第113話
食堂の食材搬入の手伝いを終えたホリーは、休憩を勧めてくる店主夫妻に丁寧に断りをして店を後にしていた。
革命評議会に所属して以降ずっとデスクワーク主体で働いてきたこともあって、久しぶりの力仕事に体のあちこちが痛んでいるが、ホリーの気持ちは体の疲れと反比例して充実していた。軍を裏切って父のもとに行くことを選択して以来、ずっと引きずってきた後ろめたい気持ちが少しだけ消えたような、そんな開放的な気分に浸っている。
しかし、足取り軽く旧ヤーバリーズ基地へ戻ろうとしていたところで、ホリーは見過ごせない事態に出くわした。
基地に通じる道を歩いているときに、誰かを脅迫するような男の声が聞こえてきたのだ。それを聞いたホリーはすぐに声のする方へと足を向ける。
ホリーが声を追って入り込んだ路地は住宅街の真ん中の袋小路に通じていて、現場にたどり着くとそこでは三人の若い男がひとりの少女を取り囲んでいた。
少女の年の頃は十五歳くらいだろうか。よれよれのジャンパーとジーンズに身を包み、自分を取り囲んでいる男たちを必死の形相で睨みつけている。一方、そんな少女を取り囲んでいる若い男たちはいずれも二十代そこそこといった年恰好で、どの顔もあまり人相がよろしくなく下卑た笑いを浮かべている。どうやら少女によからぬことをする目的でここまで誘導してきたようだ。
ホリーは姿を見せる前に一旦足を止めて男三人の様子を伺う。三人ともこんなところに誰かが来るとは思ってもいない様子で、見張りを立てるようなそぶりは見せていない。ある程度のケンカ慣れはしていそうであったが本格的な格闘技を習っているような印象もない。
ホリーは一瞬だけ思案して、助けを呼ぶのではなく自力で三人を倒して少女を救出することを選ぶ。状況が状況であったし、三人は油断している。三対一ではあったが不意を突いて素早く一人を倒してしまえば、二人が相手でもそれほど極端に危機には陥らないであろうとホリーは考えた。
今でこそ秘書という立場にあるが、ホリーも元軍人である。並の女性よりははるかに力はあったし、対複数を想定した実戦向けの軍式格闘術も体に叩き込まれている。男三人とはいえチンピラ程度に簡単に遅れを取るつもりはない。
ホリーは慎重に男たちとの間合いと呼吸を推し量り、男たちが三人とも少女に意識を向けているタイミングを見計らうと無言で飛び出し、一人の男の背後を取り、迷うことなく腕の関節を極めて豪快に投げ飛ばす。不意を突かれた男は声も出せずに地面に叩きつけられ、そのまま動けなくなる。
「ちっ、何だこの女は!」
「おい、お前はその小娘を抑えとけ! こいつは俺が片付ける!」
残された二人の男たちは意外な連携の良さを見せて、すばやく役割分担を行うとホリーの近くにいた男の方が怒りの形相で掴みかかってくる。
しかし、それもホリーの想定の範囲内である。ホリーは冷静に男の動きを見定めると、素早くその場にしゃがみこみ迫ってきた男の脚を払ってバランスを奪い、そのまま両腕で脚を掴んで全力で関節の可動域とは逆方向に折り曲げてしまう。
「ぎゃああああああああああっ!」
哀れな男の絶叫がホリーの耳を貫いたが、ホリーはそれに構わず残った男の方に向き直る。
残された男は仲間二人を瞬時に片付けたホリーの動きに完全に飲まれていた。少女の首根っこを掴みながら必死に虚勢を張っている。首根っこを押さえられている少女は凍り付いたように動きを止めてホリーのことを見つめていた。
「……く、来るんじゃねえ。この小娘がどうなってもいいのか?」
男は怯えを振り払うように声を張り上げるが、ホリーはそんな男の態度を一瞥して冷たく言い放つ。
「あら、仲間はもう誰も立ち上がれないのに強気なのね?」
「う、うるせぇ……お、俺の言うことが聞けねえっていうのなら……」
「その子を殺すと言いたいの? なら、やってみればいいんじゃない?」
「なんだと……?」
