4.偉そうな侯爵令息
実は10年前に幼いルシオが起こした婚約破棄騒動だが、この後にまだ続きがあったのだ……。
そもそもこの婚約破棄の発端は、自身の家の貧困状態に不安を抱いたフィルマが、アベリアからの好意を確認したがっているルシオをそそのかして婚約破棄を促し、あわよくばアベリアとの婚約を解消したルシオの婚約者に自身が収まり、次期伯爵夫人になって家の貧困事情を改善させようと思い立った事が切っ掛けだった。
だが、まだ7歳のフィルマには、その事で周りの人間が酷く傷つくという部分にまでには配慮が出来なかった……。
その為、大好きなルシオから婚約破棄を突き付けられたアベリアが傷つき、その所為でアベリアに喜んで貰おうと全力で準備した誕生日の贈り物をルシオはつっ返されそうになって、こちらも酷く傷つく結果となる。
実際にそういう状況になってからではないと、フィルマは自身が促した婚約破棄という行動で、二人が傷ついてしまう事には頭が回らなかったのだ。
もし二人が婚約者同士でなくなっても、今度はアベリアの従姉である自分がルシオの婚約者になるのだから、フィルマとアベリアの立ち位置が変わっただけで、また三人で仲良く過ごせると思っていたからだ。
子供にありがちだが、目先の利益に囚われていた事と、フィルマがルシオに対して恋愛的にも友愛的にもあまり執着がなかったので、その辺りまで考えが及ばなかったのだろう。
しかし、実際に婚約破棄を実行した結果、二人の関係は酷く拗れてしまう。
その事を母から丁寧に諭され、やっと気付いたフィルマは小箱を押し付け合って泣きわめいているルシオとアベリアの元へ、母に手を引かれながら向かった。
「アベリア……。ごめんね……。私、アベリアがルシオ様と婚約破棄されて悲しむっていう事が、よく分かっていなかったの……。もし私がルシオ様の婚約者になっても、私とアベリアが従姉妹同士だから、また今まで通り三人で仲良く出来るって思っていたの。だって今まではアベリアがルシオ様の婚約者だったから、今度はそれが私に変わるだけで、三人で仲良くするのは変わらないって思っていて……。でも違うんだよね……。アベリアはルシオ様の婚約者でいたかったんだよね」
「う、うん……」
グスグスと言いながら、両手で一生懸命涙を拭うアベリアが何度も頷く。
そのアベリアのワンピースのスカート部分を何故かルシオが必死で握りしめていた。今度はそんなルシオにフィルマが、向き合う。
「ルシオ様もごめんなさい……。私、自分の事しか考えてなかった……。自分がルシオ様と結婚して伯爵夫人になれれば、お金がなくて大変な思いをしているお父様達が喜んでくれるって、それしか考えてなかったの……。でも違うんだよね? 婚約は大好きな人とした方がいいもの……」
するとルシオの方もアベリアのスカートを掴んだまま、涙をボロボロ零して何度も頷く。そのルシオの姿が必死でアベリアを繋ぎとめようとしているので、ますますフィルマの罪悪感を掻き立てた。
「二人共……本当にごめんねぇー……」
そう言ってついにフィルマもボロボロと泣き出してしまった。
すると、そんなフィルマにアベリアが抱き付く。
「フィルマは悪くない! 悪いのはルシオ様だもん! フィルマが婚約ハキの方法を教えたとしても、それを私にやったのはルシオ様だもん!」
そのアベリアの言葉を聞いたルシオが、再びボタボタと大粒の涙を零し始める。
「ご、ごめっ……ごめん!! ア、アベリア、ごめんねぇぇぇぇー!! も、もう絶対しない!! ぼ、僕……もう絶対にアベリアとの婚約やめたり、し、しないから……。だ、だから……だからもう許してぇぇぇー!!」
そう叫びながらアベリアに抱き付いてきたルシオに対して、アベリアはイヤイヤと首を振る。ちなみにルシオはこの後、アベリアから一カ月間口を利いて貰えず、毎日謝罪の為にアベリアの屋敷に足を運ぶ事になるのだが、それはまた別の話だ。
