10.北壁の登城道
「――なあ、どう見える? 俺」
セルプの問いかけに、モーロトは率直に応えていた。
「少しぼやけて見える」
「だよな。俺も、お前らがそう見えるもんな」
どうやら沼地の精霊らが言っていた”気配消し”とやらの力が発揮されているようだ。そしてその恩恵を受けていないはずのプラーミャも、外套に隠した踊り子の派手な衣装ごと、存在感が薄れて感じられる。
肌を刺す寒気も、これまでよりもいくぶん和らいでいるかのようだ。もうひとつの”精霊の守り”とやらの効果なのだろう。
「――あたしは、ほんの少しだけ”熱”を操れるみたいなの。でも、あんまり長くは保たない。前にやったように、あなたたちの武器に一瞬だけ、その力を乗せるのがいいと思う」
「それで、氷魔王に勝てるかって話なんだが」
「わからない……捕まっている女の子を、連れて逃げるだけで精一杯かも」
「どちらかというと、そっちのほうが難しい気もするがな……」
ルークが黙り込むと、プラーミャは少し膨れっ面を見せた。
「しゃんとしなさい、あんたでなければきっと、他の誰でもできないわよ」
彼女の根拠のない叱咤激励は、それでも何故か気持ちが楽になった。
北の大氷壁。陽光を照り返す水晶のような輝きに目が眩みそうになるも、その一ヵ所に不自然な、人工的な加工物が認められた。氷壁を削って掘り起こされたかのように背面が埋もれている、領主の館よりもはるかに大きい鋭角的な城。そこへと続く登り道も、石段のように削られ段差がつけられているようだった。
「なんつーか……大氷壁のてっぺんじゃなくてよかったな、とは思うんだが」
セルプの言う通り、高度はそこまではないが、低い登山程度の体力は使うだろうと思えた。いったん氷の城の手前まで、辿り着いたところで小休止をとる。
「捕らえられているとしたら、どこにいると思う」
「……たぶん、上の階じゃないかしら。下のほうは、人間には耐えられない気がする」
プラーミャの推測に一同は頷いた。人間の常識でいけば、一般的な囚人は地下牢に入れられるものだが。この城で氷壁の奥に相当するその場所は、保存食の貯蔵庫にしかなりそうな気がしない。
「いちばん光のあたる、南側の部屋……」
「やれやれ。山登りの次は城登りってことになるわけか」
少女の呟きに、セルプも心なしか腰が引けている様子だが、モーロトを手伝って登山に用いる縄や小型の鶴嘴などを取り出していた。二人とも、並の若衆より健脚なのはルークも知るところだが、どこまで付き合う気があるのか。そして彼女も――蜂蜜色の髪を外套で覆い隠した少女は、まだ幼さの残る顔に不安と決意の両方の表情を滲ませていた。
氷で滑らぬよう注意を払いつつ、ひと息に駆けあがるのは難しい、高い段差の氷塊をひとつひとつ慎重に乗り越えてゆく。軽く息が上がりかけたものの、ルークはひと呼吸でそれを鎮め、少し開けた場所まで辿り着いた。眼前に待ち受ける氷の館は、遠目に見た時よりも細部の彫刻がよくわかり、人が造りえない巨大な芸術品なのだと嫌でも思い知らされる。
「裏口でもありゃーな、ってのはやっぱり、無駄な期待だったかなぁ」
その場にいる全員がわかっていたことだが、ルークもやはりセルプがそう言いたくなる気持ちも理解できた。入口の扉は非常に大きく、背面は氷壁に埋もれている。どう見ても一か所しか侵入路はない気がするのだが。
「――もう一か所……頑張れば、なんとかいけるかも」
氷の城を見上げたまま、プラーミャは皆に告げた。つられて三人とも、彼女の視線を辿ってみた。