31.裁きの時
それは一瞬のことで、私には何が起こったか理解できなかった。会議室の毛足の長いじゅうたんの上に、エドワードがあおむけに倒れている。その胸元の服が、わずかに裂けていた。
彼の上には、レナータがのしかかるようにして一緒に倒れこんでいた。その手には、小さな刃が仕込まれたペンダントが握られていた。小指ほどの長さの刃の先の方が、わずかに赤く染まっている。
「ああ、それはセレナの形見のペンダントか……それで殺されるなら、本望だ。さあレナータ、一思いにやってくれ」
エドワードはうつろな、しかし幸せそうな顔で笑いながら、まるで酒に酔っているかのような口調でそう懇願し続けていた。
どうやら、レナータはペンダントに隠された刃でエドワードに切りかかったらしい。しかしその刃はあまりに小さく、かすり傷しかつけることができなかったようだった。
私たちは一斉に二人に駆け寄り、なおもつかみかかろうとするレナータをエドワードから引きはがした。騒ぎを聞きつけて、扉の外に控えていた兵士がぞくぞくと入ってくる。
陛下の命令で、兵士たちはまだへらへらと笑っているエドワードを拘束し、どこかへ連れていった。
私たちはみなでレナータを押さえ、その手から剣呑なペンダントを取り上げる。レナータはがっくりとうなだれたまま、床の上に力なく座り込んでいた。その口からは、何かうわごとのような言葉がもれ続けていた。
レナータのただならぬ様子にただうろたえるだけの私たちを見やると、陛下は眉間にしわを寄せながら大きくため息をついた。
「他家の側室に対する不貞、聖女に対する誘拐と殺害教唆、離宮への放火教唆……このようなところか。法に照らせば、エドワードは一生監獄から出られんだろうな」
その言葉に、私たちは何とも言えない表情になりながら目を見合わせた。ともかくも、全ての原因となったエドワードの罪は見逃されることなく裁かれるだろう。
しかし直接手を下していない彼がそれほどの重罪となるのなら、レナータはどうなってしまうのだろうか。幼い頃からずっとエドワードにそそのかされていたという事情を、陛下はどうくみ取るのだろうか。
その場に緊張が満ちる。と、思いもかけない人物が口を開いた。陛下のすぐ横に座ったままのマルク様が立ち上がり、わずかに視線を落としたまま朗々と言い放ったのだ。
「父上、俺も罪を犯しました。レナータにそそのかされ、聖女の誘拐に手を貸しました。どうかこの場で、俺の罪も裁いてはいただけないでしょうか」
「マルク……どうして、今まで黙っていたんだ……」
ミハイル様が呆然としながらマルク様を見つめ、独り言のようにつぶやく。きつく唇をかみしめたその顔は、何かを悔いているようにも、自分を責めているようにも見えた。
陛下はそんなミハイル様をちらりと見ると、マルク様とレナータ、そして私たちを順に見渡した。うなだれたままのレナータ以外の全員が、居住まいを正し陛下の言葉を待つ。
しばしの間をおいて、陛下はゆっくりと、まるで言い聞かせるかのように口を開いた。
「レナータ。一度は聖女に選ばれながら、妄念に取りつかれ実の姉を亡き者にしようとした。その罪は重い」
全員の視線がレナータに集中する。しかし彼女は床に坐して顔を伏せたままだった。
「しかしお前のその妄念は、あのエドワードがお前に植え付け、育てたものだ。その事情は考慮すべきだろう。よって、お前を辺境へ追放する。二度と王都の地を踏むことはまかりならん」
私の口から、思わず安堵のため息がもれた。死罪だけは免れた。辺境は人がいない、不毛の地だ。そこで生き抜く日々はとても過酷な、想像もつかないくらいに苦しいものとなるだろう。
けれどそれでも、彼女には生きる機会が与えられた。生きて償い、自分を見つめ直す時間が与えられた。髪の毛一筋ほどの希望が残された。
その事実に緊張がゆるみ、思わず倒れこみそうになる。その肩を、デジレがしっかりと支えてくれた。すぐ横では、両親とローレンス兄様も手を取り合って静かに喜びあっている。
そんな私たちを見て、陛下がわずかに笑ったように見えた。しかし陛下は一層顔を引き締めると、さらに厳しい声で言葉を続けた。
「マルク、お前は王子の身でありながら、レナータの言葉に乗り、愚かな行いに手を染めた。お前にも相応の罰を与えねばならん。覚悟はできているか」
「はい、父上」
「……そうか」
既に覚悟は決めたと言外に主張しているようなマルク様の姿に、陛下はため息のような吐息を漏らすとゆっくりと言葉を紡いだ。
「マルク、お前の王位継承権をはく奪する。これからは辺境を治める公爵として、かの地の開拓にその身を捧げよ。……レナータと共に」
陛下のその言葉に、マルク様は弾かれたように深々と頭を下げる。公爵とは名ばかりの、そこらの平民よりもずっと苦しい日々が待ち受けているというのに、彼は少しも辛そうな顔はしていなかった。
「父上、ありがとうございます」
陛下は悲しそうに微笑むと、ミハイル様を連れて会議室を出ていった。マルク様もレナータをちらりと見て、その後に続く。
どうやら彼らは、私たちを気遣ってくれているようだった。レナータの罪が確定した以上、私たちが気軽に彼女に会うことは難しくなってしまう。これがゆっくりと言葉を交わす、最後の機会になるかもしれなかった。
そうして後には、私たち親子とデジレだけが残された。
私たちは困惑の表情を浮かべたまま、黙ってレナータを取り巻いていた。彼女は全てを知った今でも、私たちに対してはっきりと敵意をむき出しにしたままでいたのだ。
「レナータ、あなたも聞いたでしょう。私たちは、あなたの敵じゃないのよ」
見るに見かねてそう声をかけると、彼女はまっすぐに私をにらみつけた。
「追放されるに至ってもなお、その憎しみを手放さないのか」
私のすぐ横にたたずむデジレが、険しい顔をして静かに言う。レナータは鋭い目をしたまま、今度は彼に目をやる。いつかの舞踏会の時のような甘い表情は、もうどこにもなかった。
「うるさいわね、この憎しみは間違いなく私のものよ。もう誰も信じられない、信じたくない。だから私は自分だけを信じるの。自分の中にある、この憎しみと怒りだけを」
「……そんな生き方は、悲しいだけよ」
デジレと出会って、誰かと支えあうことがどれほど幸せか私は知った。だからこそ、レナータが一人きりで生きようとしていることが悲しく思えた。
それ以上何も言えずに口ごもった私に続くようにして、ローレンス兄様が静かに、そして優しく言った。
「過去の過ちや行き違いは水に流して、これからもういちど家族としてやり直していけないかな、レナータ」
しかし彼女は鼻で笑うと、すっくと立ちあがりあごを上げてこちらを見下すようにねめつけてきた。
ほんの一瞬の間の後、彼女はふてぶてしく言い放つ。
「やっぱり、あなたたちなんか大嫌いよ」
レナータの顔には、奇妙な晴れ晴れしさのようなものが浮かんでいた。兵士たちに連れられて会議室を出ていく彼女は、一度もこちらを振り返ることはなかった。




