2.城下の市場
セーヴェル地方を治める領主の館が、市場の中央広場の向こうに見える。
「だいぶ無駄遣いしたな」
ルークの行きつけの鍛冶屋も、広場に面した通りに店を構えている。鏃の補充のため、研ぎ直せない古い鏃や鉄片を持ち込んだものの、十分な量を確保できずに結局のところ、けっこうな買い増しを迫られることとなった。
鏃の鋳造は、おおむね店主の息子のモーロトが請け負っている。ルークにとっては幼馴染みでもある、ひとつ年下の青年は、父親ゆずりの大柄な体躯を黙々と動かして鏃の鋳型を並べ、溶かした鉄を流し込む作業に集中していた。
ルークも同じ作業場の片隅で、矢柄にする木材を削り形を整えていた。少しでも出費を抑えたい常連客には、作業場の間借りも許されている。
「よぉ、ご苦労さん」
厄介な相手に声をかけられた。作業を終えていないうちに店の出入り口から、痩身の旅装の男が顔を覗かせた――こちらもルークには馴染みの、行商人のセルプである。本人曰く、おもに山野草や雑貨を取り扱っている、という話だが、いつも背嚢に収まる程度の品しか持ち歩いていない。真面目に商売をしているのかどうか、時々ルークには疑わしく思えてくる。しかもこの年齢不詳の――少なくとも自分よりは年上だと断言できるが――男は、付き合うのが面倒になるほどの饒舌なのだ。
「何だい、しけた面で睨みやがって」
「お前がいると仕事が進まないからな」
「人がいる時は、その時にしかできないことをやるのが賢明だぜ」
だいたいこれが、セルプの手口である。彼の取り扱う商品には時おり”情報”が含まれる。
「悪いが、今手持ちが心もとない」
「そう言うなよ、安くしとくぜ――例えば、密猟者に関する話とか」
ルークは手を止めざるを得なかった。余所者あつかいされることの多い素性と外見から、この手の話に無関心でいることは危険だと、幼い頃から親にも言い聞かされていた。知らなかったでは済まされない。自分が土地の禁忌を犯していないか、疑われるような振る舞いは極力避けるべきだと――さもないと、その疑惑の矛先は、たやすく異端者に向けられるのだ。
「俺は、ここ暫くそういった話は聞いていないが」
やはり作業の手を止めたモーロトが、低く小さな声でつぶやいた。店主ともども自分のことを気にかけてくれているらしい彼の発言は、寡少ながらも役立たせてもらっている。デマでぼったくられないためにも、複数の情報源を確保しておくのは大事なことだ。
「そりゃそうさ、たった今仕入れて来たネタだからな――南の森で少々、きな臭い動きがあったらしい」
「……」
沈黙を保ちながらも、ルークはセルプの言わんとするところの真意と、懐具合とを胸のうちで天秤にかけていた。南の森など、トラブルがないほうがおかしい。この北の地で恵まれたものを抱えている、人にも獣にも格好のエサ場。立ち入るものは森番に管理され、手に入れる獲物にも厳しく制約がかかる。ルークとてこの間、久しぶりの申請で許可がおり、収穫を得ようと気負いこんでいたところを――
「モノがないってんなら、ハナシ同士の交換でもいいんだぜ」
「……まあ、なくはない。酔っぱらいの与太話にしかならんものでもよければな」
「ほう?」
身を乗り出してきた痩身の男に、ルークは慎重に言葉を選びつつ応えた。
「この間の南の森で、一ヵ所に鳥が妙に集中していたところがあった。しかも雁の群れとかそういう類でなく、まったくバラバラの種類の鳥が集まっていた」
「ふぅん……」
「変な感じはしたが、いちおうチャンスだからな。いちばん大きい獲物を狙おうとしたんだが、外した。それで鳥は一斉に逃げて、それで終いだ」
情報は、小出しにしたほうがいい場合もある。それ以上は相手の持ち札次第だ。そう含ませてルークはセルプを見返した。
「怪しい奴とかは見かけなかったのか?」
「……」
思わず眉根を寄せてしまった。不可思議な黄金の鳥と、妖精のような少女となら出会った。しかし密猟者に結びつかない。むしろ密猟者を捕って喰うか呪いをかけるかくらいのことはしかねない気配だった。自分は追い払われただけで吉、と思うほうがいいのでは……とすら思えたものだった。
そこでルークはふと周囲が気になった。外の町の賑わいが、どちらかというと喧騒めいた動きを示している。店の出入り口で様子を伺っていた店主はルーク達に向き直ると、外に向けて顎をしゃくった。
「広場に伝令が来ている。領主からの通達のようだ」
ルークは店の外へと駆け出した。遅れてセルプも後をついてくる。領主からの通達は以後、広場に貼りだされることが多いのだが、伝令に直接質問できるこの時を逃がすと、話の主旨を掴みにくいこともある。
「これから話すことは、館の者の一部にしか伝えていなかったことだが、領主様は公にすべきと判断された」
集まってきた民衆を前に、領主の館からの伝令が声を張り上げる。
「二日ほど前、遠乗りに出かけた領主様のご息女が行方知れずとなった。盗賊や人攫いの仕業やもしれぬとのことで調べていたが、今日になって匿名の手紙が館に届けられた――内容は『ミローディア姫は、北の魔王に囚われた。魔王の凍気に打ち勝つ勇者を探せ』と」
聴衆がざわつく。北の魔王。”セーヴェルの氷魔王”と称される、北の果てに住まうとされる脅威。
だがルークは、それ以上に自分が動揺していることに気づいていた。ミローディア。彼女もそう言っていた。南の森に入ったのも、確かに二日前だった。
「お嬢様を無事連れ帰ることができれば勿論だが、それ以外にも、手がかりになりそうな話を持ってきたものには褒美をとらす。以後おのおのの心に留め置くように。以上だ」
民衆のざわめきが増し、あるいは言葉をかけ合いながらも次第に散りゆくなか、俯いたまま場を離れようとしないルークを、セルプが怪訝そうな表情で見つめていた。