166. 重い水、軽い命
水、水、水。
決壊した大水槽から水が水族館内に流れ込み、ウェルドラの展開した水柱からも水が供給され瞬く間に僕達のいる部屋は水没した。
咄嗟に峰さんが扉を凍らせ、水が外に漏れるのを防いでみせたが、ウェルドラは更に水柱を展開し水深がどんどん深みを増していく。
瞬く間に水かさは膝の丈から腰、肩へと上がっていき、遂には僕達は完全に水没した。
魚が泳いでいる。
大水槽のあったエリアが、大水槽ごと水没し一際大きな水槽と化した。
泡の魔法がなければ、僕達は溺れていただろう。
「【翡翠の槍】!!」
翡翠の槍が生まれ、放たれる。
回避しようとし、水の中で思うように身体が動かないことに気づいたのはこれに被弾してからであった。
攻撃を受けた瞬間、軽かった身体が重くなったのを感じた。
峰さんのバフがデバフで相殺されたのだ。
「くっ、炎魔法が使えねえ!」
炎魔法に偏重している巧がそう言うと、篭手から魔法の弾丸がいくつも放たれていく。
しかし弾速が水に遮られて下がってしまっており、ウェルドラは長杖を水中で高速回転させ魔法の弾丸を弾くとそのまま水流を放ち巧が大きく水中を吹き飛んで行く。
「余所見をするな」
その直後、僕達と違って泡に身を包んでいない伊集院くんが身体を闇のスモッグに変化させ、そのスモッグから闇の針が無数に現れウェルドラを貫いていく。
貫通したウェルドラの背後で闇の針が再び伊集院くんの身体に変化すると彼はそのまま氷の槍を出現させ、ウェルドラに回避行動を強制する。
「食らえっ!」
「ぐあっ!」
伊集院君の攻撃は避けられても、反対側にいる僕の銃は避けられない。
剣を握るのは無理と判断し、携行している銃に武器を持ち替え魔力の弾を発砲するとウェルドラが呻く。
「光の――うわっ!」
光魔法を撃とうと詠唱を始めた瞬間、巨大なマグロが僕達の間を泳ぎ抜ける。
思わず詠唱を中断し後ろに下がるとマグロは水没した大水槽エリアを縦横無尽に動き回っており、他の魚もこれに追随していた。
「くっ!」
鉄の壁を展開し、ウェルドラから放たれたルビーのチャクラムを防ぐ。
鉄の壁がゆっくりと床に落ちると、ウェルドラは自らの後方に向けて水流を放ち、その反動でこちらに一気に接近していて峰さん目掛けて杖を振るわんとしていた。
「させるか!【ホーミング弾】!」
銃に重力を付加させ新たに弾を放つと、それがウェルドラを狙い弾道を修正していく。
これに合わせるかのように巧がブーツから魔力弾を放ちその反動を利用してウェルドラに接近戦を仕掛ける。
「【メタルバースト】!」
こちらに浴びせられた鋭い視線と共にウェルドラが呪文を唱える。
次の瞬間、僕の放った弾丸が物凄い衝撃で弾け飛び、水の中を衝撃が伝った。
「うわっっ!」
金属が爆裂する衝撃波が水を伝い押し寄せ、僕たちをまとめて吹き飛ばす。
そこに氷で出来た龍が出現するとウェルドラに噛みつきに掛かり、彼女は杖をその氷龍の顎に突き立てて破壊するとそのまま翡翠の槍を伊集院くん目掛けて発射した。
水の抵抗が強い。
マトモに攻撃を避けられやしない上に、攻撃を受けて飛ばされるにも、水のせいで吹き飛ぶ推力で衝撃を殺すことすらままならず、攻撃を受ける度にその衝撃がフルに伝わる。
内蔵が悲鳴を上げていた。
「くっ……」
ただ、どうやらそれはウェルドラも同じのようで、彼女はより近くに居たが為に口元の水が若干色を帯びていた。
「【アイスタワー】!!」
「【光の螺旋】!」
ウェルドラの詠唱で鋭い氷柱が床から突き上がる。
これを巧は両手両足から魔弾を撃ち出して回避すると、螺旋を描く光のビームを放つ。
「【ホーミング弾】!」
水の影響を受けないその攻撃を躱し切れなかったウェルドラが呻くと、彼女の首にかけていたネックレスの一つが弾ける。
