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リ プロビデンス 2

第三章    戦いの序章                                                                       それから二週間程は忙しく、しかし普通に過ぎて行った。                      週明けすぐの実力テストを乗り越え、授業の開始、クラブへの初顔見せ等、当たり前の高校生活がスタートした。                                   しかし、ほぼ毎日のように生徒会庶務としての仕事が多かれ少なかれ、各クラブとの打ち合わせや、役員の先輩達との打ち合わせに追われる日々だった。               今日も生徒会庶務として文芸部との打ち合わせの為、文化系のクラブ棟に向かっていた。  本来文化部は姫乃の担当なので、速人の出番では無いのだが、姫乃自身が文芸部員であるため、なれ合いになってはいけないと特別に速人が出向く事になった。            「失礼します。生徒会庶務の須賀です。打ち合わせに来ました。」            文芸部の部室のドアをノックしてから速人は声を掛けた。               「どうぞ。入ってください。」                            文芸部部長の小谷野詩織の声が応じる。                        中に入ると20人程の男女が四班に分かれて何か作業をしていた。            部員のほとんどが女子生徒だ、速人はちょっといたたまれない様な気持ちになった。    一つの班で熱心に議論していた姫乃が、速人に気が付いた。              「速人様!」                                    素早く班の輪の中から抜け出すと足早に速人の方にはじけるような笑顔を向けながら駆け寄って来る。                                     「お疲れ様です速人様!」                              そう言いながら姫乃はいつものように速人の腕を両手で抱えて密着してきた。       その姿を呆れたように、しかし微笑ましく見ながら詩織が説明する。          「姫乃はねえ。恋愛小説を何話も書き上げているのよ。 しかも熱愛小説をよ。」    「日頃からこんなに密着しているのだから、物語の中ではもう少し冷静でも良いと思うのよね。才能はあると思うのだけど・・・。」                                       ため息まじりに話す詩織を見て、どれ程の小説を書いているのかは触れない方が良いと速人は悟った。                                     「本当は昼食も速人様とご一緒したいと思っていますし、休憩時間も会いに行きたいところを、速人様にご迷惑が掛からないようにと毎日我慢しています。」             「その分小説の中に、速人様への熱い想いをぶつけて発散しています。」        「それは気を使ってもらってありがとう。」                      速人もため息をつきながら姫乃に礼を言う。そして気を取り直して詩織に声を掛けた。  「じゃあ。打ち合わせ始めましょうか?」                       小谷野詩織は黙ってうなずいた。 

次の日、速人は久し振りに庶務の仕事が無く、体育館で心おきなく剣道の練習に打ち込んでいた。                                        合同体育大会では、新人戦も行われるため速人も出場予定だった。            乱取りが終わって休憩時間になった。                       「・・・その赤胴・・・良いのか?」                         一輝が中学の時から愛用していた赤色の胴の防具を着込んでいるのを見て言った。      確か昨日までは普通の一般的な黒い防具を使っていたはずだ?              「もちろん!主将にちゃんと許可もらっているよ。・・・まあ練習の時だけだけどな。」  固めを閉じて速人にウインクしながら一輝が答える。                 「相変わらず派手好きだな。」                           「もちろんさ・・、本当は道着も金色やピンクなんかにしたいところだけど、試合に出られなくなるからな。これくらい可愛いものだろう?」                    一輝は昔から目立ちたがりで、赤い陣羽織を着てきたときもある。            中学で剣道部の主将になってからは、顧問の先生も部員たちもあきらめたようで、他校と接触の無い練習の時は、赤胴や陣羽織ぐらいは気にしなくなっていた。              「それでどうなんだ姫乃ちゃんとの関係は? 何か進展があったか?」          一輝がにやにやしながら声を掛けて来た。                      「お~。その噂はやっぱり本物なのか?」                       一輝を挟んで速人の反対側に座っていた富津 達也フッツタツヤが尋ねてきた。   「・・そうかお前! クラスが違うから知らなかったのか!」             「そうだよ。俺だけ違うクラスだから寂しくてな。・・・成海中の三羽烏も解散だな~。」  達也は速人と一輝の共通の友人だ。剣道の腕もだいたい三人同じくらいだと思われる。  (爆発力の須賀)(堅実の富津)(豪快の建見)と言われていた。          「・・寂しいって隣のクラスじゃないか。昼飯も一緒に食べてるし。」          一輝がすかさず突っ込みを入れる。この辺はいつもの間合いだ。             「そういえば達也のクラスには姫乃さんがいるんじゃないのか?」            一輝の問いに達也は頷きながら答える。                       「そうなんだよ。クラスでの櫛名田さんは誰とでも仲良く愛想よくしているし、速人の名前なんか一言も出てこないから、お前との噂は単なる噂だと思ってたよ・・。」        達也は速人を指差しながら語った。                         「俺の情報では姫乃さんが速人にメロメロなのは本当らしいぞ!」                「俺は姫乃ちゃん一押し派だからな。ツンデレ幼馴染にも義理はあるが、純愛一途乙女の強さには対抗できないだろう。」                             相変わらずの親友のうんちくに、やれやれと思いながら顔を向ける。          「何の解説かよくわからないけど、特に何も無いよ。庶務の仕事で忙しいだけだ。」   「何だよ! あんな美少女と毎日一緒にいて何もないのかよ? それはかなりのヘタレだな。速人君!」                                     一輝は両手を挙げて肩をすくめた。                          速人が一輝や達也たちとしゃべりながら一息ついていると、隣の弓道場から有希がやって来た。黒い袴に白い道着、胸に黒い胸当てを付けている。左のサイドテールを揺らしながら。                   普通の弓道着だが胸を守るための防具が、逆にその豊かな胸の存在感を強調していた。                             「こら速人!」                                   何故か有希は早くも説教モードに入っていた。                       「昨日は練習をさぼって文芸部の部室で櫛名田さんといちゃついていたらしわね?」   「・・な、何を言ってる?」                                「・・・それに何で怒ってるんだ?」                            有希の剣幕に怪訝そうな顔をしながら問い返す。                   「良いから白状しなさい!」                             速人は(やれやれ。)と言った動作で肩をすくめた。                 「奥津!・・その胸当て苦しくないのか?」                     「なっ、何を言ってるの・・・?」                          横から達也が真面目な顔で有希に聞いてきた。                   「・・いやな、その防具、傷だらけだろ?弓の弦がよく当たってるんじゃないかと思ってな。」             達也は剣道だけで無く、武道全般に精通している。もちろん弓道のこともよく知っていて、気になる点を単なる好奇心で質問してきただけだった。                  しかし、有希にこの話題はまずかったと後で反省することになる。          「・・・ちょ、ちょっと胸が大きくなったから、今までと勝手が違ってるだけよ!・・・って何を言わせるのよ!」                               「ぐはっ・・・・!」                                有希の強烈な前蹴りをくらって、達也が後方に吹っ飛んだ。               しかし、きっちり柔道の受身を決めて、ダメージを最小限に抑えたのは流石と言うべきだろう。片手で胸を隠しながら達也を一にらみすると、速人の方に向き直った。       「・・・話を元に戻すわ!・・・それでどういう事なの?」                          「昨日は庶務として体育大会の打ち合わせに行ってただけだよ。」             特にやましい事は何も無いはずだが、速人は言い訳しているような気持になっていた。  「でも抱き合ってたって、文芸部の子達が話していたわよ!」             「なっ! 抱き合う? ・・・腕をくんだだけだ。そんな事をする訳がないだろう。」        朝倉の言葉に慌てて言い訳をする。                          一年生の中でも、いや高原高校全体の中でも一、二を争う美少女に懐かれて嬉しくないと言えば嘘になるが、後ろめたさを少なからず感じている。                                こんな風に人前で追及されると速人としては動揺しない訳にはいかなかった。                    「やっぱり、いちゃついてるんじゃないの!」                     有希は鬼の首を取ったように、速人を睨みつけた。                  「え~と、・・まあその・・。とにかく落ち着こう。」                   タジタジになった速人は言う言葉も思いつかなかった。                 その時、体育館の入口から飛び出したて来る人影があった。               「速人様に何をするのですか?」                           驚いたことに今の話題の張本人である櫛名田 姫乃だった。               姫乃は素早く速人と有希の間に割って入ると、速人を庇うように朝倉の前に立ちふさがった。「あなた、何でここにいるの?」                           朝倉が突然の闖入者に驚いて一・二歩後ろに下がりながら声を上げた。                      「妻としてご主人様の側にいる事は当然の事ですわ。」                 姫乃は何を今更といった感じの悪戯っぽい笑顔を浮かべた。              「つ、妻って、あなたねえ! 何を言っているのか分かっているの?」          焦る朝倉に対して、余裕の表情を浮かべながら姫乃が不敵に笑う。           「女の嫉妬はみっともないですわ。速人様を狙っているのでしたら何時でも受けてたちますわよ。」                                       有希を指差しながら、姫乃が挑発する。                       「し、嫉妬って、なっ、何を言ってるの! そそそっ、そんな事あるわけないでしょう。」           有希が顔を真っ赤にしながら否定する。                       「ふ~ん。逃げるのですか? ・・・まあ、それなら速人様とわたくしの仲を邪魔しないでください。」                                      「なっ、何を言っているの・・・。 ・・それとこれとは別の話よ!」          姫乃に言い込められてひるんだ有希だった、無理矢理気合を入れ直して姫乃を睨みつけた。 弓道美少女である奥津は、いつも粘り強い戦いをする。                   やれやれとため息をついた速人が姫乃の肩に手を置いて声をかける。          「それで何しに来たんだ、姫乃。」                          姫乃は肩に置いた速人の右手を、振り返りながら両手で握って速人の問いに答える。   「もちろん、生徒会庶務として、打ち合わせに参りました。」              勢いよく満面の笑顔で答える姫乃にもう一度ため息をつく。              「だったら早く仕事しろ!」                             その時女子剣道部主将と話していた津山が姫乃に気が付き、速人達に向かって多い目の声で呼んだ。                                      「おう! 来たな。打ち合わせするからこっちに来てくれ。 須賀も一緒に来い。」  「「はい。」」                                    速人と姫乃二人揃って返事をすると、呼ばれた方に歩きだした。             姫乃は速人の手を離し津山の方に向かう。                       いつもは密着してくるはずの姫乃の違う行動を不思議に思ったが、姫乃は何食わぬ顔で少し間を空けて歩いていた。                                速人が少し寂しさを感じた事は気のせいと思うことにした。              「・・・妻ってどういうこと・・・。」                             有希は津山主将の方に向かう二人を見つめて悔しそうに呟いた。

