17 燃料屋と官僚と、空への旅路
帰路を歩いた先
あともう少しで帰る場所ではなくなるトーレイン家の門の前には見覚えのある三人組のメイドが待っていた
「おかえりなさい、エドガー」
「もうここをくぐるのが当然のようになっているわね、エドガー」
「もちろん、ここで貴方の帰りを待つのも当然のことになったわよ、エドガー」
「ただいま。メイ、イド、ミィド。三人とも・・・わざわざ厚着して待っていてくれたの?」
ここに来た時からよく関わっているメイド三人組
今もなお、彼女たちはこのトーレイン家のメイドを勤めていた
「貴方の嫌いな婚約者様が来ているわよ」
「嫌いなのはメイが、でしょう?俺はあの人は割とば・・・面白い人だと思っているし」
メイはシリウスとの初対面がかなり最悪なものであり、数年経った今でもシリウスの事を毛嫌いしている
他の二人はそこまでないのだが、メイだけは尋常じゃないほどに嫌っている
その嫌悪は、主の前でも出てしまっているほどだ
「食堂は避けた方がいいわ」
「けれど、それではアイリス様に会えないわよ」
「・・・荷物置いて着替えた後、ちゃんと行くから安心してよ」
「いい子ね、エドガー。嫌いなものにも挑戦するその意欲。素晴らしいわ。ついであの男をけちょんけちょんにしてきなさい」
「勝手に自爆するから放置で大丈夫だよ・・・」
敵意むき出しのメイとそれを宥めるイドとミィドに手を振って、急ぎ足で自室に向かう
五歳の時から根城にしている屋根裏部屋・・・は、手狭になってきたので使用人部屋の一室を分け与えてもらっている
鍵を開けて、小さな自室に足を踏み入れる
足の踏み場もないほどに散らかった部品と鉄の海
そして合間には設計図の紙束が乱雑していた
それらの間に存在するかすかな合間をつま先歩きで進み、ベッドまで辿り着く
そこに鞄と式礼服を置いて、ベッド上から床を片付けて足場を作った
ようやく見えた床を普通に歩いて窓辺に近づき、鍵を開けてスライドさせる
少しだけ冷たい春先の夕風が室内に入り、設計図が部屋の中で舞う
そんなことも気にせず外を眺めていると、床に散らばっていた紙の一つが手元に落ちる
「・・・なんだ?」
よく見ると、先ほどカテリア先生の元で回収した日記の続きのようだ
なかなか上手く書けなくて、何度も書き直した形跡がある
それを読むと、懐かしいことが書かれていた
抽選に当たり、午後七時を迎えたあたり
その時間に、俺の記憶は戻っていく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後七時
「いってらっしゃい、お二人さん」
「いいいいいいいいいいってきます!」
「いいいいいいいいいいってくるわ・・・!」
「・・・ガッチガチに緊張してるなお前ら。大丈夫なのかよ」
カテリア先生の心配そうな視線を後ろに、俺たちは係の人に抽選権を渡して気球乗り場に案内される
俺たちと同じように抽選に当選した人がぞろぞろと現れて、係の人の案内に従う
「・・・子供二人」
「ひゃい!」
「はい!そうれす!」
係の一人であるおじさんの問いに、二人してひっくり返った声で返事を返す
「お嬢ちゃんの方は大丈夫かもだが、一応安全綱付けておくか?」
「お、おまかせします・・・」
「そっちのちびは絶対に安全綱付けるからな」
「あ、ありがとうございます」
色々と指示をされていくと同時に、今から気球に乗るんだという実感が湧いてくる
隣をふと向いてみると、アイリスもなんだか嬉しそうに大人たちの動きを眺めていた
「最後の最後にこんなちびっ子がやってくるとは予想外だ・・・ああ、おい。このちびの為に土台をくれないか」
「いいけど・・・え、そんなに小さい子を乗せるのか?」
「抽選に当たった運のいい子供だからな。最大限に楽しませてやらないと可哀想だろう?」
「そうだなぁ。わかった。急いで探してみるよ」
おじさんは通りかかった別の係の男性を呼び止めて、土台を探すように声をかけてくれる
アイリスより小さな俺は、背伸びをしても籠から顔が出ない
