2.聖女の暴走
レナータは驚くほど自信満々に胸を張ると、絶句している私をよそに語り始めた。自分に酔ったような笑みが、その顔には浮かんでいた。
「私、アンシアの家が大嫌いだったの。もちろん、あなたたちのことも。私だけ側室の子だからって、いつも肩身が狭い思いをしてたのよ」
彼女が言う通り、兄弟の中で彼女一人だけが側室の子だ。貧乏所帯にも関わらず側室なんてものがいたのにはちゃんと訳がある。彼女の実の母は没落した伯爵家の元令嬢で、行き場をなくしていたのを父様が引き取ったのだ。
その側室はレナータがまだ小さいうちに亡くなったが、控えめで内気な女性だったと記憶している。ちょうど、今までのレナータのように。だからレナータも、実の母親に似たのだろうとずっと思っていた。実際、彼女の髪と瞳の色は実母譲りだ。
けれど私たちは母親が違うからといってレナータを差別した覚えはない。いつも引っ込み思案な彼女に、私たちは平等に接してきた。少なくとも、私たちはそのつもりだった。まさかレナータが、こんなことを考えていたなんて。
「父様はいつもローレンス兄様やフローリア姉様ばかりほめていた。母様、ううん、あの女は母親面して、いつも厳しく私に当たってきた」
「それは、あなたが礼儀作法や教養の勉強をおろそかにしていたからよ。父様も母様も、あなたの将来を心配しているだけで、あなたにつらく当たっていた訳では」
「なによ、自分がちょっとばかりそういうのが得意だからって、いい気になっちゃって! だから私、姉様のことがずっと嫌いだったのよ!」
こちらが驚くほど激しい怒りを浮かべて吐き捨てたレナータだったが、すぐに優越の笑みを浮かべてこちらを見下してくる。
「でも、これからは逆。私の方が上なの。私は聖女で、あなたはただの貧乏男爵家の娘。私はこれから王族や遥か上の貴族に嫁いで、アンシア家なんか目じゃないところまで上り詰めてやるんだから」
レナータは聖女に選ばれたことで変わってしまったのだろうか。それとも、彼女が言うようにこの姿こそが彼女の本性だったのだろうか。今まで誰も見抜けていなかっただけで。
どちらにせよ、これからの毎日が大変なものになることだけは確実なようだった。
聖女となったレナータが真っ先にしたことは、自分の服を仕立てさせることだった。アンシア家は貧乏暮らしなので、王宮に出仕している父様や兄様以外の者は古びた服を着ていることが多かった。
私が今着ているのも、母様が若い頃のドレスを仕立て直したものだ。当然あちこちすりきれているし、つくろった跡もあちこちにある。けれど仕立て自体はいいものだし、古びてはいるが決して粗末なものではない。
しかしレナータはそんな貧乏暮らしも嫌だったようで、聖女に充てられた潤沢な予算を使い、贅沢で豪華なドレスを大急ぎで作らせたのだ。もちろん、自分の分だけ。
それを不満に思うことはない。聖女である彼女が自分のための予算を使った、ただそれだけのことだし、私には関係のない話だ。
けれど彼女はできあがったドレスをまとうと、「どう、うらやましいでしょ」と得意げに笑っていた。私が平然と首を横に振ると、その顔が怒りで赤くなる。次の瞬間、怒りに満ちた罵声が何倍にもなって返ってきた。
結局、彼女が怒鳴り疲れるまで、私はただ耐えるほかなかった。
そしてレナータは聖女の立場を振りかざし、王宮の中で傍若無人に振る舞うようになっていた。
「聖女様、礼儀作法の勉強は……」
「いらないわよ、そんなの。私は聖女よ。お上品に振る舞うしか能のないそこらの令嬢と一緒にしないで」
彼女の命令により、人目のあるところでは彼女のことを「聖女様」と呼ぶことになってしまった。あなたは聖女である私のお付きなんだから、立ち居振る舞いもちゃんとしてよね、とレナータが主張したのだ。
うっかり私が難色を示したところ、彼女は鬼のような形相で怒鳴り始めてしまった。結局、こちらが折れるしかなくなってしまったのだ。
そんな訳で私は明るい金の髪を目立たないように結い上げ、まるで召使のように彼女の後をついて歩くことになってしまっていた。
さらにレナータは、上位の貴族とおぼしき若い男性を見かけるといそいそと近寄って声をかけていた。驚いたことに、彼女はそうやって結婚相手を物色していたのだった。
