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6.風変わりな命令

 デジレが下した突然の命令に、私は目を丸くして立ちすくんだ。今、彼は何と言っていただろうか。混乱しながら、彼の言葉を思い出す。


 どうやら私は、彼の側使えとして彼の身の回りの世話をすることになるらしい。今まで執事長のジョゼフと家政婦長のマーサが二人でこなしていた仕事に、私も加わることになるのだろう。そこまでは理解できる。


 ただ、その後に続く一言が謎だった。私が彼に恋をしないことが条件だと、どうして彼はわざわざそんな条件を付けくわえたのだろうか。


 屋敷の使用人が主に懸想しないことなど、基本中の基本だろう。うっかりそんな気持ちを持ってしまったとしても、自分の胸の内に押し殺しておくのが使用人としての義務だ。


 ……まあ、この屋敷の召使たちはその義務を思いっきり破ってはいるようだったが。


「どうした、私の命令が聞けないというのか」


 一見厳しい言葉をかけているように見せかけながら、デジレの目ははっきりと笑っていた。どうやら彼は、私が魅了されなかったことに安堵していると同時に、そのことを面白がっているようでもあった。


「いえ、承知いたしました」


 どうにか気を取り直してそう返答すると、彼は満足そうにうなずき背後に広がる中庭を見渡した。


「そうだ、すっかり忘れていたがお前は落とし物を探しにきたのだったな。ここで会ったのも何かの縁だ、私も一緒に探してやろう」


「さすがにデジレ様の手を煩わせるのは……私一人で探しますので、どうかお構いなく」


「遠慮するな、ほかならぬお前の主が手伝ってやると言っているのだ。それに、他人からの厚意は素直に受け取るものだぞ」


 そう言いながら彼は気楽に私と目線を合わせ、こちらの様子を楽しげにうかがっている。先ほど、彼はその飛びぬけた美貌に似合わず表情が豊かだと思ったが、どうやらそれだけではなかったようだ。彼は思ったよりもかなり気さくで、そして茶目っ気があるように思える。


 仕方なく落とし物について説明しながら、私は彼に気づかれないようにこっそりとため息をついた。どうやら、平穏な暮らしはまた遠ざかってしまったらしい。






 次の日から、私の生活はみたび大きく変わった。今まで召使のための別棟で寝起きしていた私は、デジレの私室のすぐ近くにある個室へ移ることになったのだ。


 そこは召使たちのほとんどが出入りを禁止されている区域だったということもあって、私は他の召使から妬みのこもった視線を投げかけられるようになってしまった。まるで、視線そのものが熱を帯びているように私には感じられた。


 デジレに魅了された彼女たちは、彼の傍に近づくことを何よりも熱望している。そんな彼女たちをさし置いて新参者の私が主の世話という大役を申しつけられてしまったのだから、こんな視線をぶつけられるのも仕方のないことだろう。


 そう納得していても、ため息がもれるのを止めることはできなかった。レナータの嫌がらせから逃れてここにきたというのに、ここでまた他人の妬みを受けることになるとは思いもしなかった。


 仕事の内容もすっかり変わってしまった。前は屋敷の掃除や食事の支度の手伝いを他の召使たちと共にこなしていたのに、今ではデジレの近くに控え、彼が命じる仕事を片付けていくのが常になっていた。


 掃除や物を運ぶといった雑用だけなら今までと何ら変わりはしなかったのだが、このお茶目な主人は、面白がっているのか次々と奇怪な用事を次々と言いつけるようになっていた。彼は明らかに、楽しんでやっている。


 その一つが、彼と食事を共にするというものだった。今まで彼は私室に食事を運ばせて一人で食事を摂っていたのだが、何故かそこに私も同席することになってしまったのだ。


「話し相手がいた方が、食事も楽しくなるというものだろう」


「それは否定しませんが、どうして私なんですか」


「前はジョゼフにも付き合わせていたのだが、彼は多忙だからな。その点お前なら、仕事の一環として命じてしまえば良いだけの話だ。何せお前は私の側仕えなのだからな」


 二人分の食事を運んで机に並べる私に、デジレはどこか得意そうな顔で堂々とそう言った。間違ってはいないのだが、何か腑に落ちないものを感じる。




 そうして私たちは食事を摂りながら、いつものように他愛のない話に花を咲かせていた。そんな中、ふと思いついたことを口にする。


「そう言えば、デジレ様は最初私を警戒しておられるように見えたのですが、気のせいだったのでしょうか」


 そんなぶしつけな質問にも、デジレは気さくに答えてくれた。彼は少々変わったところがあるが、基本的には人が良い。


「前にも言ったように、私はどういう訳かやたらと女性を魅了してしまうのだ。だから、初対面の女性相手にはどうしても警戒してしまう。こちらを一目見るなり迫ってくることも、一度や二度ではなかったからな。正直、迷惑している」


 それも仕方のない話だと思う。こんなに魅力的な男性を目にしたら、大概の女性は正気ではいられないだろう。今自分が冷静にこんなことを考えていられるのが不自然に思えるほど、彼には人を魅了する何かがある。


「そのせいで、この屋敷では女手がいつも不足していたのだ。雇った端から私にのぼせ上がってしまって、私に近づかないように雑務に回すか解雇する羽目になってしまうからな。……お前がいてくれて、良かった」


 デジレが不意に、切ないほど優しく微笑みかけてくる。そのとろけるような甘さに鼓動が一つ大きく跳ねた。それをごまかすように、何回か強くまばたきをして深く息を吐く。


 彼はそんな私を意味ありげな目つきで見ると、一転して愉快そうな顔になった。


「何だ、もしかして恋にでも落ちたか?」


「落ちていません。約束ですから」


 どうやら彼は、わざと今の言葉を口にしたらしい。お前がいてくれて良かった、と。それも必要以上に甘やかに。


 恋に落ちるな、と言っておきながらこんなことをするとは、いたずらにしてもたちが悪い。どういう訳か彼の魅力に対して耐性があるらしい私ですら、一瞬揺らぎかけた。危なかったかもしれない。




 こんな風に忙しく過ごしながらも、私は今のこの暮らしも悪くないかもしれないと思うようになっていた。相変わらず他の召使からは恐ろしい視線を投げかけられてはいるし、レナータやローレンス兄様のことも気にかかる。けれど、こうやってデジレとゆったり話している時間は、私にとってとても大切なものになっていた。


 こんなことを打ち明けでもしたら、きっと彼はまた恋にでも落ちたのかとからかってくるだろう。だから、この思いは胸の奥に沈めておく。そう、これは決して恋などではないのだから。

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