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12.夢のようなひととき

 私たちが大広間に足を踏み入れると、扉の近くにいた客がこちらを見た。その目が、一様に驚きに見開かれる。


 女性たちはみな陶酔したような表情を浮かべデジレに見入っていた。彼女たちをエスコートしている連れの男性のことなど、もう彼女たちの頭にはないようだった。しかしその男性たちですら、目を見張りながら同じようにこちらを見ている。


 そしてその驚愕と感嘆は波のように大広間に広がっていき、やがてその場の全ての人々を飲み込んでいた。間違いなく、デジレの存在感はこの大広間を圧倒していた。


 彼は先ほどまで不安そうにしていたのが嘘のように堂々とした足取りで、私の手を取ったまま大広間の奥へと向かっていった。


 あっけに取られたままの人々が戸惑いながらも後ろに下がり、私たちに道を空ける。デジレが予測した通り、令嬢たちは彼に魅惑されながらも、はしたなく彼に近づくような真似はしなかった。そのことに、ほっと胸をなでおろす。


 固唾を呑んで無言でこちらを見つめている人たちを両側に見ながら、私は彼に手を引かれてゆっくりと進んでいた。


「……皆、デジレ様を見ていますね」


 緊張に耐えかねて横のデジレにこっそりと話しかけると、彼は楽しそうな流し目をこちらに向けてきた。


 と、すぐ近くで人が倒れるような音が複数聞こえてきた。おそらく、間近で今の流し目を見てしまった女性が気絶したのだろう。私は見慣れているからどうということはないが、普通の女性には刺激が強すぎる。


 彼は周囲の騒ぎには目もくれず、優しく笑いながらそっと顔を寄せて耳元でささやいてきた。


「君は気づいていないのか? 男性たちはしっかりと君を見ている。……よく似合っている」


「いえ、男性もデジレ様を見ているように思いますが」


「鈍感なのだな、君は。まあいい、君は私だけを見ていろ」


 そんなことを小声で話しながら進んでいくと、大広間の一番奥に設けられている壇の上に豪華な椅子がいくつも置かれ、そこに数人の人間が座っているのが見えた。その全員の目が、こちらに集まる。


 中央には陛下がひときわ豪華な椅子に腰を下ろしていて、こちらを楽しそうに見ていた。顔立ちはあまり似ていないのに、その笑みはデジレのそれを強く思い出させるものだった。


 それもそうだろう、デジレの母親は陛下の妹君なのだ。彼女は私たちがいる屋敷とは別の屋敷に住んでいるとかで、実際に会ったことはないが。


 そして陛下の隣には実直そうな青年が座っていた。こちらはおそらく第一王子のミハイル様だ。


 次の王である彼は、若年ながら王にふさわしい品格を既に身に着けていると聞いたことがある。こうして間近で見てみると、その噂にも納得いくものを感じた。


 ミハイル様の反対側にはレナータと、彼女と同世代であろう気の強そうな少年が二人並んで座っていた。


 少年はいらだたしげに足を投げ出し、不機嫌そうに周囲を見渡している。彼がレナータの婚約者だという第二王子マルク様だろう。彼の顔立ちはミハイル様とよく似ているのに、雰囲気はまるで違っていた。


 そしてレナータの背後の壁際には、父様と母様、そしてローレンス兄様がひっそりと立っていた。三人とも可能な限り着飾ってはいたがそれはあまりにも質素で、華やかなこの場ではどうしようもなく浮いてしまっていた。


 その様子に、浮かれていた気分が少し重くなる。私だけ着飾っている、そのことへの罪悪感のようなものがちくりと胸を刺した。


 父様は居心地が悪そうに目線を下に落とし、母様ははっきりとうろたえながら両手をもみしだいていた。二人は私とデジレを見るとこぼれんばかりに目を見開き、そのまま硬直してしまっていた。