しかしアンシア家のような下級貴族ならともかく、上位の貴族には既に婚約者がいるものも多い。実際、レナータが声をかけた相手のほとんどが、彼女をやんわりと遠ざけようとしていた。彼女の意図するところを理解した上で、聖女に失礼のないように断る。それはまさに紳士の対応だった。
彼女がもう少し成長していたなら、色仕掛けくらいはしていただろう。実際、彼女はぎこちないながらも相手にしなだれかかり、猫なで声を出そうと努力していた。その様は微笑ましくも思えるものだったが、それをうっかり顔に出してしまうとまたレナータの怒りを買いそうなので必死に無表情を貫く。
だが幸いなことに、彼女の男あさりは今のところ不発に終わっていた。さすがの彼女もここで聖女の権力を振りかざす気にはならないらしく、男性に逃げられるたびにこっそりと悔しそうな顔をしていた。
そうやって毎日私を振り回していたレナータは、ある日眉間にくっきりとしわを刻んで不機嫌な声でつぶやいた。
「ねえフローリア姉様、あなたは悔しくないの? 私だけ贅沢なドレスを着て、貴族の男性と気軽に口をきいてるのに。姉様はまるで小間使いのような格好で、ひたすら私に付き従うだけじゃない」
全く悔しくはない。贅沢な暮らしは心地いいけれど、私にはアンシア家での質素な暮らしが合っている。それにレナータのように、上位の貴族に嫁ぎたいとはこれっぽっちも思っていない。変に格が違う家に嫁ぐと大変よと、既に結婚した姉様たちもよく言っていたものだ。
しかしこんな私の考えがレナータに知られたら、きっと彼女はさらにむきになってしまうだろう。今までの経験でそれが分かっていた私は、表情を悟られないように黙ってうつむいた。
思うような返事が得られなかったことにいらだっているのか、レナータが勇ましく腕組みをしているのが視界の端に見えた。頭上から高圧的な声が降ってくる。
「私はあなたにうらやましがらせて、私の方が上なんだって見せつけてやりたいの。私がアンシア家でずっと耐え忍んでた分、たっぷりお返ししてやりたいのよ」
それでも私が無言を貫いていると、レナータは焦れたようにつま先を踏み鳴らし、低い声でぽつりとつぶやいた。
「……もっと分かりやすく思い知らせてやった方がいいみたい」
そうして始まったのは、レナータによる露骨な嫌がらせの嵐だった。彼女は私を伴ってあちこちのお茶会に出ては、他の客相手に私のことをこき下ろし続けたのだ。
こっそり足を出して転ばせては「まあ姉様、相変わらずそそっかしいのね」と楽しそうに言い、わざと間違った情報を私に伝えて恥をかかせては「姉様は昔から勘違いが多いんです」と説明する。
事故を装ってお茶をかけられるのも一度や二度ではなかった。冷めていたから怪我はしなかったけれど、それでなくてもお気に入りのお下がりのドレスに大きな染みがついてしまったのは悲しかった。
ただ、周囲の貴族も彼女のそんな手にだまされるほど間抜けではないようだった。彼女がそんなことを繰りかえすうちに、私は他の貴族たちから同情のこもった目線を向けられるようになっていた。
そしてレナータは気づいていなかったが、彼らが彼女に向ける目線には、次第に疑惑の念のようなものが混ざるようになっていた。こんな振る舞いをする女性が、本当に神託を受けた聖女なのか。彼らの目は、そう語っていた。
その頃には、彼女の普段の行いも問題になり始めていた。若い貴族の男とみれば見境なく声をかけるふしだらな女。実の姉をまるで下女のようにこきつかっている血も涙もない女。そんな噂が、少しずつ王宮の中に広まり始めていた。
それでも彼女は態度を全く改めることはなかった。私は神託により選ばれたのよ、神が私を認めたのよ、と言って。
私はレナータの仕打ちに疲れ果てていたが、それ以上に彼女にまつわる噂をどうにかしたいと思っていた。こんな目に合わされていても、彼女はやはり私の妹なのだ。
けれど聖女のお付きでしかない私にできることは何もなかった。聖女の行動に表立って口を挟むことができるのは王族か、それに近しい者くらいのものだろう。他の者には、彼女の行いをいさめることなどできはしない。
そうやって私が悩んでいたある日、レナータがいない隙を見計らって、ローレンス兄様が私のところを訪ねてきた。