「ル、ルシオ様なんか、もう……もう嫌いだもん!!」
「やだやだやだぁぁぁー!! アベリア、そんな事言わないでぇぇぇー!! 僕の事、嫌いにならないでぇぇぇー!!」
再び拒絶するアベリアと縋りつくルシオの攻防が始まる。
いつもは対の耳飾りのように一緒にいる仲が良かった二人の関係が、現状酷く壊れかけている状況に重苦しい罪悪感がフィルマを蝕み始める。
「ご、ごめんなさい……。二人共、本当にごめんなさい!! わ、悪いのは私なの!! 私が一番悪い事したの!! だから……だからアベリア、もうルシオ様の事……ゆ、許してあげてぇ……」
そう言ってフィルマは、アベリアとルシオをまとめて抱きしめた。
「うわぁぁぁぁーん!! ルシオ様のバカぁぁぁぁぁー!!」
「アベリアぁぁぁー!! アベリアぁぁぁー!!」
「ごめんねぇぇぇー!! ふ、二人共 、本当にごめんねぇぇぇー!!」
王太子の為に開かれたお茶会で円陣を組むように三人が抱き合い、会場中に響き渡る声量で泣き出した。その様子に周りに集まっていた子供達は、唖然としていたが、すぐに和解に至った事を察すると、興味がなくなったようで再び自分達の遊びに夢中になり出す。
三人の母親達も和解に至った子供達を見て安堵した表情を浮かべたが、すぐに険しい表情になってお互いに頷き合った。
そして今回のお茶会を主催した王妃と王太子の方へと歩き出す。
自分の子供達が起こしてしまった騒動の件で謝罪しに向かったのだ。
その為、三人はそのまま、各家の侍女達に見守られながら放置された。
「ご、ごめんねぇ……。本当にごめんねぇー……」
何度も何度も謝るフィルマの背中をアベリアが優しく撫でる。
そのアベリアには、ひっつき虫のようにルシオが絡みついている。
ちょっとした出来心が招いてしまった婚約破棄騒動は、ここで三人の和解と言う形で終了……となるはずだったのだが、そうではなかった。
「おい。そこのハニートラップ令嬢!」
突然、三人に向かって、かなり上から目線の声が投げかけられたのだ。
令嬢と言うからには、それはフィルマかアベリアが該当する為、二人は涙でグショグショになった顔を声のした方へと向ける。
すると、そこには自分達よりも2~3歳程年上らしい少年が仁王立ちしており、三人の事を面白いものでも見るかのようにニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「「ハニートラップ……?」」
言葉の意味が分からなかったフィルマとアベリアは、同時にその言葉を呟く。
「お前だ、お前! そこのピンク頭!」
ピンク頭と言われ、やっとフィルマが自分の事を言われているという事に気付く。同時にアベリアも心配そうにフィルマの顔を覗き込んで来た。
何故なら声を掛けてきた少年は、サラサラの黒髪に透き通るような水色の瞳をしているが、眼光が鋭く、何故か偉そうだったからだ。
アベリアにしてみれば指名されたフィルマが意地悪な事をされるのではと、不安になってしまったのだ。
「私……?」
「そうだ、お前だ。お前、今いくつだ?」
「えっと、7歳です……」
相手が威圧的な態度だった事と身分が高そうな身なりだったので、フィルマは丁寧な言葉で答える。すると、その黒髪の少年はハンと鼻を鳴らした。
「7歳でハニトラか。大した女だな」
「ハ、ハニトラって何?」
「『ハニートラップ』の略だ。爵位が低い女が金目当てで金持ちの男に必要以上に縋ったり、優しくし過ぎたり、色仕掛けで誘惑したりして、のし上がろうとする行為の事だ。お前が今やった事がまさにそれだろ?」
「なっ……!!」
「違うのか? 伯爵家の長男の婚約者になって貧乏な家を何とかしたかったのだろう? その為にそこの令嬢の婚約者を奪い、その伯爵令息を優しく言いくるめて自分が婚約者に収まろうとしていたのだろう?」
