68. 依頼無き依頼
「掃除の呪文は『バニクリス』です。綺麗にしたい物を念じながら唱えてみて下さい」
「【清掃】!」
とりあえず手始めに床を見ながら呪文を唱えると、床に落ちていた埃やゴミが一斉に消え去り、磨いたかのように綺麗な光沢を帯び始める。
魔法によって綺麗になった礼拝堂の床を見て、これは日常生活の必須魔法なのでは? と考え始めた所に、グレイスが更に有用な魔法について教えてくれた。
「連続で同じ魔法を使いたい時は『レペティス』と唱えてみて下さい。戦闘魔法だろうと生活魔法だろうと直前に使った魔法をもう一度使う事が出来ます」
「なるほど……【反復!】」
今度は天井を見ながらそう唱えると、天井からもまた埃がどんどん落ちていき、ビカビカに美しくなっていく。
反復魔法か。長い詠唱文とかを省略出来ると便利だ。覚えておこう。
「この調子でこの礼拝堂と奥の部屋を掃除していただけますか。多分5分も掛からないと思いますので」
「分かった!」
考えてみれば、こなと伊集院くんのスパーリングでも反復魔法が使われていた。その内自分でもこの反復魔法が戦闘魔法でもどれくらいこれが有用なのが試しておこう。
そう考えながら僕はひたすら反復を唱え、あっという間に礼拝堂とかの掃除を終わらせた。
「お疲れ様です。さあ、これをどうぞ」
職員室と書かれている所に向かいグレイスに終了を報告すると、グレイスはその大きな耳でコップを渡してくれた。
「……グレイスって、耳が器用だよね」
変な言い方だけれど。グレイスは自分の手が使えない代わりに耳を使ってそれは器用に物を持ったりする。
「私は奇形児ですから……手がこの通り、くっ付いてしまっていて」
そう言うと彼女は両腕を出してきた。彼女の手は、手首の辺りでくっついてしまっている。それはまるで手錠のようだった。
「手術とかで治せばいいのに」
「いえ、もうこれに慣れてしまいましたから。それに今この腕が自由になっても、腕の筋肉が皆無なので邪魔なだけですし」
グレイスはスッと此方に目を合わせると、その目力の強さに僕はびっくりした。
「私のこの姿を世界に発信し続ける事で世界中の奇形児たちに希望を与える事が出来ます。このままの方が自身にも、世界的にも得なんですよ」
グレイスは凄く奇特な人だ。
自分の奇形をものともせず孤児院で孤児の世話をし更にはX-CATHEDRAで防衛軍の仕事もこなしている。
徳を積んでいるとでも言えばいいのだろうか。
こんな人が元ルナティックとは驚きだ。
「グレイスって、凄いんだね」
「そんな事無いですよ。大切なのは、感謝の心を忘れない事です。毎日が不自由無く暮らせる事への感謝。人は感謝の心を忘れた時、悪に走ります」
グレイスはそこで口を閉ざした。
今の言葉を、全世界に聞かせてあげたい。
そう思っていた所で、僕達の頭上から鐘の音が鳴った。
鐘の音は、不思議と地球の鐘と余り変わらない。落ち着く音だ。
「まあ、もうこんな時間なのですね。後40分もすれば日が沈んでしまいますね」
「えっ、もう?」
「この星は地球とは自転のスピードも角度も方向も全て違いますから少し慣れないかも知れませんね」
グレイスはそう言うと教会のステンドグラスから差し込む西日ならぬ東日に目を向けた。
「さあ、これからご飯の支度しますので、手伝って頂けますか?」
僕がゆっくり頷くと、グレイスはニコリと笑い僕を居住スペースへと案内をしてくれた。
教会を抜けて孤児院へと入って行くと、宇宙人の子供たちが数人出迎えてくれた。
見ている限りでは、地球人の孤児は居ない模様だ。やはり地球人は宇宙では圧倒的に少ない。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは」
挨拶をしながら厨房へと向かうと、数人の職員が出迎えてくれた。
その中には、先程グレイスが呼んだエレノアさんもいた。
「戻ってましたか」
「たった今ですよ。じきにZ様もこちらに顔を見せるとの事でしたので、直接こちらに」
「ああなるほど」
エレノアさんに目を向けると、彼女と目が合う。
一見すると物腰の柔らかそうな亀人間だが、それにしては目付きが鋭い気がする。
「E、此方は星野彗さんです。彗さん、こちらはエレノアですよ」
「よ、宜しく……」
「依頼出してなんか居ないのよねえ。本当に依頼受けてるのか調べたいからちょっとライセンスをグレイス様に見せてくれない?」
彼女のその問い掛けに、僕は素直にライセンスを取り出しグレイスに渡した。
「ふむ。確かに依頼の形跡がありますね」
グレイスさんが機械を魔法で出現させてそれを読み取ると、僕の依頼受諾の履歴が小さなスクリーンに映し出された。
「うわほんとですか。でも私Z様の命で戦闘してたんで、依頼なんて出せませんよ。どうやって……」
グレイスはしばし考え込む様な仕草を見せ、小さく唸った。
「……諜報部に掛け合って調べてもらいましょう。代理で依頼を出すケースなら有りますけれども、今回は依頼人が依頼人なのでちょっとセンシティブに扱う必要がありますね」
そう言うと、グレイスは電話を掛け始めた。
それに合わせるようにエレノアさんも厨房の支度を手伝い始め、僕もまた彼女の指示に従いお手伝いをさせて頂くことになった。




