12 忘れることも、時には
人ごみの中を歩いていく
「・・・」
「・・・」
周囲が賑やかなのに反して、二人揃って無言のままだ
どう声をかけたらいいかわからない
けど、この空気をどうにかしたくて
何でもいいから、とりあえず話をしなければいけない気がして声をかける
「ねえ、アイリス」
「なに?」
「あ、あのさ・・・」
話しかけることは決めても、話す内容は決めていなかった
考えてから話しかければいいのに、と思うのだが・・・そこまで考える余裕はその時の俺にはなくて、しどろもどろになりながら頭に浮かんだことを彼女に告げる
「・・・疲れてない?」
「大丈夫よ?貴方は平気?」
「平気。気球の会場はまだ先?」
「もう少ししたら到着するわ」
「時間は間に合うかな?」
「今日の八時までやっているそうよ。今は昼の二時だから・・・まだまだ平気」
「そうだね。平気だね」
会話は途切れ、再び無言になる
いつもアイリスが話しかけてくれていたものだから気が付かなかった
自分で会話を繋いでいくというのはとても難しいらしい
繋がれたままの手を握りしめて、どうしたらいいか考え込む
どうしたら、あれと遭遇する前のアイリスに戻ってくれるだろうかと
いつもは簡単に解決策をひらめかせることができるのだが、今回は違う
「未知」と同じくらい、人の「心」というものは難しいようだ
なかなか、答えが出てこない
「むう・・・?」
「・・・・」
そうこうしているうちに、会場に到着する
「・・・ついた。けど」
「凄い、人だかりね・・・」
空に昇る気球というものに乗れる滅多にないチャンスだ
アイリスのように、このチャンスをものにしようとしたものは多く・・・
会場がある広場には「抽選当選者のみ試乗」と立て看板が置かれている
抽選会場は隣のようだ
「・・・先着じゃないのね」
「抽選会場に行ってみよう。後、四回しかないみたいだし、早くしないと」
立て看板の中には簡単な文字で要項が書かれている
これならば、読めそうだ
気球には抽選の当選者しか乗れない事
身長制限はなし。子供でも乗れるということ
抽選は、気球乗り場の隣で受け付けている事
抽選結果は一時間前に発表
・・・ざっくり読んで、大事そうな部分はこれぐらいのようだ
「そうね。早速抽選の受付をしに行きましょう」
「うん」
アイリスに手を引かれて、隣の抽選受付まで向かう
そこには、小さな仮設テントと受付係をしているであろう女性が座っている
アイリスはそれを見つけて、俺の腕を引いて歩いていく
なんだか、調子が少しだけ戻っている
それに少し安堵を覚えると同時に、自分の思っている以上の歩調の為、困惑も交えたまま俺は彼女についていった
「こんにちは」
「こんにちは、小さなお客様。気球の抽選かしら?」
「ええ。今からでも遅くないですか?」
「もちろん。抽選は三時の分まで済んでいるから四時から七時までの四回分挑戦できるわ」
「その全てに応募できますか?」
「もちろん。でも、一つだけルールがあるわ」
「どんなルール?」
「例えば、今だったら・・・四時の回に貴方達が当選したなら、それ以降の回の抽選への参加権は失われるわ」
「当然ね。折角のチャンスだもの。平等でないと」
「ご理解いただけて嬉しいわ。早速、申込用紙に名前と人数の記入をお願いしても?」
「勿論。ペンを貸していただけますか?」
アイリスは受付の女性と弾むような会話で話を進めていく
その間、少し退屈で周囲を見渡していた
目に入ったのは、大きな風船のような物を上につけた籠の乗り物
「・・・あれが、気球」
空をゆらりゆらりとゆっくりと左右に動く
それは飛んでいるというよりは浮いているに近いようだ
でも、地上から離れている事には変わりない
もし、抽選に当たればあれに乗れる
飛ぶ・・・には遠いけど、空に向かうまでの過程としては参考になるかもしれない
「受付完了しました。アイリスさん。こちら、抽選番号ですね。一時間前に結果が隣の看板に貼り出されるので、確認をお願いします」
「ありがとうございます」
気が付けば、手続きも終わりアイリスは番号の書かれたタグを受け取りながら受付の女性にお礼を言っていた
「邪魔になるから、少し離れたところで見ましょう」
「うん」
少しの間だけ離れていた手は再び繋がれて、受付から離れた場所で人が少ない。尚且つ気球が見上げられる場所にアイリスは手を引いてくれた