「お疲れ様です。速人様。」                             金曜日の放課後、生徒会室に向かう廊下で速人は後から声を掛けられた。         振り返ると両手を胸の前で合わせて、目を少女漫画のヒロインのように輝かせた美少女がいた。    美神会長に呼び出され剣道部には文字通り顔だけ出してから、生徒会室に向かっていた。 「おうっ。お疲れ姫乃。」                             「速人様も会長に呼ばれたのですか?」                        そう言いつつ姫乃は優雅にしかも素早く速人の左腕にしがみつく。            速人は一瞬動揺しながらも逃げるような真似はしなかった。              「そう言えば姫乃。お前休み時間とか、人が多いところではひっついて来ないな?」    放課後や生徒会の活動中の時は周りを気にせずしがみついて来る姫乃だったが、休み時間や昼休みに速人の所に押しかけたりはしなかった。                     それどころか、廊下ですれ違っても会釈以上のアクションを起こす事は無かった。その会釈が飛び切りの笑顔で周囲の男たちを虜にしてしまうものだという事を置いておくとしても。 「もちろんです。むやみに速人様にご迷惑をお掛けする事は、妻としてあるまじき事ですから。」                                       姫乃はとろけるような微笑みで速人に答える。                    「えっ。妻としてって、あのな・・・やれやれ。」                   速人の狼狽を無視して姫乃は続ける。                        「それに私が意識を向ける人は異常な程目立ってしまいますから、放課後以外は気を付けているんです。」                                     珍しく暗い表情になった姫乃が気になり速人は立ち止まった。             「異常に目立つってどういう事だ?」                         戸惑った表情をした姫乃は、少し考えてから打ち明けるように話だした。        「私の前世は富と使命を呼び込む女神です。特に私が加護を与えた人を本来の力・姿に目覚めさせる権能があります。」                             「えっ。前世?女神?」                               突拍子も無い姫乃の話に、速人はどう言って良いのか分からず困惑した。        「やっぱり何も覚えていないのですね。速人様。」                   あきれるような残念な様なため息をついてから姫乃は話を続ける。           「あの時速人様こと須佐之男命様は、天照様の元を離れた悲しみの為、本来の力を失っていました。」                                       「天照様から頂いた天叢雲剣も、その力を失くしていました。」             姫乃は呆然としている速人の隣から腕を放して正面に回り込み速人の瞳を真剣に覗き込んだ。「地上を放浪していた速人様は、私と出会い私を妻に娶る事で本来の力を取り戻したのです。」「速人様、古事記に出てくる八俣の大蛇の話は覚えていますか?」           「何となくは知っている。大蛇を倒して剣を手に入れたんだろ?」            凄みを持って話し続ける姫乃の迫力に押されながら速人が答える。           「本当は少し違います。速人様は剣を元々お持ちでした。」              「私の加護を得る事で天叢雲剣も力を取り戻し、その力で大蛇を倒したのです。」     神話そのものをよく知らない速人は半信半疑で聞いていた。              「それだけで無く、私を娶る事で速人様は地上での拠点を確保し、そして家族を得られました。」                                      「地上でのアイデンティティを確保され、本来の英雄としての荒ぶる魂を取り戻されたのです。」                                       姫乃がにっこりと本当に女神と言っても誰も反対しないだろう笑顔を浮かべる。        「その時から私には富と使命を呼び込む権能が与えられたのです。」           話終わると姫乃は速人の隣に戻り左腕に両手を絡めた。                 そしてどう反応して良いかわからず困惑している速人の手を引いて言った。            「さあ早く参りましょう。会長がお待ちですよ。」