「うっぐっ……!!」
そこまで自覚がない状態で犯してしまった過ちだったが、改めて自分がしようとしていた事を淡々とした言葉で言い当てられた事で、自分がどれだけ酷い事をアベリア達にしようとしていたか再認識してしまったフィルマの瞳にブワリと悔し涙が溜まり出す。
「泣くな。自業自得だろう? お前に泣く権利なんてないぞ?」
「ふっ……!! うぅ~……」
「や、やめて!! フィルマの事、苛めないで!!」
フィルマを庇うようにアベリアがバッと両手を広げて少年の前に立ちはだかる。
だが、自分よりも年上で眼光の鋭い少年だった為、アベリアは少し震えていた。
ちなみにルシオはアベリアに縋りつくのに必死になり過ぎているようで、全く役に立たない……。
そんな自分を庇う為に前に出たアベリアの行動は、再びフィルマに深い罪悪感を蘇らせた。あんなに酷い事をしようとした自分をアベリアは、この眼光鋭い偉そうな少年から必死に庇おうとしてくれているのだ。
それが嬉しくもあると同時に罪悪感から、情けない気持ちでいっぱいになる。
そんな果敢な様子のアベリアに対して、その少年は怪訝な表情を浮かべた。
「お前もお前で、何でその女を庇うんだ? コイツが一番の原因だろ?」
「悪いのは、婚約ハキをするって決めたルシオ様だもん!!」
「ア、アベリアぁ~……」
「まぁー、確かにそれもあるけれどな……」
断固としてルシオの責任を主張するアベリアの態度に引っ付いていたルシオが情けない声を出しながら、更にアベリアに縋りつく。
そんなルシオを無視し、引き続きアベリアはフィルマを庇うように少年の前に立ちはだかった。
「ところでピンク頭。お前、まだ金持ちの男と結婚したいと思っているか?」
「えっ?」
アベリアの後ろから、そっとその少年を覗き見ると、何故かその少年は意地の悪い笑みを深めた。身なりの良さと顔立ちが整っていなければ、以前市井で見かけた事がある悪童かと思う程のガラの悪さを感じさせる不躾な微笑み方だ。それでもあまり不快感を抱かないのは、この少年の整い気味な顔の作りの影響だろう。
そんな事をフィルマが思っていると、少年は更に言葉を続けた。
「お前の家、貧乏なんだろ?」
「そ、それは……」
「このままだとセルジュとかいう奴が継げなくなる程、家が傾いているんだよな?」
「…………」
見下すような視線をフィルマに注ぎながら、更に意地の悪そうな笑みを深めてきたその少年にフィルマをバカにされたと感じ取ったアベリアが先に反応して、少年に食って掛かろうと口を開きかけた。
しかし、少年はそれをバッと手をかざして阻止する。
「そんなお前にいい話をくれてやる。お前、俺の婚約者になれ!」
唐突に少年から放たれた言葉にフィルマの頭の中が真っ白になる。
それは少年に立ちはだかっていたアベリアも一緒で、あまりの提案にピンと張るように広げていた両手を力なく、下ろしてしまった。
「え……? こ、婚約者? な、何で私……?」
10秒程、思考が止まったフィルマがやっと我に返り、ゆっくりと震えながら口を開く。すると、その少年は説明するのが面倒だとでも言いたげな様子で、ガシガシと左手で頭を掻き出した。
「今日は王太子の側近と婚約者を選ぶ為、優秀な子供ばかりが集められた茶会と聞いて、俺も自分の側近と婚約者候補になる奴がいないか下見で参加した。だが、揃いも揃って箱入りな奴ばかりで、とんだ無駄足だった……。だが、お前は見込みがある! その年でハニトラ! 俺が妻に求めていたものは、利己的で合理主義を全う出来るしたたかな女だ!」
そう宣言されたが、フィルマもアベリアもこの少年が言っている事の半分も分からなかった……。
『箱入り』って何だろう。
『利己的』と『合理主義』って、どういう意味だろう。
でも『したたか』という言葉は、いい言葉ではない様な気がする……。
