぜ」
エルマーも領主代理もブライアンたちも素直にバートの言葉を受け入れる。バートとヘクターは旧王国領の広い地域を旅していることは有名で、この地に長居するつもりはないであろうことは彼らもわかっている。
そしてなによりバートたちはホリーをフィリップ第二皇子の元に連れて行かなければならないのだ。領主代理はホリーが聖女であることを聞かされているし、ブライアンたちもホリーは聖女なのではないかと疑問を抱いたからバートが口止めをした。
そしてバートは下がり、ホリーに促す。ホリーはまた前に出る。
「皆さんには加害者となってしまった者たちに対する憎しみを捨てられない方もいると思います。それは私にも理解はできます。ですが、冥界に赴いた者たちをせめて弔ってあげてほしいです」
それはホリーの純粋な願いであった。彼女はあえて善神ソル・ゼルムの名を出さなかった。神の名で強制するのではなく、それぞれの人の良心に訴えたかった。
洗練されているとは言えない、だが真摯な思いがこもった言葉。その言葉に避難民たちに対する憎しみを捨てられない者たちの心も動いた。この少女はなんとまぶしいのか。それに対し死んだ者たちまで憎む自分はなんと卑小なのかと。
それはこの新米聖女が自分の言葉で幾人もの人々の心を善なる方向に動かした、初めてのことだったのかもしれない。
『我が聖女よ。いい言葉だったよ。その調子で人々に善なる心を広めてほしい』
ホリーの心に言葉が響いた。彼女を見守っている善神ソル・ゼルムも彼女の言葉を認めたのだ。
ホリー自身はどうすれば人々に善なる心を広められるのかはまだわからない。でも言葉で語りかけることも必要なのだろうとは理解した。自分はバートのように言葉はうまくない。でも自分なりの言葉で人々に語りかけたい。