260. 暗黒魔法の本質
「あれはSTARだったわ。間違いなく」
メタリック中央病院、暗黒魔術科病棟の個室で、レメディはそう口を開いた。
「アトモスを捨て駒として扱ったってことか」
「そうなるわね」
レメディの報告を聞いた伊集院君は大きくため息をついた。
個室には伊集院君、レメディ、僕、巧、峰さん、そして意識の戻らないソラがいた。
ソラは魔封の手錠でベッドに繋がれている。
意識を取り戻した時に備えての措置だ。
「分からないな……あそこもアトモスを切り捨てるような余裕なんてない筈なんだが……」
ソラには今幾つもの点滴の針が刺さっている。
定期的に看護師が来て回復魔法もかけているが、彼女は目を覚まさない。
「なあ、伊集院」
「うん?」
「ソラは、この後どうなるんだ?」
巧がポツリと呟くと、それに伊集院君が反応する。
その表情は読めない。
「まあ回復を待ってから取り調べだろうな。その後は起訴されて死刑だろうか……」
「し、死刑!?」
ギョッとして峰さんが飛び上がる。
その直後に彼女はお腹を抱えて苦しそうにまた蹲って見せた。
彼女が受けた魔法は伊集院曰く、命中すると必ず状態異常を起こす暗黒魔法だったのだそうだ。
喉を抑えていたのはやはり沈黙だったのだ。そしてその魔法の威力が凄まじく、まだ神経が痛みを覚えているのだとか。
「余罪が多いからな。破防法、殺人、強盗、誘拐、放火、暗黒魔法流布、暗黒魔法使用、呪術致死、洗脳等々……献体刑は回避される見込みだが、本来なら献体刑で生きたままバラバラだろう」
「でも、これにはきっとワケが――」
「ワケが有ろうと無かろうと、彼女はあまりにもやりすぎている。メタリックの法律にはそこまで詳しくないが……少々な事では覆せないだろう」
どこまでも事務的で冷たい伊集院君の態度に、巧が怒りに任せて立ち上がる。
「お前さあ。さっきから、何なんだよ」
「事実を言っているだけだ」
巧が伊集院君に向かって詰め寄る中、彼は椅子に腰かけてお茶を飲んでいる。
「お前マジでふざけんなよ……なんでソラがこんな事になったのに、そんな態度で居られんだよ……」
「元からテロリストの疑いのあるターゲットだったからな」
「だからって、死刑は……死刑は無いだろ……」
「大いにあるさ。彼女は直近でも刑務所を襲い、囚人の集団脱獄に加担した疑いがある。それに何より、暗黒魔法を君たちの通う学校を始めとした様々な場所で流布した。これは許されない事だし裁かれないといけない」
きっぱりとそう言い切る伊集院君に対し、峰さんが視線を向けた。
「ねえ……どうしてその、黒魔法? とかがそんなにダメなの?」
それは僕も気になっていた事だった。
確かに暗黒魔法はその消費魔力を考えれば、凄まじい威力で何もかも破壊するバグじみた魔法だ。
だがそれを、何より、と言うのはいささか奇妙だ。
その解答を、伊集院君はゆっくりと語り出した。
「君たちはそもそも、何故暗黒魔法があれだけの威力を出せるか考えたことはあるか」
その言葉に、僕たちは沈黙する。
「暗黒魔法による身体への反動は不可逆的だ。使えば二度と戻らない。回復魔法だろうが、時間魔法だろうが、絶対に戻らない。故に使ってはいけない。ではなぜ不可逆的な反動と共に絶大な効果を持った魔法を少ない魔力で行使できるかと言うと、答えは結構単純明快なんだ」
伊集院君は僅かに間を置いた。
「暗黒魔法の本質は反物質。対消滅エネルギーによって齎されるからだ」
「たい……なんだって?」
「暗黒魔法はね、究極的には反物質を体内で生成し対消滅させ、そのエネルギーを対象に浴びせる魔法なのよ。その過程で術者の身体もほんの僅かではあるけれど対消滅を起こす。それが術者への反動と言う形で跳ね返ってくるのよ」
巧はレメディの補足説明を案の定全く理解できていなさそうだ。
と言うか、僕もよく分かっていない。名前だけは聞いたことがあるような、無いような気がするけれども。
