30. 海の底へ
「所で、ピーカブーの自宅ってどこ?」
「僕の家?」
海の家よりもさらに先にある防波堤まで歩いて行き、ふと思った。
この無限に広がる海のどこに陸地があるのだろう。こんなに美しいエメラルドグリーンの海は見た事が無いが、この辺にそれ以外の物が存在しないのだ。
「海底さ」
「えっ?」
「水中で呼吸する魔法って実はかなりの上級魔法なんだよね。はい、これくわえてて」
そう言って彼が渡してきたのはおしゃぶりの形をした魔導器具だ。
「酸素ボンベだよ。ライト代わりにもなる」
彼に渡された、このどう見てもおしゃぶりにしか見えない器具はそんなハイテクな代物には、とても見えない。
「これを付けるのはちょっと抵抗があるんだけど」
そう言いつつ振り返ると、ピーカブーの姿は忽然と消えていた。あれ? おかしいな。
確か今の今までここで僕と話していたはず、そう思っていると突然、強い衝撃が僕の背中に当たり、僕はバランスを崩した。
「うわっ!!」
気がついたら水の中だ。
「ほら、早く酸素ボンベ着けて!」
水の中に彼はすでに飛び込んでいて、水の魔法を使われて僕は海に叩き落されたのだ。
慌てておしゃぶり型ボンベを付けると、彼はタクトの様な杖を取り出し僕の目に魔法をかけた。すると、水が僕の目に入らなくなった。
水をはじくようになったのだ。
「……」
目に防護魔法を掛けてもらい、いよいよ僕たちは潜水を開始した。
ドライブのお陰で、本来なら感じるはずの水圧が全く感じられない。おしゃぶりボンベさえなければ、本当に自分が海の中に居るのかと疑うほどだ。
そしてこの海を泳いでいると、あまりの風景に感動する。特に海に広がる真っ白な珊瑚礁は、水族館とかで観るよりワイルドだ。
「何だかそれ似合うね、あげようか?」
見とれていると、ピーカブーがおしゃぶりボンベを指さして言った。空気の読めない奴だ。気分がぶち壊されてしまう。
「いや、遠慮しておくよ」
高校生にもなっておしゃぶりは無いよ、と言うツッコミを噛み潰していると不意に彼のトーンが落ちる。
「――ねえ、この星の海……おかしいと思わない?」
「え?」
「生き物が居ないだろう?」
言われてみれば、確かに魚とか磯巾着とかその他の動物が見あたらない。まあ、宇宙にまで居るかは分からないけれど。
「ここは地球歴で言う3ヶ月の間に死の海になってしまった」
「どういう事?」
「この星の海が綺麗すぎるんだ」
一瞬の間があり、
「前はもう少し汚かった」
彼はそう言った。
「綺麗なら良いじゃん、地球の海なんか見るに耐えないよ?」
「魚は真水には住めない。多少の微生物や汚れがあるからこそ生物は生きていられるんだ。僕はこれを、必要悪ならぬ『必要汚染』と呼んでいるよ」
綺麗過ぎは良くないという事か。
「でも、どうしてこんなに綺麗に成っちゃったの?」
「それを調べるのが僕の任務さ」
任務……こなからの密命なのだろうか。
言われてから再び見回すと確かに生物は見当たらない。そう言えば、前に白い珊瑚は死んだ珊瑚だと聴いた事がある。
……そう言えば、この海は違う星の海なのに地球の生き物である珊瑚が存在している。
他の惑星にも地球の生き物っているのだろうか。それってその星の生態系が進化してそうなったのか、あるいは外来種として入ってきたものだろうか。
気になるところではある。
「着いたよ」
そして僕たちが話をしてる間に、海底の崖に建っている一本の柱の前に着いた。
「これは?」
「エレベーターさ」
彼が器用にどこからともなくカードキーを取り出して柱の隙間に通すと、見えないシャッターが開いていく。
「さ、入って」
エレベーターの中は無機質だ。
「ん?」
ゴボゴボという音と共に水が抜けていく。
「自宅は地下にあるんだ、家は浸水していないから基本的にここで脱水と乾燥をするんだ」
「なるほど」
「ほら、乾燥&消毒ガスが出てきた」
