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ひょっとしたら1時間近く歩かされたかもしれない。裸足の足は血だらけだった。町の中心部を通り過ぎ、ちょっと外れに入ったところで、鉄筋コンクリートの頑丈だが少々無骨な造りの建物の中に連れていかれた。建物内や奥まったところから、華やかな少女たちの声が聞こえた。中学校か高等学校のようだった。そもそも、何のために私をここに連れてきたのか一切説明もしてくれなかったので、私に与えられた服が高校の制服のようなものだったことから、ここの生徒の一員としてこの国に馴染むように教育するためと一方的に妄想した。本物の女子高生になれるという期待感と、さっきのリーダーの態度のように恐ろしい教育が待っているのではないかという恐怖感が錯綜した。
しかし期待でも恐怖でもなかった。建物内に入ると、この学校の生徒たちが大勢いた。胸に刺繍のありリボンのついたブラウス、タータンチェックのプリーツスカートそれも赤系と青系の2種類から選べるようになっているようだ。それにワンポイントの入った白のハイソックスにを履いていた。上に紺のブレザーを着たり、グレーのセーターを着たりしている生徒もいる。私のように白のブラウスに濃紺の
サージのプリーツスカートなどというような時代遅れの制服ではなかった、おまけに私は靴も履いていない。裸足の生徒などいるはずもなかった。
廊下を歩いていると、窓の外に私と同じような格好をしている女性を初めて見かけた。持っていたのはバケツとモップ、渡り廊下の清掃をしていた。厳密にいえば、エプロンをして長靴を履いているところが私と違った。
用務員室らしきところに連れてこられると、年配の意地悪そうな女性が部屋にいた。この年配の女性も白いブラウスに濃紺のプリーツスカートだ。若干年期が入っているが、基本的に私の服装と同じだ。この国の作業服がこの服装なのだろうか。でも私のように裸足ではない。長靴を履いている。
リーダーは部屋に入ると、
「あんた、人手が足りないといってたね。新入りを連れてきたよ、町に来たばっかりで役にたつかどうかさっぱりわからないけど、トイレ掃除ぐらいならできるだろうから、使ってくれ。」
リーダーはそれだけ意地悪そうな女性に言うと、さっさと出て行ってしまった。
「なんだ、あんたは裸足かい。まあ、校舎の中では裸足で十分だ。あんたの持分は3階だよ。前の女はすぐやめちゃって3週間も掃除してない、今日からやっとくれ。」
やっとくれ、と言われてもどこをどうやって掃除をすればいいのやらわからない。手順の説明があるものだろうと傍らの丸椅子に腰をおろしたとたん、怒りだした。
「何、くつろいでんだよ、早く行けといってるだろ。」
「道具は・・・」
傍らの雑巾を投げつけ、ロッカーを指差した。
「いちいち言わないとわからないのか、この小娘は。」
一人で用務員室から放り出された私は、掃除をしなくてはならないトイレがどこにあるのか聞いても怒鳴られるだけだとろうと、何も聞かずにバケツと雑巾をもって3階に向かった。3階中を歩き回りようやく2ヵ所あることがわかった。
トイレは勿論女性用しかなかった。異性の目から隔離する必要がないせいか、トイレの入り口には扉がついていない。それどころか、中を覗くと、驚くべきことに個室にも扉がなく、個室の間に背丈より低い中仕切りがあるだけだった。便器にまたがってしゃがんでいるときには隣は見えないが、立っていれば両隣の個室内は丸見えだった。生徒達は用を足しながら他の個室にいる生徒や個室の外にいる生徒と平
気でおしゃべりをしていた。個室の外に出てから、スカートをめくりショーツを直している生徒もいた。
************ 学校の情景削除 ********************
女教師は、廻りに集まってきた生徒達を教室に追い立てると、私に用務員室に戻るように怒鳴りつけた。しかし、腰が抜けて歩けなかった。廊下に流れ出した白濁した粘液をふくことすら満足にできなかった。
暫くしてあのリーダーがやってきた。
教室の窓から大勢の生徒たちが顔を出している中で、廊下の片隅で何度も殴られた。
「お前、女になりたかったんじゃないのか。女子高生の股間を見て発情しやがって。何考えてるんだ。」
腹ばいになって、汚れた廊下を拭かされた。そして、用務員室の脇の倉庫に放り込まれた。