おじさんに抱きかかえられて・・・というのもありだろうが、足場が不安定な場所で誰かに抱えられるなんて、誰かに命を預ける行為をしたくなかった
もちろん、それは俺だけではなくおじさんもだろう
誰かの命を預かりたくもないし、預けたくない
「・・・アイリスは土台なしで見える?」
「顔が出るから大丈夫よ。貴方にはちょっと酷のようだけど・・・土台、安定しているものだといいわね」
「むしろ安定していない土台なんてあるの・・・?」
アイリスが腰に安全紐を付けられる光景を見ながら、子供らしくない冷静な突っ込みを入れる
丁寧に仕立てられた真新しい服に似合わない、麻の紐
腰というか、腹にまかれたそれは今でも思い出して笑えるぐらいには滑稽な姿だった
当時の俺は必死に笑いをこらえていたが、今の俺だったら指さして笑ってしまうだろう
それほど似合わなかったのだ
幼いアイリスは、俺が笑いを堪えていることに気が付いたのだろう
若干不機嫌な声で話を続けた
「・・・ボールとか、用意されたらどうするのよ」
「玉乗りなら、スラムにいた時代に曲芸をしていた時期があったからできるよ」
「貴方、その年で割と経験豊富よね・・・」
「生き残るためですので」
「ごもっともで」
「ちび、玉に乗れるのか?少しやってみてくれよ」
「うん」
まさか本当にボールを渡されるなんて思わなかった
土台待ちのおじさんから子供一人乗れそうなボールを受け取り、俺は早速その上に乗ってバランスを取る
「・・・本来なら、もう少し大きめだから芸は少なめだけど・・・はっ」
ボールの上で半回転して、着地は片手
そしてそこからバランスを取っていく
「回転、そこから逆立ちでバランス・・・」
「・・・こんな感じでいい?」
「すげぇな、ちび。俺の知り合いに渡りの曲芸団がいるんだが・・・紹介してやろうか。名前はオズワルドっていうんだが、聞いたことないか?真夜中の・・・」
「ごめんね、おじさん。僕、カテリアの弟子をすることになったんだ。誘いと紹介は嬉しいけど、流石に手が回らない」
「その年で自分が気に入った人間以外弟子として取らねぇって言うカトリアの弟子か・・・!将来有望だな!」
おじさんに勢いよく背中を叩かれる
「うわっ!」
「ちびはコネクションが将来大事になるかもな」
「そう?」
「おう。お前、カテリアが作るものの材料はどっから来てると思ってんだ」
「どこかの店から卸しているんじゃないの?」
「なぜわかった!?」
「・・・当然じゃない。材料が湧いて出るなんてそんなの子供が考えることだよ」
「うぐっ・・・」
なぜか俺の発言は麻紐で遊んでいたアイリスに被弾していた。まあいいか。子供だし
むしろ子供らしくないのは、俺の方なのだから
「なるほど。子供らしさの欠片もねえなお前。カテリアはそういうところを買ったのかもしれないが・・・」
「ポルカ、土台持ってきました!」
「おう。ゼクト。ありがとなー・・・そうそう。このちび紹介しとくわ。カテリアの弟子らしいぞ」
「さっきなってきた。確認してきてもいい」
「・・・カテリアの弟子って冗談でもいう子供はいないでしょう。あの男に関わる冗談を吐くと、制裁がくるって子供でも知っていますよ」
「うぐぅ・・・」
なぜかアイリスに発言が被弾している。仕方ない。箱入り娘なんだから
むしろ貴族であるアイリスが一般市民の噂を把握している方が普通に怖い
「こうぅぅぅぅぅぅらぁ!!ポルカ!ゼクト!俺の弟子いじめんなぁ!?」
「ほら、あそこで保護者が叫んでるし、間違いないでしょう」
「だな。疑う余地もねえよ。しかしあいつうるせぇな・・・保護者として中に入れるか。ゼクト、話付けてこい」
「相変わらず滅茶苦茶だな・・・わかったよ」
そう言いながらゼクトは面倒そうにふらりとカテリア先生の元に向かい、速攻で話を付けて戻ってくる
隣には保護者と書かれた札を持ったカテリア先生
彼自身もどうしてこうなったのか不思議そうに目を点にさせていた
「終わった」
「流石だな!ゼクト!持つべきものは官僚の弟だな!」