 一方の兄様は普段と変わらず落ち着いた様子で周囲を観察しているようだった。兄様は私と目が合うと、小さく微笑みこっそりと目配せをしてきた。


 デジレは壇上に居並ぶ人々に目線だけで会釈をすると、上機嫌で陛下に頭を下げる。


「お久しぶりです、陛下」


「デジレ、まさかお前が舞踏会に出てくるとは思わなかったぞ。いつもはあんなに嫌がっていたというのに、どういう心境の変化だ?」


「こちらの女性、聖女の姉であるフローリアと少々縁がありましてね」


 陛下が気さくにデジレと言葉を交わしている間、私は気が気ではなかった。私の目線の先には、一目でデジレに魅了されてしまったレナータの姿があったのだ。


 レナータはその暗い紫色の目を潤ませながらこぼれ落ちんばかりに見開いて、ひたすらにデジレを見つめている。厚くおしろいを塗り込んでいるにもかかわらず頬は赤く上気して、紅を厚く塗った唇は薄く開かれている。それは恋する乙女のような風情ではあったが、どちらかというとお預けをくらってよだれをたらしている犬のように見えなくもなかった。


 彼女は私のことなど見もしない。私が彼女を見つめていることに気づきもしない。そしてそんな彼女の様子にさらにいらだちを深めたマルク様がこちらと彼女とを交互ににらんでいるのも全く気に留めていない。レナータはうっとりとしたまま立ち上がりかけて、マルク様に阻止されている。


「そうか。どんな理由であれデジレの顔を見ることができて嬉しいぞ。なあマルク、お前もそう思うだろう」


「……はい」


 突然陛下に話を振られたマルク様は、すさまじい仏頂面でうなずいた。レナータの心を奪ってしまったせいなのか、それとも元々そりが合わないのかは分からないが、彼はデジレをよく思っていないようだった。




 そしてちょうど会話が終わった頃、それを見計らったように優雅な円舞曲が流れ始めた。どうやら、そろそろダンスの時間らしい。


 デジレは陛下に軽く目配せすると、さりげなく私の腰を抱いて引き寄せ、きびすを返して大広間の中央へと進み出た。そのまま優雅に私の手を取り、ダンスの構えを取る。


 きっと普通の舞踏会では、たくさんの男女が一斉に踊りだすのだろう。けれど今は、私たち以外に誰も動く者はいなかった。皆こちらをじっと見つめて立ちすくんでいるだけだった。その目には、称賛と羨望が浮かんでいた。


 今この時、この場の主役は間違いなく私たち二人だった。


 本来この舞踏会の主役であった筈のレナータでさえ、身動き一つせずにこちらを見つめている。けれど、その表情は激しい怒りへと変わっていた。きっと彼女は、私がデジレを独占していることが許せないのだろう。それと、この場の主役を奪われたことも。


 恐ろしいほど多くの人の目が集まっていることなど意に介していないかのように、デジレは穏やかに微笑み、音楽に合わせて足を運んでいた。私にそっと寄り添い、優しくリードしながら。


 王宮の大広間で、着飾った多くの人に見つめられながら踊る。私は今まで見たこともないような上質のドレスをまとい、この世のものとは思えないほど美しく、そして気心の知れた大切な人に導かれている。こうして彼に寄り添っていると、とても安心できる。


 これはもしかして夢なのだろうか。そう思えるくらい、何もかもが美しく幸せだった。すぐ目の前にあるデジレの顔が優しく微笑み、語り掛けてくる。


「フローリア、君は今楽しんでいるだろうか。……女性と踊るのは初めてなのでな、うまくリードできていればいいのだが」


「はい、とても楽しいです。あなたにお任せして良かったと、心からそう思います」


「そうか。君に喜んでもらえてよかった」


 私がレナータに虐げられてきたことも、デジレが女性を警戒していたことも忘れて、私たちは甘い夢のようなひとときを楽しんでいた。この時間が終わらなければいいのに、そんなことを考えてしまうくらい、私の胸は幸せで満たされていた。

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