その瞬間、ウェルドラから感じる魔力が一気に弱まるのを感じた。
「ぐっ!!」
「よし!【蔦の鞭】!」
明らかに焦った表情を浮かべたウェルドラに対し、鞭で攻撃を仕掛けそのまま拘束すると更に彼女のアクセサリーが破壊される。
「【付与魔法遮断】!」
「【カースアンカー】」
そこに峰さんが付与魔法を一瞬だけ無効化する呪文を唱え、それに呼応するように伊集院くんがウェルドラの四肢に真っ黒な錘を展開し彼女を呪う。
やるなら今しかない。
僕は巧に目配せをすると、彼は頷き僕の方向へと泳ぐ。
それに合わせて伊集院くんがまた、呪文を唱えた。
「――【ブラックホール】!」
彼の手元に黒い球体が生じた瞬間、その黒い玉に向かって恐ろしい勢いの水流が生まれる。
峰さんが蔦の鞭で凍らせて塞いだ扉にしがみつき、僕は同じ魔法で巧を引っばり自分は武器を剣に持ち替えて床に突き刺し、吸い込み攻撃を耐える。
それはまるで、かつてリーグの吸い込み攻撃を水中で耐えているかのようだった。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
「わああっ!」
強力な排水溝と化した伊集院くんの掌に、水が吸われていく。
水どころか、泳いでいた魚や水槽が割れて沈んでいたガラスの破片、そして瓦礫も全て等しく吸い込まれていく。
たまたま割れた水槽の破片が僕を切りつけると、水に混ざって暖かい液体が流れて行く。
「今だ!」
「【ウインドブーマー】!」
「うおおお【鉄拳制裁】!!」
伊集院くんが拳を握った瞬間、吸引が止む。
腰の高さまで下がった水位に対し、僕は血が流れヒリヒリする手で巧に風の大砲を放つと、巧は吹っ飛ぶ反動を利用し動きが遅くなったウェルドラに急接近し、鋼鉄化させた拳で思い切り彼女の頭を殴る。
「ぶばぁっ!!?」
シールドと宝石が弾け飛ぶ音と共にウェルドラが吹き飛び、続けて水面に叩きつけられたけたたましい音が辺りに響く。
「ゴボッ……がっ、はっ……!」
ぴちゃぴちゃと水の中を歩きながら、武器を剣に持ち替えて首に突き付け、僕は力強く言葉を浴びせ反応を伺う。
「ソラを返せ」
「フフ、なかなかの腕前、そしてコンビネーションでしたね……だが、生憎私は彼女を返す気はない」
彼女の口からは血が流れ出ていて、徐々に彼女の周りの水が紅く染まり始めていた。
「ところで、宇宙の法律では、基本的に魔法を地球で使用したら即刻処刑でしたね」
「はん、私を殺すと言うのか」
「まさか。貴方自分の重要さ分かってます?」
伊集院君が甘く危険な声を発しながら歩み寄る。
ウェルドラの目が僅かに細まると、彼はこう続けた。
「貴方の命は、貴方たちが人質を解放する気になるまで私の方で預からせて貰おう」
「……何?」
指を鳴らす音と共に、ウェルドラの首元に赤黒い首輪の様な物が出現する。
「貴方たちが人質を取るなら、私達も同じことをしましょう。貴方には聞きたいことも多いですからね」
「……ぐ、がっ……かはっ……、……!」
自分の眉が僅かに顰まって行ってる事に僕がハッと気付いた瞬間、ウェルドラは突然自分の首を抑えてもがき苦しみ始める。
瞬く間に青ざめて行くウェルドラを無視して伊集院君は僕たちと向き合った。
「お疲れ様。三人ともホテルに戻ってシャワー浴びてきた方がいいよ、俺もここを修復してから向かう」
「え、あ……うん」
「しっかし展示されてた魚はまあ……何と言い訳すべきかな」
ウェルドラが泡を吹いて水の中に崩れ落ちると共に、伊集院くんが重力魔法で彼女を持ち上げ溺れるのを防ぐ。
そうしながらも、伊集院くんが頭を掻きながらう〜んと唸る。
その声はウェルドラに向けられた冷たく甘い物とは違っていて、その声の落差に思わず驚く僕達であった。




