21.可愛い嫉妬
「デジレ様、城下町に行きませんか」
二人で離宮に引きこもり続けていたある日、私は意を決してデジレにそう言った。予想通り、彼は形のいい眉をひそめて疑問を口にする。
「フローリア、どうしてそんなことを言い出すんだ。私を人の多いところに連れて行こうなどと」
「あなたにお礼がしたいと、そう思ったんです。舞踏会の時にあなたは私のためにあれこれと手筈を整えてくれましたし、当日はエスコートまでしてくれました。それがとても嬉しかったんです」
「それは全て私が好きでしたことだし、私は君が共にいてくれればそれ以上何も望まない。礼など考えなくとも良いのだ」
デジレの口元に小さな笑みが浮かんだが、それでも眉間のしわは消えていない。その疑問に答えるように、私はさらに説明を続けた。
「実は、もうすぐ城下町で祭りがあるんです。その祭りでは、みな仮面で顔を隠すならわしになっていて……それなら、デジレ様が参加しても大丈夫だと思うんです」
彼に仕えるようになって、すぐ近くで彼を見てきて分かったことがある。彼は女性を異様に惹きつける見た目のせいで人を避けがちだが、その実寂しがりで、人間好きだ。本来の彼はかなり社交的な性格なのだろうと思う。
だから、きっと祭りは彼にとって興味深いものになる筈だ。そう確信した私は、さらに食い下がることにした。
「私は毎年参加しているんですが、互いに顔と正体を隠して街を歩くのはとても楽しいんですよ。あの楽しみをあなたにも知ってもらいたいと、そう思ったんです。それに……」
ここまで口にしたところで思わず言いよどむ。頬が熱くなるのを感じながら、小声で付け加えた。
「……他の恋人たちみたいに、あなたと一緒にお祭りを歩いてみたくて……」
恥ずかしさに耐えながら目をそらすと、デジレが動く気配がした。目を上げた時、そこには嬉しそうな笑みをたたえた彼の顔が迫っていた。吐息がかかるほど近くで、彼はしっとりとした声で語りかけてくる。
「君は案外、可愛らしいところがあるのだな。なるほど、恋人の望みとあらば叶えない訳にはいくまい」
彼はそのまま私の頬に口づけすると、優しく微笑みながら言葉を続けた。
「私はその祭りのことを何も知らないのでな。事前の準備や当日の案内は、君に任せてもいいだろうか」
「はい、もちろんです」
早鐘のように高鳴る胸をそっと押さえながら、私はそれでも力強くうなずいた。
そして祭りの当日、私たちは普段とまるで違う姿で城下町を歩いていた。この祭りでは仮面で顔を隠し、思い思いに変装するのだ。
兄様の協力を得て二人分の衣装を用意した。城下町でも浮かないように選ばれたそれは、普段デジレがまとっている服とは比べ物にならないほど質が低く簡素なものだったが、それでも彼にはよく似合っていた。というより、彼には何を着せても様になるのだ。これは決して、恋人としてのひいき目ではないと思う。
私たちは二人とも長いローブをまとい、揃いの仮面で口元以外をきっちりと隠している。この祭りの仮装の中でも定番のものだ。少しでもデジレが目立たずに済むように、できるだけ地味で露出の少ないものを選んだのだ。
デジレは最初この衣装に驚きつつも興味を示していたが、この姿だとそこまで女性を惹きつけないということに気づいてからは、安心したのか存分に祭りを楽しみ始めた。
二人で通りをゆったりと歩き、目についた露店をのぞきこみ、周囲の喧騒に耳を傾ける。その間中、彼の口元にはずっと笑みが浮かんだままだった。いつもは他人と距離をとっている彼が、この時ばかりは積極的に人と関わっていた。彼のこんな姿を見られただけでも、勇気を出して誘って良かったと思えた。