言ってる側から、プシューという音とともにガスが噴射されはじめ、衣服が乾いてきた。
「暖かいね」
「昔はこんなもの無かったらしいんだけど、違う惑星との交流するようになってから、異星人を家に招くのに水の底だと問題があってね。それでアクアンの家は基本的に全て脱水機能を持つようになったのさ」
「なるほど……」
「僕達アクアン星人は水の中でも息できるけど、他の星の人は出来ないからね。さ、今度こそ着いたよ」
機械的な音がして、扉が開く。
「おじゃましまーす」
ピーカブーの家に上がると出迎えてくれたのは新たなアクアン星人だった。
「お帰り、お兄ちゃん!」
「ただいまターディ。彗君、弟のターディ。ターディ、星野彗君」
「よろしく!」
「よろしくね」
ピーカブーと違って声が甲高くなく、甲羅も色が薄めか。亀みたいな宇宙人なのに、髪の毛が生えている。ただし体色は相変わらずオレンジだ。
「まあお茶でも飲もうよ」
「はい」
そう言うと彼は魔法で何もない所からコップを出し、僕はそれを手に取った。
中を覗き込んでみると、濃い紫色の液体で満たされている。とても毒々しくて飲むのはためらわれた。
「で、遺跡の場所なんだけど、トルトアの花が必要なんだって?」
「うん」
「そうか。うーん」
彼が悩んでいる間に部屋を見回してみる事にした。家具とかは見慣れない色をした金属で出来ていて部屋には電気がないのに明るい。
海の底の地下にあるせいか窓は見当たらなく、四角い箱のようなものが納められた低めの棚の上は何やら腕が5つある天秤が置いてあり、それがコンスタントに紫の煙を吐いている。
そしてビックリしたのは、天秤の真上には半透明なスクリーンにこなの映像が映し出されていた事だ
「……まず一つだけ約束してほしい。絶対にトルトア遺跡の場所を誰にも教えないで?」
どうやらピーカブーさんは了承してくれるみたいだ。だが、条件付きだ。
「どうして?」
「トルトア遺跡はこの星の最重要文化財で、世界遺産に登録されているのと同時に、僕たち一族が代々守り続けた聖域なんだ」
聖域……
「場所が特定されたらマナーの悪い観光客が押し寄せる。誰かが来たときは帰り際に来た道を忘れさせる記憶修正魔法を掛けるぐらいだ」
その驚くほど厳重なセキュリティポリシーに驚きつつも、僕はそれに同意した。
「分かった」
「次に、監視役として僕がついて行く。じゃないとそもそも場所が教えられない」
「分かった」
「ホントに?」
「ホントに」
僕がそう言うと、彼はじーっとこちらを見つめた。疑るとまでは行かないが、審査しているような目だ。目を見つめられるのって苦手かも知れない。
「……よし。そうと決まれば支度しなくちゃ。あれ、お茶飲まないの?」
「え? あ、飲みます飲みます」
慌ててそれを口にすると、脊椎反射的に眉間にシワが寄った。とてもマズイ。ゲロマズイ。
「ゲホゲホ!」
「大丈夫? やっぱりネジクギウニと瑠璃海星のエキスを混ぜたお茶はダメか……」
なんっつー物を。海星とか。って言うか、お茶って葉っぱで作るものじゃなかったっけ。ウニとかそんな物を混ぜるお茶は聞いたことがないぞ。
「口直しに磯巾着と珊瑚のクッキーでも食べる?」
「いや、いいです!」
どんなゲテモノを食わされるか分かったもんじゃない。
と言うか磯巾着って……そんなのもこの海にはいるのか。
「じゃあ、ターディ留守番頼むよ」
「いってらっしゃい!」
「お邪魔しました~」
まだ後味が口の中に残っている中、僕達は改めて出発した。あれは凄まじい味だった。おしゃぶり型の酸素ボンベを口に含むと、エレベーターがまた水で満たされていき、僕たちは再び海の中を泳ぎ始めた。
「僕の後をしっかりついてきてね、じゃないと迷子になったあげく溺死するから」
「う、うん……」
サラッとそんな事を言われ、僕は泳ぐスピードを上げた。こんな所で死ぬのは嫌だ。