生徒会室の扉を開けると美神が兼井と雨野メイと三人で話し込んでいた。         三人は少し深刻そうに話をしていた。                        「・・今年の模擬店は・・・たこ焼きのソースにはこだわりが・・」               「・・入場曲は・・やっぱりアニソンでないと・・・」                 「・・・応援はバニーガールの方が目立つし・・・・」                     断片の言葉だけ速人の耳に入って来たが、それ以上は聞き取れなかった。                       「あら。来ましたね、お二人さん。待っていましたよ。」                 最初に速人達に気が付いた雨野が、真剣な表情から一変して艶やかな笑みを浮かべ、その豊満な胸をゆらしながら声を掛けてきた。                        「遅くなってすいません。美神会長。兼井さん。雨野先輩。」              速人は軽く礼をしてから美神のすぐ前までやって来た。ちなみに姫乃は今は腕を放して速人の隣に並んでいる。                                 「速人。櫛名田さん。お疲れ様ですね。毎日、庶務の仕事をしっかりこなしてくれて助かっています。」美神は真面目な顔で二人を褒める。                     実際にまだ学校が始まったばかりにも関わらず、各クラブと生徒会との調整に毎日動き回っている。速人と姫乃二人で行動する時間も多い。                   「「ありがとうございます。」」                            二人揃って美神に頭を下げる。                           「ところで二人は、生徒会マッチングのことは知っていますか?」            美神さんは珍しく真面目な表情で速人と姫乃を見つめながら話しかける。        「いえ。知りません。何でしょうか?」                        速人は表情を変えず疑問を口にした。姫乃の頭にクエスチョンマークが見えるような困惑した表情だった。                                                         「正式名は生徒会よろず相談。本来は生徒間でのいざこざを解決するために、生徒会が間に入って仲裁する事で始まった活動です。」                       「学校としてはなるべく学生の自主性を尊重したい、でも学生間のいざこざもほっておけない。」                                      「そこで生徒会主導の学生自治を目指して、生徒会に仲裁権を委ねる形で始まりました。」             「まあ生徒の事はなるべく生徒自身でという事でしょう。」                                    「それが段々と恋愛問題まで相談が持ち込まれるようになったんです。」          雨野の後を兼井が続ける。                             「両思いなのに告白出来ない二人を何とかして欲しいだとか、けんかしてこじれているカップルを仲裁して欲しいと言った話が持ち込まれるようになったんですよ。」        「わ~。 おもしろそうですね。」                            姫乃が満面の笑みで聞き入っている。                             そういえば姫乃はいつも楽しそうにしているな。と思いながら兼井の話の続きを待った。               「へえ~」                                     生徒会が学校からこれほど信頼されている事に感心していた。                                     「今ではみんな恋愛の意識が高くなって、生徒会マッチングの通称で呼ばれています。」 「お見合いのようなものなのですか?」                        姫乃が不思議そうに首を傾げる。なかなか可愛い。                  「いえ、直接何かするわけでは無いのよ。」                       美神が姫乃を片手に抱いて引き寄せながら話す。                    美神の目がかわいいぬいぐるみを見つめるようにとろんとして姫乃を見つめている。   「これは本人からの依頼は受け付け無いの。それは本人自身が行動すべき事だからね。」  さらに姫乃を抱きしめながら美神は話を続ける。                   「周りの人の推薦で出会いの場というか、出会いのシチュエーションを準備するのよ。」 「シチュエーションですか?」                           「そう! 例えば同じ実行委員に任命するとか、協力する仕事を任せるとか。」                                「・・昨年、一番投書が多かったのは雨野先輩に関係したものでしたよ。」                               兼井があきれたように肩をすくめながら雨野に付け足す。                  「ま、まあ、みんなが私の魅力に過剰に反応しすぎなのですよ、ほほほほほほ・・。」        すまして笑いながら雨野が言い訳する。悪いとは思っていないようだ。         「まあそれはともかく、内容は理解してもらえたかな?」                兼井が速人達のほうに向き直って尋ねる。                      「はい。わかりました。」                             「それでその制度がどうしたのですか? 早速、恋愛相談でしょうか?」         速人は頷き、姫乃が尋ねた。                            「いや。この件は基本二年生が担当する事になっているから。」            「今も書記の田所君と石川君が調べに行ってもらってます。」              雨野と兼井が話した後、美神が立ち上がって速人達に向かいながら話す。         「実は君たち二人に関しての投書が殺到しているの。」                「投書の内容が誹謗・中傷だったり、いたずらの場合は全校に公表するし、罰則もある。」 「だから個人攻撃的なものは、今までほとんど無かったのだけど。」           憂鬱げな表情を浮かべながら美神は一呼吸置いた。                  「あなたたち二人の仲が納得いかない。という内容の投書が殺到しているのよ。」     詳しい事を聞くと、(右京山中のアイドルだった姫乃を速人が独占するのが許せない。)    という内容のものが大半だったようだ。                        姫乃は顔を青ざめて、言葉が出ないようだった。                        速人は頭を押さえながらため息をついた。                      「高校に入っても同じ目にあうとは。まいったな・・。」            「ん? ・・それはどういう事?」                          美神が訝しげに尋ねた。                              「美神さんは知っていると思いますが、俺の妹の恵利はすごく可愛いんですよ。」    「知ってる知ってる。恵利は可愛い! 抱きしめたくなる!」                        美神さんは満面の笑みで大きく頷く。                        「しょっちゅう告白されて断っているんですが、その口実にいつも俺を使うので大変だったんですよ。」                                   「・・へ、へ~。」                                 美神は微妙な笑顔で応える。                                 「兄の世話でつきあう時間が無いとか、つきあったら兄が怒るからとか。俺の知らない間にシスコン兄貴として男たちから恨みを買っていたんですよ。」                       成海中の暴れ龍の通り名があったのでけんかを売られたりする事は稀だったが、嫉妬の声や視線はいつも受けていて慣れてしまった。                         しかし、高校に入ればそういった嫉妬の視線からも開放されると安心していた速人だったが、世の中そう甘くは無かった。                             確かに恵利は健康的美少女である。                          成績もいつも上位にいたし、スポーツも万能でいくつかのクラブも助っ人として掛け持ちしていたが、正式な所属は茶道部で上品な所作にも通じている。                                     性格は明るく人なつっこいため友人も多い。家では速人に怒ってばかりの妹が外で怒る姿は見たことが無かった。                                 妹に告白する男子の中には、速人から見てもなかなか良い男もいたので(デートくらいしてやっても良いんじゃないか?)と恵利に言ったら、激怒され夕食を抜かれたこともあった。             「そうだね~。恵利は超ブラコンだからね~。」                    うんうんと頷きながら美神がうれしそうに言う。                   「昔よく速人に蹴りを入れていたりしたら(お兄ちゃんをいじめないで。)って恵利ちゃんが間に入ってかばっていたよね~。かわいかったな~。」                「・・確かにそうでしたね。はいはい。」                         速人はげんなりしながら美神を見る。                        「恵利ちゃんのあの必死に兄を庇う姿が見たくて、ついつい速人にちょっかい出しちゃったんだよね~。」                                   「えっ。そうだったんですか? 本気で蹴られたりプロレス技かけられたりと大変だったんですけど。」                                     あきれ顔で美神を見つめる。                            「まあ良いじゃないの。速人がシシコンで、恵利がブラコンだという事は間違い無いから。」                                     「恵利はともかく、俺はシスコンじゃ無いですよ。」                  美神は困ったものだと言うように頭を左右に振って話す。               「何言っているの。幼稚園から小学校3・4年の頃まで恵利がいじめられないようにいつも一緒にくっついていたのは君のほうじゃないか。」                   「その頃からシスコン兄貴で有名だったよ。だから恵利ちゃんの言い訳が中学でも通じたんじゃないの。」                                   「ええ~。」                                    速人は小学校の頃のことはあまり覚えていなかったし、そこまで恵利にかまっていた自覚も無かったので意外だった。                                      「あれだけ兄に溺愛されていたら、そりゃブラコンにもなるよ~。」           「さすがは速人様。妹さんを大事にされていたのですね。羨ましいですわ。」        姫乃が隣で夢見るように両手を胸の前で合わせて速人を見つめていた。         「いや~。今は違うよ。今は怖い妹だよ。・・まあ妹の事は良いとして、嫉妬されるのには慣れてますから、俺は大丈夫です。」                          速人は得意げに微笑んでから姫乃を手で示してながら。                                         「姫乃とは別につきあっている訳じゃ無いですから、それをしっかりアピールすれば大丈夫じゃ・・・・。」                                    射るような視線でにらんでくる姫乃の迫力に気がついて、速人は最後まで話せなかった。  明らかに怒っていたが、怒った顔も可愛かった。                     つきあっていなくても、この美少女を独り占めしていることに男性陣が苦情を呈するのは仕方が無いなと思ってしまう。                                       「速人。・・それはちょっとデリカシーに欠ける。」                  美神が呆れたように首を左右に振っている。                     「そうです。それは姫乃が可哀そうよ!」                       黙っていた雨野が怒りを顕に速人の前に立った。                   「まったく! あんたは昔から女心が分かってない! 姫乃ちゃんはあんなにはっきり恋人宣言しているのに。お前とは遊びだなんて、男の風上にも置けないわね。」                                   怒り心頭の雨野に、姫乃がうんうんと頷いている。                  「いや。・・あの、遊びだなんて全く言ってませんけど。」                                    「・・・それに昔からって、以前お会いした事ありましたっけ?」               それを聞いた雨野はしまったという顔をした、美神と兼井がやれやれと言った顔をしていた。                                       「え、ええと、こ、言葉の綾よ。・・勢いというか・・。」                雨野はあたふたしていたが、咳を一つつくと気を取り直して速人を正面から見つめた。  「と、とにかく。あなたのそのセリフは姫乃ちゃんに失礼です。ちゃんと責任はとりなさい!」雨野は速人に指を突きつけて言い放った。                      「えっ! 責任と言われても。・・・どうしたら良いんですか?」           「もちろん私との婚約を、学校の皆様に宣言していただければ良いのですわ。」      姫乃は目を輝かせる。                               「い、いやー。さすがにそれはまずいんじゃないかな~?」               つめよる姫乃に、速人は2・3歩下がる。                       「二人が結ばれるのは運命なのですから、早く公表して皆様に祝福していただいた方が良いと思います!」                                   「き、気持ちは嬉しいんだけど、そ、それはちょっと・・・。」            「じゃ、じゃあ雨野先輩の言う通り、私のことは遊びだったのですか?」         強い口調から一転、姫乃は涙目になって速人に詰め寄る。               「だ、だからまだ付き合ってもいないだろう! ちょっと落ち着け。」          速人は姫乃の両肩をつかんで子供に言い含めるように話す。                                             「知り合ってまだそんなに経って無いんだから早すぎるよ。だから反動で問題が起きているんだと俺は思うけど?」                               「まあそうかもしれませんけど・・・。」                       つまらなそうに姫乃が肯定する。                          「まあまあ姫ちゃん。確かに公表するのはどうかと思うよ。逆効果じゃないかしら?」    姫乃が(どういう事ですか?)というように首を傾げて美神を見る。          「婚約なんか発表したら、姫乃親衛隊に速人は何されるかわからないよ。」       「ハ、ハハハハハ・・・・。」                            引きつった笑いを浮かべる速人。                           その顔をジッと見つめてから、名残惜しそうに肩に載った速人の両手を振り払い、美神の方に体全体で美神のほうに向き直る。                                「会長。どうすれば良いのでしょうか?」                      「そんなに深く考えることは無いわ。」                        美神は肩をすくめて速人に向き直る。                        「速人が恵利のためにしていた事を、姫ちゃんにしてあげたら良いだけよ。」      (私、良い事言った。)みたいな得意げな顔をして美神は胸をはる。反動で形の良い胸が自慢げに揺れた。                                       速人は目のやり場にこまりながら考える。                      「俺。特に何もして無かったんですけど。」                      「フフフ。速人は分かってないわね~。」                                   速人の返事に分かっているよと頷きながら美神は話を続ける。             「速人は恵利ちゃんが持ち込んだ騒動を、何も言わずに対応していたでしょう?」      「えっ、いや。恵利に文句は言っていましたよ。」                    美神はさらに(分かっている。分かっている。)と頷いて先を続ける。           「でも、妹以外にはケンカしたりしないで誠実に対応していたでしょう?」       「まあそうですね。妹の事ですから無関係じゃないし、家事に忙しいというのは確かに俺のためでもありますから。」                               ウンウンと美神は頷いている。他の三人は二人に注目して黙っていた。          「それに速人は役員でも無いのに生徒会の仕事を手伝っていたでしょう?」       「そうです。良く知ってますね?・・・生徒会長が友達だったので、そいつは市外の高校に行きましたけど。」                                     何故中学の事情を知っているのか不思議だった。二年間全く顔も合わせていなかったはずなのに・・・。                                    「それが良かったのよ。文句も言わずみんなのために働く姿、それを見せられたら嫉妬に身を焦がす男子たちも何の言えなかったのよ。」                     「なるほど。行動で示す。という事ですね?」                     ずっと黙って聞いていた兼井が納得顔で話してきた。                                「つまり会長はこう言いたいのですよ。周りの声を気にせず、庶務の仕事をしっかりやりなさいと。」                                     「そうそう。姫ちゃんの旦那としての力量を実績で示せって事ね!」                         「いやだから。旦那ってどういう事ですか、雨野先輩?」               「まあ簡単に言えばそういう事よ。」                         美神さんはウインクしながら肯定する。                       「マッチングの話をしたのは、そういう仕組みがあるって事を知ってもらうのと、二人の関係は周りにも影響があると認識してもらう事なの。」                   美神は急に会長らしく姿勢を正して威厳をだして言う。                        「生徒会のメンバーだけの時は良いのだけど、他の生徒が居る場所では言動に注意してください。ただでさえ姫乃さんは目立つのですから。」                    この中で一番目立つのは美神さんなんだけどなと速人は考えていたが、もちろん口に出さなかった。                                      「兼井君と雨野さんが言ったように、庶務の仕事をしっかりとやっていれば変なことを言う人は減るでしょう。」                                「それに皆方先輩との賭けもありますしね!」                     何故か嬉しそうに姫乃が指摘してきた。                       「わかりました。今以上に体育祭に向けてがんばります。」                速人はため息をついた後、気を引き締めてそう宣言した。                うんうんと笑顔で頷いていた美神がハッと思い出して付け加えた。           「投書の中に弓道部の奥津さんと速人をマッチングしてというのが5・6件入っていたけど、そっちの方は大丈夫かな?」                                    「えっ!」                                                         (何で有希の名前が!)                                「有希とは家が近所で幼馴染というだけです。そんな風に言われると有希の方が迷惑だと思いますよ。・・その投書は無視して下さい。」                        何のためらいも無くそう言い切る速人に、兼井以外の三人は(やれやれ)と首を振りながら溜め息をついた。                                  「そう言うと思ったわ。・・・応援団のサポートメンバーに奥津さんを指名しておいたから。あなたの管轄だから後のことはよろしく!」                     「ま、マジですか?」                                美神さんは満面の笑顔でかわい子ぶって片目を閉じた。                「ちゃんと依頼には応えているし、応援団の人員も確保できるし一石二鳥じゃない。あなたも気心が知れた人がいた方がやり易いでしょう?」                    「そ、それはそうですけど・・・。」                         速人は複雑な表情で美神と姫乃を見回した。

「それで今日は二人に会場の視察に行ってきてもらいたいの。」             みんなで姫乃が淹れたお茶で一服してから美神が切り出した。              美神がニコッと微笑んで要請して、その後を兼井が引き取った。             「大会はまだ先なのですが、今日各校の生徒会詰め所を開設します。」         「設営は業者にやってもらいますから、立ち合いが終わったら鍵を受け取って来てください。」     地図を速人に手渡しながら説明する。                         「ここは大会本部になりますから、よく位置関係を把握してきてください。」       大会本部の看板とタクシー代を渡されて二人は早々に生徒会室を後にした。        しばらく二人は黙って歩いていた。                          いつもなら直ぐに腕を組んでくるのに二人の間は少し空いていた。           「姫乃?」                                     姫乃は有希の話しが出てからずっと無言だったので気になっていた。          「大丈夫か? 気分でも悪いのか?」                         姫乃は無表情で速人の方に顔を向け、三・四秒速人の顔を見つめた。           その後にっこり微笑んで、さっと腕を組んできた。                   「大丈夫です。さあ早く行きましょう。緑地公園は私の家にも近いのですよ。」      速人は内心少しホッとして姫乃に引っ張られるまま昇降口に向かった。     

