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36.(まるで父母のように)

本編第8話頃のお話です。

 ドゥーガル公爵家に長年仕える執事長ジョゼフ。彼は近頃、笑顔を浮かべていることが多くなっていた。




 彼が子供の頃から世話をし、今ではこの家の当主となったデジレ。彼にとっては息子同然の彼は、どういう訳か昔からやたらと困難に直面し続けていた。


 成長するにつれて輝くような美少年となっていった彼は、不思議なくらい女性を惹きつけるようになっていた。その女性たちの熱烈な求愛に恐れをなしたデジレは、屋敷の上の階からほとんど出てこなくなってしまったのだ。


 彼や家政婦長マーサの働きにより、デジレはどうにか不自由ない生活を送ることができていた。


 けれどこれでは、彼が妻をめとることなど到底無理な話だ。若い女性はみんな、彼を一目見るなり理性を放り投げてしまう。そしてデジレは、そういった女性を見ると嫌悪の色も露わに、その場から逃げ出してしまうのだ。そんなことが、幾度となく繰り返されてきた。


 どうしたものかと、マーサやジョゼフは幾度となくため息をついていた。公爵家の跡取りについては、養子を取ればいい。けれど二人は、デジレにも知って欲しかったのだ。誰かを愛し、愛することの喜びを。


 そんなある日、新しい召使がやってきた。彼女は男爵家の令嬢であり、しかもなんと聖女の姉だった。けれど彼女、フローリアは、それを鼻にかけることなく、他の使用人たちと同列に扱われることを嫌がりもしなかった。


 彼女は、骨身を惜しまずによく働いた。無駄口を叩くこともなく、家事に慣れているのか手際も良い。年頃の少女にしては冷静に過ぎるところが少々無愛想に映らなくもないが、それでも彼女はとても良い召使だった。


 そしてジョゼフたちは、大いに驚くことになった。ひょんなことからフローリアがデジレと出くわしてしまっただけではなく、なんとデジレは彼女を側仕えに任じてしまったのだ。


 驚いた二人は、デジレに直接尋ねてみた。いったいどういった風の吹き回しなのですか、と。


 デジレは笑って、こう答えた。彼女は私と出くわしても、理性を手放さなかったのだ、と。彼女は少々呆けてはいたし、私に見とれてはいたが、それでもまともに言葉を交わすことができたのだ。彼はそう言いながら、それは嬉しそうに微笑んでいたのだ。


 そうしてフローリアは、デジレの近くに仕えるようになった。この新しい出会いが、デジレを変えてくれればいいと、ジョゼフやマーサはこっそりとそんなことを願っていた。




 そんなことを思い返しながら、ジョゼフは屋敷の廊下を歩いていた。その口元には、品の良い笑みが浮かんでいる。


 先ほど、彼はデジレの部屋を訪ねていた。正確には、訪ねようとした。


 デジレは公爵家の当主として、様々な執務に追われている。といっても彼はほとんど屋敷から出てこない、というより出られないので、領地の視察や外交といった執務は他の者に代理を頼むしかなかった。だからデジレはその分も、書類仕事に精を出していたのだ。


 処理済みの書類がある程度たまった頃合いを見計らって、ジョゼフがそれを回収し、しかるべき場所に運んでいく。それがいつもの手順となっていた。


 だから先ほども彼は静かにデジレの私室に近づき、扉を叩こうとした。ちょうどその時、彼の耳に小さな声が飛び込んできた。部屋の主であるデジレと、その側仕えであるフローリアの会話が。


「フローリア、少し書類仕事を手伝ってくれ」


「私は側仕えに過ぎませんし、領地の統治に関する書類を見るのは良いことではないと思うのですが……」


「構わん、黙っていればいいだけの話だろう。仕事をさぼっていたことがジョゼフにばれる前に、何とかしなくてはならないのだ。頼む」


 すがるように頼み込むデジレに、フローリアが苦笑しながら承諾する。すぐに、デジレの安堵したような笑い声が響いてきた。


 それを聞いたジョゼフは、足音を忍ばせてその場を離れた。知らず知らずのうちに、大きな笑みを浮かべながら。


 デジレは子供の頃から、かなりの人見知りだった。知らない相手、親しくない相手の前では格好をつけて堂々と振る舞っているが、一方で親しい相手にはためらいなく甘える傾向があった。