「君たちにわかりやすく説明すると、1グラムの一円玉を1枚対消滅させると、広島に落ちた原爆の1.5倍ぐらいのエネルギーが得られるとよく言われる。実際に対消滅させるものは生成されている魔力だしそんな1グラムも対消滅を起こさせるわけではないが、要するに暗黒魔法は言葉の羅列で原爆振り回すようなものだと考えていい。だから法律でガチガチに使用を禁じられている」
「普通の魔法はね、体内や外部の魔力を放出するの。一方で暗黒魔法はね、体内の魔力を体内で対消滅させて、それで生まれるエネルギーを魔力と共に放出する物よ。体内で対消滅を起こすから、その過程で身体の一部も巻き添えで対消滅させてしまうし、その莫大なエネルギーを制御する過程で対消滅しなかった部分の身体も傷つけてしまうの。細胞1つの重さって考えたことはある? 1ナノグラムだと仮定して、その細胞1つを対消滅させただけでも車が走るだけのエネルギーを出せてしまうの。だから暗黒魔法は危険だし、絶対に使ってはいけないわ」
その言葉を聞いて、目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。
「そう言えば……ソラちゃん、戦ってる時に突然豹変して怖かった……」
峰さんの言葉に、静かに同意する。
あの時のソラは、完全に異常だった。
あれはまるで――
「暗黒魔法は対消滅の痛みと体内で荒れ狂う対消滅エネルギーを抑え込むために、強力な麻酔効果を持つわ。暗黒魔法の使用者は、基本的に一時的に異常に興奮したり、酩酊感を覚えたりする人が――」
「レメディ、素直にラリると言ってやれ」
その言葉嫌いなのよねと彼女は呟く。
伊集院君はゆっくりと瞬きをすると、手に持っていたペットボトルのお茶に口を付け、再び話をつづけた。
そこから続けて発した言葉に、巧が反応した。
「アトモスともあれば暗黒魔法は常習的に使っていただろう。思えば天野さんは普段は冷静沈着でも、戦闘になると妙に直情的になったり、突然性格が豹変したりしてちぐはぐなのも、恐らくは暗黒魔法によって前頭葉が――理性を司る脳細胞が幾分か対消滅しているのだと考えれば、しっくりくるな」
「お前、その言い方は無いだろう……!」
絞り出すような声で、巧が怒り立ち上がる。
巧が怒っている手前、僕も言葉にはしないが、今の伊集院君の言葉は酷い。
「だがあのアトモスとしての用意周到さからあまりにもかけ離れているあの獣のような戦闘スタイルは不思議だなーとは思っていたんだよ。腑に落ちてすっきりした」
「お前、さっきから何なんだよ。なんでそう言う事が言えるんだ!?」
「そうは言っても、彼女は長いこと追っていた犯罪者だったし……彼女が最終的に負けて、こちらが勝った。それだけだ」
伊集院君の言っている言葉が、にわかには信じられなかった。
あまりにもソラと言う人間に対して興味を示していないと言うか。冷たいを通り越して心に無関心すぎると言うか。この人、本当に僕の知っているあの伊集院君だろうか。
彼が巧の心にトドメを指したのはこの直後だった。
「俺たちの今までの時間は……俺たちの関係は全部嘘だったのか……?」
「嘘ではないだろう。ただ、事実を全て言って接していたわけでは無いと言う事だ。ちなみにそれはそこで寝ている彼女も同じだ」
「……」
巧が力なく伊集院に問いかけ、伊集院君は日常会話でもしているかのような声のトーンで僕たちの心を容赦無く抉る。
見れば、峰さんは静かに涙を流していた。そこでふと、僕は自分がいつの間にか拳を思いきり握り締めていた事に気付いた。
「で、レメディ。本当に減刑を嘆願するつもりなのか?」
「知った顔を流石に私の手で実験台にするのはちょっと」
「そうか……だったら今の内に根回ししておいた方がいいな。まあ最も、根回しした所で肝心の天野さんが捜査に非協力的のままだと減刑嘆願の意味はなさそうだが」
伊集院君がため息を付く間にも、ソラが僅かに身を捩る。
眉間に皺が寄っている。意識が戻りそうだ。
「そろそろ意識を戻すか。なら邪魔者は消えよう。要があればギルドの執務室にいる」
「分かったわ」
伊集院君が煙のように消える。
ソラが目を覚ましたのは、ほぼ同時刻だった。
1g=10億ngです。




