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2. 友樹の情熱

 西野友樹は外から帰ってくるなり弟の部屋に直行した。ベッドに寝転がってその時も大地はヘッドホンを着けていたが、ドタドタと騒がしく階段を上る時の細かい揺れで眉をひそめた。扉を開ける前のノックなどは子供の頃からされた試しがなかったし、こちらもしたことが無かった。

「俺の事なんか言ってた?!」

 開口一番が何の脈略もないので、大地は思わず「はあ」と声が出た。いつも以上の騒がしさにお前の部屋は隣だと言い返す活力も湧かない。こちらも部活帰りで散々泳いだ後だ。

「何の話」

「睦美だよ。駅から一緒に帰ったって聞いたぞ」

 口振りがまるで小学生か、良くても中学生の少年だ。

 昨日確かに帰り道で睦美と遭遇した。そういう情報は一体どこから聞きつけてくるのか。睦美本人かその妹経由か近所の噂話だろうか。濡れたあと適当に乾かして固くなった自分の髪を撫でながら「大好きな睦姉(むつねえ)の話ね」と胸中だけで兄をからかう。これまで何度か声に出してからかった事もあるが大抵騒がしさを後押しするだけに終始するので、辞めた。

「ちゃん付けで呼ばれたくないって言ってたから今後は改めるってよ」

 大地がヘッドホンを耳に戻そうとしても友樹は諦めなかった。

「それだけ?」

「それだけって」

「他は? 他に何か言ってなかった? なんかこう、よく見ると格好良かったとか、決勝楽しみとか調子はどうだとか無かった?」

「無い」

「本当に? よく思い出してみたらいつも変わったところとか無かったか? 楽しそうとか嬉しそうとか」

「変わったところ.......」

 なるほど睦美の帰省理由はこれかと大地は合点がいった。昨日は野球部の準決勝があった。帰省のついでというのもあるかもしないが、それを友樹が見に来て欲しいとでも頼んだのだろう。

「多分ない」

 大地の知っている睦美そのものだった。半年近く会っていなくても変わらないものだと思ったくらいだ。

「多分ってなんだよ」

「いちいち覚えてるかよ」

 自分のことや睦美自身の近況をしばらく話したけれど、そこに兄の話が出たかまでは覚えてはいない。

 はっきりしない大地の言い草に今度は友樹が「はああ」と長い溜め息をつく番だった。自分の部屋でもないのに遠慮なく背負っていたスポーツバッグをどさりと床に置いた。項垂れるように腰掛けたデスク用の椅子も言うまでもなく大地の椅子だ。珍しくもなく咎める気も無い。

「明日だろ。試合前にそのメンタルで大丈夫なのか」

 学校に行っていればヘッドホンでいくら塞いでいても耳に入る。自分の高校が明日地区予選の決勝に出場する。そして西野友樹は野球部三年生にしてキャプテンだった。打順五番の捕手。勝てば全国大会、いわゆる夏の甲子園出場だ。地元局のテレビ中継も来るらしい。

 一生の中でも一番の大舞台にもなりかねない日の前夜にはもっと相応しい過ごし方が絶対にあるはずだ、と大地は信じている。

「明日だから聞いてる」

「.......」

 弟からの無言の問いかけに、友樹は清々しいほど言い淀むことはなかった。

「一昨日告ったから脈があるのか知りたいんだ」

 話を聞き流しながらスマートフォンを弄っていた大地は兄の唐突な報告に顔を上げた。

「.......まじのやつ?」

 珍しいくらいの真顔で腕を組んでいた。

 友樹は昔から睦美に何度も好きだなんだと言ったり将来の約束などを取り付けたりしようとしている。あまりにも軽率だから冗談で言っていると思っていたのに、そのまま時は流れて十八歳になるまで一貫していた。そしていつもあしらわれてきた。

「まじのやつってなんだよ。俺はいつも本気だよ」

 お前は一体何を言ってるんだ?と言うような口振りが少々腹立たしかった。

 お前は一体何を言ってるんだ。こちらの台詞だ。

 大地は他人より無口で他言しないだろうと目論まれているせいなのか、色恋の相談を受けることがある。いい迷惑だった。実際自分にそんな話題は似つかわしくないという自覚もあって、わざわざ口から出そうという気が起きない。