 そして今、彼は間違いなくフローリアに甘えていた。彼が彼女を傍に置いたのは、おそらく興味からくるものだったのだろう。しかし今の彼にとって、彼女は気兼ねなく甘えられる存在になっていたのだ。


 デジレがあんな風に甘えたところを見せる相手は、今ではジョゼフとマーサくらいのものだった。そんな彼が、若い女性であるフローリア相手に、あんなにも気を許している。


 こみあげてくる感慨深さと温かな気持ちに、ジョゼフはふと涙ぐむ。


「いけませんね、年を取ると涙もろくなってしまって」


 ジョゼフはそんなことをつぶやきながら、立ち止まり目頭を押さえた。


「あら、こんなところでどうしたの?」


 ちょうどそこに通りがかったマーサが、目を丸くしながら彼を見つめていた。ジョゼフは苦笑すると、先ほど聞いたことを彼女に語って聞かせた。デジレ様には内密に願います、そう付け加えて。


 彼の話を聞いたマーサは、ふっくらとした頬を紅潮させて手を打ち合わせた。


「まあ、そんなことがあったの……」


 そしてマーサも、ジョゼフと同じように目を赤くしている。彼女たちの主が若い女性と仲良くなった、たったそれだけのことが二人にとっては驚くべき大事件だったのだ。


「はい。あの時のデジレ様の、たいへん嬉しそうな声といったら……」


 そう話しながら、ジョゼフもまた涙ぐんでいる。


 二人は共に、デジレの変化を喜んでいた。そうして同時に、もう少し先を望んでしまっていた。彼らがずっと望みながらあきらめていたことを、フローリアが叶えてくれるのでは、そんな風に思わずにはいられなかったのだ。


「フローリアさんには、感謝しなくてはなりませんね……」


「ええ、ええ、本当に」


 言葉少なに、二人はただ笑顔を見かわしていた。そのままぽつぽつと思い出話をしながら、二人は温かな思いに浸っていた。


 どれくらいそうしていたのか、鈴を転がすような澄んだ声がためらいがちに割り込んできた。


「こんなところで、どうされたのでしょうか」


 二人が同時にそちらを見ると、しっかりと書類の束を抱え込んだフローリアが立っていた。彼女が手伝ったからなのか、デジレの仕事は思いのほか早く終わったらしい。それなのにジョゼフが書類を取りにこなかったから、彼女がこうやって運ぶことにしたのだろう。


「おお、いけません。お手数をおかけしました」


 小さく首を振って、ジョゼフが書類を受け取る。その間も、ジョゼフとマーサはフローリアを見ながら微笑んでいた。いつもよりもずっと優しく、ずっと嬉しそうに。


 二人がどうしてそんな表情をしているのか、フローリアには分からなかった。けれど彼女は礼儀正しく、口をつぐんでいる。


 そんな彼女に、二人はてんでに声をかけてくる。いつも穏やかな二人にしては珍しく、やけに熱のこもった物言いだった。


「フローリアさん、どうかこれからもデジレ様をよろしくお願いいたします」


「デジレ様はちょっと変わったところのある方だけれど、根は素直な良い方なのよ。あなたのことを、とても気に入っておられるし」


 フローリアは目を丸くしながら、二人の話に耳を傾けている。彼らの表情に、フローリアは両親のことを思い出さずにはいられなかった。王都に残してきた、とても大切な二人の面影がよみがえり、彼女はそっと胸を押さえる。


 そして、彼女はぼんやりと考えた。きっと、この二人にとってデジレは、息子同然に大切なものなのだろう、と。その温かな思いにほだされるように、彼女も穏やかに微笑んだ。


 この時の彼女は、想像すらしていなかった。そのデジレが、やがて彼女にとって何よりも大切な存在となるのだということを。

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