表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/78

1.過去



 私の両親は、農家で主に小麦を作っていました。他にもいくつかの野菜も作っていましたが家で消費する分くらいしか作っていなかったので何を育てていたのかあまり思い出せません。ただ、私の記憶がある頃は、不作ということもなくそれなりに生活ができていました。しかし、そんな生活は、長く続きませんでした。


 私が5歳の時両親は、街に少し買い物をして来ると言って乗合馬車乗って出かけて行きました。たまにそう言って夕方ぐらいに帰ってきていたので少しの間お留守番でしたが近所の子と遊んでいたからそこまでは、寂しく思っていませんでした。すぐに両親に会えるそう思っていたから近所の子と遊んで両親の帰りを待っていました。


 しかし、その日の夕方には、帰って来ませんでした。おかしいな?とは、思っていたけど街で何かして遅れているのかな?とそんなことを思っていたけど夜でも帰って来なくて流石におかしいと思ったけど近所の人に聞いて分かることでもないと思ったのでその日は、寂しく一人で寝ました。


 それから次の日も帰って来ない…と思っていたら夕方くらいに扉を叩いて来たのでもしかして帰って来たのかと思って開けてみると近所のおばさんが訪ねてきました。悲しそうな顔をしながら私の両親が亡くなったことを聞かされました。その話を聞いて泣いたことは、覚えていますがその後の事は、覚えていません。泣き疲れて眠ったのか、ボーっとして過ごしたのか…。それからだいぶん落ち着いたときにどうして亡くなったのか聞くと盗賊に襲われて亡くなったという事だった。


 そんな辛いことが合ってから心の傷が癒えることなく次の問題に直面しました。食べる物が無くなったのです。家に合ったパンやら干し肉、野菜などが無くなって食べるものがありません。どうしようもなく近所のおばさんに相談しに行くと家にある小麦粉でパンや干し肉と交換してくれると言ったので家にある小麦粉と交換してしばらく生活していましたが今度は、その小麦粉も尽きてしまいました。その事をおばさんに伝えると街にある孤児院に行けば何とかなるかもしれない。そう言われて私は、街の孤児院に預けられた。


 今思うとあの時のおばさんの様子がおかしかったかもしれないと思う。




 そんなことがあって孤児院に入ったけど、その中の生活は、過酷な環境だった。孤児院の生活そのものが過酷だったわけでは、ないけど年上の子達の暴力が酷かった。今まで遊んでいた子達にそういうこがいなかったからどう接していいのかわからなかったのも少しは、あるのかもしれないけど小さい子達にそんなことをするのは、いけないと注意したことが気に食わなかったようでその後は、私に暴力を多く振るうようになった。


 最初の頃は、慣れない痛みで動くこともできないことも多くあったけど次第に回数が減っていき少し楽になった。回数が減って楽になったというのは、変なことかもしれないが…。


 孤児院では、院長先生には優しくしてもらって年下の子達とは、それなりに仲良く過ごしている。ただ、年上の子達は、会うと相変わらずだったが…。


 それからしばらくの間は、孤児院でのお手伝いをしていることが多くたまに年上の子達に暴力を振るわれる。そんな生活をしていた。


そんなある日いつものように院長先生に頼まれたことをやっていると誰かの泣き声が聞こえそこに行って見ると3歳ぐらいの女の子が年上の子達に殴られていた。


「何しているの!」


 そう言って女の子に近づくと顔や腕など所々腫れていた。


「あなたたちは、なんでこんなことするの!」

「お前には関係ない」


 そう言われると後ろから何かを感じて振り返ろうとしたら後頭部に強い衝撃を受けて意識が無くなった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