「この場を仕切っているのは俺だからな・・・基本的に思い通りなわけだ。まあ、お前みたいに俺をこき使うとんでもない兄貴もいるわけだけどな!?」
「・・・カテリア、二人は?」
「お前をちび扱いしている男が「ポルカ・ティエット」油売り・・・と見せかけて、燃料になりそうなものを色々仕入れてくれる「燃料屋」とでも覚えておけばいい」
「なるほど・・・」
「気球と言えば燃料・・・と思って、もしやと思って様子を見に来たんだが、成り行きでお前らに便乗することになった・・・いいのだろうか?」
「ここまで来たら、カテリアも一緒がいい。貴重なことだし、一緒に行こうよ」
「・・・ありがとうな、エドガー」
カテリア先生に頭を撫でられる
その光景をポルカとゼクトが面白そうに見ていた
「やっぱりお前が認めた弟子なんだなぁ」
「・・・凄く意外だ。子供なのに」
「こいつすげぇからな。あ、ちなみにこの仕立てのいい服を着た男が「ゼクト・ティエット」ポルカの弟で官僚だ」
「官僚って?」
「王命を遂行する立場にある人間だ。この気球体験も王命なんだろう?」
「ああ。現国王は楽しいことを国民になるべく体験させてあげたいというお心をお持ちでな・・・こうして新たな試みをいくつか計画しておられる」
「そのたびに、お前ら下っ端が駆り出されると」
「・・・いうな」
カテリア先生の言葉にゼクトはバツが悪そうな感じで目を逸らした
後から知るのだが、ゼクトはかなりの面倒くさがり屋だそうだ
楽をするための苦労は惜しまないようで、いい暮らしをするために給金のいい官僚になったという経緯がある
しかし、待っていたのは王の我儘に付き合う仕事。面倒くさがりのゼクトには相性が最悪な仕事だった
「・・・よっと」
「ポルカ、何をしているんですか」
一方、ポルカは会話に混ざらず籠の中から色々と持ち出していた
「土台のセットと、籠の中の片づけ。そうでもしないと子供二人と大人三人、乗れねえだろう?」
「おかしいな。調整役のポルカを含めても、大人はこの場に三人マックスなんだが」
「お前も行くんだよ」
「なぜだ」
逃げようとした瞬間、ポルカから襟首を掴まれたゼクトは必死に逃げようとするが、最終的には腹に一発入れられて気絶された状態にさせられる
「・・・我儘な弟だなぁ?」
「・・・・」
「エドガー、気を付けろよ。ポルカはふわふわした感じだが、怒ったら怖いんだ。自分の限界値に達したら容赦ない腹パンをお見舞いしやがる・・・・」
「・・・女の人にも?」
「・・・平手打ちって聞いたけど。とりあえず、ポルカは今後、俺の弟子としての道を歩むなら避けては通れない相手だ。腹回りは鍛えておけ」
「りょ、了解」
謎の忠告を耳打ちされる
一方、話に混ざれないアイリスは暇そうに一人で腹回りの紐をぶんぶん振り回していた
「あ、アイリス・・・」
「お話は終わった?楽しそうだったわね、私だけ仲間外れだったけど・・・」
「・・・ごめんね」
「気にしていないわ。貴方の世界が広がることはいいことだもの」
「・・・・」
「でも、今度私とお話する時間を作ってほしいわ。私だって、エドガーとお話したいもの」
「・・・もちろん」
アイリスの手に自分の手をさりげなく伸ばそうとするが、それはある人物の声によって阻まれる
「お話し中申し訳ないけど、そろそろ時間だよ。お二人さん、準備が良ければそろそろ行こうか」
声をかけたのはポルカ
気が付けば、籠の中にカテリア先生とポルカが乗り込んでいた
・・・多分、床にはゼクトがいるのだろう
「じゃあ、行きましょうか」
「うん」
俺が伸ばした手をアイリスがさりげなく取り、共に籠の方に向かう
カテリア先生に持ち上げてもらって俺たちは籠の中にいれてもらう
それを確認したポルカは気球のバーナーを開く
夕焼け色の炎は燃え盛り、上へ熱を送る
それは、気球のバルーン部分に集まり、浮力を作り上げていく
「それじゃあ、行きましょう!空へ!」
周囲の気球と共に、重りが外され、俺たちが乗る気球のほかにもたくさんの気球が同時に空へと浮かび出した




