5 内なる境界3
『我が器に足りぬ小物であれば、このまま身も心も魂もすべて飲みつくしてやろう。半端なものに我が力を振るわせたくはない』
飲みつくす──だと。
「俺にはまだやり残したことがある。このままお前の中に意識を飲みこまれるわけにはいかない」
『やり残したこと?』
「俺の故郷を滅茶苦茶にした奴がいる。そいつを倒すことだ」
魔導王と、その軍団を。
『ふむ、なかなか強い憎しみだ。我にとっては心地よい……』
暗黒竜王が嬉しげに目を細めた。
『だが、お前が我が力を得ているとはいえ、今はまだあまりにも成長度が低い。ジュニアドラゴン級ではな……魔導王とやらにも、その側近にすらも歯が立つまい』
確かに、その通りだ。
神樹伯爵を倒したのは、あくまでも『真の力』を振るったとき。
素のままの俺では、とてもかなわなかった。
『素のままで、その者らと渡り合いたいなら最低でもヤングドラゴン級か、あるいはエルダードラゴン級まで成長せねばなるまい。それまで生き延びられるか、お前は』
暗黒竜王の問いかけに、俺はすぐに言葉を返せなかった。
だが、それでも視線は逸らさなかった。
『……ふむ。憎しみだけでなく、それを制御するだけの精神の強さも秘めているようだな。生半可な者では、いずれ我が闇の力に飲まれてしまうだろうが、お前ならあるいは──』
つぶやき、暗黒竜王は一声吠えた。
『今一度、お前にこの体を預けよう。見事、復讐を成し遂げてみせよ』
「……随分あっさりと返してくれるんだな」
『戯れよ。我には悠久の命がある。このような余興も悪くない』
「余興だと?」
俺は暗黒竜王をにらんだ。
『魔導王とやらをお前が討てるか否か。楽しみに見せてもらうぞ』
「──討つさ」
『そして、その後でお前が……人間としての精神を保てるか、否か』
暗黒竜王の言葉は、俺の胸に重く響いた。
『力に飲まれ、真の怪物になるのかどうか──じっくりと見せてもらおう』
「怪物に……俺が……」
人間としての精神を保てるか、否か。
人間であり続けられるのか、どうか。
俺の、心は──。
そして、俺の意識はふたたび戻る。
目の前には、赤い髪の少年をはじめとした数人の集団。
勇者パーティ、というやつか。
奴らからすれば、俺は邪悪な竜ということだろう。
が、そうやすやすと討たれるわけにはいかない。
「いくぞ、暗黒竜王!」
「援護するわよ、アーバイン!」
「同じくだ!」
少年勇者が吠え、左右に女僧侶と青年騎士が構える。
勇者アーバイン。
弱冠十五歳にして『神託』を授かり、『聖剣』を与えられ、世界最強となった存在──。
その名は、俺も知っている。
会ったのは初めてだが、奴の全身から感じる強烈な威圧感は、勇者の名にたがわぬものだった。
「吠えろ、我が聖剣『ファルミューレ』!」
アーバインが純白の剣を振りかぶって叫ぶ。
「『吹き荒れる氷雪』!」
無数の氷が矢となり、雨あられと降り注いだ。
俺はブレスを放って、それらをすべて蒸発させる。
「【エクスバインド】!」
「【エクスシールド】!」
と、今度は僧侶と魔法使いがそれぞれ呪文を放ってきた。
魔力の鎖が俺の全身にまとわりつき、さらにその周囲を魔力障壁が覆う。
俺の動きを封じる気か!?
「よくやったぞ、マルグリットさん、エルク師!」
アーバインがニヤリと笑って、跳び上がった。
一気に二十メートルほども──。
人間を完全にやめているレベルの跳躍力である。
俺は迎撃のためにドラゴンブレス『滅びの光芒』を放つ。
──その寸前、
「させるか!」
眼下で、青年騎士が叫んだ。
振り下ろした剣が、突風を呼ぶ。
魔法の武器か、それとも風を生み出す剣技スキルを会得しているのか。
いずれにせよ、小型の竜巻が俺の顔を覆った。
くっ……視界がさえぎられる。
顔に直撃されると、目を開けていられないほどの猛風である。
そこへ全身に冷たい衝撃が走り抜けた。
先ほど勇者が放った氷の矢が、俺の全身にぶつかってきたのだ。
ちいっ……!
俺は全身を揺すった。
多少の手傷は負ったものの、大したダメージじゃない。
「聖剣の最上級攻撃を受けて、この程度だと……!?」
アーバインが驚きの声を上げた。
どうやら、さっきのはかなりランクの高い攻撃だったようだ。
だが、暗黒竜王である俺の体にはさしたるダメージを与えられない。
それだけの力の差がある、ということだろう。
さあ、今度は俺の番だ。
降りかかる火の粉は払わないとな。
「滅べ──」
俺は念じる。
ただ、敵を倒すことを。
ただ、敵を討つことを。
ただ、敵を殺すことを。
ただ、敵を滅ぼすことを。
そして。
俺の口から吐き出されたのは、漆黒のブレスだった。
虚無のドラゴンブレス。
そんな単語が脳内に浮かぶ。
「な、何……!?」
先ほどまで闘志にあふれていたアーバインの表情が、凍りついた。
悟ったのだろう。
このドラゴンブレスを前にして、無事でいられる者など存在しない。
すべてに等しく滅びを与え、虚無へと還らせる。
それが俺の──暗黒竜王の最終奥義とも呼べるこのブレスだ。
「【エクスウイング】!」
「【スキルブースト】!」
その瞬間、魔法使いと僧侶の呪文が響いた。
勇者たちの背中に光の翼が生まれ、すさまじい速度で後退していく。
……逃げたか。
一瞬遅れて、俺の放ったドラゴンブレスが地面に命中した。
無音の、爆発。
閃光が晴れると、周囲一キロほどにわたって巨大なクレーターが出現していた──。





