23.真の聖女
レナータは聖女としての儀式を執り行うことができなかった。祭壇の石は、彼女が触れても反応しなかった。
そして聖女の儀式を完遂したのは私だった。私が触れることで、石は神々しく光り輝いたのだ。
聖女は、レナータではなく私だったのだ。
その場の全員が、想像もしなかった展開に立ちすくむ。私が聖女だというのなら、あの神託は間違っていたのだろうか。「次の聖女は、アンシアの末娘である」と告げていたあの言葉は。
私は呆然としながら周囲を見渡す。すぐ近くに立っているデジレは思いのほか落ち着いているようで、私が不安げな目を向けると安心させるように小さく微笑み返してくれた。
少し離れたところにいる兄様はわずかに険しい顔をしながら、微動だにせず立っていた。その姿は、何か考えを巡らせているようにも見える。
しかし両親は恐ろしいほど青ざめ、互いに手を取り合ったまま震えている。そうしていなければ、今にも倒れてしまいそうだった。神託が間違っていた、そのことが二人にそれだけの衝撃をもたらしたのだろう。
神官たちの狼狽はさらにひどかった。この世の終わりのような顔をしながら、神託について騒ぎ立てている。それは互いに相談しているというよりも、それぞれが独り言を言っているだけのようだった。
陛下たち王族はそんな彼らを静かに見守っていた。彼らが何を考えているのかは、私にはうかがいしれなかった。
そして、レナータは。
魂が抜け落ちたような空っぽの顔をして、口の中で小さく何事かつぶやいている。その顔からは先ほどまでの怒りも傲慢さも全て消え失せ、ただの虚無だけが広がっていた。「私が、聖女なのに」という言葉だけが、かすかに聞き取れた。
「皆、静かに」
陛下の声が聖堂に響く。聞くもの皆を落ち着かせるような、そんな声だった。全員がそちらを注目したのを見届けると、陛下は神官たちにゆっくりと尋ねた。
「新たな封印は成ったのだろうか?」
「はい、確かに。……ただ、聖女が……フローリア様ということに」
神官の一人がうわごとのようにそう答えると、陛下はさらに落ち着いた声で、皆に言い聞かせるように言葉を続けた。
「それは私も確かに見届けた。フローリア・アンシア、おそらくそなたこそが聖女だったのだろう。神託について改めて調べてみる必要があるな。皆、ここで起こったことは口外してはならんぞ」
その言葉に、全員が同時にうなずく。何がどうなっているのか分からない現状では、できるだけ情報が漏れないようにしておくのが賢明だろう。
「では、全員一度下がるがよい。追って、今後のことを伝える」
そうして私はデジレと二人、また離宮に戻ってきていた。いつも二人で過ごしている彼の部屋にたどり着くまで、お互いずっと無言のままだった。
部屋の扉を閉めて完全に二人きりになると、デジレが感慨深げにぽつりとつぶやいた。
「……君が聖女、か。驚いたが……あのレナータよりも、君の方が聖女にふさわしいと思う」
「そうでしょうか。まだ実感が湧きません」
唇をかみながら小声でそう答える。つい先ほど聖堂で起こったことが、未だに現実のことだとはとても思えなかったのだ。聖女はレナータではなく、私だった。私たちの立場は、あのわずかな間に逆転してしまった。
複雑な心中を隠し切れずにうつむいていると、デジレがそっと抱きしめてくれた。いつも以上に優しい声で、ことさらに明るく話しかけてくる。
「なに、聖女の儀式は無事に終わったのだ。これから君が正式に聖女と認定されたところで、もう君が聖女としてなすべきことは何もない。気楽に構えていていいのだ」
「それはそうですが……私は、神託が気になっているんです。アンシアの末娘が聖女だと神託は告げていたのに、私が聖女だなんて」
「それは私たちが考えることではないだろう。いずれ神官たちが調査して、結論を出す筈だ」
まだ暗い声でつぶやく私に、デジレはいたましそうな目を向けた後、今度はしっかりと私を抱きしめた。彼の胸元に、私がすっぽりと収まってしまうように。
「陛下からのお達しがあるまでは、君は王都を離れない方がいいだろう。今まで通り、私とここでゆっくりしていればいい。そうだ、庭に出ようか。花を眺めながらお茶にするのもいいな」
気分がすぐれない私を元気づけようと、デジレはあれこれと提案してくる。その気づかいが嬉しくて、私はそのまま彼の胸元に顔をうずめた。
「大丈夫です。少しだけ、こうさせてください」
「ああ。君が落ち着くまで、いくらでも抱きしめていよう」
そうして私たちは寄り添ったまま、じっとたたずんでいた。その間ずっと、彼の甘い香りが私を優しく包んでいてくれた。
その日の夜、自室で一人きりになった私は、寝台に寝転がったまま考え続けていた。
私自身については何も心配していない。私が聖女として認められようが認められなかろうが、私は今まで通りデジレの傍にいるだけだ。
けれど、レナータはどうなってしまうのだろうか。彼女は聖女としての務めを果たせなかった。今の彼女にとって、自分が聖女であるということが彼女自身の唯一のよりどころのように見えた。その立場がなくなってしまうかもしれない。彼女はそれに、耐えられるのだろうか。
一瞬、そうなれば彼女は昔の彼女に戻ってくれるかもしれないという考えが頭をよぎった。聖女に選ばれてから、レナータはすっかりおかしくなってしまった。ならば聖女でなくなれば、もしかして。
そんな淡い期待を抱きながらも、同時にそれが儚い夢でしかないということを心のどこかで悟ってしまっていた。
きっと私たちとレナータとの関係はこれからも変わっていくのだろう。けれど、元に戻ることはもうない。私は大きくため息をつくと、ゆっくりと目を閉じた。