「ふ~ん緑地公園に行くの?」                               須賀恵利は携帯電話を片手にしながら中学校の校門を出た。             「え!姫乃さんと二人っきりで。」                          速人と会話しながら少し声が大きくなった。                      驚いて振り向いた近くの友達たちに笑顔で手を振る。                  友人の多い恵利はあちこちから声が掛かる。                      ポニーテールが似合う健康的な美少女に多くの男子生徒も振り返る。               たまに告白される時があるが、兄の世話で彼氏を作る暇が無いと言って断っている。    ここ三年ほどは、速人との二人だけの生活なので、休みの日は二人で出かける事が多かった。                                        恵利はその生活に不満など無く、誰かと付き合うなんて考えもしなかった。          友人はそれなりにいる速人だったが、剣道以外ではさほど出歩く事も無く、女子の知り合いと言えば近所に住む有希をはじめとする奥津姉妹ぐらいだったので、兄が誰かと付き合うとか彼女が出来るとは夢にも考えていなかった。                                        しかし、入学式の日に恋人宣言をした姫乃と、毎日のように生徒会の仕事で共に行動し、有希の話によれば公認カップルとして定着してきているらしい。                   しかも兄に問いただしてみると、恋人というのは否定しながらも、一緒に行動する事は嫌がっていないようだった。                                 これは恵利にとって一大事だった!                          有希や恵利をはじめ、女性とは普通に接することが出来る速人だったが、積極的に女性に関心を持ったり近づいたりした事の無い兄が、少し楽しそうに姫乃の話をするようになった。  恵利は強烈な危機感を感じていた。                                  「私も今から緑地公園に行くから!」                        「えっ。何でって。・・・・お兄ちゃんがきちんと仕事しているか確認するためよ!」   良い言い訳が思い浮かばず勢いでごまかす。                     「と、とにかくそっちに行くから、ちゃんと待っていてよね! じゃあね。」        勢いよく通話を終えると携帯電話を学生鞄にしまう。                                                 兄の好きなタイプは亡くなった母の様な女性だと思う。                 上品でお嬢様という見た目なのに行動的で明るくて人なつっこい、母は近所でも人気者だった。   そして何となく姫乃も母と同じ様な印象を受ける。                     たぶんそれで兄も姫乃がまとわりつく事を嫌がっていないのだと思う。          恵利自身も姫乃の事を警戒しながらも、何か憎めないものを感じていた。                 「変な事にならないように見張ってないと・・・。」                  恵利は周りに聞こえない小声で一人ごとをつぶやいてから、何かを決意するように顔を上げ、緑地公園行のバス停に向かって歩き出した。                     「恵利~!」                                   「恵利ちゃ~ん!」                                 恵利が電話を終えるのを待っていたかのように、聞きなれた声が彼女を呼んだ。      振り返ると近所の幼馴染である奥津さよりと奥津多岐タキが走り寄って来る。     奥津 有希を長女とする奥津三姉妹の次女と三女だった。                 恵利は有希を実の姉のように慕っていて、この双子の妹たちは同級生であり親友でもあった。               「恵利。一緒に帰ろうぜ!」                            「恵利ちゃん。一緒に帰りましょう?」                        三女の多岐たきはショートカットのボーイッシュな美少女で、男前な性格なのに対して、次女のさよりはおっとりとした癒し系美少女だった。                「・・ごめん。私、今から緑地公園に行かなくちゃあいけないの・・・。」        恵利はいつも通り一緒に帰宅しようとしていた二人に申し訳なさそうに話した。     「え~何で!」                                  「どうしたの?何かあるの?」                            全然似ていない双子が同じタイミングで声を上げる。                 「いや~実はね。お兄ちゃんが女の子と二人だけで緑地公園に行くらしいから、変な事にならないように監視に行くのよ!」                            多岐がはは~んと意味深な目をしている。                      「兄貴のことになると恵利は周りが見えなくなるからね。・・こないだ言っていた櫛名田さんの事でしょう?」                                     さよりはいつも通りのほんわかした笑顔で頷いていた。                「お兄様が取られるかもって心配なのですよね?」                  「な、何を言ってるのよあんたたち・・・!」                      恵利は顔を赤くしながら二人の言葉にあたふたしていた。                          「お兄様を独占したい気持ちはわかりますが、もう高校生になったのですから、彼女の一人くらい出来てもおかしくありませんよ。」                       「・・・だいたい恵利はブラコンすぎる! 兄貴がもてるのは良い事じゃないか?」    さゆりと多岐に続けざまに指摘されてさらにたじろぐ。              「・・・まあ兄貴は優しいからな、恵利が夢中になるのは仕方ないか・・・。」      多岐が止めの言葉を吐く。                             「な、何を言ってるのあんた達は!・・夢中になんかなって無いわよ!」         顔を真っ赤ににして横を向く恵利に、さよりはニコニコと多岐はニヤニヤしながら眺めている。 「・・まあでもそういう事なら俺たちも一緒に行くぜ!・・兄貴の彼女とやらに挨拶しておきたいしな。」                                     「・・私も有希お姉さまに報告しないといけませんので、ご一緒いたします。」      そう言うと二人は恵利が向かっていたバス亭に向かって歩き出した。          「さあ、恵利ちゃん参りましょう。」                         さよりが片目を閉じて恵利に声をかけた。                     「・・まあ、良いか!」                               恵利は少し肩をすくめると、さよりと多岐を小走りで追いかけるのだった。

「何しに来るんだ恵利の奴? ・・まあ良いけど。」                    携帯電話をしまいながら速人は一人つぶやく。                    「恵利さんが来られるのですか?」                           姫乃は速人の顔を覗きこんで尋ねる。                         ちなみにずっと姫乃は速人の右腕に自分の腕をからめていた。              放課後まで我慢していた分を味わうかのように無邪気に嬉しさを表現していた。     「ああ。なんか行くまで待ってろって言われたよ・・・。とにかく、俺たちは任務を果たすとしようぜ。」                                   「そうですね速人様。参りましょう。」                        緑地公園の端にある競技場スペース。                         その丁度真ん中に位置する広場にプレハブの小屋が組み立てられていた。         この本部を中心に大会期間中、各校各クラブのテントが軒を連ね、休憩スペース等が設けられたりする。                                     当日は生徒会が交代で泊まって寝ずの番をする事になっている。             もちろん男子生徒だけだが。                             そのため二階建ての以外にしっかりとした造りになっている。              今広場は資材と作業する業者の人たちでごったがえしていた。              そんな中、国津高校の本部予定地付近に見知った顔を見つけた。           「「出雲会長お疲れ様です!」」                           速人と姫乃は同時に声を掛けた。                          「やあお疲れ様。・・君達相変わらず仲が良いね。」                  出雲は腕は外していたが寄り添うように歩いてくる二人を見て微笑みながら応える。           「皆方先輩は来られて無いのですか?」                        姫乃が警戒心も顕わに周囲を見回す。                        「・・・彼は部活連だからね。大会まで会場には来ないと思うよ。」           苦笑いを浮かべながら出雲が話す。                         「美神会長は来ないのかい?」                           「先ず、現場に慣れて来いって事で、俺たちだけです。」               「出雲会長お一人ですか?」                             出雲は華麗な笑みを浮かべて答える。                        「私が美少女たちを、置いてくるはずがないでしょう。 ほらあそこ。」         出雲が指さした先には、少し組みあがったプレハブの入口から中を覗きこんでいる、四人の美少女軍団がいた。                                 「じゃあ僕はこれで失礼するよ。」                          そう言って美少女軍団の方へゆっくりと歩いていく。                  こちらに気がついた四人は速人達に手を振ってくれた。                「出雲会長こそ相変わらずですよね。」                         そう言って姫乃は美少女たちにお辞儀をした後、手を振って応えていた。        「そうだな。・・・まだかかりそうだから、周りの様子も見ておこうか。」        手を振るため姫乃の腕が自分の腕から離れたのを機会に、彼女と距離を取るべく歩きだした。「あっ。速人様ちょっと待って下さい!」                       あわてて姫乃が速人に寄ってきて、素早く速人の腕に自分の腕を絡めてきた。        姫乃に密着されるのは嫌では無いが、どうも照れくさい。                妹以外で女性と近距離で触れ合った事のない速人には、姫乃の人なつっこさがどうにも照れくさくて仕方がなかった。                               それでも無理やりふりほどいたり、突っぱねたりする事は姫乃の可愛い笑顔を見ると、絶対に出来ない事だった。                                 今、この広場には出雲会長たちを含めて二、三十人の人たちが行き交って作業をしている。 二つの高校の大会本部のプレハブを組み立てている人たち、資材を運ぶ人、地面にラインを引いている人、仮設トイレを設置する人など、活気で溢れかえっていた。            二校合同体育祭は市内でも有名なイベントで、開催日には露店が出る。            また両校の文化系クラブが模擬店を出したりデモンストレーションも行ったりと、本当にお祭りのような騒ぎになる。                                    作業を行う人たちの中に両校の卒業生も多くいて、速人たちに応援のような、冷やかしのような声を掛けてくる。                                 広場にいる人たちは生き生きしていて、楽しそうに作業しているように見える。      まさに祭りの準備といったように感じる。                       そんな雰囲気を心地よく思いながら速人は競技場に向かった。              本部の設営業者から設営にはまだ時間が掛かる、30分ほど待っていて欲しいと言われたのだ。                                     それで速人は良い機会なので、周囲を把握しておこうと思ったのだ。

