3.凍れる檻
ミローディアは目覚めた。瞼を開けて最初に目に入ったのは、水晶細工のような――とは言っても明らかに尋常でない大きさの――半透明の石材でできた扉、小卓、椅子といった調度品の数々だった。
部屋全体も白く濁った水晶のような、大理石とは違う質感を持っている。同様の天蓋つきの寝台に自分は横たえられていた。敷かれている白い薄衣はふんわりと柔らかく、水鳥の羽毛が詰められているのだろうと思わされる。
やはり同様の材質の窓から、冬特有の眩しく冴え冴えしい光が、低い角度から部屋の半ば以上まで差し込んでいる。その部分のみは明るかったが、光の及ばない箇所は暗く澱んで見えた。
上体を起こし、肩にかけられていた銀狐の外套がずり落ちそうになるのを押さえながら、ミローディアは窓へと近づいた。これが父の館の自室であれば、眼下に町の広場が、賑やかな表通りが広がっているはずだった。
期待してはいなかったが、やはり見慣れた光景は望めなかった。代わりに樹氷の森と雪原が、その向こうにまだ雪に覆われていない森や、人の集落らしきものが認められた。
ミローディアは思索する。太陽の位置から、こちらが南側なのは明らかだ。そして初冬のこの季節、雪化粧の映り具合から考えれば、セーヴェルの館よりもはるかに北にいることになる。
「北の、果て……?」
ミローディアは誰に告げるともなく呟いた。だとするとここはまるで、昔語りに聞く”氷魔王”の――
「その通りだ」
振り返ると、部屋の暗がりの一点が黒く凝縮したような、背の高い人影があった。身に纏う黒衣には、銀の鎖帯や黒鳥の羽根飾りがあしらわれている。頭部も黒鳥の羽根飾りに覆われ、顔の部分には白い仮面が嵌まっていた。仮面には細い線状の紋様が入っている。その流れは、冷酷な威厳と――ほんの僅かに哀愁を漂わせる表情を、仮面の上に浮かびあがらせていた。
「お名前を、お聞かせ願えますか」
ミローディアは丁重に願い出た。もし自分の推測が当たっていれば、かの人の名は。
「ザミェルザーチ」
仮面が低い声を響かせた。
「……人間たちが、”氷魔王”と呼んでいることもある」
「”氷魔王”、さま」
ミローディアはゆっくりとその呼び名を反芻した。黒衣がゆっくりと持ち上がり、鈍い銀色の篭手のような腕の指先が、自分を示す。
「セーヴェルの領主の娘。”氷姫”のミローディア」
「……よく、ご存じで」
ミローディアは自嘲気味に薄く笑った。周囲には美しいと褒めそやされることもままあるが、幼少のころから表情に乏しく、まるで氷の彫像のようだと。館の者にすら敬遠されがちな日々を過ごしてきた。その風聞が北の果ての魔王にまで届いていたのかと思うと、なんとも皮肉なものだ。
「お招きいただき、光栄に存じます――つかぬことを伺いますが、わたくしはどれほど、こちらで眠っていたのでしょうか」
「二日には満たぬな」
「然様でございますか。では、これ以上の長居は失礼かと存じますので、家に戻らせていただきます」
ゆっくりと頭を垂れたミローディアの動作を、仮面の一声が遮った。
「その必要はない」
ミローディアは菫色の瞳で相手を見つめなおした。
「ここに住まうがよい。お前には、その”素質”がある」
「仰っている意味が、よく解りませんが」
「じきに解る。不自由はさせぬゆえ、ゆるりと過ごせ」
仮面の魔王は暗がりの奥へ一歩引いたかと思うと、その黒い姿は次第にぼやけ、雲散霧消した……
ミローディアはしばし、その暗がりのあとを見つめながら立ちつくしていた。