「そこで頭を冷やせ。」
夕方になり、倉庫の扉がいきなり開けられた。リーダーだった。
「いつまで寝てるんだ。ついてこい。」
襟をつかまれ廊下にひきづりだされた。茫然としていると、尻を蹴りあげられ再び股間の切断面に激痛が走った。
無言で足早に歩くリーダーを追いかけるのは大変だった。足裏に石が食い込み再び血だらけになったが、立ち止まるわけにはいかなかった。
学校を後にすると、繁華街とは反対側に向かった。家並みは徐々に薄汚くなり薄暮の中で町は原色を失っていった。町外れの外階段が錆びついた木造アパートが立ち並ぶドヤ街風の場所が目的地だった。
工事現場の飯場のようなプレハブ造りの大きな建物に入っていった。
リーダーは、建付けの悪い引き戸を無理やり開けると入口脇の小さな部屋にいた皺だらけの老婆に声をかけた。
「空いてるベッドがあったはずだろ。今日から寝かしてやってくれ。」
老婆は80歳もとうに超えているような見てくれだったが、私と同じように白のブラウスと濃紺のプリーツスカートを身に着けていた。しかし、プリーツはほとんど取れフレアスカート状態、ブラウスも黄ばみを通り越して茶色に近づいているようだった。唯一私よりましなのは、素足ではあったが口はあいているサンダルを履いていたことだった。
「また田舎の家出娘かい?」
「まあ、そんなもんだ、頼んだよ。」
リーダーは一言いうと出ていった。
管理人の老婆は、何度も殴られ痣だらけになった私の顔を見て、数本しかない茶色に変色した歯をむき出しにして笑った。
「おやまあ、よく殴られたもんだね。あの人は若いのに気が短いからね。ほらついといで。」
激しく軋む廊下の両側は大部屋が並んでいた。老婆の後について1階の一番奥まった所にある部屋に入った。2段ベッドが4つ並んだ大部屋だった。入り口左側の上段ベッドを指さし
「これがあんたの場所だよ。この部屋にいるのは、あんたと同じように家や職場を追い出されたり、逃げ出したりした連中だよ。ここの決まりごとはこの女たちに聞いとくれ。ひっひっひっ」
管理人のばあさんは不気味な笑い声を出して、廊下を軋ませながら戻っていった。
私のベッドの下段にいたのは髪はボサボサのくせに顔は血色の悪さを誤魔化すように丹念に厚化粧をした中年女だった。色あせたピンクのタンクトップにショートパンツを履き、指元を見るとタバコの脂で黄色くなっているわりには、淡いピンク色のマニュキュアが丁寧に塗ってあった。足の爪はうって変ってペディキュアはほとんど剥げかけていた。
隣のベッドには、げっそりやせ細って浅黒い娘がブラジャーとショーツのまま毛布も掛けずに横たわっていた。寝ているわけではないようで、荒い溜息を繰り返し時折咳き込んでは寝返りをうっていた。どう見てもまともな健康状態には見えなかった。
向いのベッドには、紫色に染めているようだったが半分までは地の白髪交じり丸出しの長い髪の女が、独り言をつぶやいては髪を振り乱しながらベッドに腰掛けていた。初老に見えるが年齢はよくわからない。その女も下着のまま、それも染みだらけのスリップでその下には何も身に着けていないようだった。私のほうを見ているようだが、何の関心もなさそうだ。
その隣には、着物だかガウンだか毛布だか区別のつかないような布を身に纏った老婆が、すっかり歯の抜け落ちた口で奇声を発していた。受付の婆さんよりも老けていて、何を喋っていじょうるのかほとんど理解できなかった。
ベッドの様子を見ると、この部屋にはあと2人いるようだったが部屋には見当たらない。いずれも全うな生活をしているとはいえないような、見るのも不気味な女たちだった。
私はベッドによじ登りブラウスとスカートを着たまま毛布にくるまった。確かにみんな女だった。ここは女だけの世界だった。しかし心が落ち着くどころかおぞましいとしかいいようのない場所だった。
しばらくして下のベッドにいた厚化粧の女は、薄汚れたタンクトップを脱ぎ捨て上半身素っ裸で意外と形の整った乳房を丸出しにして、ベッドから這い出した。部屋の真ん中の床に胡坐をかき、ベッドの下から取り出した一升瓶を抱えて、茶碗に安酒を注ぎ飲み始めた。私に声を掛けた。
「上の新入りさんよ。飲むかい。」
私は毛布から顔を出し、ちらっと女の顔を見たがすぐ天井を向いた。
女は喉を鳴らしながら茶碗酒を飲み始めた。