しかし彼の魅力はやはり恐ろしく、わずかにちらりとのぞく口元だけでも、通りすがりの女性を恋に落とすには十分のようだった。すれ違う女性たちは足を止め、彼の後ろ姿をずっとうっとりとした目で追っている。この程度の反応であれば、彼は特に気にならないのだろう。けれど私は気になって仕方がなかった。
また一人、すれ違う女性が彼に目を奪われた。その女性も仮面で顔を隠しているが、その口元は薄く開いたままになっている。まるで口づけでも請うているかのような、そんな表情だ。
耳を澄ませば、彼に惹かれた女性たちがひそひそとささやきあっている声が聞こえる。あの方は誰かしら、見たことのない方だわ、とても素敵な方ね、と。
私の先に立って歩くデジレはそんな声に気づいていないのか、楽しげに周囲の露店や祭りの飾り物を眺めている。いつもなら彼のそんな笑みを見ていると愛しさをかきたてられるのに、なぜか今は胸がちりちりと焦げるような錯覚を覚えていた。
「どうした、フローリア。何か気にかかることでもあるのか」
「いえ、別に」
ようやっと私の様子に気づいたらしいデジレがそう尋ねてくるが、私はそっけない言葉を返すことしかできなかった。それも、ひどく固い声で。
自分の感情が分からず戸惑っていると、彼は片腕を伸ばして私の腕を捕まえた。私たちの腕がしっかりと絡まり、互いの体がぴったりと寄り添う。遠巻きにこちらを見ていた女性たちが、皆一様に落胆のため息をついている。
その温もりがとても心地よく、知らず知らずのうちにこわばっていた体の力がふっと抜ける。そのまま彼に寄りかかっていると、耳元で甘い声がした。
「私としたことが、つい浮かれてしまったようだ。君をないがしろにするなど、恋人失格だな」
そう言いながら彼は顔を寄せてくる。仮面の下の赤い瞳が、いたずらっぽくきらめいていた。
「それと、君が妬いてくれるとは思わなかった。いつも冷静な君がそんな顔をするとは、新鮮だな」
「や、妬いてなんかいません」
必死に否定しながらも、私は彼の言葉が正しいのだと理解していた。そうだ、この感情は間違いなく嫉妬だ。
私はずっと彼を独占してきた。心のどこかで、彼は私だけのものだと思ってしまっていたのだろう。だから、彼に憧れを寄せる女性たちと、いつもと違って彼女たちを避けるそぶりを見せないデジレに嫉妬したのだ。
そのことに気づいて私が黙り込むと、彼はさらに顔を寄せてきた。二人の仮面が触れ合って、こつん、と音を立てる。
「私が悪かった。どうか、機嫌を直してくれ」
答えの代わりに、私は彼の首に腕を回してしっかりと抱きしめた。体越しに、彼が笑っている気配がする。やがて彼の腕が、同じようにしっかりと私の背に回された。
人々の楽しげな笑い声が満ちた通りの片隅で、私たちはしばらくそのまま固く抱き合っていた。ごく普通の恋人たちのように。
そしてまた二人で街中をそぞろ歩いていると、デジレがふとこんなことを口にした。
「しかし、仮面一つでここまで効果があるとはな。いっそ、普段から仮面をつけてしまおうか」
「……いっそ、それもいいかもしれませんね。あなたの素顔を見るのは私だけになりますから」
祭りの雰囲気に酔ってしまったのか、私はうっかりそんなことを口走ってしまった。デジレは口元に大きな笑みを浮かべると、私の顔を間近で見つめた。間違いなく、今日一番の笑顔だ。
「君は案外、独占欲が強いのだな。君のそんな側面を見られるとは、祭りに来たかいがあったというものだ」
「幻滅しないのですか」
「するものか。むしろ愛らしいとさえ思っている」
堂々とそんなことを言い放つデジレに、私は嬉しさを覚えながらまた寄り添った。デジレは私の腰を抱いて引き寄せると、その口元いっぱいに満足そうな笑みを浮かべてみせた。