「やれるものならばやってみなさい、って言っているのよ……!」
そう言ってホリーは静かに男との間合いを詰める。迷いのないその動きに男はすっかりパニックに陥ってしまう。
「く、来るな……! 来るんじゃねえって……」
「残念……、もう茶番はおしまいよ……!」
ホリーは男に冷たい声でそう言い捨てると、折角の人質を放り出して逃げ出そうとする男に至近距離まで接近し、あごにしっかりと体重を乗せた肘撃ちを見舞う。直撃を受けた男はなすすべもなく昏倒した。
男三人が動けなくなったのを確認したホリーは、そこでようやくほっと息をつき、呆然としたようにその場に立ち尽くしてホリーを見つめている少女に声をかけた。
「……あなた、大丈夫? どこか怪我をしていたりしないかしら?」
「……だ、大丈夫。……それよりお姉さんは一体何者なの? こんなにあっさり男三人を倒しちゃうだなんて……」
少女が震える声で尋ねてくるのを、ホリーは苦笑いを浮かべて答える。
「……ちょっとした通りすがり。それよりもまずは一旦ここを離れましょう。仮にこの男たちの仲間が来たら厄介だしね」
「……わ、わかりました……!」
少女は首をぶんぶんと縦に振るのを見たホリーは、念のため倒れている男たちのことを目でけん制しつつ少女を先に行かせ、男たちがしばらく動けなさそうのを確認してから自分も少女を追いかけて足早にその場を立ち去った。
少女は律儀に路地の入口でホリーを待っていて、ホリーが追い付くとその場で頭を下げた。
「……助けてくれてありがとうございました。その、私、すっかりあいつらに騙されちゃって……」
「今ここがどれほど危険な場所なのかは知っているでしょう? あなたみたいな年齢の女の子がこんな時間にひとりで出歩くなんて、無謀にもほどがあるわ」
ホリーが強い調子で少女を諫めると、少女は力なくうなだれる。
「……ごめんなさい。でも、私……」
「言い訳はあとでいいから、とりあえずあなたの家まで送っていくわね。どこの地区なの?」
「あの……その、私、ヤーバリーズに住んでいるんじゃないんです」
「えっ……?」
とりあえず少女を家まで送ろうと手を取ったホリーは、その少女の言葉を聞きとがめて、歩き出そうとした足を止めた。そして真顔になって少女を問いただし始める。
「ヤーバリーズに住んでいるんじゃないって……じゃああなた、どこから来たの? この近隣の街?」
「それが……その……あの……エ、エープラウド……」
「エープラウド……? ……って! ちょ、ちょっとあなた、冗談でしょ……!」
少女の発した地名にホリーは一瞬だけ考え込み、すぐにその地名がどこのものなのかを思い出して驚愕する。
エープラウドはリヴェルナ共和国東部の山間部に面している中規模な都市で、ここヤーバリーズからは単純な直線距離で300km以上遠方に当たる。否、それ以前の問題としてヤーバリーズの戦い以降、共和国側は各地域からヤーバリーズをはじめとする西部諸都市に通じる主要な道路を全て封鎖しているはずだった。この少女が言っていることが本当だとしたら、極めて重大な事態と言える。
ホリーが表情をみるみる硬くしていくのを見た少女の顔は怯えたような表情に変わった。
「あ、あの……?」
「あなた、私と一緒に来てくれるかしら? ……もっとも、嫌だと言っても来てもらうけれど……」
「えっ? ……い、いきなりどうしたんですか……?」
「あなたが自分のやっていることがどれほど重大な事態を招いているか、そこを全然理解していないわ。そんな子をこんなところに野放しにはしておけないのよ」
ホリーは表情を硬くしたまま今度こそ少女の手を引くと、そのまま急ぎ足で歩き出した。少女は突然のことに驚いて抵抗していたが、ホリーは構わずに旧ヤーバリーズ基地へとその足を急がせる。基地に戻ったら急いでしなければならないことが山ほどあった。
基地を出た時は中天に会った太陽は、既に西に沈みかけていた。




