248. 埋めるつもりのない溝
『……仕方ナイ』
機械的な声が、それを最後にブツリと途絶えた。純白の仮面が外され、頭を覆うフードが外される。
アトモスの正体が、完全に露見する。
「いつから?」
「……墜ちた貨物船の会話から、怪しく思っていた」
「ああ、やっぱりね。流石にアレはマズ過ぎたとウチも思ってた」
戦闘の意思は無いのか、アトモスーー天野空は剣を握ってはいてもそれを此方に向けることはしなかった。
フランクに空いた手で髪を手櫛で掻き上げると、彼女は大きくため息をついた。
「……Vが傍に居て動揺しないって事は、そこそこギルドの深部に食い込んでるみたいだね」
「……そうだね。まさか蠍に襲われた時に巧たちの窮地を救った人がAAAAの人とはさすがに予想しなかったけどね」
「ああ、あれやっぱりそうだったんだ。そうなると結構前にギルドには嗅ぎ付けられてた可能性もあったのかなあ……」
Vさんは何も言わない。
ただ、ベールの下から覗ける唇が僅かに邪悪に歪んだ所だけは、僕達は見逃さなかった。
「……やっぱりね。ほんっとウチ最近ちょっとマジでツイてないわ……」
「なんで、こんな事を? 攫われたりしたんじゃ、なかったの?」
「あぁ、あれ? アレはウェルドラを助けるための嘘と言うか、不幸な行き違いがあった末に一網打尽になる所を回避するために苦肉の策で用意したと言うか……まあ、自作自演だよ」
「どうして……」
目の奥が痺れて、熱が込み上げてくる。その感覚に僕は歯を食いしばった。
「いや、なんと言うかね。まさかウチが休暇でみんなと遊びに来てる時にいつの間にかギルドに拠点を潰されてるとか思わないじゃん?」
そんな僕の事などつゆ知らず、ソラは何か糸が切れたかのように、今まで通りの態度と口調で、まるで友達の愚痴を零すかのように口から夥しい量の情報を語り始めた。
「いや、なんと言うかね、拠点潰されたから報復するのはまあ、ウチらにもメンツってもんがあるし、百歩譲って理解するとするじゃん? ウチらで対策を立てる間もなく報告当日にもう報復するとかそんな話上がってきてなくてさ……」
違う。そんな話が聞きたいんじゃない。
「ましてやその報復相手がね、ウチらとずっと一緒にいたはずの彗と巧だったとかほんと夢にも思わないわけですよ。でここからが最悪なパートなんだけど、まさかテンペスの愚行にウェルドラまで脳みそ空っぽで付いて来るとかさ、もうほんっと有り得ないよね」
「でさあ、襲いかかって来るタイミングがさ、よりにもよってウチら全員が伊集院といる時なワケ。ほんと意味分かんなくない? 雁首揃えてノコノコと死刑にされに来るとかさ、あの時ばかりは目の前が真っ暗になって気絶するかと思ったよね……」
「普通にトイレから出て様子がな〜んかおかしいと思ってヤバいと気付いた頃にはもう戦闘始まってるし、だからと言って彗たちと合流出来るわけも無いし、急いで2人を探して引き上げるように指示出しつつ撤退する口実に自分を人質にするように仕向けーー」
「そんなことを聞いてるんじゃない!!」
血を吐けそうな自分の声に、ソラが思わず自分語りを辞める。
「そうじゃないだろ……どうして、DEATHなんかで、世界中を混乱に落とすようなテロ行為をしてるんだよ……!!?」
「ああ、そっち?」
まるで何ともなさそうにそう言って退けるクラスメートが、普段の姿と重なる。
それが、却って異常さを増幅させていた。
「どうして、って……そんなの憎いからに決まってるじゃん。あのX-CATHEDRAの事は絶対に許さないし、ウチはアンタたちAAAAも絶対に許さない」
そう言って、ソラはVさんを睨み付ける。
「アンタたちが奪ったのよ。ウチの弟を。デザイナー・ディーラーを。私の、大切な人たちを」
「そうは言われてもな。俺は生憎Dが一通りうちの組織を荒らし回った後に入会したんでな」
「どうでもいいわ。アンタがウチの怨敵って事だけ分かってればそれでいい」
ソラの眼は濁り切っていた。
どうにもならないレベルで深い絶望と憎しみに塗り潰されて、邪悪な炎を灯していた。
「確かあの裏切り者を最終的に始末したのが当時のZ様とX様だと聞いたが」
「そうよ。アンタたちAAAAは、彼を殺した!!」
「よく言う。彼もまた私たちの同胞を数多く血祭りに上げた。その報復としては足りないほどだ」
「それは蠍の仕業でしょう!」
「同じことです、その蠍に依頼したのはディーラー……Dなのだから」
「ほざけよ。エレノアをスパイで寄越したのはそっちも同じ」
「Dの事もあったからな。まさか、やり返されると思わなかったのか?」
こんなソラを、僕はみたことがない。
激情と牙を剥き出しにしているソラは、まるで砂上の楼閣のように弱々しく、かつ手負いの獣の様に獰猛だった。
「だからって、こんな事……今からでも遅くは無いし、そんな事するのは、もう辞めようよ」
「え、絶対辞めないけど。少なくともギルドとAAAA潰すまでは死んでも止まるつもりないし」
「だって、エリアXには武器屋もあるし、おじさんも居るじゃん。こんな事がもし知れたらーー」
「もう知れてるんじゃないの? ウチはもう後戻りなんて今更出来ないし、するつもりもないから」
何を言っても、通用しない。
「ソラ……目を覚ましてよ」
「嫌。むしろウチは今、目が覚めてるから」
「違う!」
「彗も所詮はクソギルドの人間。巧と峰さんもそう。むしろこれで目が覚めたとも言えるよね」
だって彗もギルドの人間なのにそこのマフィアと協力しているじゃん。
彗も所詮は腐敗した権威の味方ーー即ちウチの敵なんだよね。
そう言うと、彼女は再びフードを羽織り、仮面を身に付けた。仮面を身につける瞬間、彼女は僕を哀しげな目で貫いた。
『コレガ、ウチーー私ノ真ノ姿。正体ヲ隠ス仮面ト装束コソガ本物デ仮面ノ下ハ偽リノ自分ーー私ハ、全世界ヲ闇ニ沈メ本来在ルベキ姿ヲ取リ戻ス者、デザイナー・アトモス』
「……」
『V……今回ハソコノ男ニ免ジテコノママ退イテヤロウ。ダガ次ニ会ウ事ガ有レバ、ソノ首ヲ貰イ受ケル。ソシテ彗、次ニ会ウ事ガ有レバ、オ前ノ首ト血ヲモブラッディアニ捧ゲ、今回ノ失態ヲ……正体ガ露見シタ由々シキ失態ノ……許シヲ乞ウトシヨウ……』
彼女が剣を構える。
「ま、待って!」
『デハ』
両剣が彼女の掌でくるりと回ると、眩い光と共に彼女がバックステップを取り、その姿を消した。
その機械的な声を最後に、ソラは消えてしまったのだ。
「くっ……ソラ……っ」
こんな……こんな事になるなんて。




