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技師と花束  作者: 鳥路
4歳編  スラム街の名無し少年
3/17

3   少年の名前と三つのお願い

紙を追いかけ続けて数分


「・・・どうしよう」


紙は誰か知らない屋敷の中に入り込み、容易には取りに行けなくなってしまった


「ううん。あれはぼくのたからもの。とりにいかなきゃ」


あの紙は僕が僕であることを唯一証明できる紙

それを失ってしまえば僕という存在は消えてしまう

それに、あれは死んだ両親が遺してくれた唯一のものだから

こんなところで無くしたくない


「・・・やるしかない」


さて、屋敷の中に侵入することは決まったが、どうやって侵入しよう

正面から行っても、入れてもらえないことは確実だ


それなら無断で入るしかない

門から覗いてみたのだが、幸いにもこの家は今まで見てきた貴族街の家の中でも別格で庭が広く、複雑化しているようだった

だから、子供一人入ってもそう簡単にはばれないだろう


次に紙のある場所を確認する

塀の近くにある木に登って、中の様子をうかがう

紙は屋敷近くに生えている大きな木に引っかかっているみたいだった

このまま風がなければずっと引っかかったままだろう


「よし、つぎは」


次は侵入経路

屋敷の壁を如何に乗り越えるかを考えるんだ

周囲を見渡して、僕はこの木の枝を一本一本見ていく

運がいいことに、一か所だけ屋敷の塀を超えられる枝がある

あれならぎりぎり屋敷の中に侵入できるだろう


・・・ただ、脱出はできない

脱出経路は後で考えよう

いざとなったら侵入者として殴り捨てられることを覚悟するしかないけれど、それしかないならそれを受け入れるしかない


「・・・よし、いこう」


急がないとまた風が吹いてしまう

そうしたらこの侵入の意味がなくなる

その後は、屋敷の使用人の動きを葉に隠れながら観察する

幸い、この辺りをうろついている使用人はいない様だ

これなら、コソコソせずに屋敷内の木に登って紙を回収できるだろう

僕は、音を立てないように慎重に枝を渡り、塀を超えて枝から飛び降りる

屋敷内に侵入成功

そして急いで紙がある木の陰に隠れた


「じゅんちょう」


使用人が不審がって近づいてこないことを確認した後、木に上り始める

そして紙のある場所まで上ったが、ここで最大の問題が発生する


「・・・だれもいないかな?」


先ほどは木に隠れていたため気が付かなかったが、紙が引っ掛かっている枝の隣には大きな窓がある

紙のある枝と、窓はほぼ隣接しており確実に姿をさらさないといけなくなる

そうなると、その部屋に誰かいた場合、捕まってしまうだろう


「・・・だいじょうぶ。なぐられることぐらいかくごしてきた」


この紙を取りに来た時点でそれぐらい覚悟している

僕は息を大きく吸って深呼吸を始める

それを何回か繰り返した後、意を決して枝を進み始めた

そしてぎりぎりの位置まで進み、右手を精一杯伸ばして紙を取ろうとする


「んんんんん・・・!」


しかしなかなか届かない

それでも精一杯右手を伸ばすが届かない


「んんん!!」


もっと枝の先端部に行き、同じように右手を伸ばす

そして紙を取れた瞬間、目の前の窓がゆっくり開いた


「あ・・・」

「・・・先ほどから「んーんー」言っているのは誰?」


そこにいたのは使用人とは思えない服装の長い髪の少女

スラム街では絶対に見ないような、綺麗な服に、艶やかな髪

アルベルトが僕の事を綺麗だというが、そんな言葉はこういう少女にこそふさわしい言葉だと思った


「・・・あなたは、誰?泥棒?どうやって入ったの?」


少女は僕の姿を見て、質問ばかりしてくる

当然と言えば当然だが、僕は見つかってしまったという動揺で彼女の言葉に上手く反応できなかった


「え、あの・・・ぼく、なにも・・・・」

しどろもどろにしか言葉が出てこない

「落ち着いて!」

「は、はい!」


少女の声で先ほどまでの焦りが飛ばされる


「とりあえず、言葉は分かる?」


少女の問いに僕は何回も頷く


「でも、ゆっくりはなしてくれるといい。ききとれないから」


少女の発音はとても綺麗で流暢だ

少しは分かるけれど、あまり聞き取れない・・・


「あ、そう。わかった。ゆっくり話すわね」

「ありがと・・・」


少女は僕の言葉を聞いて、少しだけ話す速度を落としてくれた

それでも早いことには変わりないが、先ほどよりは聞き取りやすくなった


「えっと、とりあえず・・・あなたは泥棒ではないんだよね?」

「うん」


それを聞いて、少女は安どしたように息を吐く


「次に、どうしてここに入ったの?」

「これを、ぼくのたからものが、かぜにとばされて、ここにはいっちゃったから・・・とりにきたの」


僕は少女に紙を見せながら答える


「これはなに?」

「ぼくのなまえと、たんじょうびが、かいてあるかみ」


少女は「貸して」と言って片手をこちらに伸ばしてきたため、僕は大丈夫かなと思いながら彼女に紙を手渡した

少女は紙に目を通しながら「ふむふむ」と一人で呟いている


「あなたはどこにすんでいるの?」

「すらむにすんでいるよ」


そう言うと少女は驚いた顔をする

そうして僕の全身を見て「ああ、だから・・・」と納得していた


「じゃあこれ読めないんじゃない?」

「どうしてわかったの?」

「一般市民の大半は文字が読めないって聞いたから、スラムの人も読めないだろうと思っただけよ」


何処で聞いたのだろうと思いながら、一つの考えが浮かんだ