「飲むより飯か。食堂に一応人数分の飯は用意してあるんだけどね、少ししかないから惣菜はむりだろうが麦飯ぐらい残ってるんじゃないか。遅くなるとなくなっちまうよ。」
厚化粧は茶碗酒を飲み続けながら、盛んに私に話しかけた。
「いっしょに飲める女が部屋にいなくてね。あんたは酒のちょっとくらいは飲めるだろう。今日は来たばっかりだから、無理にはすすめないがね。」
意外と気のいい人なのかもしれない。少なくとも他の老婆や浅黒い娘よりははるかにましだった。
「今日は風呂は無理だろうね、もう垢だらけのぬるま湯だろうよ。新入りだから我慢するんだね。でも、風呂には入らんでもちゃんと股の間はきれいにしておいてくれよ。前に上にいた女は臭くてかなわなかったからね。」
どう応えていいのかわからず毛布を被って寝たふりをしていた。スカートのポケットにねじ込んでいた学校の用務員室からくすねてきた干からびたさきイカを口にして空腹を紛らわしていた。
厚化粧は何の返事もしない私に愛想をつかしたのか、溜息をついて茶碗酒を飲み干すと自分のベッドにもぐりこんだ。部屋の中は二人の老婆の、意味不明な独り言と奇声だけになった。そのうち電灯も消され、いつの間にか二人の老婆も静かになり部屋の中は女たちの鼾と寝息だけとなった。
しかし、どうにも寝付かれなかった。いったいここはどこなのなのだろうか。女しかいない。それに私のことを疑いもなく女と見ている。女の服を着ているが、化粧をしているわけでもなく、髪も短いままだ。鏡などどこにもないが、恐らく私を見れば男丸出し単に不細工な男が女装しているだけだ。そもそも女装にもなっていないだろう。
私はこの世界の住人にならなくてはならないのだろうか。あのリーダーだという女性は、この国に入れてやったという言い方をしている。元の世界では多少は私のころを気にかけてくれているだろうか。どうせろくな仕事もしていないし、親兄弟もほとんど連絡もとりあっていないので、誰も心配もしなければ困ってもいないかもしれない。でも、職場のロッカーには私物は置き去り出し、一人暮らしのアパート
には碌なものはないものの、僅かばかりの残高しかない預金通帳やら、貴重なゲームソフトなども置きっぱなしだ。そんなどうでもいいものでも処分に困るのではないか。
ここがどこなのか調べようにも、誰かに連絡をつけようにも、内ポケットに入れていたスマートフォンは城郭で身ぐるみ剥がされたとき一緒に取り上げられてしまった。あのリーダーも、高校生たちも、誰もスマートフォンを持っているようには見えないし、そもそも固定電話すら見かけない。この宿舎には公衆電話すらなさそうだ。もっとも、あったとしても財布も取り上げられたので小銭もない。手帳も取り
上げられたので電話番号やメールアドレスもわからない。記憶している番号もない。どうにも連絡の取りようがない。
尿意を覚えて、そっとベッドから下りた。忍び足で部屋を出るとあちこちの部屋から声が聞こえる。何を言っているのかわからないが、おおかた自分の部屋にいる老婆と同じような状態だろう。ようやく薄暗い非常灯に照らされたトイレらしき場所を見つけた。見つけたというより臭いでわかった。学校と同様、部屋にも個室にも扉がない。一応、個室を示す低い仕切りらしきものはあるが。染みだらけの大便器はすべて見通せた。便器の前に立ち股間を探ったがチャックはなくスカートのひだに手を触れただけだった。女の恰好をしていることに気が付きスカートの中に手をいれたが、取り出すモノはなかった。数日前リーダーに切断された状況をありありと思い出した。誰もいないとはいえ、ほとんど丸見えの便器の上で下着をおろすことには抵抗を感じたが、尿意にはかなわなかった。便器に跨りスカートをたくし上げた。
宿舎内をそっと歩きまわったが、口にできるものは当然のことながら何もなく、電話の類も一切ない。ここがどこかということを暗示させるようなポスターも張り紙も看板も何もなかった。
部屋に戻り、そっとベッドに上がった。
「早く寝なよ。」
下から声が聞こえた。あの厚化粧の女はまだ起きていたのか。
しかし、すぐに寝息に変った。
向いのベッドからは、何やら声が聞こえた。
相変わらず何を言っているのかわからない。すぐに静かになり寝息と鼾にかわった。
私は闇の中で、相変わらず頭の中に色々なことが渦巻き、おまけに激しい空腹、眠気なかなか襲ってこなかった。
しかし、明日何があるかわからない。目を閉じた。
いつの間にか眠りに落ちた。