91. V
「.......で、電車?」
巧が動揺する。
電車はまるで何事も無かったかのように揺れている。
「あ、あれ? いつの間に」
「もう傘はいらないよね」
「あ.......そうだね」
傘を消し去る天野さん。その表情には依然としてショック、そして新たに焦りの色が加わっていた。
それにしても、驚いた。
まさか彼女も、魔法使いだったなんて。
「どうする?」
「どうするも何も、非魔人に見られたら記憶消去だよ。私はその魔法使えないけど」
「ま、魔法?」
巧が聞き返して来ても、返答に困る。
そして殺人的な沈黙が走る。僕たち4人は、未だに何が起こったのかを把握し切れていない。
そんな中、最初に動いたのは蠍だった。
「任務失敗、撤退で御座るな.......しかしその前に」
そう言うと近寄ってきた蠍に、僕は咄嗟に身構え銃を構えた。横では天野さんが同じく短い杖を取り出して構えていた。
「何、拙者は既にシールドが壊れ無防備となっている.......わざわざ殺しはせん。後ろの2人の記憶を修正するだけだ」
その一言に、僕は天野さんと目を見合わせた。
その言葉、本当に信用してもいいものなのだろうか。
「記憶を修正するって、どういう事? 何が起きているの?」
鳩峰さんが聞いてくる中、僕は目で天野さんに合図した。
彼は信用出来ない。
「……」
天野さんはどうやら僕の意見を汲み取ってくれた様で、更に杖を握り締めた。
多重に仕掛けられた陽動作戦に引っかかったのが昨日の今日だ。
蠍を信頼できるはずがない。
確かに、彼は今無防備だ。それは間違いない。それに.......
『非魔人の前は非常事態を除いて魔法を行使出来ない』
『行使した際には速やかに目撃者全員の記憶を修正しなければならない』
『これらに違反した場合はその場で即処刑となる』
これは魔法界で設けられているルールなのだ。
魔法使いは地球にいる間は必ずこれに従わなければならない。
だがそれを実行しようとしている奴がつい僕と殺し合いをし、今しがた別の人と殺し合いをし始めたこの蠍だ。
「どの道やらなければ御主らも処刑されるぞ」
天野さんが僕のそばではぁ、と溜息をついた。
「そうだね。でも記憶修正は別にウチらがやる必要もない。緊急通ーー」
天野さんが緊急通報呪文を唱えようとした瞬間、突然横から鎖が3本伸びた。
1本は天野さんに、1本は僕に、そして1本は蠍に向かって勢いよく放たれ、僕達は全員回避行動を取った。
「何者だ!」
銃口を蠍の方向から離し新たに向けると、その男はケラケラと笑いながら僕達に語り始めた。
先程まで読書をしていた青年だ。
「あ? 何言っちゃってんの?」
天野さんは杖を蠍に向けたまま、鞄に空いている手を差し込んでいた。他にも武器を持っているのだろうか。
ぐったりとしている巧と鳩峰さんをチラリと見たあと、僕はその青年を見た。別になんてことは無い、極々一般的な人だ。しかしそんな彼の右手が本来あるべき場所からは鎖が3本伸びており、彼の袖の中に攻撃を外した鎖が戻っていく。
「アンタ今無防備なんだろ? 捕まえたら宇宙省から御褒美が貰えるのによぉ」
男はヘラヘラと笑いながら身構える。
こいつも魔法使いだ。
迂闊だった。
そもそも蠍がこの電車にガラスを割りながら侵入してきた時点でそのままそれを無視して本を読んでるようや奴が、まともな非魔人であるはずがなかったかもしれない。
こいつはどっちだ。
X-CATHEDRAの味方か、それともルナティックか。あるいは、また別の組織の人間なのだろうか。
「手加減はしねぇぜ?」
彼の袖の中から巨大な武爪がギラリと輝くのが見えると、彼の姿が溶けていく。
「外道が」
姿が変化していくと、そこには猫人間が立っており、巨大な武爪を両手に持ちながら構える様子を見せた。
それに対して、蠍もまた自分の刀に手をかけた。
この人、まさかシールドが無いのにやり合うつもりなのか。
「へへへ、そう来なくっちゃな。どこまで――」
しかし、突然その男の言葉が途切れる。
「これは」
「.......間に合った」
電車の車輪は冷徹に動く。まもなく次の駅だ。
そして次の駅にはあの人が待機している。
「くっ.......止むを得ん。撤退す――」
「目的は果たした.......」
蠍が大きく飛び退き、撤退の姿勢を見せた瞬間、その男が小さく呟いた。
目的?
「――貴様、何者だ」
蠍が睨む。
それに対して男は呟いた。
「お前を仇と思う者だ」
電車の速度が落ち始める。
天野さんが首を捻る。
「――御免」
ポンと煙幕と共に蒸発した蠍を確認し、男は武装を解除し巧と鳩峰さんに目を向ける。
「.......この様子だと、魔法を受け過ぎてるし記憶消えないだろうな。ま、致死量の魔力は浴びてないだろうから、仲間が増えるかな」
「え?」
真意が分からずに居ると、彼はじゃあなと手を振り、姿をドロドロと変えながらワープして消えた。
一瞬、消える瞬間に、また猫人間とも違う高身長の黒装束が僕の目に映るが、その正体は分からない。
そうこうしている内に、電車が止まる。
扉が開き、魔力の充満している空気が換気される。
僕と天野さんは慌てて巧と鳩峰さんに肩を貸し、何とか彼らを電車の中から駅のホームのベンチへと腰掛けさせたのだった。