陸上競技場に体育館、野球場、武道館、剣道場、サッカー場、大会期間中熱戦が予想される各施設を二人は足早に見学して来たのだった。                      出雲と別れてから20分程経過していた。                       広場に戻った二人は異変に気がついた。                       「どうなってんだ?」                               「何かあったのでしょうか?」                            広場のあまりの変わりように二人は驚きを隠せなかった。                大勢の人たちが活気に溢れて作業していたのが嘘のように、広場は静まり返っていた。        無人だった。                                    あんなにはしゃいでいた出雲会長配下の四姉妹の姿も見受けられなかった。        本部予定のプレハブは、完成の直前で放置されていた。                 周辺には材木や機材、何に使用するのかわからない大きな塊や、梱包された箱などが至る所に置き去りにされていた。                              「皆さんどこに行かれたのでしょうね?」                       姫乃は周囲を見渡しながら速人に聞いて来た。                     明らかに異常な状況の割に、姫乃は慌てた様子も無く不思議そうにしているだけだった。   「姫乃はあんまり驚いていないな?」                         周囲よりも姫乃の事が気になって速人が姫乃を見つめる。               「えっ、もちろん驚いていますわ。でも速人様と一緒ですから、何の心配もしていないだけですわ。」                                       姫乃は当然の事のように、得意げに頷いた。                     「そっ、そうなのか?・・だっ、だったら良いんだけど。」               速人は姫乃の言葉と笑顔にどぎまぎしてしまった。                   その時、どこからか声が聞こえてきた。                        「相変わらず仲が良いようだな。」                           地の底から湧き出すように迫力のある声が響いた。                   上品さと繊細さを兼ね備えたような洗練された男性の声だった。             良く響く声だったが、根底に氷を敷き詰めたような冷たさを感じさせた。        「誰だ!」                                     周りを見渡しても誰もいない。・・・速人は虚空に向かって鋭い声で誰何する。       そして、速人の意識と身体はいつでも動けるように身構える。             「フフフ。私が誰だかわからないのか? 速須佐之男命」                      呆れたような残念なような口調で声が問う。                     「俺は須賀速人だ、あんたが誰だか知らないが人違いじゃないのか?」         「やはりお前が記憶を失っているのは、本当らしいな。・・しかし、貴様が邪魔であることには変わりが無い。」                                淡々と声は話すが、速人の危機感は高まるばかりだった。             「櫛名田姫には悪いがここで一緒に消えてもらおう。力を取り戻す前に!」        鋭い語調で声が叫んだ直後、周囲に散乱していた機材のいくつかが速人に飛んできた。   姫乃を庇いながら速人は素早く飛び退く。                       するといろんな角度から物が速人に向かって飛来する。                 鉄製の大きなゴミ箱や鉄パイプ、発電機や大型運搬用台車、果ては公園内に散在していた岩なども速人目がけて突進して来る。                          「誰だ! 何のためにこんな事をする?」                       速人が強い口調で姿が見えない人物に叫ぶ。                     「ハハハハ! 須佐之男命よ。力の無いお前には何もできまい。」            最初は無難に躱していた速人だったが、さすがに避けきれなくなってきていた。      大きな木材に接触してバランスを崩す。                       「クッ!」                                     そこに速人の正面から発電機が突っ込んで来る。                    これは避けきれないと判断して咄嗟に腕を交差させて身構える。             ぶつかると思った瞬間速人の前に立つ姿があった。                   姫乃が両手を柳の枝のようにしなやかに振って発電機を横に捌いて押し出す。          これは合気道の技だと速人は気が付いた。                      「姫乃! 大丈夫か?」                              次々と飛来する機材や石などを、同じように両手で捌く。               「速人様は、私がお守りします。」                          そう言いながら五つ六つと捌いていく。                        流石は合気道の達人だと感心した速人だったが、姫乃の手に血が滲みだして顔色を変えた。「姫乃!」                                     上手く飛来する物体を捌いている姫乃だったが、その衝撃は捌き切れていなかった。    両手からじわじわと血がしみ出して、姫乃の美しい顔が苦痛にゆがむ。            「姫乃。もういい、逃げろ!」                            速人が叫んで姫乃の前に出ようとするが、姫乃の流れるような動きに牽制される。    「大丈夫ですわ。」                                 姫乃が速人を見て微笑む。                             「俺より自分の身を守ってくれ! 」                          困惑する速人の表情をちらりと見て姫乃がまた微笑む。                「妻として当然の義務ですわ。」                           大きな機材を捌きながら速人に話かける。                      「しかし・・・。」                                (まだ結婚してないぞ。)と突っ込む余裕は速人には無かった。            (まだ?)と速人の思考に疑問符が付き、一瞬動揺したことは姫乃には分らなかった。   その時、同時に三方向から石や機材が飛来した。                    二つ目までは捌いた姫乃だったが、三つめは避けきれず無かった。           「きゃあ!」                                   「姫乃!」                                     背中にボーリングの玉ほどの石がぶつかり、姫乃は吹き飛ばされる。           続けて飛来する物体を避けながら姫乃に駆け寄る。                   「大丈夫か?」                                   姫乃は気を失っていた。                               速人は姫乃を抱きかかえながら背中に二つ三つと衝撃を受け止める。          「いい加減にしろ!」                                速人の強い怒声に尚も飛来していた石たちが動きを止める。              「俺に何の恨みがあるのか知らないが、姫乃を巻き込むのは許さないぞ!」        見えない相手に向かって空中を睨みながら速人は憤る。                「須佐之男命よ。お前を恨んでいる訳ではない。」                   声はおどけたように速人に答えた。                         「しかし邪魔だと思っているだけだ。」                           声は冷酷さを隠さない口調で後を続ける。                      「君にとってその少女は出会ったばかりの同級生に過ぎないだろう? そんなに気にする事でもないだろう。昔の様な絆はまだ君達にはないはずだ。」                変わらず飛来する物体を姫乃を抱えながら速人は飛びのいて避ける。              「何にせよ君達には消えてもらうのだから。」                     先生が生徒に進路指導でもするかのように淡々とを告げる。              「では、そろそろお遊びは終わろう。止めを刺させてもらうとしよう。」         声がそう言うと周囲に散乱していた機材や石が一斉に浮かび上がった。          一旦速人達から距離をとり二人の周囲360度を包囲するように取り囲む。        一斉に動きだせば逃げ場が無い事は一目瞭然だった。                  速人が身体全体で姫乃をかばっても、姫乃を守る事は難しいと思われた。        「では建速須佐之男命。また会える日を楽しみにしているよ。」             からかうように声が言い終わった直後、一斉に取り巻く機材や石が動き始めた。速人が姫乃を強く抱きしめ、少しでも彼女を守ろうと身構えたとき声が聞こえた。

(・・俺を呼べ。・・俺の名を呼べ・・。)                      それは外からではなく、速人の体の奥、いや、心の奥から響いてきた声だった。      それは確かに一瞬の間の出来事だったはずだが、速人には時間が止まったように感じた。                                     「誰だ!」速人が心の中で叫ぶ!                         (・・荒ぶる神よ! 我が主よ。俺の力を使うが良い・・・。)              ぶっきらぼうだが、やけに親しげな声が応える。                  (・・俺の名を呼べ・・この程度のいたずら・・俺の力なら一振りで済む・・。)                                    声は威だけだかに命令してくる。主と呼ぶ割には偉そうだ。              「そうなのか? 力は貸して欲しいがどうすれば良いんだ?」            (・・主よ、思い出せ・・荒ぶる魂を・・。)                   (・・そうすれば我が名も思い出す・・。)                    「・・荒ぶる魂?」                               (・・そうだ!・・守りたいのだろう姫を?・・)                 (・・強く思うのだ! 守りたいと・・)                      「守りたい! 姫乃を守りたい。俺の嫁だからな!」                  強い口調で速人は叫ぶ。目には強い光が宿っていた。                (・・そうだ!強く思え守りたいと・・)                     (・・荒ぶる魂を開放しろ!・・)                          「・・守りたい・・姫乃。姫乃!」                          速人の中に荒ぶる何かが湧き上がる。                         それと共に一つの名が速人の脳裏に浮かんで来た。                  「あ、あまの・・我が手に来たれ! 天叢雲よ!」                   速人は右手を頭上にかざして大声で叫ぶ!                      「天叢雲の剣よ! 俺に力を貸せ!」                       (・・待っていたぞ我が主よ・・我が力、存分に使うが良い!)   

気が付くと速人は右手を頭上に上げ、左手で姫乃を抱きしめて立ち上がっていた。     勢いよく速人に向かって来る数え切れない石や機材がスローモーションの動きになっていた。そして、速人の右手には神剣が宿っていた。日本刀と違って曲がっていない直刀で、柄の後ろの部分には団子の様な大きな飾りが付いている。刀というよりも剣という方が相応しい太刀だった。                                       初めて握ったにしてはやけにしっくり感のある太刀を、速人は一旦手元に引き寄せた。      そして気合もろとも、下段から胴を薙ぎに行くように、斜め下から斜め上に切り上げた。 「やあっ!」                                    速人が切り上げた軌道線上のものが、一瞬に消滅する。                 周りの石等はもちろん、その先にある陸上競技場の壁も斜めに大きな切れ間が出来る。   そしてその後、その切り裂いた軌道線上から凄まじい爆発が起こった。          周りの機材や石が吹き飛ばされ。競技場の壁も切れ間を中心に吹き飛ぶ!         設営途中だったプレハブは一溜りも無く吹っ飛ばされた。                広場の周囲の木々が何本も倒れ、離れた建物にも飛来した木材などが窓を壊し壁に激突する。              速人も姫乃を抱いたまま、遥か後方の花壇の中まで吹き飛ばされた。           花壇の中の樹に激突して痛みに息が出来なくなったが、姫乃を守る腕は離さなかった。   天叢雲剣は速人が切り上げ終わった瞬間に消滅した。                (・・完全に顕現するには、荒ぶる魂が足りないようだ・・。)           (・・女神の加護も無いしな・・。)                       (・・荒ぶる神よ。また呼ぶが良い・・。)                      速人は爆風に吹き飛ばされながら、その声を聴いた。                 「なんか上からだな?」                                痛みに耐えながらそう呟いた。                            辺りはとんでもない事になっていた。                         速人達が居た付近を中心に隕石が落ちた後のようなクレーターが出来ていた。       周りもめちゃくちゃで、どこかの戦場の風景のようだった。特に広場の隣に立地する陸上競技場は壁の半分以上が崩壊していて、中の応援席のほとんどが見えるようになってしまっていた。「これはやり過ぎだよ・・」                             速人が独り言のようにつぶやくと、あの暗く重い声が聞こえてきた。          「フフフフ。さすがは須佐之男命。荒ぶる軍神だけの事はある。」            ご満悦気味に声が語るのを聞いて思わず速人が突っ込みを入れる。            「何言ってるお前のせいだろ? ・・・正当防衛だと思うんだけど?」         「フフフお前の力はよく分かった。完全に力が戻ってから相手をする方が面白いようだ。」        速人の突っ込みを無視して声は続ける。                       「今少し時を待つとしよう。それまで櫛名田姫と仲良くすると良い。また会おう!」                                       そう言うと声の気配が消えた。                            天叢雲剣を振るった事で、感覚が鋭敏になっているようた。               多くの人が広場に近づく気配も、そして腕のなかで姫乃が目覚める気配も感じていた。 「・・は、速人様。・・どうなったのですか?」                    花壇の中で速人と抱き合ったまま倒れている状況を知って、顔を赤らめながら速人を見つめている。                                       しっかりと速人が両手で抱きしめているため、身動き出来ないようだ。                                      「大丈夫か?姫乃。 けがはないか?」                        姫乃の可愛い笑顔につられて速人も優しく微笑んだ。                 「ちょっと背中が痛みますが、手以外にけがは無いようです。」            「そうか。・・ありがとう姫乃。 無理をさせちまったな。」              自分の為に傷ついた少女に申し訳ないという思いと、愛おしい思いで速人はさらに姫乃を強く抱きしめてしまった。                                  「いえ。速人様にそう言って頂けるだけで、姫乃は幸せです。」             速人から強く抱きしめられて、心から嬉しそうに姫乃は微笑む。            「さっきの奴はもういない。また会おうとは言っていたけどな。」           「速人様が守ってくださったのですね?」                       姫乃も速人の背中に腕を回して抱きしめ返しながら尋ねる。               「まあな。天叢雲のお陰だけどな。」                        「ところで、俺はそろそろ限界だから、後の事は頼むよ。」               この騒ぎで受けた打撲と、天叢雲剣を使った反動だろうか、速人は痛みと脱力感で、意識を保てなくなっていた。                                「わかりました。後の事はお任せ下さい。」                      姫乃はより強く速人を抱きしめながら優しくささやいた。                その時、速人の視界の端に見慣れた姿を発見した。                  「あなたたち。そんな所で何をやっているの!」                    爆発の騒ぎに驚いて急いで駆け付けた妹の恵利と双子の姉妹だった。                 怒りを体中から放出しながら、こちらを指さしながら走ってくる。           (まずい所を見られたな・・・。)                          妹の機嫌を直すことに心配を感じながら速人は気を失った。

