14.繋ぎとめる冬の光
「大変……!!」
倒れた黒衣の人影に駆け寄る領主の娘、ミローディアは、明らかに相手の身を案じ狼狽えていた。彼女は、自分の置かれた状況を解っていないのだろうかとルークは訝った。かどわかされて来ていた、身の危険が迫っていたという自覚がないのかもしれない。
――っ……
そちらに気をとられていたルークは、もうひとつ床に降り立ち蹲ったモノに気がつき、慌ててそちらに近寄った。黄金の鳥はぐったりとして生気がない。『残りの力の全てを込めた』というのは、本当に生半可な覚悟ではなかったようだ。ルークがゆっくりと抱え上げると、人肌よりももっと冷えた感触に、いっそう危機感を募らせることになった。
「冷たすぎる……一体、どうすれば」
「なにか燃やして、暖めたほうがいいかもしれんな」
「ちょっと待て、いま火を起こすから――」
ルークらが口々にやりとりする中、囚われの身だった娘が振り返り声をかける。
「その子もこちらに。早くしないと、ふたりとも危ない!」
ミローディアの言い切りように一瞬怯んだものの、ルークはプラーミャであった鳥を抱えたまま、その方へ近づいた。彼女は腕に光る布きれを抱いていた。両腕を広げるとその布は、薄く金色に輝く、透けるほど軽い幅広の衣だと判った。ところどころ白く光る、花びらのような模様が浮き出ている。
彼女はまずはルークの腕の中の鳥に、金の薄衣をかけ包んだ。ルークにはどことなく鳥の冷えがおさまり、その表情が楽になったように見えた。
「よかった……やっぱり、この子だったんだわ」
「どういうことなんだ?」
「……これは、この城に置いてあったものです。わたしには、誰かちゃんとした持ち主がいるだろうと思えたものでした――氷魔王ではない、別の誰かの」
ルークは先刻の、プラーミャと氷魔王のやりとりを思い出していた。確かに『戻って来た』と言っていた……
――私は、”熱気”の精霊だから。私を自分の中から追い出せば、”凍気”はさらに力を増す。そうやって私は生まれた。
――でも、もともと熱気の少ないこの北の地では、こんなに小さく幼い存在でしかいられなかった。ザミェルザーチはこの館で、最も陽の光のあたる部屋に私を閉じ込めた。自分の強さを維持する、そのためだけに……
「それは、違うと思うわ」
ミローディアは憂いをたたえた菫色の瞳で、うずくまっている金色の塊に語りかけた。そうしながらゆっくりと金の衣の片端を広げ、それを倒れ伏す黒衣の魔王にも覆いかぶせる。
「あなたを本当に必要としていなかったのなら、早々に南の地に追いやっていたはずよ」
金の鳥はうっすらと瞼を開ける。少し活力が戻ってきたかのようだった。
――それは……結局そうなったわ。私はここを飛び立ち、南へと向かった。彼から先に命じられなかっただけで。
充分に会話する気力が戻ってきて、金の鳥はさらに首を伸ばし、横たわる黒い凍気の精霊を顧みた。
「わたしは彼ではないから、完全に彼の気持ちがわかっているとは、思わないけれど……」
人でありながら雪の妖精にも例えられる物静かな少女は、金の衣越しに氷魔王の身体に手をあて、胸部をさするように撫でた。
「自分の中にある、自分らしくない部分を。いったん離れたところから、眺めてみたくなったのではないかしら。離れていたほうが自分らしくいられると思っても、それでも完全には失いたくなかったのでは、ないのかしら……」
闇のような黒い塊の上に、輝く金衣が広げられているのを見て、ルークは何とも不可解な気分になった。氷魔王が受けつけるとは思えない、陽光の加護が施されているらしきその布は、果たして彼を救うものになり得るのだろうか。そもそも、何が彼にとっての”救い”なのだろうか……
――薄雪草は 冬に在り
桜草は 春を呼ぶ
凍てつく心に 届くのは
焼けつく強さの なき光――
ミローディアが紡ぐ唄を、ルークは初めて聞いた。町の噂にのぼる、聴く民らの心に沁み入る歌声を。
――なんだろう……昔、ここにいた頃の気持ちを、思い出す……
金の鳥は光を増し、その形は大きく膨らんで抱えていたルークの腕を離れた。光はおさまり踊り子の少女へと姿を変え、彼女は横たわる黒衣の人影の、傍に膝をついた。ミローディアに与えられた金の衣が、小柄で華奢な肩にかかっている。
プラーミャは微かに声を震わせながら、同じ布を被せられている彼に呼びかけた。
「……何よ。あんた、これくらい平気なはずでしょ。あたしのほうがずっと弱い、小さな力しか持ってないんだから……」
ルークにもようやく、この二人の奇妙な関係がわかりかけてきていた。親に逆らって家出してきた子供に近いのではないか、と思えた。確かに、子は親を離れるものだ。そしていつか、子は親を越えることもある。
だが親にとってはいつまでも、子は切り離しがたいものなのだ……しかし子供がそれに気づくのは、往々にして遅い。双方が生きているうちに、理解し合えない時もある……故郷を捨てた亡き両親の気持ちを知り得ることができなかった、ルーク自身のように。
氷魔王の前に屈み込んだプラーミャは、次第に目元が潤んできていた。溜まりきった大粒の涙の雫が、少女の頬を伝い落ち、黒衣の胸元に辿り着く。すると雫は凍りつき、水晶のように輝きつつ、次々とその場に散らばった。
こめかみの部分がひび割れた仮面が、ゆっくりと真上を向き上体を起こす。その場にいる各々が少し退きながら見守るなか、仮面が低い声を響かせた。
「……光が、視えた。おまえの声とともに」
プラーミャもミローディアも、わかりやすく安堵の表情を見せた。ルークにもその気持ちはわかったが、なんとなく面白くない気分にもなった。何故これまでの脅威の元凶が無事だと知って、二人とも喜色を見せているのだろうか。
「……ふ、ふん、だから言ったでしょ。あんたがあの程度で”消える”なんて、こっちは全っ然、思ってなかったわよ!」
言うなりプラーミャは立ち上がり、広間を駆けめぐって南の光が射す窓際へと向かった。両手で窓を大いに開け放ち、冷えた空気と眩しい陽光の両方を、氷の城の中へと招き入れた。
「……やはり必要でしたのね。この地にも、光が」
ミローディアはいつかも見た、新雪のようなふわりとした笑顔を浮かべルークに向き直った。何故だか気まずくて目を逸らす。ちらりと横目で伺い見ると、彼女はまだ微笑を浮かべてルークを見つめていた。