143. 冷夏
「――よーし、じゃあ先ずはウォータースライダーから行こうぜ!」
「えー、普通流れるプールでしょー?」
「そうそうー」
「僕も流れるプールが良いかな〜」
巧の提案に対し、一瞬乗り掛けたところで女子の意見に鞘替えすると、巧が僕の意図を察して睨む。
こう言うときは女性の意見に従うべきなのだ。
モテる秘訣。
「ちぇー、じゃあ俺浮き輪借りてくるよ」
「シングルの浮き輪ね!」
「うぃーっす」
そして巧が渋々と言った様子で浮き輪を取りに行くと、僕達は直ぐに先程の双子について話を始める。
「てかさー、あの双子マジでヤバくない?? アレで伊集院のはとこってマジなの??」
「ほんと可愛かった〜何あの耳〜〜」
「僕はしっぽが見たかった……」
ボソリと呟くと、それを聞き逃さなかった伊集院君が気持ち悪い物を見るような目付きで主に僕を見る。
別にいいじゃないか。しっぽ。
「……そんなに意外か?」
「うん、だってウチ伊集院にそんな親戚とか居るイメージ無かった」
「しかも猫耳でしょう? 猫耳少年って斬新なデザインだよね」
「デザインって……」
「え、どっち側のハトコなの?」
「母方」
「お母さんもこっち側なの?」
峰さんの質問に伊集院君が一瞬間を空ける。
「そうだな。今は京都で三味線教室を開いていて向こうに住んでる」
「……一緒に住んでないの??」
思わず聞いてしまう。
するとソラが興味深そうな目で伊集院君を眺めた。
「誓って離婚とかしてる訳じゃないし円満な家庭だが、一家はバラバラだな。シェアハウスをしている」
予想外の言葉に返す言葉に迷っていると、巧が浮き輪を運び戻ってくるのが見える。
そしてそのまま話は中断となり、僕達はそのまま流れるプールに移動した。
僕達はプールに入るや否や、早速浮き輪の奪い合いを始めた。
「私が使う〜」
「いやいや僕が」
「女性に譲りなさいよ」
「いや持ってきた俺がだろ」
「……」
参加していて、どこかで不毛な争いをしている自覚がある。
そんなことを考えていたら、早速行動を始める者がいた。
「あっ」
「あーっ!」
「よいしょっと……」
浮き輪に腰掛けて、そのまま手で漕ぎ始めてプカプカと流されていく伊集院君に、僕達は呆然とした。
「許し難し」
「右に同じく」
「アイツそういうことをする奴だったんだーふーん」
そこで、僕と巧は互いに目を合わせ頷く。そしてゆっくりと伊集院君に追い付くと一先ず水中に潜った。勿論気付かれては居ない。
そして僕達は、水の中でお互いに再び目を合わせ、同時に下から浮き輪を持ち上げた。
「……うおっ!?」
伊集院君が転覆し水の中に放り込まれると、女子から歓声が上がる。
「ナイスー!」
「勝手に抜け駆けするからだよ」
一方投げ出された伊集院君は、何事と言わんばかりの目で見つめている。
「じゃあ今度は私が」
「いやいやウチだから」
「だから僕だよ」
「俺だよ!」
すぐ様次に誰が浮き輪を使うかを流れるプールで流されながら言い合いを再開すると、伊集院君がふと水中に潜ってみせる。
「よいしょっと……」
そして彼の腕が浮き輪の内側から伸びると、彼はそのままその巨大な浮き輪を強奪し、バタバタと怠慢な脚捌きで僕達から離れて行く。
「あ、また!」
◇
「巧」
「ん?」
「そろそろあれやらない?」
「アレって……ああ!」
あれから3回程伊集院君を浮き輪から投げ落とすのと口論とを繰り返した。
その後いつの間にか伊集院くんが持ってきたエアベッドみたいな物の上で、僕が指差すとソラが真っ先に反応を示す。
「いいね!行こうよウォータースライダー」
「でも二種類有るよ?」
「浮き輪はさっきめっちゃ揉めたし浮き輪なしの方にしようよ〜」
「オッケー」
その一声で、僕たちは一斉に上がり始めた。
「俺は遠慮しておく。お前らが俺を何度も溺れさせるからちょっと寒くなった」
「いやお前そこそこ泳げるだろ」
「え~伊集院君やらないの?」
「だから、寒い」
そう言う彼の唇は紫色だ。
本当に寒いらしい。
「しょうがないなあ」
「代わりに浮き輪とかはシートまで持って行くよ」
「ありがとう」
プールを上がり、伊集院君が両脇にエアベッドと巨大浮き輪を抱えると、彼はそのまま僕達と別れた。
「めっちゃ高くね?」
「私ちょっと怖いかも」
少し並んでいたそのウォータースライダーは高さ40mを超え全長は150mを超えるとされている、超巨大スライダーだ。
確か国内最長を誇っていた。
「いざふもとで見るとこれヤベーな」
一番上のスライダーに行くのに、なんとエレベーターを使うと言うのだから驚きだ。
流石に係の人間がエレベーターの誘導をしてくれているが、ずぶ濡れの人間がエレベーターなんて電子機器を使っても良いのか? と不安になる。
「じゃあ、私一番乗りね」
峰さんがそう言うと、スライダーの入り口に腰掛けて腕と脚をクロスさせる。
「いや素晴らしいな。見事な景色だ」
「え、どうしたの急に」
「巧氏、突然風景の事語り始めるとか風邪引いた?」
「星野君、君はこの素晴らしい眺めに気付けないと言うのか?」
ニチャァ……と下品な笑みを浮かべる巧の視線は峰さんへと向けられていた。
腕がクロスされた事によって、寄せて上げられたその美しい景色に目眩を覚えつつも、あくまでも理性的に僕は振る舞う。
「お前最低だな」
「死ね」
「女の敵」
「クズ過ぎる」
「やはり巧は巧だった」
一斉に罵声を3人で投げ掛けると、係の人も思わず苦笑いを浮かべていた。
最も、その係の人もまた峰さんに見とれていた訳なのだが。
「ごめん私この下衆の顔見たくないからもう行くね」
およそ遊びに来ているとは思えない言葉が最後に巧の胸に突き立てられると、峰さんがパイプに吸い込まれて行く。
「じゃあ次はウチね」
続いてソラが、スライダーの入口に腰掛ける。
「行ってらっしゃーー」
「ソラって、やっぱ胸無いよな……」
独り言に近い、囁く様な、そばに居る僕でも辛うじて聞こえるような声。
しかしその言葉が彼の口から放たれた瞬間、場の空気が凍り付く。
「そう、ですか」
「へ?」
自分の顔から血の気が引いて行くのを感じる。
ソラの口から確かに聞こえたその声は、驚く程低く、流石の巧も夏の炎天下に由来しない、冷たい汗を流した。
「生きてこのテーマパークから出れると思うなよ」
「ひっ!」
何とも物騒な声を最後に彼女もまた滑り消えて行く。
「巧さあ、なんで思ってること全部口に出すのさ」
「……」
「僕は助けないからね」
「……」
巧は少し反省した方がいい。
そう判断し、僕はとっととスライダーに向かい流れ出る水に腰を浸ける。
「じゃ、おっ先〜」
彼を待っているのは地獄だろう。
だが僕は関係ない。
気持ちはわからなくも無いが、僕は親友だろうと何だろうと女性陣にモテるためなら躊躇なく彼を売り飛ばす。