第四章   姉と弟                                                                          そこは大きな宮殿の中のようだった。                         広大な空間の壁や天井には豪壮な彫刻が施され、たくさんの灯りが広間を照らしていた。  広間の一番奥まった場所は一段高くなっており、その段の上の中央には玉座と思しき壮麗な装飾を施した椅子が一つ置かれていた。                         しかし華麗な造りにも関わらず、この広間はさびれているように感じられる。       多くの装飾の色彩は薄れ、よく見ると所々壊れている箇所もある。            ちり一つ落ちていない広間はとても清潔に管理されているようだ。            しかし、入口に二人の衛兵らしき武人以外は人気が無く、寂しさを感じない訳にはいかなかった。

「クシナダ、きょろきょろするな。」                         広間の中央で片膝をついて謁見を待っていた建速須佐之男命は、斜め後ろを振り返って声を掛けた。                                       須佐之男は濃紺を基本にした宮廷礼服をきっちりと着込んでいた。            髭はいつものように伸ばしたままだが、それ以外は荒ぶる神とは思えない、ほれぼれとする凛々しい武者姿だった。                                      「あ!ごめんなさい。」                               興味深そうに辺りをきょろきょろと見まわしていた櫛名田姫が、舌をぺろっと出して須佐之男に笑顔を見せた。                                  赤と桃色を基調とする宮廷衣装が愛苦しい彼女の美しさを一層引き立たせていた。    「何だか人気が無くて寂しい感じがして、落ち着かなくて。」              櫛名田姫は申し訳なさそうに上目ずかいで須佐之男を見る。               須佐之男は櫛名田姫を愛おしい眼差しで眺めてから優しく微笑んだ。          「まあ心配するな。姉上は優しい方だ。それにもうすぐここは華やかになる。」      初めて自分の家族に会う事に緊張しているであろうことは彼にはよくわかっていた。   「あなたがいらっしゃるのですから、心配などしておりませんわ。」           須佐之男の笑顔につられて微笑みながら櫛名田姫は断言する。              須佐之男は彼女に頷くと前を向き元の謁見を待つ臣下の姿勢に戻った。          須佐之男の前には直刀の大剣が綺麗な鞘に収められて置かれていた。

少し間があってから、奥の演壇の両脇から十人ほどの華麗な宮廷衣装を纏った人々がぞろぞろと現れた。                                     また反対側の入口からも兵士に貴族といった壮麗な衣装に身を包んだ人達が足早に入室して来る。                                        気が付けば、百人近い人々が広間の壁沿いに立ち並び玉座の方を向いて頭を下げていた。 「天照陛下が御出座されます。」                           演壇の端に立つ豊満な色香漂う美女が声を強めて言う。                 この広間に居る女性は皆美女と言って間違いない。                   また男性も武人らしき装束の者以外は美男子ばかりだった。                   宮廷衣装の華やかさもあって、先程までとは別世界のようにきらびやかな雰囲気になってい。そんな中にあっても、名乗りを上げた美女は一段違う次元の美しさであった。       また広場の中央で唯一片膝を付いたまま天照の登場を待つ二人も、別格の可憐さと凛々しさで存在感を示していた。                                少しの間があり演壇の右の奥から衣擦れの音が聞こえてきた。              須佐之男がハッと身を固くする。                           衣擦れの音は戸惑うような、しかし嬉しいような、そんなリズムを響かせながら演壇の中央で立ち止まった。                                   静寂の中、玉座に腰を掛ける音がする。                        誰も身じろぎ一つしない。須佐之男も氷ついたように微動だにしなかった。        こほん。と一つ咳払いをしてから天照は声を掛ける。                 「皆の者。面を上げなさい。」                            中央の二人以外の全員がスッと顔を上げた。                      そして、須佐之男と櫛名田姫がゆっくりと顔を上げる。                 櫛名田姫は先程までとの周囲の変化に驚きを隠せ無かった。               色あせた装飾は、塗り直されたばかりのように輝き、朽ちた箇所も全て元通りになっていた。 いや、元通りと言うのは言葉が足りない。                       まるで今日完成したばかりのように光輝いていた。                  「よくぞ戻りました須佐之男命よ。元気そうで何よりです。」              天照大御神と讃えられる、この天界を統べる女神は輝く笑顔で須佐之男を見つめていた。  白を基調として紫と金をあしらわれた衣服は、その溢れる美貌と荘厳さをさらに際立たせ、女神としての威厳をも表していた。女神の身体からは慈愛のオーラが溢れ、誰が見ても直ぐにわかるほど喜びに覆われていた。                           「ご無沙汰しております天照陛下。再びお目に掛かれて光栄の至りです。」        そう言って須佐之男と櫛名田姫は頭を下げる。                    「本日は二つのご報告と、一つのお願いがあり、陛下にお目に掛かる資格が無いと思いながらも、拝謁を賜りました。」                              そう言って須佐之男はまた頭を下げる。                       (何をそんな他人行儀な。)と天照が言う前に演壇の端に控える超絶美女・天宇受女が語気鋭く言い放つ。                                      「本当です。よくも天照陛下に会わせる顔がありましたね。」              怒りを体中から放出しながらアメノウズメは言葉を叩きつける。              「散々迷惑を掛けておいて、陛下がどれほど心痛めておられたか知っているのですか?」                                      天照が顔を引きつらせてウズメの方を向く。                     「ウズメ! 邪魔をしないで。」                          「お言葉ですが天照陛下。この際ですからこの恩知らずにきっちり言って置かないと、皆の者が納得しません。」                                    「いえ。しかし。」                                 天照はアマノウズメの言葉に動揺しながら反論しようと考えを巡らせる。しかし。    「そうですね。良い機会です。今の状況をはっきりとさせておいた方が、後々禍根を残さずに済みますから。」                                     天照の右腕とも言える思金神に口を挟まれては、主神と言えども否定出来なかった。   「そ、そうですか・・・。」                             どうしたものかと困った顔をしていると、須佐之男が天照に呼びかけた。        「天照陛下! どうかお気づかい無く。・・全てはこの身が起こした事、どのような責めも負うつもりでおります。」                               須佐之男の言葉を聞くや否やウズメが天照の近くに駆け寄ると、須佐之男に右手を突き出して荒々しく指差した。                                「良い心掛けですね。じゃあ遠慮なく言わせてもらいましょう。」           「ちょ、ちょっと待ちなさいウズメ!」                        慌てて天照がアマノウズメを宥めようとする。                    「まあまあ、言わせて上げておやりなさい。きっとその方が良いですから。」       オモイカネが二人の間に入り、天照を説得する。仕方なく天照が頷いた。        「建速須佐之男命! あなたが地上に下って行った後、天照様がどれほど悲しまれたか知っているのですか?」                                  ウズメは須佐之男に言葉をぶつける。                         それに対して須佐之男は無言で佇んでいる。                     「あなたが地上に降臨した後、天照様は力を落とされて部屋に閉じこもってしまわれた。」 オモイカネが困ったものだと言うように首を左右に振る。               「おかげで高天原も葦原の中つ国も闇に閉ざされてしまった。悪神・悪霊どもがおおはしゃぎを始めてしまった。」                               「でも天照様はあなたが姉弟の縁を切って一人の武者として地上に向かった事に心を痛められて、そんな事態になったとわかっても全然元気にならなかったわ!」                                  オモイカネは落ち着いた口調で、アメノウズメは感情的に言葉を繋げて行く。      「そう。君が姉弟の絆を断った事で、陛下は和御霊を上手く使えなくなってしまったのだよ。」                                      「それに天照様は、あんたが地上に降臨しなければならなかった事に責任を感じていたのよ。」  二人の思いもよらぬ言葉に、須佐之男はハッと顔を上げ、天照を見つめた。        天照はうつむいて、オモイカネ達の言葉に耐えているかのようだった。         「何度も何度も、私たちは陛下を何とか元気にしようと努力した。」           「慰めたり、しかったり、時には部屋の前で、私の得意な踊りを披露したりもしたわ。しかし天照様はご自分を責めてばかりで闇を打ち払う気力をなくしておられたわ。」      「地上でも影響が出ていたでしょう。悪霊たちが騒いだり災いが相次いだりと大変だったのでは無いですか?」                                  オモイカネが須佐之男に問いかけると、櫛名田姫が代わって答えた。          「仰る通りです。一番の災厄は八又の大蛇の侵略を受けたことです。」         「そうですか。・・八又の大蛇とはまた大物ですね。討伐出来たのですか?」          「その大蛇を退治してくださったのが、須佐之男命様です。」              櫛名田姫の言葉を聞いて天照が顔を上げる。                      そして櫛名田姫と須佐之男を交互に見つめてからまた静かにつぶやいた。          「そうですか須佐之男が・・・。」                         「陛下に復活していただく事にかかりっきりだったため、悪神たちの動向まで把握していませんでした。」                                   「フン! 少しはあんたも役にはたったにね。」                    ウズメはすごく嫌そうな顔をしている。                       「一応、陛下は闇を払う程度には元気になられましたが、本来の御力には程遠い状態でした。」                                 「本当に天照様はあなたの事で心を痛められていたのよ!」               アマノウズメは怒りがぶり返してきたのか、須佐之男への語気を強める。         須佐之男は一瞬身じろぎしたが、何も言わず同じ姿勢を維持していた。         「我々はなすすべ無く陛下の力無いお姿に、無力感に打ちのめされているだけだった。」  広間にいる宮廷人の全てが項垂れているようだった。                  天照は合わせる顔が無いといった風情で小さくうつむいていた。                少しの間があって、アメノウズメが口を開く。                    「ところが、本当に悔しい事に、あなたが尋ねて来るという知らせを聞いた途端。天照様は元気を取り戻されたのです。」                             言葉通りアメノウズメは悔しさを満面に浮かべて、須佐之男をにらんでいた。       ウズメの言葉に天照は、(ハッ!)と顔を上げウズメの方を見る。            そして申し訳なさそうに無言のまま、また俯いた。                  「あなたは、天照様に誰よりも愛されているのですよ! 皆が嫉妬するほどに。」     アマノウズメは語気鋭く須佐之男に怒りをぶつけた。                  数秒の静寂があって俯いたまま、須佐之男が口を開く。               「・・よくわかっております。」                           その言葉を聞いてヒステリックにウズメが叫ぶ。                   「いえ!分かっていません。 どれほど天照様に迷惑を掛けているのか。 よくも合わせる顔があったものですね!」                               須佐之男はすでに垂れている頭をさらに低くして答える。               「本当に申し訳ないと思っています。・・天照様が私を思っていて下さる事もよく分かっています。」                                       少し間を置いてから須佐之男は、ゆっくりと顔を上げる。                天照はおろおろしながら、須佐之男とアマノウズメを交互に見つめていた。         「だからこそ今回、天照様にお目通りを願わずにはいられなかったのです。」       その言葉を聞いてウズメが何か言おうとしたが、その前に天照が声を掛ける。      「何の話でしょうか須佐之男。すべて私に話しなさい。」                先ほどまでの狼狽を感じさせない威厳に溢れた声だったが、そこに嬉しさが含まれていることに気付かない者はこの広間にはいなかった。

