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霧中




 ひと昔前、と言っては語弊がある。たった三年前のことだ。僕がハイスクールを出て、実家から離れた西海岸の大学に入学したころ。ハイスクールとは異なる生活に心躍らせながら大学内のカフェテリアで友人と談笑していたころ。今では考えられないような幸福に満ちた生活だったように思えるが、友人の顔も教授の名前も忘れてしまった。忘れるほうが幸せになれるはずだから。


 その日も僕は大学のカフェテリアにいた。同じ講義をとっていた数人と提出期限の近いレポートの内容を推敲していた気がする。一つだけ明確に覚えているのはテーブルの上にトマトジュースのパックが並べられていたことだけだ。海外から輸入されたトマトジュースは少し塩気がして、『僕の好みに合わないな』なんて誰かが言っていた。


 そんなどうでもいいような話をしていたとき、僕の目には天井近くのホログラムに映し出された文字列が目に留まった。内容はなんでもない、ただ僕らの国の大統領が視察をしている中継だった。編集されていない、ライブの映像。SPに囲まれながら悠然と歩くスーツの紳士は街頭の女性に手を伸ばして、両手で優しく包み込むようにその手を握った。テレビ局のカメラマンは女性の表情を映し、大統領の手元を映し、女性の顔を再び映したとき、その口元は奇妙に歪んでいた。『ようこそ』と女性の唇が動いたように当時の僕は見えたが、その言葉がマイクを通り過ぎる前にホログラムは何も映さなくなった。


 しばらくして、ホログラムには瓦礫が映った。大統領だった男の屍が映った。普通なら放送できないような凄惨な風景が映った。今でもネットワークのどこかにあるであろう、国営放送による実写のスプラッター映画が世界各地に流れた。コンクリート片に点々と肉塊と酸化し始めた赤い血がみえて、それから僕は目の前にあったトマトジュースが嫌いになった。



♦♢♦―――――――――――――――



「気温は25℃、湿度31%、一日を通して曇天……か」


 僕たちの朝は早く、仕事がなくてもその点に変わりはない。僕の場合、瞳を開けてから部屋を出るまでに銃とナイフの整備をして、眼滴下式有機被膜を目薬のように()す。有機被膜というのは数十年前に実用化された有機デバイスの一種で、昔はコンタクトレンズの形状をしていた。拡張現実(AR)技術の集合体であり、体に取り付けたセンサーやネットワークを通じて得た周囲の情報を瞳を通して認識する。


 一滴で一日暮らせる液体を両目に点してから僕は全身のストレッチを行い、僕はギギィ、と音をたてる古びたベットに腰かけてホログラムを起動した。昨夜と同じアドレスに接続し、昨夜と同じ男の顔が映る。


『詳細はデータで送ったはずだが。何の用だ?』


 朝っぱらに呼び出しを食らった男は不機嫌そうに言葉を発する。いい気味だ。こっちは寝ようと思っても体が勝手に起きてしまうのに、この男はどうせ昨夜も晩酌を楽しでから寝たのだろう。


「ひとつ確認したいことが」


『言ってみろ』


殺し方(やりかた)に注文はあるのか?」


 昨日の仕事は「標的(ターゲット)を"人気のない"道路で"拳銃によって"殺せ」という指示が入っていた。今回の仕事にも指定があるのか聞きたかったのだが、かえってきた答えは粗雑に過ぎた。


『好きにやってくれ』


 ――――興味など無いと言わんばかりに



「……分かった」


『それだけか?じゃあな』


 プツリ、と回線は切れて、ホログラムには砂嵐が映る。


 仕留め方に指定はないとのことだった。添付されていた女性の顔を見てふと思う。この女性はどんなふうに死にたいのだろうか、どんなふうにこの世を去りたいのだろうか。本人に聞いても答えなど無いのだろうが、それでもやはり聞いてみたい。『貴女はどうやって殺されたいですか』って。もしかしたら教えてくれるかもしれないし、こんな仕事でも出来る事なら本人の希望に沿ったものにしたい。


「じゃあ、聞いてみようか……」


 一人部屋で呟く。


 朝日がビルのガラスに反射する。データによると標的(彼女)はヒューストンで書店に勤めているらしい。このご時世には珍しい紙媒体の本を売っているとのことだ。生まれてこのかた数度しか見たことがないが、どんなものなのだろうか。そんなことを思いながら僕は部屋を後にした。




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