168. 忠犬、ただいま残務処理中
別視点章。
状況は芳しくない。
「負傷者の状況は?」
「現在150人が魔法拒絶の症状で運ばれています」
「死人は?」
「幸いまだ死者は出ていませんが危険な状態にいる地球人が何人かいます。いやはや、ほんと伊集院様がたまたまいて初動が早かったのが幸いですね……」
マリシムシティ水族館。
昨日あたりから飼い主が休暇を取って遊びに行っていた場所だ。
今ここは、およそ日本とは思えない大惨事に見舞われている。
「あ、そこら辺の宝石類には触らないで!呪い付加されていると言う報告が上がっているわ!」
私の任務はここの残務処理だ。
残務処理と言うと言葉が悪いが、要するに地球で起きた魔法によるテロ事件をいかにして丸く収めるかと言う厄介極まりない業務をしている。
「ナナ様、この施設の責任者です」
部下の声掛けに振り返ると、そこに居たのは日本人のオッサンだった。
そこそこ偉そうな腹の出かたと、今どき珍しいバーコードハゲ。
そんなオッサンは水族館の惨状を見ると、唇を震わせながら目を見開き、ドッと膝を着く。
「な、何なのだこれは……一体、これーーいや、えっ、何故……」
天井からは真夏の青空が顔を覗かせており、大水槽は木っ端微塵に破壊されている。
当然のように水槽に水はないので、魚もいない。
なんでこうなったのって飼い主に聞いてみたら、曰く『敵が水槽を破壊しやがってこの部屋を水没させたせいで水を除去するために仕方なくブラックホールを展開した』んだそうだ。
いやいや、そんな無茶苦茶な。
せめてどっかの聖人みたいに水を割れなかったのかよと一瞬思いを走らせたが、床には水魔法の残滓が残っている。
これ、もしかしなくても水柱の魔法か。
本当にこれしか方法がなかったらしい。
「えーと、こちらの責任者で宜しかったかしら。私X-CATHEDRA四天王のナナと言います」
幸運だったのは、ここの経営陣の大半が魔人であったこと。
魔法世界に所属している人間が経営に携わっていることで、この問題はかなりスピード感を持って処理できそうであった。
「こ、これは一体……何が、どうなって……」
「えーっとですね〜、端的に申し上げますとー、テロリスト集団がここに襲撃を仕掛けてきたみたいですねー」
動揺し切っており、名前すら分からない彼があまりにも不憫で何とか言葉を見繕ってみて、自分の語彙力の無さに我ながらドン引きする展開だ。
「テロ……リスト……」
「指定暗黒組織D.E.A.T.H.、通称DEATHと呼ばれる組織の犯行であることは複数の目撃証言から確証を得ていますね〜」
地球人と言うか、地球犬の自分からしたら口にするのも恥ずかしくなるような名前のテロリスト集団。
「そ、そんな奴らが……なんだってうちの水族館に!?」
知らねーよ。
……なんて、そんな事言えるはずもなく。
「此方が地球人が多く集まるレジャー施設である事に着目して、1人でも多く非魔人を巻き込もうとした卑劣なテロ行為であるとの推論は一部から出てますねー」
「なんと……な、な、なんと言う……なんて卑劣な……!」
口から適当にそれっぽい事を言うと、彼は現実を受け入れ難いなりにもなんとか現状を見ようと拳を握り締める。
「幸い、たまたまですがうちの副総帥が此方にオフで来ていたのもありまして、今のところ死者が出ていないのが救いですね」
「ええ、ええ……」
虚ろな目に、僅かに光が戻る。
ここではまだ、死人は出ていない。
この辺は、レメディの頑張り次第だが。
「この水族館の惨状を見るに、恐らくは非魔人系のマスコミにはここで何らかのインシデントが起きた事については勘づかれていると思います」
ただ、知っての通り地球では一般的に魔法を使用することは禁じられている。
魔法を世間に公表する訳には行かないのだ。
そう伝えると、男は頷いてみせる。
「そこで、この後の処理についてなのですが、当方では現在地球のテロ組織『エルタファ戦線』の構成員が凶行に及んだと言うシナリオを用意しています〜」
「な、なるほど」
「貴社の従業員で記憶修正の必要な非魔人がもしも居たらお申し出下さい」
「はい」
エルタファ戦線。
無論、こんなテロリスト集団なんて存在はしない。
名前の由来は、実在するテロ組織たちから名前をパクって組み合わせただけ。
戦線と言うネーミングセンスであれば適当にそれっぽく見えてくるだろと言う何とも安易な名前で、エルタファはアラビア語で『薔薇』を意味する。
曰く、『ほら、昔日本赤軍ってあったじゃん。赤だとアラビア語にするとなんか長くなるからレッドに近いローズから取ればいい感じに短くなってそれっぽく聞こえるでしょ』とは飼い主の言葉。アラビア語をなんだと思っているのか。
……そんなノリで、現在地球で発生する非魔人相手に公表出来ない大規模魔法事件は全てこの『エルタファ戦線』と言うペーパーテロリストの仕業と処理される。
「記者会見とかの準備は?」
「ま、まだ全然そんな予定も……あぁぁっ、これから、どうすれば……」
広報。
被害者のケア。
再建。
突然なだれ込んできた緊急案件の山に彼は途方に暮れた。
無理もないだろう。
「では此方で対非魔人系マスコミ向けの広報コンサルを派遣します。基本的に今回テロ事件としてーーまあ実際テロなんですがーーまあとりあえず処理する都合上、官邸とかとも調整をしないと行けないので〜……」
ぶっちゃけ、こっちだってやることは山積しているのだ。
ストレスで胃に穴が開きそうだ。もう無性に自分の前足を舐めてお手入れしたい。というか、自分のしっぽを噛みたい。
「か、かかか官邸!?」
「はいー」
あー、めんどくさい。
なんでこう言う時にうちの諜報部は動いてくれないのかしら。
「で、申し訳ないんですけど〜、口裏合わせないと行けないのでご連絡先を教えて頂けますか〜?」
「連絡先……はっ!もしかして名刺をまだお渡ししていませんでしたか!? ももも申し訳ありません!」
連絡先と言う単語に反応して突然飛び上がると、その男は懐から名刺入れを取りだし、名刺をこちらに差し出そうとしてその手を止める。
「えーっと……どのようにお渡ししたら……」
犬に名刺を渡すおっさん。
シュールだ。
あ、いやいやそんな事より。
「宜しくお願い致します」
まさか名刺を口に銜える訳にも行かないので、念力魔法を使ってその名刺を受け取る。
お返しに着せてもらったお洋服のポケットから名刺を取り出して彼の前に差し出すと、それはもう芸術的なまでの営業スマイルを反射的に作った彼がそれを受け取った。
ふむ。
アクアリウム事業部の坂上本部長ね。
「えーっと、では坂上さん、これから色々と大変かとは思いますがどうか宜しくお願いします〜」
「あ、はい。今日はわざわざ来ていただいて本当にすみません……」
すみませんと言いたいのはこちらの方だが、うん、と頷いて置いて水族館を離れる。
まさかうちの飼い主がブラックホール作ってお宅で陳列していた魚全部吸っちゃったとは言えないしなー。
まあそこはエルタファ戦線……いや、DEATHの犯行ということにしておくか。