改めて謁見の間にいる臣下たちに、これ以上の須佐之男への讒言は許さないことを表明した上で、天照は正式な謁見の時間を持つことになった。                  「改めて須佐之男命よ。久しぶりですね。元気そうでなによりです。」          ゆっくりと紡がれる言葉は威厳に満ちていたが、優雅でもあった。           「それで今日は何の用件で私に会いにきたのですか? あなたは自分の希望とはいえ、高天原を追放された身ですよ。」                              話す口調と言葉は須佐之男に対して厳しいものであったが、それが無理に造っている口調であることは、強く握り締めた震えるこぶしや泣きそうな目をみれば、誰の目にもあきらかだった。「先ほども申し上げましたが、ふたつの報告と一つのお願いがあり不肖の身でありながら参上いたしました。」                                  そう言うと須佐之男は深く頭を垂れた。                        天照は無言で先を促した。                             「先ず一つ目は、私の隣に控える櫛名田姫との結婚の報告です。」           「初めてお目に掛かります。櫛名田と申します。縁あって須佐之男様に嫁ぐことになりました。どうか今後ともよろしくお願い申しあげます。」                    須佐之男の隣にスッと跪いて櫛名田姫が言上を述べる。                 鈴の音のように澄んだ声が広間に響き渡る。さほど大きな声では無いはずなのに心に残る声だった。                                      「あなたが出雲の国津神、足名椎の娘、櫛名田姫ですか。」               そう言うと天照は優しい目で櫛名田を見つめた。                    「はい、天照陛下。」                                櫛名田は顔を上げ、天照の視線を受け止めると嬉しそうに微笑んだ。          「愛する須佐之男様の姉上にお会いでき、本当に感激しております。」          天照もつられて笑みを浮かべながら櫛名田に問う。                  「大蛇を退治する代償として、須佐之男が無理に求婚したと聞いていましたが、少し違うようですね。」                                    「はい。」                                     櫛名田は恋する乙女さながらに、両手を胸の前で握り嬉しそうに天照に答える。     「私からお願い致しました。・・須佐之男様は代償など考えていないご様子でしたが、命がけの戦場に向かうのに引き止める絆が必要だと思ったのです。」             「あなたは須佐之男で良かったのですか?」                     「はい! はじめてお会いした瞬間から須佐之男様はとても優しくて素敵でした。いわゆる運命の出会いというものですね。」                           天照の問いに櫛名田姫は可愛くはにかんだ。                          「おい! 櫛名田。御前なんだからちょっと控えろ。恥ずかしいことを言わなくて良いから。」須佐之男が顔を赤くして腕を伸ばして櫛名田を制止する。               「まあまあ良いのですよ。私が聞いているのですから。」                天照は優しく二人に話しかける。                          「でも弟は大蛇と渡り合えるほどの力は失くしていたはずですけど。」          ちょっと考え込む仕草をしてすぐに須佐之男の足元に目をやる。            「そう言えば、あなたの足元に置いてある剣は天村雲の剣ではありませんか? 力が戻っているように見えますが?」                               天照の問いに待ってましたとばかりに須佐之男が顔を上げる。             「いかにもその通りです。もう一つのご報告はこの剣のことなのです。」         天照は穏やかな笑みを浮かべて話しの続きを待っている。               「本来の力を失い、また天照陛下の弟としての位置を失い、何も出来ないまま長い間地上を放浪していました。」                                 須佐之男は苦しそうに、しかもゆっくりと言葉を紡ぐ。                「そして訪れた出雲の地で櫛名田に出会いました。」                  須佐之男は櫛名田姫を優しく見つめた。櫛名田姫も優しく見つめ返す。         「櫛名田に出会った時、私の本当の使命を思い出したのです。すると剣も私の呼びかけに応え、長い眠りから目覚めました。」                            須佐之男は目を輝かせて天照の方を向いた。                     「復活した天叢雲剣の力とともに、大蛇に戦いを挑みました。剣の力が以前と違っていたため簡単ではありませんでしたが、櫛名田の助けも借りて勝利する事ができました。」                                 須佐之男が地上に下る直前は、荒くれ者の野武士のような風体だったが、今は意気軒昂な若武者といった風情に変化していた。いや、これが本来の荒ぶる神の姿なのかも知れない。   「陛下への二つ目の報告は、剣の力の復活と八又の大蛇の討伐成功についてです。」

「そうですか。それは行幸と言えるでしょう。細かい大蛇に関する報告は後でオモイカネにしなさい。」                                     須佐之男は恭順を示して頭をさげた。そして天照は、ご飯を待ちきれない子供のような目をして、須佐之男に尋ねた。                              「それで。願いとはなんでしょう?」                         須佐之男は一瞬躊躇するような表情をしたが、思い切ったように顔を上げ、その願いを口にした。                                       「天照陛下! あなたの弟を名乗ることをお許し下さい。」                 須佐之男は平伏し、深く頭を下げ天照に懇願した。                   広大な広間に静寂が下りた。言葉を発する者も無く、暫しの間があった。

「・・そ、その地位を放棄したのは、あなた自身ではありませんか!」          静寂を破って声を発したのは、やはりアメノウズメだった。              「今さら元の鞘に納まろうなんて虫が良すぎます!」                  叩きつけるような言葉に謁見の間は再び凍りついた。                 「ウズメ殿。おっしゃる通りです。」                         須佐之男は顔を上げ、真剣な面持ちであめのウズメを見据えた。            「何故なのです?」                                 天照は静かに、しかし女王としてのオーラを放ちながら須佐之男の方に顔を向ける。      「私個人としては、あなたを他人と思った時はひと時もありません。しかし、女王としては理由も無く認めるわけにはいきません。」                        返事を促すように、実の弟である須佐之男に輝く瞳で見つめた。            「はい。先ほども申しましたが、櫛名田姫に出会い自分の使命を思い出したのです。」                     須佐之男は一呼吸を置いた。天照は話を続けるように頷いた。             「ひるこ軍は、先の大戦で受けた痛手のため侵攻してくることは暫くは無いはずです。しかしいつ復活してもおかしくありません。・・・それに備えるための地上降臨でもありました。」須佐之男は自分を見つめる天照の視線をまっすぐに受け止めた。                                   「しかし、・・地上は大戦の余韻や、姉上、いえ陛下の力が弱まった影響もあって清濁入り乱れて混沌としております。」                            「そうでしょうな。まだ統一国家が出来るほど地上の民はまとまっていない。神力の祀り方さえうまく出来ないようだ。」                             オモイカネが解説するように須佐之男の言葉に頷きながら口を挟む。          「そうです。地上の人々は迷っています。・・行く道が見つからず困っています。・・・それで私は天照陛下の弟として民を導き良き友としたいのです・・・どうか天照陛下お願い致します。」                                       そう言うと須佐之男命は深く頭を垂れた。                       天照はジッと須佐之男命を見つめたまま、しばらくの間思案しているようだった。     そして決意したように口を開こうとした時、天照を遮るように居並ぶ宮廷人の中から声が上がった。                                      「お待ちください天照陛下! 私は反対です。」                 「・・・お前は天探女アマノサグメ。・・・何故です?」              反射的に声の方に向いた天照は、声の主を知っていぶかしむように目を細めた。          「はい。かの者は地上で多少の功労があったとはいえ、一度は自ら陛下の下を去った者です。簡単に許してしまっては高天原の権威が損なわれかねません。」             そう言うとサグメはじろりと須佐之男たちの方をにらんだ。              「完全に拒絶するのを良いとは思いませんが、軽々しく決断されませんようにお願い申し上げます。」                                      天探女は壁際から広間の中ほどにゆったりと駆け寄り平伏しながら言上した。       須佐之男は探るような視線をさサグメに向けているが、何も反論する気は無いようだった。       「軽々しくとは陛下に失礼であろう!・・・・しかし、・・私もこの者と同じ意見です。」 オモイカネは天探女を叱責した後、天照に向き直り軽く頭を下げながら肯定した。      現代でいうところの情報部の幹部である天探女と、総理大臣に匹敵する立場のオモイカネに反対され天照は困惑した。                               もちろん天照は須佐之男命を許すつもりだった。                    それどころか、心配で心配で食事も喉を通らないほど思っていた弟が帰って来たのだ。   久しぶりに見た弟に(・・・何と凛々しくなって・・・お姉さんは涙が出そう・・・。)と思っていた。                                     しかも可愛い嫁まで連れて。                                 直ぐに許さなかったのは単に女神としての体裁を整えるためだけだった。         それに初めて声を聴いた瞬間から櫛名田姫を気に入ってしまった。          (・・・櫛名田ちゃん可愛い・・・抱きしめたい・・・。)という思いで直ぐに返事が出来なかった。                                       一番気心の知れたアメノウズメも先程の様子では須佐之男に味方してくれそうに無い。   強権発動とばかりに反対を無視して押し切っても良いのだが、今後の須佐之男の活動や地上への対応を考えると、オモイカネ達のサポートは欠かせない、事を荒立てる訳には行かなかった。

