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私はそっと、あの髪の薄い男のいるコンビニとは反対方向に歩き出した。
車から降りた後はやみくもに走りだし、人気のなさそうな方角にひたすら逃げ続けた。でも結局、ほとんど最初の街角から遠くに逃れることはできなかった。
今度はきちんと地図で方角を確認してから歩き出そうと思った。100mほど先に大型書店があるのを見つけた。あいかわらずオカマ丸出しであることは変わりないが、運転手が返してくれた服と一緒にバッグに入っていたハンカチを口にあてうつむいて歩いた。メイド服と違って、顔さえ見られないようにして歩けば、目立たないダークグレーのスーツに黒のパンプスのおかげで、通行人にジロジロみられることもなかった。
地図を買えるだけの現金を持っていなかったので、書店で立ち読みし、どの方角に行けば郊外に出られるのか頭に叩き込んだ。不思議なことに、この町も知っていたし、道路もその道が向かう方向の町もすべて自分の記憶にあった。しかし、知っているだけで自分とのかかわりはまったくわからなかった。自分が住んでいたから知っているのか、旅行などで訪ねたことがあったので知っていたのか、全く思い出すことができなかった。この町も、この前いったんリーダーに放逐されて戻った自分の暮らしていた町と同じなのか違うのかもわからなかった。しかし、何となく知っている。この通りを北に行けば川を渡って隣県となり徐々に田舎に近づくことは知っていた。そこに行くとあの深い森に達するのかどうかはわからなかった。
頭の中に叩き込んだ地図どおりに歩き続けた。
しかし、行けども行けども街並みは途切れることもなく、あるはずの川にもたどりつかなかった。夕暮れが進行することもなく、女だけになるということもなく、まわりの人々は老若男女そろっていた。
疲労が激しく慣れないヒールに足も引きずるようになり、ハンカチで口を押えながらうつむいて歩く姿は徐々に目立つようになった。
すれ違った人から「大丈夫ですか?」と話しかけられることもあった。
「大丈夫です。」と男声で答えたとたん、相手は狼狽え、足早に去っていった。
足は前に進まなくなり、バス停の脇にあったベンチに座り込んだ。疲労と空腹で動きようもなかった。しかし、男がいなくなることもなく、森の中に彷徨いこむこともなく、意識を失っていつの間にか城郭の前に倒れているというようなこともなかった。
「どうすればいいの。」
思わず口に出した。
「なんだ、こんなところにいたのか。早く乗れ。」
男の声が聞こえた。オンボロのワンボックスカーの中からあの運転手が叫んでいた。
「別の仕事が片付いたんで、迎えにきてみればまたいなくなっているじゃないか。だめだ、勝手にうろついちゃ。」
「また、あんたに仕事だってよ。車に戻ってきたら、こんな注文書が座席に放り出してあってな。」
見ると、まるで仕入先に送る注文書のようだった。
業務内容
① この車輛で直ちにホテル××に赴き、308号室に入り一人で待機すること。
② 訪れた男性客の要求に従いサービスを行うこと。
③ サービスの時間は1時間30分とし、時間経過後にサービスを求められたら拒否すること。
④ サービス終了後、ホテル前で待機している係員の指示にしたがい、報酬を受け取り帰宅すること。
⑤ いかなる理由があろうとも本業務を拒否することはできない。拒否しようとした場合、受託者の存在そのものが消滅することになるので注意すること。
報酬額 ○万○千円
●●●●年○月○日
ビジネスライクに記載されているが、どう考えても売春契約書だ。それも拒否すると私の存在を抹消するという。
「あんた、あのハゲおやじをソデにしたんだってな。そりゃ、まずいぞ。この業界でそんなことしちゃ、今頃××川に簀巻きにされて浮かんでても、文句はいえないけどな。」
「この業界って・・・」
「この業界って、わかるだろう。俺も片足突っ込んじゃっているけどな。あんたと同じ新入りなので、詳しいことはよくわからないんだが、あんたのような切り取ったオカマは結構いい商売になるんだそうじゃないか。せっかくの仕事に、何でそんな態度をとるんだ。」
「私は、男の人と寝るなんてできません。」
「馬鹿か、お前は男に抱かれるために身体改造したんだろうが。まあいい、今度はおとなしく言うこと聞くんだな。」
「いやです。」
男は、返事もせずいきなり車をスタートさせた。飛び降りようとしたが、扉はロックされていた。猛スピードで町を通り抜け、郊外のけばけばしいラブホテルに着くと、そのまま駐車場に入った。
「おい、逃げようったって無駄だよ。俺は部屋までついてくからな。」
男は外側からロックを外し、私は車から降ろされた。私の腰をしっかり抱え、そのままチェックインした。
「ほら、はたから見るとまるで恋人どおしみたいに見えるだろう。嬉しいんじゃないか。」
そのまま308号室に入った。
「お前が商品じゃなきゃな、俺がやってやるのにな。逃げるんじゃないぞ、客がくるまで廊下でみはってるいからな。いいな。」
男は308号室から出ていった。
出入口の覗き穴から外を覗いてみるとあの運転手が廊下に立っているのが見えた。部屋から出ることはできない。3階なら窓から飛び降りることができるんじゃないかと思って窓ガラスを開けると鉄格子がはまっていた。飛び降りて逃げることもできない。
10分ほどしてノックが聞こえた。私が開ける前に一方的に出入口は開けられ30歳ほどのスポーツマンタイプの男が入ってきた。その男は後ろ手に扉を閉めると鍵とチェーンをかけた。
****************ホテルの情景削除*******************
男は出ていった。