この子は貴族街に住んでいるから、もしかしたら文字が読めるかもしれない

運が良ければ僕は名前がわかるかもしれない


「じゃあ、きみはそれをよめるの?」

そう問うと、少女は「うん」と言いながら頷いた

「読めるよ。読めなかったら生活できないじゃない」

「・・・よめなくても、せいかつはできるよ?」

「でも苦労するよね?」

「・・・そうだね」


先ほどの地図の事を思い出す

文字がわからないからここがどこなのかわからないから、どこにどう行けばいいか分からなかった

それは少女の言う「苦労する」ことだろう


「もじがわからないと、くろうするね」

そう結論を述べると、少女はにっこりと笑った


「そうだよ。今は学びが主流だからね。文字の読み書きは基礎中の基礎でそれができなかったら就職もできないご時世だよ?」

「そうなの?」

「そうなんだよ」


少女がきっぱりというのを見ながら、僕は将来に不安を抱き始めた

僕は文字を読んだり書けない

いつかの将来、働いてスラム街から脱出しようと考えていたのに、それじゃあ無理だ


「もじがよみかきできないと、みとめられないつらいごじせー・・・」

「でもあなた、話すことはできるじゃない。それは十分な強みだと思うよ」

「ぼく、はなせてる?きみにもわかる?」

「うん。拙いけど、ちゃんとわかるよ」

「へえ・・・・じゃああとはよむこととかくことだけだね」


そう言うと少女は複雑そうな顔をする


「ええっと、それをあなたに教えてくれる人はいるの?」

「いないよ」

「じゃあ誰に読み書きを教えてもらうの?」

「・・・どうしよう」


僕が木の上で考え始めると、少女は何故か笑い始めた


「じゃあ私が教えてあげる」

「おしえる・・・?きみが?」

「うん。私があなたに話し方はもちろん、文字の読み書きも教える。その代り、あなたは私の言うことを毎日三つやること・・・それでどう?」

「・・・それだけでいいの?」

「うん」


少女は頷いて、僕の方を向く

三つのお願いを聞く

それだけで読み書き、そして話し方が学べるのなら安いほうだと思う

優しい貴族って存在したんだな、としみじみ思う

アルベルトの話も嘘ではないと少しだけ思ってしまった


けれど貴族の三つのお願い

難題を用意されそうだけど、それでもスラム街脱出という目標には必要なものだ

頑張るしかない


「じゃあ、おねがいします」


そういうと、少女は嬉しそうに笑いながら手を僕に伸ばす


「うんうん!よろしくね「エドガー」!」

「えどがー?」


少女は聞き覚えのない何かわからない単語を言う


「それが君の名前。「エドガー・ユークリッド」この紙にそう書かれていた」

「えどがー、ゆーくりっど。それがぼくのなまえ?」


頭の中で何度も復唱する

エドガー・ユークリッド

自分の名前のようじゃない、自分の名前

名無しより、とても暖かい優しい名前

それは意外にも早く、僕の心の中に納まった

まるで今までそこにあったかのように


「そうそう。じゃあ私の手をつかんで部屋の中に入って!早速勉強しよう!」

「え・・・」


少女は僕に手を伸ばしたままそういう

陶器のように真っ白で、美しい肌

対照的に僕の手は泥だらけ

もう何日も洗っていない汚い手だ

対照的なその手を取っていいのか躊躇する


「手を取ってくれないの?」

「だって、ぼくのて、きたない」

「汚いのは外にいたからでしょ?」

「そうだけど・・・・」

「じゃあ、これが「最初のお願い」にするね。私の手を取って、エドガー」


お願いと聞いて、僕は息をのんだ

お願いされたら絶対に手を取らないといけない

お願いを実行しなきゃ、読み書きを教えてもらえないんだから

僕は意を決して恐る恐る彼女の手をつかむ


「・・・これで、いい?」


彼女の手を握りながら、彼女に聞く


「うん。じゃあそのまま窓枠に足をかけて部屋の中に入ってきて」

「ええー・・・・」


本当にいいのかなと疑問が浮かぶが、渋々それを実行する

窓枠に足をかけて、少女の部屋の中に入る


「これでよし。それじゃあ侍女を呼ぶわ」

「へっ!?」


少女は自分の机の上に置いてあった銀色のベルを鳴らして侍女を呼ぶ

その音を聞きつけたのか、少女の部屋にはメイド服を着た女性が三人ほど現れた


「お呼びでしょうかお嬢様・・・その方は?」

「今すぐこの子をこの家にいても違和感がないように綺麗にして」


少女が彼女たちにそう命令すると、三人は嫌そうな顔で僕を睨む


「このスラム街の貧民のような子供を、ですか?」

メイドの一人が僕を指さしながら少女に問う

「ええ」


少女はすんなり答える


「私たちはお嬢様のお世話をするのであって、この子供の面倒は見ませんわ」

「そうですわ。お嬢様」

「たとえお嬢様の頼みであっても無理でございます」


メイド三人組は少女の抗議する

しかし、そんな抗議は少女には届かない


「すべこべ言わないで早くやって」


少女が怒ったようにそういうと、メイド三人組は揃って「はい」と返事を少女に返す

その顔は青ざめており、先ほどまでの威勢は消え去っていた

メイド三人組は僕を抱えて、急いで部屋を出る


「お嬢様の頼みですから、このスラム街にいるような子供を洗うのです」

「そうね・・・あらやだ、野良犬の臭いがしますわ」

「もう嫌ねえ・・・本当ならこんなもの、洗いたくないのですけれど」


廊下を歩きながら、メイド三人組は僕に対して文句を言う

それは、僕がこの家にいても違和感のない子供になるまで、ずっと続くことになる

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