今度は俺の歩調に合わせてくれている
「気球、見てみてどう思った?」
「ゆらゆら揺れてるなって」
「確かに、かなり揺れているわね。乗り物酔いしないかしら」
「酔い?お酒飲んだ時みたいな?」
「それよりも気持ち悪いわよ・・・多分」
「お酒より酷いのか・・・気を付けないと」
「・・・貴方、その年で飲酒したことがあるの?」
「料理酒な上に、一口だけだけど・・・」
スラム街で一度だけ遭遇した事件だ
血を流して倒れていた男がいた
全身に付着した赤い血
量にしては、男が失血した様子はなくて、もしかしてと思い匂いを嗅いでみた
でも、それは鉄の匂いではなく嗅いだことのない不思議な香り
ものは試しと思って適当に舐めたら気が付いたら朝だった
酷い頭痛もあり、しばらくは動けなかった・・・という個人的大事件だった
その後、アルベルトから後日談を聞いたのだが、どうやら俺が血だと思ったものは、赤ワイン
男は泥酔状態でワインの瓶を持って、傾斜のある道を歩いていたようで・・・途中で眠気に襲われて倒れるように眠ってしまったようだ
それと同時に持っていたワインの瓶を周囲にぶちまけた結果・・・
俺がその現場を見つけた・・・という訳らしい
更に、子供だからという理由抜きで俺はどうやらアルコールに弱い体質らしい
その件でアイリスに叱られたのだが、この日記を読み終わった後にその話をしよう
話を戻して、日記内の七歳時点の話だ
その話をするのは初めてで、少し進んだ話にアイリスは溜息を吐く
「と、いうことは・・・貴方、酒酔いの経験があるのね」
「うん。凄く、気持ち悪かった」
「・・・せめて成人するまでは葡萄ジュースで我慢してくれる?」
「我慢も何も、ジュースの方がいいかな」
そう言いながら、俺はアイリスの方を向く
「そういえば、さっきの飲み物。飲めなかったね」
「そ、うね・・・・」
「あんなの、気にしてる?」
「少し・・・とは言えないわね。とても、気にしている。私が離れてしまったから、貴方に嫌な事を・・・」
「気にしてないよ。仕方のないことだから」
俺は平民。彼女は貴族
そしてあいつらもまた、貴族。その中には超えられない壁がある
同時に、暗黙の了解だってあるだろう。平民と貴族が・・・仲良くしてはいけないとか
堅苦しいけど、この国では当たり前のことなのだ
時が経てば変わるかもしれないけど、今は変わらないし変えられない
俺の立場も、彼女の立場も
その、関係でさえも
「・・・むしろ、僕の方が謝らなきゃ。アイリスに悲しい思いをさせたから」
「私の方が、貴方に・・・!」
「いや、僕の方が・・・」
「私が!」
「僕が」
「・・・・」
「・・・・」
「これ以上、言い合いをしても意味はなさそうね」
「うん。この話はなかったことにしよう。今日は、あいつらのことなんてなかったことにして、楽しもうよ」
「そうね。貴方の言う通りね」
再び、アイリスの顔に笑顔が戻ってきてくれる
やっぱり、いつだってアイリスは笑っている方がいい
彼女が笑っているだけで安堵するのだ
今は平和で楽しい毎日を送れていると、実感できるのだ
「ねえ、エドガー」
「ん、あ・・・何?」
彼女の笑顔を見ていたら、少しだけボーっとしていたようだ
アイリスに声をかけられて、やっと意識が戻ってくる
「あれ、何かしら」
「なんだろう。ええっと・・・物作り体験?」
アイリスが指さした先には、風車の模型を作る体験ができるクラフト工房だった
周囲に比べると、人の入りが少ない
・・・というか、誰もいない
なんだか、胡散臭いけど・・・なんだか楽しそう
「行ってみる?」
彼女の提案に、すぐに頷きたかった
けど、もっと普通の祭りを楽しみたい
なんせ、まだまだ祭りの終わりまでは時間がある
まだまだ楽しむ時間があるのだ
それにまだお昼時
先程から何も食べていないし、飲めていないし・・・正直、何か一つお腹に入れたい
「うーん・・・まずは、他の出店を見て回ろうよ。美味しいものがあるんでしょう?」
「そうね。まずは色々食べて回りましょうか。それでも時間があれば、ここで風車を作ってみましょう」
「それで行こう。じゃあ、まずは・・・」
「決まっているでしょう、コットンキャンディよ」
「あの雲のようなお菓子?いいよ。食べに行こう」
彼女に手を引かれて、再び街の中を歩き出す
今度は、ゆっくり歩調を合わせて、今を楽しむために




