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一人目

作者: 松本志保

凛と寿々穂が大学に入学して数日目に起こった事件のSSです。凛は人並み外れた美形なので(中身はちょっと残念ですが)こういうことがわりと日常的に起こります。

 一年生の前期が始まって、まだ数日経ったばかりのある朝、教室に入って席に座り、講義の用意をしていた。凜も同じようにテキストや筆箱を出している。海の底で育った割に、彼は至って普通にバインダーとルーズリーフを使う。シャーペンは嫌いで鉛筆を使っているけど。

 影がさしたので目を上げると、斜め前に女の子が立っていた。たぶんうちのクラスの子だと思うけど、まだ名前は覚えていない。切れ長の目で、全体に和風な感じの顔立ちだ。口紅の赤さが目立つ。髪は肩にかかるぐらいの長さに揃えている。紺に近い青のワンピースを着ていた。

 彼女に正面に立たれた凜は、不思議そうな顔をして、

「何か?」

と訊ねた。彼女は凜をまっすぐ見て、

「龍水くん、わたしと付き合ってください」

「は?」

 さしもの凜も面食らった顔をした。自分も毎日やっているくせに、自分が言われると困惑するらしい。それでも、すぐに気を取り直して、

「断る」

と一言答えた。あいにく彼女はそのくらいでは引き下がらない性格らしい。

「どうしてですか?わたしのことを何も知らないのに、そんなにあっさり断ってしまうんですか?」

「私はこの寿々が好きだ。他の女と付き合うつもりはない」

 凜は片手でわたしを指し示した。その女の子は鋭い目でわたしを見た。

「何者ですか、その子」

「幼馴染だ。8歳の時から知っている。おまえとは違う」

 彼女はわたしの前に立った。

「龍水くんをわたしに譲ってください」

 わたしは座ったままその子を見返した。

「譲る、なんて物じゃあるまいし、そういう言い方はないと思うな。それに、わたしは彼と付き合っているわけでもないただの幼馴染だから、譲る権利もないの」

 凜がどう思っているかはともかく、わたしは凜を幼馴染の友達としか思っていない。この女の子がどうしても凜と付き合いたいなら、それなりの努力をして彼に好かれるようにするべきだと思う。

 彼女はわたしを一睨みして、教室の後ろへ戻って行った。

『学校が始まってほんの数日で、口をきいたこともなかったのに「付き合ってくれ」とは、私には理解しかねる。私のどこが好きだというのだろう?』

 凜が思考を飛ばしてきた。

『たぶんだけど、顔が好きなんだよ。凜は、人間の基準で言えばすごく綺麗な顔だから』

『ではなぜおまえは私を好きにならないのだ?』

『わたしは、顔で相手を選ぶタイプじゃないからだよ』

 そこへ先生が入ってきたので、わたしたちはそっちに意識を向けた。まだ発音練習の段階なので、講義中ほかのことに気を取られている暇はないのだ。

 一限の専攻が終わり、わたしたちは次の講義へ移動した。わたしと凜は、体育以外の全ての講義をいっしょに選択している。彼はまだ人間社会について疎いので、うかつな行動や発言をした時にわたしがフォローに入れるようにだ。体育でポカをやらないことを祈るばかりだ。

 般教科目の大半は講義を聞くだけなので、凜も黙って聞いている。凜の言うところによれば、人間社会で教師をしていた人に教わったそうで、英語の講義にもちゃんとついていった。今のところ、他人の前でおかしなことを言ったことはない。わたしには、アパートでテレビを見ながら馬鹿な質問を連発しているけど。

 講義が終わり、食堂に向かっていると、今朝のあの女の子が正面から速足に歩いて来た。わたしは単なる偶然だと思って、そのまま歩いていた。と、凜が強い思念で、

『右へよけろ、寿々!』

 わたしは反射的に右へ動いた。ほとんど同時に、彼女が包丁のような刃物で、わたしがいるはずの空間に切りつけた。もし逃げていなければ、顔にまともに食らっていただろう。凜は素早く前に出て、彼女の右手をつかんだ。

「離して!離してよ!」

 彼女は必死に腕を振り切ろうとしたけれど、凜は背があるし馬鹿力なので、女の子の力で逃げられるはずがない。

「この女、どうしたものかな?寿々」

 凜が間抜けな質問をした。テレパシーで聞いてくれればよかったのに、と思いながら、

「警察呼ぶか、学校に突き出すかだと思うよ。切りつけられたとはいっても、わたしは怪我しなかったんだし、学生課がいいかな」

「学生課はどこにある?」

 このままでは、どんどん馬鹿な質問をされそうな気がしたので、

「ついてきて」

と言って先に立った。凜は女の子を引きずるようにしてついてきた。教務棟に入り、学生課の窓口に立った。窓口の人が、

「なにか用ですか?」

と訊ねた。凜がわたしより先に、

「私が連れているこの女が、包丁でそっちの娘を刺そうとしたのです。まだ手に包丁を持っているのが見えるでしょう」

 窓口の人はあわてて外へ出て来て、彼女の手から包丁をもぎ取った。彼女は心が折れてしまったのか無抵抗だった。窓口の中にいる別の職員が電話をかけているのが見えた。わたしが仏心を出したのに、結局警察案件になってしまうらしい。わたしと凜はごはんを食べに行きたかったので、わたしのスマホの番号を残して食堂に行った。

 食べ終わったところにスマホに着信があった。

『さっきの山村恵美子は警察に連行されました。警察がお二人の話を聞きたがっていますが、いつお身体が空きますか?』

「放課後に。学生課に行けばいいですか?」

『はい。よろしくお願いします』

 電話を切ると、凜がわたしを見ていた。正確には、わたしの手にしているスマホを。

『それはなんだ?』

 お馬鹿な発言を口に出されなくてよかった、と思いながら、

『電話だよ』

『電話ならうちにもあるが、それには線がついていないのではないか』

『これは電波で電話できるの』

『電波とは?』

 ああもう、そう細かく聞かれたってわたしにも答えられないのに、と思いながら立ち上がり、窓口に食器を返しに行った。凜もそれ以上は聞かずについて来た。

 放課後、学生課に行く前に、凜にできるだけ黙っているように命じて出頭した。中に入れられて、ソファに座ったところで警察の人が来て向かい側に座り、なぜあの女の子がわたしを刺そうとしたのかを訊ねた。わたしは先に、彼女が凜に交際を申し込み、凜がわたしを好きだと断ったせいだと思う、と話した。警察の人は凜に、

「そうだったのですか?」

「その通りです」

 凜はわたしの注文通り言葉少なに答えた。

「しかし、それだけで刃傷沙汰というのはちょっとおかしいですね。まだ入学されて間もないのではないですか?」

「そうです。わたしたちは幼馴染なのでお互いによく知っていますけど、あの人とは口をきいたかどうかもわからないです」

「顔も知らなかったです」

 凜が付け加えた。

 結局、わたしたちが答えられることはもうなかったので解放された。

 買い物してアパートに帰ると、凜が、

「人間の世の中というものは物騒だな。ろくに知らない相手に刃物を向けるとは」

「どこでも誰でもそうだというわけじゃないよ。わたしだって、刃物を向けられたのは生まれて初めてだし、毎日こんな事件があるわけじゃないよ」

「私といっしょに海底で暮らさないか、寿々。そこならこんな危険なことはない」

 結局今日もプロポーズするらしい。凜のせいでこんな騒ぎになったのに、だ。公平に言えば、凜は人間の基準でもまれに見る美形だと思うけど、なにしろ8歳からの知り合いだから恋愛感情を持てと言われても難しい。


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