こんなにも難しい言葉を使うこの男の子は、一体いくつなのだろうか。
そもそもこの子は、どこの誰なのだろうか……。
そんな疑問がフィルマの中では、溢れかえる。
「あ、あの……あなたは一体……」
「俺は、スウェイバー侯爵家の長男リクニスだ」
「「こ、侯爵令息!?」」
予想外の爵位の高さにフィルマとアベリアが驚く。
ちなみにルシオは先程から、ずっとアベリアに縋りつくように彼女の背中に顔を埋めていた。
「ピンク頭。お前の名前は?」
「わ、私はペンタス子爵家長女のフィルマといいます!」
「ペンタス家? 聞いた事がないな。しかも子爵家か……。爵位的には婚約者にするにしてはギリギリだな」
「こ、婚約者!? あ、あの! 何で侯爵令息様が私のような貧乏子爵令嬢を婚約者にするんですか!?」
「先程伝えたはずだ。俺が求めている妻は、小賢しくて、したたかな女だと」
太々しい態度でそう言い放つリクニスだが、先程はそこまで酷い言い方はしてなかったと、フィルマはこっそり思った。
「我がスウェイバー家の領地は、この国の最北端にあり気候的にかなり厳しい環境で、しかも隣国との国境警備をメインで行っている家だ。王都からは馬車で二週間程も掛かる。隣国と常に睨み合いをし、王都に比べ平均気温は低く、娯楽も少ない。そんな場所にぬくぬくと育てられた箱入り令嬢が嫁いで来たらどうなると思う? すぐに音を上げるだろう。そもそも俺は、向上心や野心の無い女は好かない! 王都育ちに多い従順で夫に縋るだけの女は必要ない! それに比べ、お前は合格だ。夫にしようとした男の金で自身の家族の負担と減らそうと、僅か7歳で思い付いたのだから。まぁ、人の金を当てにして他力本願で解決しようとした部分は、あまり評価は出来ないが、自己満足ではなく家族の為として利己的に動こうとした部分はかなり高評価だ」
そう一気に捲し立てて語ったリクニスの言い分にまたしてもフィルマは、6割ほど内容が理解出来ずにポカンとした。
対してアベリアの方は、もうリクニスの言葉を理解する事を放棄した様で、先程から自分に引っ付いているルシオを必死に引っぺがそうと奮闘している。
「で、でも……私は従妹であるアベリアの婚約者を奪おうと……」
自分がやろうとしていた事が、とても酷い事だったとやっと理解出来たフィルマは、この侯爵令息の誘いが自分にとって、かなり都合が良すぎる内容にしか聞こえなかった。
いくら従妹のアベリアが許してくれているとは言え、自分はもっと罰を受けなければならない身だという思いが、フィルマの中にはある。
そんな葛藤を何故かリクニスは見透かしたようで、先程よりも更に意地の悪い笑みを深めながら、フィルマに揺さぶりをかける。
「知っているか? 隣国ではお前のようなハニートラップをやらかし、貴族同士の婚約を潰した挙句、罠に掛けようとした令息の家を没落させかけた女は、北の極寒の地にある厳しい規則の修道院に幽閉されるらしいぞ? お前が俺の婚約者になったら、これと似たような境遇で過ごす事になる。常に隣国からの脅威に晒される領地で、一年中気候は肌寒い環境下。華やかで盛大な夜会等は年に1~2回程度で娯楽や社交がほぼない。その状態で傘下となっている貴族達との連携も必要とされる為、彼らと親密な関係を維持していかなければならないのだから、将来的に侯爵夫人になるお前は、今後かなり厳しい教育を施され、自分の時間など一切得られぬ不自由な生活を強いられる。俺と挙式するまでは侯爵夫人になる為の教育三昧で、ほぼ屋敷に監禁状態だ」
リクニスの言い分にフィルマが大きく目を見開く。
その反応を楽しむようにリクニスが目を細めて、不敵な笑みを浮かべた。
「どうだ? 従妹から婚約者を奪おうとした女に下される罰としては、十分だと思わないか?」
ブクマ・評価、本当にありがとうございまーす。(*´▽`*)