謁見の間が静まり返り天照が身動き出来ずにいると、勢いよく正面の大扉が開いた。   「陛下!・・・・無礼を承知で申し上げます。・・どうか須佐之男命を許してやって下さい!」扉を突き破るように現れた大柄の武人は、勢いのまま須佐之男の隣に座り込むと大声で天照に言上した。                                     胸に三本足の鳥に似た形の紋章が描いてある真っ赤な鎧に身を包んだ姿は颯爽としていた。                                   「・・・本当に無礼であろう、建御槌尊タテミカズチノミコト!」          天探女が後ろを振り返り建御槌尊を睨みつけた。                    すると壁際で控えていた別の武人がするすると足音も立てず建御槌尊の隣に来ると、天照に一礼した。                                     「天照陛下。私、経津主命フッツヌシノミコトも同じく須佐之男命様の帰還をお願い申し上げます。」                                    そして絶対従順を表して平伏した。                        「・・・天軍の主将と副将が共に須佐之男命に味方するのか・・・・。」         オモイカネは参ったとばかりに首を左右に振りながら呟いた。              急に現れた援軍に須佐之男は目を丸くした。                    「・・・タケミカズチ・・それにフッツヌシも・・・それにしても相変わらず派手だな~。女好きもかわらんな~・・・。」                            勢い良く現れたタケミカズチは、金色の鎧に真赤な陣羽織を身に着け、しかも二人の美女を後ろに伴い、この謁見の間では誰よりも目立っていた。                  他の武人たちは鉄や銅の鎧を着けるか、黒に近い色彩の宮廷服を着込んでいた。須佐之男も明るい色彩とはいえ、紺の落ち着いた服装だった。                  「・・四百年ぶりに会う親友に、それはひどい物言いだなあ~・・・。それにこの娘たちは、何て言うか・・・流行の言葉で言うと( 秘書 )というやつだな。・・・お前が思っているようなものじゃ無いぞ。」                              須佐之男はあきれたように肩をすくめてから改めて二人に顔を向けた。        「・・秘めた書という方がよっぽど妖しい感じがするが、まあそれはどうでも良いとして・・・・二人ともありがとう。」                          タテミカズチは須佐之男にニヤッと微笑んでから天照たちのいる正面に向き直った。   「天照陛下!続けて申し上げます。」                        「ここにいる須佐之男命は、本来なら天軍の総大将として私をも従えるはずだった人です。」「またもしも、須佐之男命が敵に回ったなら、天軍が全軍で挑んだとしても勝利することは簡単ではありません。」                                フッツヌシもタテミカズチに追随するように言上する。                「須佐之男命様の天軍への復帰を願うのは、私だけではなく天軍全員の総意でございます。」その言葉が終わると同時に謁見の間にいた全ての武人が二人の後ろに跪き、同意を示すように頭を垂れた。                                    近衛隊長である天手力男アマノタジカラオも、控えていた天照の後ろからタテミカズチ達の方へ向かおうとしたが、アメノウズメにものすごい形相で睨まれてあきらめた。                                    アマノサグメはタテミカズチ達を睨みつけ、オモイカネとアメノウズメは苦々しく、天照は心底嬉しいといった笑みを浮かべて武人たちの一団を見つめていた。          「・・・どう考えますかオモイカネ?」                        天照は呆然としている参謀をちらっと見ながら尋ねた。                 オモイカネは少し思案していたが、いつものクールさを取り戻しながら話はじめた。 「・・・そうですね。・・須佐之男命の事で、まさか天軍が反乱を起こしたりすることは無いと思いますが・・・。やはり何らかの確執が生じる可能性は否定出来ません。」    「・・・私としては命様の願いを聞き入れるのがよろしいかと思われます。」       オモイカネは仕方が無いというように、頭を下げた。                  内政文官の長にそう言われてしまうと、アメノウズメもアメノサグメも何も言えず、ただ悔しそうに歯を食いしばっているだけだった。

おもむろに天照が立ち上がり、謁見の間全体をゆっくりと見渡してから美しい張りのある声で、威厳を表に出して宣言した。                            「建速須佐之男命の高天原への復帰を認めます。・・・これは私、天照大御神の決定です。この決定に異議を差し挟む事、これ以後許しません。」                  謁見の間の天照以外の全ての者が一斉に頭を深く下げ、唱和した。           「承りました!」                                  天照はもう一度全体をゆっくりと見回し反抗の意思を示す者がいないことを確認すると、さも楽しげに微笑みを浮かべた。                             残念ながら全てのものが深い礼をしていたので、その桃源郷を見つけたかのような万人を魅了する微笑を見た者はいなかった。                        「・・・皆の者、頭を上げなさい。・・・・高天原への復帰に伴い、須佐之男命が私の弟の地位に復帰することを了承いたします。」                       「しかし、以前の天軍の主将の地位への復官はいたしません。・・・本人の希望通りに、私、天照の代身として、地上に赴き、地上を助けあるいは整えて、天照の威光が地上の隅々まで届くよう地上を統べる権威を授けます。」                        天照は自分の言葉が、皆の心に行き渡るのを待つかのように間を置き、須佐之男の方へ目をやった。誰一人身じろぎもしなかった。                                     「・・・須佐之男命。櫛名田姫。・・・剣を持ってこちらに来なさい。」         ハッと天照の方を見た須佐之男は、ゆっくりと剣を持って立ち上がった。         櫛名田姫も後れてアタフタと立ち上がった。                      それを自分の子供を見るような優しい目で須佐之男が見ていた。             須佐之男の視線に気が付いた櫛名田姫が須佐之男に、ニコッと笑い掛けた。        そんな二人のやりとりに天照をはじめ、タテミカズチやフッツヌシが微笑ましく眺めていた。「・・・姉上!・・・ありがとうございます・・・いつも迷惑ばかりお掛けして申し訳ありません。」                                      天照はもうすでに、自分の感情を隠すのを止めていた。                「・・よくぞ戻りました須佐之男!・・・・大御神として、・・いえ・・姉として嬉しくてなりません。」                                    そう言うと天照は、正に氷をも溶かす太陽の光のような満面の笑みを浮かべた。    「・・・それにどうやってこんな可愛い嫁を連れてきたのですか?・・・妹と呼べることが嬉しくてたまりません・・・・。」                           天照はあまりの感激を抑えるのにしばしの間を必要とした。               そして顔の表情を整えてから姿勢を正し、女神として二人に向き直った。        「天叢雲剣をこちらに・・・。」                           須佐之男から受け取った天照は、剣を横にして両手で持った。              そして数秒探るように天叢雲剣を眺める。                      「・・今この中には地の女神の加護が宿っていますね。・・・これはあなたの力ですね櫛名田姫?」                                       櫛名田姫は可愛くコクッと頷いた。                        (・・可愛い・・)と内心では思いながら天照は目を細めた。            「・・だから今までと違う力が宿っていたのですね・・・」               そして天照は天叢雲剣の刃の真ん中に口ずけをした。                  壇上から降りると須佐之男に近ずき、その額に口ずけをした後二、三歩下がった。     すると剣の中心部から光が溢れ出し、剣全体を覆った。                 まぶしい光に須佐之男をはじめ多くの者が目を細めたが、しばらくすると光が弱まって行った。

「・・・天の女神の加護を上書きしました。・・これで本来の天叢雲剣に戻りました。」  天照は櫛名田姫に歩み寄り、手にしていた剣を彼女に手渡した。           「・・次はもう一度あなたの加護を与えなさい・・・上書きするのでは無く、上乗せするのです。」                                       櫛名田姫は丁寧に剣を受け取ると、同じく剣の刃の真ん中に口ずけをした。        天照に剣を渡すと須佐之男の額に口ずけをするために歩み寄った。          「・・櫛名田姫。・・あなたは直接、須佐之男に口移しで加護を授けなさい。・・・その方があなたの負担が少ないでしょう。」                        「・・え!・・」                                  天照の言葉に櫛名田姫がふりむき、驚きの声を上げる。                      「・・・姉弟でそうするのは、さすがに見場がよくないので私はしませんでした。・・しかしあなた達はもうすでに、天が認めた夫婦なのですから問題無いでしょう・・・。」     櫛名田姫は驚きと恥ずかしさでしばらく固まっていた。                 彼女は(ふう~)と息を吐くと須佐之男の方に振り返り、尋ねるように彼を見つめた。   須佐之男は静かに頷いて微笑んだ。                          それを見て櫛名田も微笑むと須佐之男に抱きつき唇を重ねた。              謁見の間の全ての視線が二人に集中する。しばしの静寂があった。            天照が抱えていた天叢雲剣が、段々と輝き始める。                   数秒後その輝きは広間を覆い尽くすほど広がり、誰も目を開けていることが出来なかった。 そして輝きが増していったのと同じように輝きが小さくなっていく。           剣が大きくその形を変えていた。                           真っ直ぐだった刃は反りが入り、装飾が施されていた柄は実践に合う無骨なデザインになっている。いわゆる日本刀と言われる剣の姿になっていた。

「・・・これはもう天叢雲剣とは言えません。天の女神の加護である雷と風の力と共に、地の女神の加護の火と水と地の力が宿っています。・・正しく天の威光を持って地を統べる明かしの剣と言えるでしょう・・・。」                           剣を両手で抱えたまま、全体に聞かせるように天照は説明する。           「・・・では何と呼べば良いのでしょうか?」                     須佐之男は片手で櫛名田を抱いたまま問いかけた。                 「・・・この剣はもう切れない物がありません・・・何でも切れる・・例えば風になびく草花でさえ切れるでしょう。・・・・そうですね、草薙の剣という名が相応しいですね・・・・・須佐之男命よ!・・この草薙の剣をあなたに預けましょう。」           「・・・姉上!・・・ありがとうございます。」                    天照から草薙の剣を受け取った。                           すると草薙の剣から一陣の強い風が吹き荒れた。                  「・・どうやら喜んでいるようですね。」                       天照は嬉しそうに剣を見つめた。                          「・・須佐之男の命。・・私の代身として地上に向かいなさい。・・共に闘う同士として地上の民を整えていなさい。再創造の摂理が動き出す時まで・・。」                         天照は主神としての威厳に満ちた声で言い渡した。その声は静まりかえる謁見の間はもちろん、高天原全体を越え、地上にも届いているかのように鳴り響くのだった。


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