自分は混乱していた。男の耐えられない臭気にさらされて、そして男の脂ぎったからだで全身をおおわれて、最悪の気分だった。早く全身を洗い流して男の体臭をすべて取り除きたかった。あの吐き気のする粘液を上からも下からも体内に放出された。まだ口の中に異臭が粘りついていた。うがいや歯磨き程度で洗い流せるようなレベルではなかった。
しかし、男に抱きしめられているという感覚に少し陶酔したような気がしたことも事実だ。男に抱かれたことというより、女になったという感覚に酔っているようだった。これで本当に女になれたのか。それとも、不完全な女のまま男に溺れるようになってしまうのか。
突然扉が開いた。
「おい、どうした。」
運転手が入ってきたのだ。
「予定時間になったぞ。なんだその恰好は。」
服は着たままだった。スカートはめくりあがり、その中は下着はつけてなく下半身の大事な部分が丸出しだった。
「おお、いいながめじゃないか。顔さえみなけりゃ普通の女っていってもわからんな。これはいい出来だ。」
私はあわててベッドから下り、スカートを直してシャワールームに飛び込んだ。
裸になってボディーソープをたっぷりとつけて男の匂いを洗い流した。歯磨きも何度も繰り返し、あの粘液の臭いを洗い流した。
タオルで拭いて服を着ようとしたが、ショーツとストッキングはベッドに放り出されたままだ。スカートもブラウスも男の粘液がこびりついていた。とてもじゃないが着れる状態ではなかった。
「着れる服がない。」
タオルを巻いて外に出た私は、運転手に言った。
「服を買ってきて。」
「ばかいうな、俺が買いにいけるわけがないだろう。」
「でも、これじゃ無理。」
「しょうがないな。」
運転手は部屋を出ていった。
ブラジャーは着けたが、ショーツやストッキングは破けていて使い物にならなかった。
暫くして運転手は戻ってきた。青いワンピースを持っていた。
「ホテルに置き忘れた物だってよ。服を着るのを忘れて出て行く女がいるっていうのもひどいもんだな。掃除のおばちゃんが処分しようとしていたんで貰ってきた。まあ、とりあえずこれを着て服を買いに行けってことだな。」
スーツはホテルの部屋に投げ捨て、青いワンピースを着てショーツなしでホテルの外に出た。このワンピースもそうして投げ捨てられたものだろうか。体中臭いを嗅いでみたが、幸い男の体液の臭いはしなかった。
ショックだった。男にあんなふうに犯されてしまうとは。それにお金まで貰って。娼婦になってしまったっていうことだ。リーダーのいう仕事とはこのことだったのだろうか。
新しい服を買いに行く気力もなくなって古びたワンボックスカーに乗り込もうとした。
「ちょっとまて、ほら報酬だよ。」
運転手は運転席にあった書類入れから札の入った封筒を差し出した。受け取りたくなかったが手が出てしまった。汚した服代として貰った分も合わせると、1日としてはかなりの金額になった。でもこれを「職業」として続けろというのか。
「このまま帰っていいのかい?」
「お願いします。」
「それじゃ、ちょっとまて。」
そばに近づいた運転手は、いきなり猛烈なストレートを鳩尾に打ち込んだ。
とてつもない激しい車の動揺で目が覚めた。
突然の運転手のストレートで気絶していたようだ。
「いきなりなんてずいぶんじゃないですか。」
「何がです?」
返ってきたのは女の声だった。
「何時の間に運転が代わったんですか。」
「これがルールですから。」
尖ったプリーツが美しい濃紺のサージのジャンパースカートを身に着けた女性が運転していた。朝の運転手と違い若い女性だ。
「気絶するほど殴るのがルールなんですか?」
「殴られて気絶していたんですか。それは大変でしたね。あなたは寝ているものだとばっかり思っていました。」
「あの乱暴な男の運転手から引き継いだんでしょ。」
「男、って何ですか? 私は指示された時間に門の前に行って、停まっていた車を運転してきただけですが。で、後部座席を見るとあなたが寝ていた・・・」
「あなたは城の門を知っているのね。」
「ええ、瓦の載った土塀がずっと続いていて、そこにある門ですよね。」
「土塀? お寺の廻りにあるような?」
「お寺というか、古いお屋敷にあるというか。城というほど大きくないけど。」
私のイメージとは違うようだ。こちらの世界と元の世界の境界はどこなのだろうか。今まではひたすら歩いて体力の限界を超えて倒れて気を失った時に境界を超えているようだった。今回は、車なので体力の限界はないものの、気絶している間に境界を超えたようだった。境界自体見ることはできないのだろうか。
「いつも、門と町の間を車で往復してるんですか?」
「時折ね。門の向こうに行き来する人の送迎で。」
「たとえばどんな人?」
「うーん、普通の人。」
「どんな格好をした?」
「だいたい、黒かダークグレーのぴったりしたスーツの人。あなたみたいにワンピースの人は初めて。」
「私も行くときはスーツだったんだけど・・・」
「そうだったんですか。」
スーツといえばリーダーがいる。
「リーダーも乗せたことある?」
「リーダーって?」
宿舎の厚化粧や、学校の用務員ですら知っているリーダーを知らないらしい。
「ジャンパースカートは制服なんですか。」
「知らないんですか? 公務の作業員は濃紺のサージの24本プリーツスカートって決まってるじゃないですか。民間でも使っているところはありますけど。」
「スカートにブラウスは大勢いたけど、ジャンパースカートは初めて。」
「ジャンパースカートのほうがちょっと技能がいる人の制服ってことかしら。」
「そのほかにもあるの?」
「高度な技能や指導力を持っている人はセーラー服。」
「そうなの。」
往路の中年の運転手に比べると、この若い運転手のほうがずっと丁寧な運転だったし聞くといろいろ教えてくれた。激しい乗り物酔いにもならずに、町の中心部に入り私の家のあるマンション前に到着した。
「ありがとう。」
「お疲れ様でした。」




