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5.澱む心の沼

 いつの間にか、ルークの周囲には靄がかかっていた。鬱蒼とした森の静けさのみが伝わっててくる。

 他の皆の気配が感じられない。焚火も幌馬車も見当たらない。奇妙に思いつつも、ルークは一歩踏み出した。その方向が北なのか南なのか、それすらも解らないままに。

 通常であれば、こんな時に不用意に動いてはいけない。少なくとも通った後に目印になるものを残しておかねば……とは思うものの、伸ばした手には木の枝も小石も、何の感触にもあたらなかった。


 ――来たよ、来たよ。

 ――どんなやつ?

 ――なんか、珍しい毛色の子。


 子供のひそひそ話のような、木々や草のざわめき。次第に強くなる好奇の視線。どうにも無邪気とは言い切れない、雑念の入り乱れる気配を感じて、ルークはなんとはなしに苛つき警戒を強める。


 ――どうしたの?

 ――なんか、変なのがついてる。

 ――熱い、熱いよ、たぶん危険。

 ――でも、ってことは……


「ねぇ! ちょっと、どこ行ったのー?!」

 遠くで精一杯張り上げられている、少女の高い声。

「気をつけて、プラーミャ。私とじいさまはともかく、あなたは」

「いや、お嬢の好きにさせてやれ。案外それが一番の近道かもしれんて」

 気弱な女性の声と、やや伸びのある老爺の声。これらの声の方向に戻るのが、正解なのだろうが……


 ――そう、こっち。

 ――君の見ているものは、コレだろう?


 眼前の視界におぼろな人影が見いだされた。白金の髪が長く揺れる、細身の後姿。

 罠に嵌められている、その意識がありありと伝わってくるのに、ルークは逆らうことができなかった。一歩、踏み出すごとに何かが足に纏わりつく。重くなる足どりと、行く先に見える人影との間に差しはさまれる、薄衣のような靄。


 ――無理、無理。

 ――お前のような余所者には、期待されていない。


 急に囁き声が低くなった。無邪気な子供の悪戯っぽい気配から、気難しい大人たちの閉鎖的な思念へと移り変わってゆくようだ。

 既視感のある言い様。町の市場で時おり浴びせられる、心ない言葉の数々。


 ――認めてもらいたいんだろう?

 ――でも、難しいかもね。


 再び声が子供の悪戯っぽさを増し、やや悪意が薄らいで感じられた。よくわからないが、声は自分を揺さぶりに来ている。それが解ってルークはひとまず落ち着きを取り戻した。普段のように自分の周りに”殻”を作り上げ、意識して他者との距離を保つ構えをとる。


 ――それも悪くない、けど……

 ――それで進める、かな?


「行く」

 ルークは思わず声に出していた。この程度で、怯んでたまるか。半ばむきになっていたが、口にしたことで気合いが入って肝が据わってきた気がする。

「気をつけて、前!!」

 再び少女の甲高い声が上がった。泥のように濁った灰色の靄が、風にひるがえる薄衣の形をとってその動きを速め、ルークの眼前に迫りくる。反射的に短剣を抜いて斬りつけたが、濁った靄はその一時だけは払われたものの、また再び迫りくる。

 靄を薙ぐたび、短剣を持つ手は重く動きを鈍らせていく。これでは持久戦だ、繰り返しているだけでは活路は見いだせない。何か、状況を変えるものに思い至らないと……


「――助けて、お願い!!」

 少女の声には、切実な響きが込められていた。直後、ルークの短剣の刃が赫く輝く。


 ――やっぱり!


 声の動揺が伝わってきた。だが、純粋な恐怖というより、なぜか好奇の思念までもが入り混じっているように感じられた。ルークが構わず短剣を繰り出すと、靄の衣はあっさりと切り裂かれ、集まりなおして元に戻る様子はなかった。

 二薙ぎ、三薙ぎ、靄を切りはらうごとに視界は開けてくる。僅かな月光に浮かびあがる、森の奥地――木々の茂みのなか、足を止めたルークのこめかみから一筋、冷や汗が伝いおりた。足元はぬかるみで大いに汚れ、撥ねた泥が膝上や手元にまで飛び散っている。

 だが、ルークはそれらを気にしたわけではなかった。進行方向には地に沈みかけた木々の幹や梢が、その姿を黒くかたどっている――湿地帯だ。底の知れない沼の直前で、ルークは踏みとどまっていたのだ。


 ――ふふ、危なかったね。

 ――ギリギリ合格、ってところ?


 声はまだ続いていた。沼の上部には薄明るい、丸い球状のものがいくつか浮かびあがり、その場を漂っていた。

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