00-1 プロローグ 01 かつての会話
(母親と幼い娘の会話)
ある農村のありふれた農家。まだ若い母親が幼い娘に語り聞かせているのは、この世界における神話。
「善神ソル・ゼルム様と善なる神々に導かれて、人間たちはエルフやドワーフたちとも仲良くして、それはそれは繁栄していたの。でもそれを妬んだ悪神アルスナムが、悪なる神々と魔族たちを率いて酷いことをしたの」
それは人類社会における共通した考え方だ。人類は善。魔族は悪だと。それに疑問を持つ人間はそうはいない。善なる神々の素朴な信者である彼女たちも、それに疑いなど抱いていない。
「妬むって、なーに? それに酷いことってー?」
「人間たちが羨ましい、その繁栄を自分のものにしたいって思ったの。それで大勢の人たちを殺したの」
「みんなで仲良くすればいいのに……」
「そうね。あなたも人を妬んでは駄目よ? みんなと仲良くしなさいね?」
「はーい!」
それは人間社会における一般的な道徳だ。それを実践できている人間がどれだけいるのかは別として。人間には悪い心もあるものなのだから。
だが人類側で語られているその神話は否定しようのない事実なのだろうか。魔族たちの側から見たら、また別の側面がある。
(神々の時代、ある神と神の会話)
神々の時代が終わる間際のある日、偉大なる神を別の偉大なる神が訪れた。その二柱の神には、悪心を持つ者がこの場にいたら逃げ出すことすらできずに死んでしまうのではないかと思えるほどの、神聖で圧倒的な力が満ちている。彼らは人間の男性の姿をしているが、男女を含めて如何様な姿にもなれるこの二柱の神にとって、その姿にはたいした意味はない。
「我が友よ。考え直してくれないか?」
「くどい。我が友よ。我はもう決めた」
「だが、人間たちを間引きするなんてあまりにも乱暴じゃないか」
「お前も知っているだろう。人間たちの暴虐を。知恵ある者たちは我慢を強いられ、言葉を発することができない生き物たちは搾取され滅びに晒されている。もはや猶予はない」
人間たちは繁栄を極めている。他の種族や全ての生命を踏みつけにして。それを容認できないと考える神々と種族もいるのだ。彼らの忍耐はもはや限界まで達している。
「人の本性は善だ。もちろん人間たちも。私たちが根気よく諭せば、人間たちも理解してくれるはずだ」
「人間にも善なる心を持つ者たちがいることは認める。だが人間の本性は悪だ。その人間たちの中にも時折善なる者が現れるに過ぎぬ。現に人間たちは自分たちを擁護しているエルフやドワーフたちまで抑圧しているではないか」
人間にも己らに否があると考え、調和をもってこの世界に生きようとする者も大勢いる。己らの欲望を最優先し、他者などどうでもいいと振る舞う人間も数多くいる。
だが人間たちは数が増えすぎ、その人間たちはより豊かな暮らしを求めて莫大な物資や資源を浪費している。その営みが他の種族や生物を圧迫しているのは事実だった。
今はまだ神々がその偉大なる力で悪影響を最小限にしている。だがそれにもいずれ限界が訪れると危惧している神々もいるのだ。
「我が友よ。何故理解してくれないんだ……人間たちも必ず自分たちの過ちを認めてくれる」
「お前こそ何故理解しない。お前は諭せば人間たちも理解すると言うが、今まで何度我ら神々が諭したか。一万か? 一億か? もっと多いであろう。人間たちが過ちを認めることは期待できぬ。全てが人間たちの欲望に飲み込まれ、人間たちを含む全てが滅ぶ前に、動かなければならぬ」
彼らは何度も対話してきた。そのたびにもの別れに終わった。
「確かに私の努力不足は認めないといけない。人間にも悪心を持つ者たちもいることも認めないといけない。だが、人間の大多数を殺し尽くすなど、神のすることじゃないじゃないか」
「だから我もこれまで我慢してきた。その結果人間たちは際限なく増長していった。このままでは人間たちの欲望は神々すらも飲み込み、自滅へと向かうであろう」
「我が友よ……だが人間たちを間引くなんてあんまりじゃないか……」
「くどい。我が友よ。我はもう決めた」
それが、互いを友と認める二柱の偉大なる神の、決定的な決裂であった。
神々が治める光に満ちた時代。それは神話の彼方にある。神々はあるものは滅び、あるものは遙か長き眠りについたとされている。繁栄を謳歌した神々の時代における人類の栄光の痕跡は既にほとんどが失われ、強力な魔法で守られた一部のものが各地に遺跡として残るのみ。
世界は人類と魔族たちが否定し合い、互いを滅ぼそうとすることを数千年も、あるいはそれ以上続けているとされている。