 そういう相談をする人間の多くは助言を求めているのではなく自分とは無関係な人間に心中を吐露して楽になりたいだけだ、というのが大地の持論だった。

 友樹と大地はクラスメイト達や部活の仲間でも何でもない。どうしてこの男は同じ家に暮らしている顔も背丈も似た実の弟に、しかもこんなにも開けっ広げに話せるのだろうか。

「いや告白し直したかというと、少し違うけど.......」

 こいつ、恥じらいは無いのだろうか。同じ親からその気質を少しも受け貰わなかった事が不思議なくらいだった。

「約束がまだ有効なのか、確認してきた」


「甲子園に行ったらね」

 睦美は確かにそう言った。大地もその場にいて近くで聞いていた。仲のいい母親同士は代わり番に子供達の面倒を見ようと協力をし合っていて、各自の習い事や部活動が忙しくなる年までの夏休みの間はどちらかの家に四人並んでいた。テレビの前に設置されたローテーブルにはいつも4つガラスコップが並んでいて麦茶やジュースが入っていた。取り違えがないようにあの頃はふたつの家にそれぞれ自分用のコップがあった。

 今でもよく覚えているのは、言質をおさえた友樹から「今日のことをよく覚えておくように」と何度も念を押されたからだ。

 その日は確か東田家の方のリビングに集まって睦美と友樹は甲子園中継を見ていた。下の二人は9回表裏まである試合の展開を見守る集中力がまだなかった。

 睦美はその頃にはもう大人びていたと思う。高校生になってからも四人の中では一番年上でしっかり者だけど、当時はさらに更にその差が大きかったように大地は思う。友樹が水泳をやめて野球を始めたのはその翌日からだった。

「甲子園に行ったら俺のこと好きになる?」

 思春期に片足を突っ込み始めていた大地は聞こえないふりをした。恥ずかしい奴、と一歳しか違わない兄をいつもの様に横目で見た。

 友樹が睦美の事を好きだと言って隠さなくなったのはいつからだったろう。最初は冗談だと思っていたし、兄相手に「いつから本気だった?」なんていう事をこちらから聞く気も起きない。どうせまたずっと本気だと言いそうだ。

 睦美は驚いたが、しばらく答えに至るまで律儀に「うーん」と考えていた。その内に、大地とじゃれて床を転がっていた、会話には無関係だった奴が声を上げた。

「じゃあ、あたしはアレやりたい!」

 丁度テレビでは応援席を映していた。アレと言って指をさされたのは、制服姿の学生達が吹いているトランペットだった。


 何に対しての「じゃあ」なんだ。あの頃は思っていたけれども、後から思えばきっと自らも姉達の会話に無理にでも入って一枚噛みたかったのだ。抵抗でもなく、割って話を打ち壊すでもなく、ただ無関係でいたくなかったのだ。最近になって思う。自分はあの時なんと言って加われば良かったのだろう。

「.......睦姉はなんだって?」

「約束は忘れてないって。.......どう思う?これ脈アリ? それともナシ?」

 誤魔化さないところが睦美らしい返答だ。

「しつこすぎてそろそろ嫌われてもおかしくないと思う」

「どうして大地は俺にだけそんな辛辣なの?」

 弟としてしか見られないなら早い段階ですっぱりとそう本人にそう言うだろう。いくらしつこく粘られても押され流されるような人ではない、というのは紛れもない弟分の自負がある大地の考えだった。

「脈は知らないけど、明日試合に勝つことだけ考えるべきだと思う」

 よくこの恋愛脳でキャプテンが務まっている。キャッチャーマスクを付けている姿は冷静沈着で超絶格好いいの!という応援席からの情報がつくづく疑わしい。大地は高校に入ってから兄がレギュラーを取った以降も野球部の試合をまともに観戦したことがなかった。

 わざわざこの時期を選ぶ気が知れない。

 自分なら。そんな想像をする。そんな予定はないけどと誰に言い訳するでもなく断言する。ないが、少なくとも大一番の直前に精神を自ら荒立たせるようなことはしない。自分でプレッシャーをかけたりせずなるべく静かにして過ごしたい。それが普通だろうと思う。大地にとってしてみれば水泳と同じだ。

 友樹は諦めない人だ。彼らの事を諦めが悪いと切って捨てられるほど、正反対の大地は自尊心が強くない。

 もう一人、諦めない人間がいる。そんな友樹に思いを寄せ続けて、姉にはとても敵うわけがないと口では言いながら懲りず、野球部を応援するため本当に吹奏楽部にまで入った。明日も応援席にいる。明日、どんな思いでトランペットを吹くのか。勝ったら。負けたら。どちらにしてもあの泣き虫は多分泣くだろう。

「大地も明日は来るだろ?」

「部活が終わったらな。多分勝敗着くまでには」

「そういえばナツは?」

 友樹には何も言っていない。自分が好きな女の妹に好かれていることも、大地がその妹の方を好きなことも知らないでいる。

「睦美のこと何か言ってた?」

 大地は兄の事を恥ずかしい奴だとは思うが、嫌ってはいなかった。ただ夏海を屈託なく語る時だけは腹が立った。

「学校ないから会ってない。夏休みだから」


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